こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

秋田日記⑦ 2019.11.14.

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なまはげ面を被ったわたし)

 

 この日記は「秋田市文化創造交流館(仮称)プレ事業 SPACE LABO」への応募企画「秋田と北海道をつなぐ」の際に秋田で滞在調査・制作をした10日間の記録です。

  ⑥のつづき。

 

 

 

11月14日 男鹿一周

 

・男鹿への道

 

 7時半起床。昨日、仁賀保の駅前で買ったパンを食べる。

 今日は男鹿半島を巡る。この日はコーディネーターのFさんが車でアテンドしてくれる。9時ころ出発。玄関に出て戸を開けると強い雨が降っていた。ちょっと気が滅入る。

 秋田県内の海岸沿いにはたくさん風力発電の風車が立っている。秋田市から男鹿市へ向かう途中でもそうだった。私は風車というと今年の五月に見た北海道の「オトンルイ風力発電所」を思い出す。一列に並んだ風車はなかなか壮観だった。一方で秋田の風車は止まっていたり動いていたりとそれぞれバラバラに動いていて少し気味が悪かった。オトンルイではほとんど気味の悪さは感じず人間の技術の好ましい体現のように感じたのに、この違いはなんだろう。Fさんが言うには「秋田の風車が作った電気は必ずしも秋田で使われない。中央が秋田を搾取するいい例だ」とのことだ。ではオトンルイで作られた電気はどうなのか?男鹿に向かう車中ではFさんがいままでやってきたことやこれからやりたいことについて話した。「作品未満のものをどう扱っていくか」という話になりとても共感する。まさにいまこの秋田で私がやっている滞在が作品未満の何かなのだろう。

 10時過ぎ、男鹿に入ってしばらく経つと左手に大きななまはげ像が現れた。観光パンフレットかそれともテレビか、どこかで見たことがある気がする。観光地ではしばしばシンボルを巨大化したがる。私はそれを安直だとバカにしつつ実は心から面白がってもいる。

 

f:id:kotatusima:20191228232553j:plain(風車)

 

f:id:kotatusima:20191228232615j:plainなまはげ像)

 

なまはげ

 

 10時30過ぎに到着。さすが秋田を代表する観光の目玉のなまはげ、駐車場には秋田のほか、岩手、札幌、福井ナンバーの車が停まっていた。「なまはげ館」はその名の通りなまはげ習俗を紹介する施設になっている。少しだけ展示を見て、11時に隣接する男鹿真山伝承館へ移動。なんとここでは観光客向けに真山地域のなまはげを見ることができる。これはいわば「生のなまはげ」ではないか!と思うと少し興奮したがだんだんなまはげに会う(遭う?)のが怖くなってきた。古民家へ靴を脱いで上がり、畳の上に座って待っていると作務衣をきた職員の方が鏡餅の横で説明を始めた。なまはげの名の由来のひとつは「なもみ剥ぎ」であり、「なもみ」とは怠け者が火に当たっているとできるアザで、一説によればなまはげは手に持った包丁でなもみを剥ぎ取り、それを桶に入れるのだということ。また、なまはげが落とす藁にも神様が宿っているから持ち帰ってもいいということ。ここで実演される真山地域のなまはげは神様なのでツノがないということ。現在も男鹿半島では80集落が大晦日なまはげ習俗を行っていること…。始まると、家の主人役という白髪のおじさんが入ってきて玄関の前に座る。そして「先立」(さきだち)という人物が玄関から入ってきてなまはげを家に入れてもいいか確認すると、まもなく大きな唸り声が聞こえた。ピシャリと音を立てて戸を開ける音も恐ろしく、2匹のなまはげが入ってきた。決まった回数必ず四股を踏むなど、なまはげの所作にはルールがあることもわかる。よく知られているように「悪い子」や「怠け者」を探し回ったあと、なまはげは主人に促されて膳にありついた。そこで子どもが勉強しているか、家の者はまじめに働いているか、お年寄りが大事にされているか、などをなまはげが問いただす。対して主人は酒を飲ませながらうまくごまかして返答する。そして来年の再訪を告げたなまはげは帰っていった。「悪い子はいねぇかー」という決め台詞(?)で怒鳴りながら子どもを脅かして躾けるのがなまはげのよく知られた姿だろう。その印象から、なまはげとは自然災害みたいな、嵐のようにやってきては去っていくいわれのない暴力のようなものかと想像していた。だが私が見たなまはげは主人としっかりと会話をし、説得されて帰っていった。なまはげには理屈が通用するのだ。なんと人間的な神だろう。その意味でなまはげと私たち人間は対等なのかもしれないと感じた。再び「なまはげ館」の展示の続きを見る。特に圧巻なのが、男鹿のなまはげの装束をマネキンに着せて大集合させた部屋だ。右を向いても左を見ても、視界が全部ずらっと立ち並んだなまはげだ。この部屋にしても、なまはげの実演にしても、たとえ思いついたとしてもなかなか実現するのは難しいことだろう。

 

f:id:kotatusima:20191228232745j:plain真山神社の鳥居)

f:id:kotatusima:20191228233738j:plain(落ち葉)

f:id:kotatusima:20191228232749j:plain(生のなまはげ

f:id:kotatusima:20191228232838j:plain(男鹿真山伝承館)

f:id:kotatusima:20191228232754j:plain真山神社への坂)

 

真山神社

 

 12時頃、坂を登った先にある真山神社へ向かう。山門には包丁の奉納額があった。さすが「なまはげの本場」だ。多くのなまはげはこの真山神社から人里に降りてくるとされている。本殿に参拝した後、石段を登って五社殿へ。この石段は鬼が一晩で999段積み上げたという伝説がある。さすが鬼が作っただけあって一段が高くて登りにくい。所々グラグラしていて危ないのは一晩の突貫工事だからか?などと思いながら歩いているとばらばらと雹が降ってきた。寒さがなかなか堪える。五社殿はかつて五つの建物だったが、火事で燃えたあとひとつの建物に集約したらしい。この建物の戸板には北前船の船員のものとも伝わる古い落書きがある。昭和などという元号が見える中に確かに「文化」の文字がある。文化といえば19世紀はじめ頃である。それほど古い落書きにはとても見えない。不安定な石段を足元に気を付けながら戻る。帰りがけ社務所の前に置いてある丸木舟について尋ねてみた。神職さんによれば丸木舟の船大工が引退する際に作って奉納したらしい。樹齢三百年の木を使っていて立派なものだ。お守りに並んでなまはげの怖い顔を彫った一刀彫りもあった。岐阜高山の伝統工芸士が御神木を彫っている。邪気が払えそうだ。以前使っていたというなまはげのお面が置いてあったので被ってFさんに写真を撮ってもらった。

 

f:id:kotatusima:20191228233035j:plain(五社殿への石段)

f:id:kotatusima:20191228233110j:plain真山神社の森)

f:id:kotatusima:20191228232800j:plain(五社殿)

f:id:kotatusima:20191228233042j:plain(戸の落書き)

 

・北浦、戸賀

 

 13時前に北浦という集落へ向かう。ここは道沿いに田沼家土蔵がある。田沼慶吉は地元で「田ッ慶」とよばれた秋田では数少ない北前船の船主で、明治の初めには20艘以上もの千石船を持ち、九百石積みの船が最大だった土崎の商人とは比べ物にならない大船主であり、大地主でもあった。黄色っぽい土壁の土蔵は堅牢そうだ。

 

f:id:kotatusima:20191228233047j:plain(田沼家土蔵の壁)

 

 車で少し走った先、海の近くで見つけた食堂は営業時間のはずなのに準備中の看板がかかっていた。恐る恐る戸を開けるとごく普通に営業していた。僕はホルモン定食(700円)を注文。どんぶりに盛られたご飯と器にいっぱいのホルモンの味噌煮込みとお漬物が出てきた。すっかり満腹になった。

 

f:id:kotatusima:20191228233519j:plain(食堂の壁にはハタハタの絵が)

 

 途中、ガソリンスタンドに寄った後で戸賀という集落へ向かう。男鹿半島の西にある戸賀湾は風待ち港であった。住宅街の細い道を車で抜けて、14時30 分頃に戸賀八幡神社の鳥居の前に着いた。細い坂を登るとプレハブの簡素な建物があり、左側から裏手に回ると少し古そうな木造の社殿があった。1751(寛延四)年の創建時には難破船の寄木を集めて作られたというが、今の社殿は明治頃のもののようだ。そんなにボロボロでもツギハギでもなかった。坂の上からみる戸賀湾はなかなかの眺めだった。

 

f:id:kotatusima:20191228233627j:plain(戸賀八幡神社
f:id:kotatusima:20191228233615j:plain(戸賀湾を望む)

 

・寒風山と帰り道

 

 だいぶ寒くなってきた。寒風山へ向かう。途中ついウトウトして寝てしまった。30分くらいして寒風山回転展望台に着くと空はだいぶ薄暗くなり冷たい風が吹いていた。「寒風山」とはなんと寒々しい名前なのだろう。今日は「寒風山びより」の天気だなどと言ってFさんと笑った。建物の中には秋田の歴史を紹介する展示室もあり、北前船のものだという碇もあった。牡蠣殻がたくさんくっついていた。どことなく松樹路人の絵を思わせる色っぽい海女さんの絵があった。回転展望台にはFさんと私のほかにはだれもいなかった。多少天気は悪いかもしれないが霧で何も見えないわけではない。自前の双眼鏡であちこち眺めて楽しんだ。16時頃、展望台を後にする。雪が降っていた。今年初めて雪を見た。これからの寒い季節を思うとうんざりするが、どこか覚悟の決まった清々しい気持ちにもなる。山を下って昨年オープンしたばかりだという「道の駅おが・なまはげの里オガーレ」へ向かう。さすが男鹿だけあってハタハタなど海産物がたくさん売られていた。僕は夕食にしょっつる唐揚げ弁当を買った。予定ではこの後、海南慰霊碑に寄るはずだったがもうだいぶ外は暗く、寒さで疲れているのでそのまま秋田市へ戻った。

 

f:id:kotatusima:20191228233730j:plain(寒風山)

f:id:kotatusima:20191228233953j:plain北前船の碇)

f:id:kotatusima:20191228233745j:plain(海女さん)

f:id:kotatusima:20191228233753j:plain(寒風山展望台)

 17時半過ぎ、Fさんに頼んで秋田県立図書館・公文書館で車を降ろしてもらった。私の先祖についてなにか手がかりがないか調べるためだ。図書館のレファレンスコーナー訊くも鷹栖町史くらいしかないとのこと。人名録にもなにもヒントはない。公文書館のレファレンスはなんと17時半で終わっていた。一応検索してみたがあまり参考になりそうな情報は出てこなかった。そのまま19時の閉館までいた。県庁前からバスに乗って新屋まで戻った。しょっつる唐揚げ弁当は食べたことのない何とも言えない風味がした。

 

 

 

 ⑧につづく・・・。