こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

秋田日記③ 2019.11.10.

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(松ヶ崎八幡神社狛犬

 

 この日記は「秋田市文化創造交流館(仮称)プレ事業 SPACE LABO」への応募企画「秋田と北海道をつなぐ」の際に秋田で滞在調査・制作をした10日間の記録です。

 ②のつづき。

 

 

 

11月10日 松ヶ崎八幡神社とスペースラボツアー

 

・松ヶ崎へ

 

 あさがた、寒さで目を覚ましたらどうやらブレーカーがおちていたらしい。震えながらブレーカーをつけて二度寝した。6時半頃起床。昨日買った、あきたこまち米粉を使ったシフォンケーキを食べてみる。結構甘い。この日は電話で事前に連絡していた松ヶ崎八幡神社文化財を見せていただき午後には私が参加しているスペースラボの作品を巡るツアーに参加することになっている。バスに乗る前に神社に奉納するお酒にのしを巻き筆ペンで「奉納」と書いた。7時半過ぎに由利本荘市へ向かうバスに乗り込んだ。乗客は僕ひとり。林を抜けると桂浜海水浴場のあたりで海が見えた。浜辺のあちこちに重機があり、砂を盛って浜伝いに道路を作っているようだ。8時過ぎに秋田市から由利本荘市に入った。海沿いに生えている木々の緑色と海の青色は、江戸時代後期に異国船への脅威から幕府の命令で秋田藩が作成した海岸図の色合いを思い出させた。言われていたバス停で降りると宮司様が待っていて車に乗せてくれた。

 

・松ヶ崎八幡神社

 

 まず、すぐ近くの稲荷社まで行く。そこには海上交通安全祈願の石の鳥居があった。いまも近くでお稲荷様はお祀りされているが、宮司様が小さい頃は鳥居とともに社がまだあったらしい。おそらくこの付近の船頭たちはここの稲荷社に様々なものを奉納していたと思われ、石鳥居も北前船に関わる奉納物だろうとのことだった。車で八幡宮まで向かう。社殿は山の上にある。麓の鳥居を車でくぐり、石段の手前で車を降りて手水をしてから階段を上がっていく。森の中に建つ社殿は手前から拝殿、幣殿と本殿覆屋が棟続きになっていて覆屋の中に本殿がある。社殿が現在の形になったのは藩から地元住民に管理が移った後の明治31年だと推測され、それ以前はずっと広かったようだ。宮司様は2.5倍くらいあったと言っていた。そのことを示すように絵馬も扁額も、今の建物に対しては随分大きい。

 

f:id:kotatusima:20191228195143j:plain(稲荷社の鳥居)

f:id:kotatusima:20191228195207j:plain(参道)

 

 そもそも江戸時代にここを治めていた亀田藩岩城家は、元は現在の福島県浜通り南部いわき市のあたりを支配していた。関ヶ原の合戦以後に領地替えされたことで、殿様に伴って八幡宮もこの地に移動してきたわけで、非常に政治的な色合いが強い神社だといえる。

 私がこの神社について初めて知ったのは北前船で運ばれてきた笏谷石で作られた狛犬がある神社として、だった。しかし来てみると本殿はもちろん、その他にも興味深いものがたくさんあった。まず、社殿のなかに並ぶのは亀田藩の武士たちが奉納した剣術、砲術、柔術など武術に関わる絵馬だ。江戸時代後期に異国船に備えた海防のため武術が奨励されたのだという。海は大地と大地を隔てもするが繋ぎもする。江戸時代後期の東北諸藩によるロシアの南下に備えた蝦夷地警備については知っていたが、亀田藩でもそれと連動した動きがあったわけだ。『海国兵談』で工藤平助が「江戸、唐、オランダまで境なしの水路」などと喝破していたことを思い出す。何点かの絵馬には海岸の絵図が描かれており、当時の砲術訓練の様子とともに松ヶ崎の集落の様子もわかる。また別の絵馬は居合道に関わるもので、たすき掛けをした武士がふたり、緊張感を持って相対している様を描いている非常に立派なものだ。これは以前博物館で絵馬の展示をした際に図録の表紙を飾ったそうである。県指定有形文化財である笏谷石の狛犬は本殿左右に透明なケースに入って置いてあった。写真を撮るときにはケースから出してもらった。よく見ると阿吽の顔も髪型も違っていて一揃いではないことがわかる。欠けているせいか両方とも吽形のようにも見える。製作年代は16世紀末から17世紀初頭だという。宮司様によれば狛犬は元は神明社にあったものではないかとのこと。また、今の宮司様の自宅には以前神明社が建っており、そこにあった笏谷石の石材を再利用しているとも仰っていた。神明社やその他の合祀された神社の物が八幡社に集まってきているのかもしれない。本殿は江戸時代後期のものと推定され、「八幡宮」、「天満宮」、「惣社宮」の扁額が掛かっている。総欅造りで総漆塗りの大変立派なものだ。装飾はあるものの赤茶色の扉や柱からは武家の神社らしい力強さが印象に残る。なお、幣殿、拝殿も含めて国の登録有形文化財である。北海道との関りとしては、なんと大正時代に奉納された松前でのイカ釣り漁の様子を描いた絵馬があった。実際の漁の道具の使用状況がわかる点で貴重なものだとのこと。思わぬところで北海道と秋田の繋がりを発見し驚いて話をしていると宮司様の父方の祖母は北海道西部の古平町の網元の家柄だとのことで、さらに驚いた。

  

f:id:kotatusima:20191228200105j:plain八幡神社の扁額)
f:id:kotatusima:20191228195330j:plainf:id:kotatusima:20191228200039j:plain八幡神社内部の様子)

f:id:kotatusima:20191228200113j:plain(石製狛犬

f:id:kotatusima:20191228200119j:plain(提灯には岩城家の家紋が)

f:id:kotatusima:20191228200414j:plain(昔の松ヶ崎の様子がわかる砲術絵馬)

f:id:kotatusima:20191228200418j:plainイカ釣り絵馬)


 その他、賽銭泥棒についての苦労話などもたくさん聞いた。改めてこの神社を守ってきた人々がいること、いまここに神社があって見せてもらえていることのありがたみを感じる。一通り写真を撮らせてもらい、狛犬のスケッチもした。宮司様が駅まで送っていくよと言ってくださったのでお言葉に甘えた。

 鳥居を車でくぐると日が射してきた。気持ちの良い天気だ。入り口の鳥居は昔は赤かったのだが20年くらい前に石のものにしたという。この辺は塩害がひどく、放っておくと網戸に塩が溜まるくらいだとか。海岸に風車がいっぱい建っているのが気になったので尋ねると、震災以後増えたのだという。松ヶ崎の集落は昔はもっと大きく宮司様が子供の時より五十メートルくらい海岸線が後退していて、漁網に寺の井戸が引っかかると漁師さんが言っているそうだ。宮司様が駅まで送っていってくれる途中、なんとコンビニに立ち寄ってコーヒーまで買ってくれた。ちょうど電車が来るころに岩城みなと駅に着き、すぐ切符を買って小走りで改札を通ったらタイミングを合わせたようにホームに電車が来た。席に座って車窓から海を眺めながらあたたかいコーヒーを飲んだ。

 

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宮司様にもらったコーヒー)

 

 11時半頃、予定よりはやく秋田駅に着いてしまったので、街中を少し歩いて千秋公園の中にある秋田市立中央図書館明徳館へ行ってみた。レファレンスコーナーで先祖のことを調べていると伝えると、「県立図書館は130年間戦災で焼けていないからここよりいい資料があるかもしれない」とのこと。ひとまず鷹巣町史や秋田の地名の本に目を通したが、ほとんど私の先祖に関するヒントは得られなかった。

 

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・スペースラボツアー

 

 14時頃から今回僕が参加している企画「スペースラボ」の参加作家を紹介するツアーがあった。居村浩平さんは「目があった人の真似をする」というパフォーマンスをすでに実施、その記録映像を展示していた。通りがかった人が急に見ず知らずの人に真似されたら嫌だろうなと思っていたが、もちろんそれだけではなくて、逆に真似される側が自分の動作によって真似する側を操作することもできるのだ。居村さんは過去に道ゆく人にひたすら挨拶するというパフォーマンスもやっていたという。「真似る」と「学ぶ」の関係性はよく言われることだ。普段とは違ったある種の過剰なコミュニケーションが今回の展示場所である商業施設の中で発生するのは面白い。別の会場では酒井和泉さんが「ないものねだりフェスティバル」というプロジェクトを行なっている。秋田に「いるもの」「いらないもの」を聞き、「いるもの」をぬいぐるみにして大きな秋田の地図上に設置していくという。「いらないもの」をどうするかについては考え中とのこと。壁に貼ってある秋田に「いるもの」、「いらないもの」が書かれた紙を読んでいくと秋田に住む人々が秋田のことをいまどう思っていてどうなってほしいと願っているかを想像することができる。もうすでにぬいぐるみのディズニーランドが数か所秋田にできる予定だ、というのが面白かった。そのあと、自分のこれからの計画についても少し喋ってツアーはお開きとなった。

 

 16時20分ころからコーディネーターのFさんと11月14日に行く予定の男鹿半島のリサーチについて打ち合わせ。いくつか北前船に関する文化財などを候補に挙げて問い合わせなどした。以前から気になっていた「蝦夷錦」(中国が北方の民族に下賜した豪華な刺繍が施された役人の制服で、江戸時代にアイヌを通して日本でも流通していた)については所蔵先の許可が降りず、今回見るのは難しそうで残念だ。打ち合わせあとは本屋を物色したり、秋田駅の観光案内所へ行ったりした。秋田の郷土玩具である八橋人形が売っている場所について訊いたのだが、この時まで僕は恥ずかしながら「やつはし人形」と読んでいたが、正しくは「やはせ人形」だ。教えてもらった近くの物産館へ行ってみた。やはりなまはげグッズや樺細工が目立つ。いずれ日本酒も買って飲んでみたい。米どころ秋田の日本酒が美味しくないわけがない(この希望は13日に叶うことになる)。18時半ころの電車で新屋の滞在施設へ帰った。途中、スーパーに寄って夕食の弁当と明日の朝食のパン、明日奉納するお酒を買った。かわいいヒヨコ柄のマッチがあったので衝動買いした。19時半前に帰宅し夕食。食後に少しスナック菓子も食べる。お風呂に入って22時ころ就寝。

 

 

 

 ④へ続く・・・。