こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

秋田日記⑨ 2019.11.16.

f:id:kotatusima:20191229130212j:plain(紅葉)


 この日記は「秋田市文化創造交流館(仮称)プレ事業 SPACE LABO」への応募企画「秋田と北海道をつなぐ」の際に秋田で滞在調査・制作をした10日間の記録です。

  ⑧のつづき。

 

11月16日 父祖の地

 

・早朝のスケッチ

 6時過ぎ起床、朝食をいただいて7時過ぎには絵を描きに外に出た。雨は降っていないがやはり寒い。家のすぐ近く、坂の上から家を見下ろして、ペンで形をとっていく。背後の色づいた木々は鮮やかになるように描き、手前の小川も含めて豊かな山の雰囲気を出そうとした。9時頃に家からKおばさんが出てきて、出かけるよ、と声をかけられた。

 秋田市から県内を北上し、北秋田市鷹巣へ向かう。車中でも私の祖父や曽祖父母の話をたくさん聞いた。10時過ぎ、阿仁の道の駅で休憩。この辺はいわゆる「マタギ」で有名な集落だ。「マタギジュース」という名のジュースがあったので、熊でも入っているかと思い飲んでみたら濃いリンゴジュースだった。Kおばさんは以前よく買って食べていたという小さな黄色いパッケージのチョコレートケーキを買ってくれた。道中の山々は所々で歓声をあげてしまうほど紅葉が見ごろだった。途中、大館能代空港の看板を見かけた。大館能代空港という名前なのに、大館市でも能代市でもなく北秋田市にある。

 

f:id:kotatusima:20191229130219j:plain(紅葉)

 

 11時ころ鷹巣町立図書館に着くも、なんと蔵書整理で休館日であった。Kおばさんと二人でがっかり。気を取り直して道の駅へ向かう。「大太鼓の館」という、この地域のお祭りで使う大太鼓や世界各地の太鼓が展示されており一部の太鼓は実際に叩ける。太鼓を演奏する埴輪やトントン相撲の土俵が太鼓になっているものもあった。道の駅の中の食堂で昼食。比内地鶏の親子丼を食べた。

 

 

f:id:kotatusima:20191229130444j:plain鷹巣図書館は閉館)

f:id:kotatusima:20191229130225j:plain(大太鼓)


・Tおばさんと会う

 

 13時ごろ、鷹巣町内に住むTおばさん(やはり私の父のいとこにあたる)を訪ねる。Tおばさんは私の父や祖父と何度か会ったことがあるので話がスムーズだった。初めて会った人が私の父や祖父のことを知っているというのは、つくづく不思議な気持ちがする。後から聞いたことだが、私が生まれる前後の時期に私の父が私の祖父を連れて鷹巣に来たこともあったという。Tおばさんは古い写真を探し出してくれていた。その中にはKおばさんがもっていない写真がいくつもあった。私の祖父母が小さいころの私の父や叔父と写っている家族写真。私の曾祖母の写真。私の祖父と祖父の兄や姉たちが一緒に写った写真。若くして亡くなった私の祖父の長兄らしきの写真もあった。またTおばさんが持っていた鷹巣の地図にあった名前は、私の曾祖父の兄の家系の人物のものだった。確認すると、やはりそこが、いま遡れる中で一番古い私の家系の本籍地であった。

 

鷹巣

 

 ここからTおばさんの車に乗せてもらって移動した。まずある寺院に来た。ここは以前、佐藤家の墓があった。立派な本堂には昔の鷹巣の地図が貼ってある。お願いして調べてもらうと、過去帳には私の祖父の長兄の戒名が残っていた。その寺のすぐ近く、私の曾祖父が米屋をやっていたという場所は、今では砂利が敷かれた更地になっていた。以前は質屋だったそうだ。漠然と父から聞いていた「米屋で繁盛してすぐ没落したという曾祖父の話」も、ただの言い伝えであればそれをそのまま信じるか信じないか、それしかない。しかし実際にその店舗があったという場所にまで来てみると現実味が増してくる。会ったこともない(しかも今回秋田に来るまで写真を見たこともなかった)曾祖父がかつて生きて暮らしていたということが目の前に立ち上がってくる。そこからさらに、いま遡れる中で一番古い本籍地に行った。坂を登ってバス停を左折してすぐ右手、丘の上の集落の一画には古い民家が何軒か建っていた。集落のお寺に行って過去帳を見せてもらえないかお願いしたものの断られてしまった。しかし「だいたいこの集落の佐藤家は徳右衛門とか惣七とかいうこの辺の名主の親戚筋だろう」ということだけは教えてもらえた。15時30分頃、Tおばさんと別れて秋田市に戻った。

 ひとまず、自分の父祖の所縁の地に来ることができた。今回は下調べ不足で図書館の資料が見られなかったり、過去帳を見せてもらえなかったりした。帰るころにはすっかり「また鷹巣に来たい」という気持ちになっていた。ほんの数か月前、今回の滞在のための下調べを始める前には名前も知らなかったような場所に、だ。

 

 

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秋田市へ戻る

 

 17時過ぎ、Kおばさんの家に着いた。夕食にはわざわざ秋田名物のきりたんぽを用意してくれた。比内地鶏の出汁の味が体に沁みた。このとき初めて「いぶりがっこ」を食べさせてもらった。私はそもそも大根を漬物にした類のものは嫌いなのだが、いぶりがっこは不思議とおいしく感じてぱくぱく食べてしまった。これは酒飲みの食べ物だなと思った。これがあれば秋田の美酒も進むだろう。テレビでは街歩き番組が放送されていて、なんと秋田の特集であった。タレントが、私が真山神社に行った際に被って写真を撮ったのとまったく同じなまはげの面を被っていた。「秋田美人」について放送されているのを見てKおばさんが「秋田は山海の産物が豊富で東北の他県に比べて飢饉も少なく、年貢が払えた。年貢が払えない地域はかわりに娘が貰われていく。だから秋田には美人が多いのだ」というような話をしていた。秋田の豊かな自然を根拠に持ってきているところに妙な説得力を感じた話だった。

 

 夕食後、朝描いている途中だった絵を仕上げてKおばさんに差し上げた。23時ころ就寝。

 

 ⑩につづく・・・。