こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

2022年まとめ(ベスト3展覧会とニュースと訃報)

(大阪・住吉大社

 

2022年を独断と偏見で振り返ります。

 

 

 

○目次

 

●展示の評価

●2022年・個人的展覧会ベスト3

●そのほか良かった展示

●2022年のニュースと訃報、見た展示まとめ

●2022年の個人的な振り返りと2023年の展望

 

 

●展示の評価

 この記事では2022年に開催された美術館の展示について自分なりに評価を試みていくのだが、その時前提として読み手に必要なのは評者のパーソナリティや評価基準、言い換えればバイアスだろう。

 そこで最初に書き手である私のパーソナリティについて少し言及しておきたい。

 私はアーティストとして制作活動を行う傍ら、たまに展示の感想文を書くこともあり、かつて展示企画を手がけたこともあった。現代のアーティストの展示や、版画全般、日本美術全般(特にあまり有名ではない近世・近代の日本美術)、シュルレアリスム、実験的な写真などが好きだ。一方、芸術祭やいわゆるソーシャルエンゲージドアートには苦手意識がある。また北海道生まれという事情から北海道史や全国の地方美術史にも興味を持っている。展示は上で列記した私の好みに引っかかるものを鑑賞するケースが多いが、有名なアーティストやデザイナー、建築家の展示であれば「とりあえず」という気持ちで見ることも多い。これらの性質を踏まえて読めば以下で綴られる評価の偏りも多少はご理解いただけるかもしれない。

 

 

 

●2022年・個人的展覧会ベスト3

 

 さっそくベスト3の展示についてここから書いていきたい。

 まず、塩竈フォトフェスティバル2022の展示「Stephen Gill『Unfold』」。

 塩竈フォトフェスティバルは塩竈で生まれ育った写真家・平間至氏を中心に2008年から開催され今回が7回目。5つあるメイン会場のひとつ塩竈市杉村惇美術館で開催された本展は、モーションセンサー付きのカメラで飛来する鳥を記録したり、写真を地面に埋めたり、道端で拾ったものをカメラの中に入れて撮影したり、夜の森を自動シャッターで写したりなど、実験的な独自の手法を用いて撮影を続ける写真家の国内初の美術館での個展。大規模ではないものの各シリーズの手法がよくわかる作品数で、撮影で使われた道端のゴミなど制作の背景を知るための資料もキチンとあって、展示手法自体も洗練されていて、言うまでもなく作品が面白く文句のつけようがない。今後私が写真展を見る時におそらく一つの基準になるであろう展示だった。

 


塩竈市杉村惇美術館「Stephen Gill『Unfold』」)

 

 

 
 長野県立美術館「生誕100年 松澤宥」。日本を代表するコンセプチュアル・アーティストの回顧展。構成としてはオーソドックスで制作活動の初めから終わりまでを年代順に追う。建築、詩、絵画を経て観念による芸術へと変遷する作風の変化の流れはもちろん通底するテーマも分かる。松澤のアトリエ「プサイの部屋」の再現もされていた。学生の頃から触れていながらどうにも心理的な距離が遠い作家であった松澤を自分なりに捉えて考えるきっかけが掴めた。松澤が人生のほとんどの期間過ごした下諏訪でもイベントが多数開催されていたようだ。

 そのほか、関連する展示としてART DRUG CENTER「松澤宥展・1998年愛知県佐久島での出来事」も思い出される。守章さんが同僚の本松満さんと松澤のパフォーマンスを見て交流を持ったことがきっかけで贈られた作品群はふたつに分けて保管されていたが東日本大震災で半分が失われたそうで、この展示では残った半分の作品を見ることができた。「オブジェを消せ」という啓示を受けた松澤の、消えた作品と消えなかった作品の展示と言えよう。

 

(長野県立美術館「生誕100年 松澤宥」)

(ART DRUG CENTER「松澤宥展・1998年愛知県佐久島での出来事」)

 

 

 

 町田市立国際版画美術館「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」は中国の民主化運動が日本の社会運動へ影響を与えアマチュアに版画を広めた「戦後版画運動」へつながり、さらに綴方教育などとも絡みながら版画を教育の現場に浸透させた「教育版画運動」への流れを追う展示。「なぜ図工の時間に紙版画や木版画をやるのか?」という身近な話題に通ずるテーマ設定や、スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」に登場する絵画の元ネタなど取っ付きやすいトピックも準備しながら、労働運動、環境運動、教育などの現場で作られた膨大な作品を全国から集め紹介しており日本美術史はもちろん社会学や教育学などの分野から見ても示唆に富む優れた内容だったと思う。

 

(町田市立国際版画美術館「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」)

 

 

 

●そのほか良かった展示

 

 青森県立美術館東日本大震災10年 あかし testaments」は東日本大震災から10年の節目に合わせ開催されたいくつかの展示の中でも風化や忘却に抗い災厄をのりこえるというテーマ設定をきちんとキュレーションで伝えていた真摯な展示。個別の作品の評価や解釈は私の能力ではとても難しかったが時折図録などを見返して繰り返し味わい咀嚼したくなるものだった。

 

青森県立美術館東日本大震災10年 あかし testaments」)
 
 
 
 国際芸術センター青森小田原のどか個展 近代を彫刻/超克するー雪国青森編」は大熊氏廣の八甲田雪中行軍遭難事件を記念する彫刻《雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)》と、十和田湖畔の高村光太郎による一対の裸婦像《乙女の像》を対置することで青森に彫刻史の分岐点を見出し八甲田山の裾野に位置する会場で展開するというもの。このような視点は、地域の文物を表層的に解釈しアーティストが大喜利的に反応する展示とは良い意味で程遠く読み解き甲斐があった。ただ彫刻の台座と雪中行軍遭難事件の犠牲者の墓石の対比は、名前のある将兵を匿名的に扱う手つきに違和感があった。そのほか五輪塔を媒介にモニュメントの恒久性や義手・義足の彫刻史等、いくつもの論点へ言及しており研究の蓄積と今後の可能性が感じられた半面いくつかの題材は未消化だったようにも思えた。

 同時期に開催されていた「大川亮コレクションー生命を打ち込む表現」は、民藝運動に先んじ津軽の農村のオリゲラやオリハバキ、コギンの美しさに着目し私費で研究所を開設、工芸技術保存と製品の開発販売で農村の生活向上に務めた大川の収集品を紹介。ただ地域の文物を並べるのではなくて大川の取り組みや視点が伝わってくる展示で小規模ながら面白かった。人物に着目して展示を組み立てるのはひとつの有用な方法だなと思った。

 

国際芸術センター青森「小田原のどか個展 近代を彫刻/超克するー雪国青森編」)

国際芸術センター青森「大川亮コレクションー生命を打ち込む表現」)
 
 
 
 岩手県立博物館テーマ展「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生〜古墳時代」は美術展ではないが面白かったので言及しておく。題の通り縄文時代のあと飛鳥~奈良時代蝦夷(えみし)として岩手が日本史に「再登場」するまでの間、弥生~古墳時代の「空白期間」の歴史はどのようなものだったのかを主に考古遺物から考察する展示。日本海側と太平洋側の気候の違いや海上交通が盛んだった時代の文化の伝来のしやすさで関東以南や南東北はもちろん北東北という括りでも津軽や八戸、岩手でも辿ってきた歴史に違いがあることが示されていた。教科書で語られる平均化された歴史は大雑把な流れを把握する上では有用であるもののそれだけでは必ず見誤る事態があるのだと感じた(この展示については長々と感想を書いた)。

 

岩手県立博物館テーマ展「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生〜古墳時代」)

 

 

 

 旧観慶丸商店「DOMANI plus@石巻 つまずきの庭」は、写真家の志賀理江子とメキシコ・オアハカのアートシーンをリサーチしてきたキュレーターの清水チナツが「復興」の意味を再考し立ち止まって思考を巡らせるため展示といえるだろう。おそらく新作の志賀の映像作品、メキシコと石巻の関係を媒介する地震パンデミック、メキシコから贈られた版画、メキシコのトペという段差の風習、そして震災前から今までの志賀の軌跡を追うような書籍たちや写真が組み合わさって、インスタレーションというよりも緊張感がありつつどこか居心地の良い場所を生み出すことに成功していたと感じた。一日くらいかけてゆっくりと味わいたかった。

 

(旧観慶丸商店「DOMANI plus@石巻 つまずきの庭」)

 

 

 

 萬鉄五郎記念美術館「Café モンタン展」は、1960年代に盛岡市に開店した「CAFE モンタン」に関する展示。地元の若手芸術家や詩人、美術評論家、ジャズ評論家が夜な夜な集まり、盛んに展覧会やレコードコンサートが開かれ芸術家たちのコミュニティー形成の中心となっていた稀有な画廊兼スナックの歴史を作品やフライヤーなどで辿る。モンタンのような店があったということも面白いがそれを整理し展示に落とし込むことは簡単そうでなかなかできない。展示物では詩人の高橋昭八郎の「ポエム・アニメーション」と題されたブックアート的な作品が特に印象に残った。

 

萬鉄五郎記念美術館「Café モンタン店」) 

 

 

 
 「東北へのまなざし1930-1945」(岩手県立美術館福島県立美術館東京ステーションギャラリーへ巡回)は全6章構成で1930年代~40年代前半に東北を訪れた人々が見出した各地の文物を紹介する。建築家のブルーノ・タウトが仙台に設立された商工省工芸指導所でプロダクトデザインの技術指導を行っていたのは面白い(建築家なのに何故……?)。こけしがずらっと並ぶ展示室では昭和初期の社会状況が生み出した旅行ブームの中でいわゆる郷土玩具がどう流通しコレクターが生まれたのかにも触れられていて興味深かった。農林省の外郭組織として豪雪地帯の雪害の研究や産業の振興を行った「積雪地方農村経済調査所」にはデザイナーのシャルロット・ペリアンや今和次郎が関わっていた。いわゆる考現学で知られる今は民家研究の第一人者であったことは知っていたが、それが実際に雪国の環境に対応した住宅の研究で役立てられていたとは。今和次郎の弟の今純三が残した地元青森の考現学的な資料も展示されていた。展示の最後は福島県出身の洋画家・吉井忠が各地の農村や漁村を訪れ東北生活美術研究会を発足させたことについて紹介されていた。まだ父が存命だったころの宮沢賢治の生家に訪れた記録が目についた。その他、東京展の広報ビジュアルとそれに付随する「暮らし、機能、たくましさ」というコピーが、同展の岩手展と福島展のそれと全く違っていたのは、まさに現代の「東北へのまなざし」を感じさせられて面白かった。

 

(「東北へのまなざし1930-1945」岩手県立美術館、)
 

 

 

 国立ハンセン病資料館「生活のデザイン ハンセン病療養所における自助具、義肢、補装具とその使い手たち」ではハンセン病療養所の患者や回復者の生活動作を助けてきた道具の変遷を追いつつ使い手の映像や写真も交え展示していた。この展示はまず「生活のデザイン」という題が秀逸でデザインという語の見直しを迫られるような感覚を覚えた。全体から生活を自力で営むことが個人の尊厳にいかに切実に関わっているかが感じられた。資料の扱いも、食事に使う道具は畳に置いた食卓の上に並べて、サンダルや杖は使われる場所を想起させるタイルの床に置かれるなど、当然の配慮といえばそうなのかもしれないが細やかさを感じた。

 

(国立ハンセン病資料館「生活のデザイン ハンセン病療養所における自助具、義肢、補装具とその使い手たち」)

 

 

 

 SARP仙台アーティストランプレイス「坂本政十賜 Genius Loci 東北(仙台写真月間 2022)」は淡々と東北各地の民家を撮影したシリーズの展示。どこにでもあるなどとつい表現してしまいそうになるが並べて見せられると各家の個性が見えてくる。

 GALVANIZE gallery(石巻のキワマリ荘内)「かんのさゆり写真展 New Standard Landscape」は芝居のセットのような新しい住宅地の風景とブルーシートで隠される大地の対比が小規模ながら明快な写真展だった。

 どちらも写真を用い東北の住居という共通するモチーフを扱っていて印象に残った。

 

(「坂本政十賜 Genius Loci 東北(仙台写真月間 2022)」SARP仙台アーティストランプレイス)

(GALVANIZE gallery(石巻のキワマリ荘内)「かんのさゆり写真展 New Standard Landscape」) 

 

 

 

 宮沢賢治イーハトーヴ館「沢村澄子 現象的書展」は書家が宮沢賢治の言葉をテーマとした個展。他のアーティストとのコラボレーションや屋外のインスタレーション、敷石を用いた書など自分がイメージしている書が拡張される感覚があり刺激的だった。

  

宮沢賢治イーハトーヴ館「沢村澄子 現象的書展」)

 

 

 

 SEVEN BEACH  Light Up Fes 2022 では、大学で建築を学んだメンバーで構成され、展示や什器をデザイン・設計し制作してきたチーム「ダウナーズ」の作品を見た。全長100メートルの円形ベンチは表面が銀のシートで覆われており周囲の景色を映りこませつつ造形がシャープに際立って見えるようになっている。制作にあたって海岸線や防波堤、利用目的によるエリア分けなど、砂浜の既存の秩序を横断する造形を目指したのだという。ベンチに座って海を眺めているとサウンド・アーティストの鈴木昭男の作品「点音(おとだて)」 が思い出された。ふと今回のダウナーズの作品は、あくまで空間そのものを主体として扱いつつ空間のコンディションを整えるようなものなのかもしれないと思った。もしかすると新たに絵画や彫刻のような作品を設置するよりも、ダウナーズのようなやり方の方がその空間の意味を大きく変える可能性を孕んでいるのかもしれない。

 

(SEVEN BEACH  Light Up Fes 2022 ダウナーズ作品)

 

 

 
 福島県立美術館没後200年亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」は田善の生涯を辿り後世への影響にまで言及するオーソドックスな回顧展。現存作の大多数が見られイメージソースになった洋書との比較にも気が配られていて微妙に細部が違う同じ画題の作品の比較もできる誠実な展示だった。製版道具や銅版、銅版画を布に刷って煙草入れや手拭いにした資料なども興味深かった。個人的には代表作の《浅間山図屏風》《両国図》が展示替えで見られなかったのが残念。マイナーだが優れた絵師である田善に、これを機に注目が集まると個人的には嬉しい。

 

福島県立美術館「没後200年亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」)

 

 

 

●2022年のニュースと訃報、見た展示まとめ

 

ここからは2022年のニュースと訃報、見た展示を備忘録的に書き連ねていく。見て

 
【1月】

●主なニュース

・東大前で受験生ら刺傷

・トンガで海底火山噴火

●訃報

・水尾比呂志(美術史家)

水島新司(漫画家)

●展覧会など

9日

岩手県立美術館「菅木志雄展 〈もの〉の存在と〈場〉の永遠」

・盛岡てがみ館「台湾と岩手の先人たち」

16日

青森県立美術館東日本大震災10年 あかし testaments」

17日

国際芸術センター青森「小田原のどか個展 近代を彫刻/超克するー雪国青森編」

・「大川亮コレクションー生命を打ち込む表現」

 

岩手県立美術館「菅木志雄展〈もの〉の存在と〈場〉の永遠」)
 
 
  

【2月】

●主なニュース

・博物館法改正案閣議決定、博物館の登録対象を拡大。

・ロシア軍、ウクライナ侵攻

・令和3年度日本芸術院会員候補者を発表。千住博(絵画)、宮瀬富之(彫刻)、星弘道(書)、伊東豊雄(建築・デザイン)、五木寛之(小説・戯曲)、ちばてつや(マンガ)、つげ義春(マンガ)、野村万作能楽)、小澤征爾(洋楽)。

●訃報

石原慎太郎(政治家、作家)

西村賢太(作家)

●展覧会など

6日

岩手県立博物館テーマ展「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生〜古墳時代

10日

東北芸術工科大学卒業制作展

・上山温泉へ宿泊

11日

・奇祭・加勢鳥を見学

せんだいメディアテーク「マムアンちゃんと東北 ポップアップショップ」

20日

秋田公立美術大学卒業制作展

 

東北芸術工科大学卒業/修了研究制作展)

  

 

 
【3月】

●主なニュース

ウクライナ大統領が日本の国会でも演説

美術手帖、季刊化を発表

林道郎美術評論家上智大教授)懲戒解雇

・「1_WALL」終了が発表

香川県庁舎(丹下健三)、重文指定。戦後の庁舎建築として全国初。

・3月16日に発生し宮城県福島県震度6強を記録した地震の影響でせんだいメディアテーク宮城県美術館が臨時休館。

プリツカー賞で初のアフリカ出身の建築家、ディエベド・フランシス・ケレが受賞。

●訃報

・金秉騏(画家)

・西村京太郎(小説家)

・池田修(「BankART1929」代表)

菊地信義装幀家

宮崎学(作家)

●展覧会など

1日

・映画「フレンチ・ディスパッチ」を見る

6日

・旧観慶丸商店「DOMANI plus@石巻 つまずきの庭」

石巻のキワマリ荘「かんのさゆり New S tandard Landscape」

・ART DRUG CENTER「松澤宥展 1998年愛知県佐久島での出来事」

塩竈フォトフェスティバル2022(「Unfold Stephen Gill」など)

・TURN AROUND「菊池聡太郎 個展 Good L anding」

13日

・東京アートフェア2022

神奈川県立近代美術館鎌倉別館「山口勝弘展-「日記」(1945-1955)に見る」

東京オペラシティアートギャラリー「ミケル・バルセロ展」「project N 85
水戸部七絵」

・森アーツセンターギャラリー「楳図かずお大美術展」

14日

善光寺 参拝

・長野県立美術館「生誕100年 松澤宥

15日

・ポーラ美術館「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」

 

(ポーラ美術館「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」)
 

 

 
【4月】

●主なニュース

東北新幹線、全線で運転再開

知床半島沖で観光船が沈没

・フランス大統領選、マクロン再選

・「美術分野における報酬ガイドライン策定のためのアンケート」の結果発表(「art for all」実施)

・日本からロシアへ返却中の美術品、フィンランド税関が押収。

中銀カプセルタワービル(黒川紀章)解体工事開始

・アーツ前橋のアドバイザーに萩原朔美が就任

大地の芸術祭で修学旅行生がクワクボリョウタ作品を破損

●訃報

見田宗介社会学者)

・ヘルマン・ニッチ(オーストリアのアーティスト、「ウィーン・アクショニズム」)

藤子不二雄(A)(漫画家)

ひろさちや(作家)

●展覧会など

12日

東京都写真美術館「写真発祥地の原風景 幕末明治のはこだて」

13日

板橋区立美術館「建部凌岱 その生涯、酔たるか醒たるか」

森美術館Chim↑pom展:ハッピースプリング」+別会場

日本橋三越「芸術の流通 久松知子展」

17日

萬鉄五郎記念美術館「Café モンタン展」

 

東京都写真美術館「写真発祥地の原風景 幕末明治のはこだて」)

 

 

 

【5月】

●主なニュース

・韓国大統領に尹錫悦が就任

・沖縄復帰50年

InstagramがNFT機能導入を発表

ルーヴル美術館で《モナ・リザ》にケーキが投げつけられる

●訃報

金芝河(韓国の詩人、民主化運動)

●展覧会など

7日

岩手県立美術館「東北へのまなざし1930-1945」

19日

・町田市民文学館ことばらんど「将棋作品をひもとく! “読む将”のススメ展」

・町田市立国際版画美術館「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」

20日

東京国立博物館「沖縄復帰50年記念 特別展『琉球』」

東京国立博物館 本館 特別1室・特別2室「東京国立博物館の近世仏画―伝統と変奏―」

・gallery TOWDO「韓国画と東洋画と」

・アンプチガラージュ「荒井理行 絵画のように / like paintings」

・CON_「界面体」小寺創太、千葉大二郎、山縣瑠衣、BALL GAG

 

(gallery TOWDO「韓国画と東洋画と」)

 

 

 
【6月】

●主なニュース

・侮辱罪厳罰化、改正刑法成立

・英女王在位70年でパレード

・3331 Arts Chiyodaが2023年3月31日をもって千代田区と契約満了することが明らかに

・「ドクメンタ15」開幕。出品作品に反ユダヤ主義の表現が見られ撤去される。

・米連邦最高裁判所が人工妊娠中絶を「憲法上の権利」と認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を覆す判断を下す

●訃報

出井伸之ソニー元社長)

●展覧会など

11日

チャグチャグ馬コを見にいく

16日

・映画「犬王」

18日

盛岡市先人記念館「中井汲泉の世界」

 

 

 

【7月】

●主なニュース

東京都庭園美術館の館長に妹島和世が就任

KDDI、全国で通信障害

・安倍元首相、銃撃され死亡

美術評論家連盟、「ハラスメント防止のためのガイドライン」を制定・発表

・画像生成AIプログラム「Midjourney」のオープンベータ版が公開

文化庁、「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けたガイドライン(検討のまとめ)」を公表

岩波ホール閉館

●訃報

・唐仁原教久(イラストレーター)

・クレス・オルデンバーグ(アメリカのアーティスト、ポップアート

イリナ・イオネスコ(写真家)

・林田嶺一(美術家)

・尾形香三夫(陶芸家)

小川隆吉(アイヌ民族共有財産裁判原告団長、アイヌ民族文化伝承の会会長)

●展覧会など

2日

・おいらせ町 氣比神社

八戸市美術館「まるごと馬場のぼる展 描いたつくった楽しんだニャゴ!」

・八戸ブックセンター「紙から本ができるまで/土から土器ができるまで」

24日

幕別町 蝦夷文化考古館

幕別町ふるさと館

27日

・墓参

・土の館(トラクタ博物館)

上富良野町開拓記念館

・あかがわ

・ファーム富田

・中富良野郷土館

28日

・北海道博物館「クローズアップ展示2 生誕200年 絵師・平沢屏山」

29日

・ギャラリー門馬「ままならぬまま 葛西由香」

31日

・東川町文化ギャラリー「第38回写真の町東川賞 受賞作家作品展」

 

八戸市美術館「まるごと馬場のぼる展 描いたつくった楽しんだニャゴ!」)

(土の館 トラクタ博物館)

 

 

 
【8月】

●主なニュース

・「GEISAI」8年ぶりに復活

文化庁メディア芸術祭、公式ホームページで次年度の募集は行わないと発表。

・表現の現場調査団が「ジェンダーバランス白書2022」を発表

ICOM(国際博物館会議)、ミュージアムの新定義案を採択

●訃報

オリビア・ニュートン=ジョン(歌手)

イーフー・トゥアン(地理学者)

三宅一生(デザイナー)

森英恵(ファッションデザイナー)

・篠田太郎(美術家)

稲盛和夫(京セラ創業者)

ゴルバチョフ(元ソ連大統領)

●展覧会など
26日

・国立ハンセン病資料館「生活のデザイン ハンセン病療養所における自助具、義肢、補装具とその使い手たち」

東京国立近代美術館ゲルハルト・リヒター

・GALLERY枝香庵flat「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」

27日

・原爆の図丸木美術館「蔦谷楽 ワープドライブ WARP DRIVE」

・川越 本多商店

 


東京国立近代美術館ゲルハルト・リヒター」)

 

 

 

【9月】

●主なニュース

・帝劇ビル(出光美術館が入居)が建て替えを発表。

・西九州新幹線が開業

鳥取県が購入したアンディ・ウォーホル《ブリロの箱》に対し県民から異論相次ぐ

●訃報

・エリザベス2世(イギリス国王)

鈴木志郎康(詩人)

ウィリアム・クライン(写真家)

宮沢章夫(劇作家)

・小川東州(書家)

・ジャンリュック・ゴダール(映画監督)

佐野眞一(ジャーナリスト)

三遊亭円楽(落語家)

●展覧会など

24日

・みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2022

・長源寺本堂

・仙台アーティストランプレイス【仙台写真月間 2022】坂本政十賜「Genius Loci 東北」「分室 植田優子」

 

長源寺本堂(後藤市蔵によるセメント彫刻)

 
 
 
【10月】

●主なニュース

・「南三陸311メモリアル」開館

・直島の草間彌生《南瓜》が復元再設置

カニエ・ウェスト反ユダヤ主義的内容の投稿を行いTwitterのポリシー違反で削除

ダミアン・ハースト、3億円分の作品を燃やす

名古屋テレビ塔内藤多仲)、重文指定

・ロンドンのナショナル・ギャラリーでゴッホ《ひまわり》に環境団体のメンバーがトマトスープ(ハインツのトマト缶)をかける。後にモネの《積みわら》、フェルメール真珠の耳飾りの少女》、ゴッホの《種をまく人》、アンディ・ウォーホル「キャンベル・スープ缶」シリーズ、クリムトの《死と生》なども標的に(ムンク《叫び》も未遂)。11月には「ICOM(国際博物館会議)」が声明を発表。

福島県の帰還困難区域内の展覧会(「Don't Follow the Wind」)の一部が初めて一般公開

・東京都人権部が飯山由貴の映像作品を検閲、不当な上映禁止判断を受け11月には都議会議員向け上映会を開催。

・イタリア、右派連立政権が発足。初の女性首相に極右党首

・イギリス、トラス首相が辞任、新首相にスナク氏

・韓国ソウルで雑踏事故

●訃報

・ピエール・スーラージュ(画家)

一柳慧(作曲家)

永田竹丸(漫画家)

仲本工事(コメディアン、ミュージシャン、ザ・ドリフターズ

●展覧会など

4日

宮沢賢治記念館

宮沢賢治イーハトーヴ館「沢村澄子 現象的書展」

・Cyg art gallery「中嶋幸治 横たわろう、通過せよ」

8日

・SEVEN BEACH  Light Up Fes 2022 ART area ダウナーズ

 

 

 

【11月】

●主なニュース

ジブリパーク開園

合同会社カオスラ元代表黒瀬陽平ほかスタッフ2名を相手取り不当解雇やパワーハラスメントを受けたとし起こした訴訟の一審判決。

・上海のアートフェア「ART021」が急遽閉幕

・CCGA現代グラフィックアートセンターが展覧会と教育普及活動を終了を発表

・ヴァンジ彫刻庭園美術館クレマチスガーデンが休館を発表

入江泰吉奈良市写真美術館がメタバース上で写真展を開催

社会学者の宮台真司が大学構内で何者かに切りつけられる

●訃報

芳賀日出男(写真家)

・吉岡宏高(NPO法人炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団理事長)

崔洋一(映画監督)

江沢民(元中国国家主席

 ●展覧会など

26日

大阪天満宮 参拝

・堀川戎神社 参拝

・大阪中之島美術館「ロートレックミュシャ パリ時代の10年」

・大阪中之島美術館・国立国際美術館「すべて未知の世界へ GUTAI 分化と統合」

・SUNABA GALLERY「梅原あずさ個展 古い夢の歌」

27日

・高津宮 参拝

・高津山 報恩院 参拝 

生國魂神社 参拝

天王寺動物園

・千鳥文化

夫婦善哉

・映画 「夜明けまでバス停で」

28日

住吉大社 参拝

・京都芸術センター「DAZZLER」

29日

京都国立博物館「京に生きる文化 茶の湯

細見美術館「響きあうジャパニーズアート」

・PURPLE「GOOD BYE PHOTOGRAPHY」

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA「LICHT」「圧縮と解凍」

Hotel ANTEROOM京都 ギャラリー9.5「問題のシンボライズー彫刻・身体・男性性ー」

30日

福島県立美術館「没後200年亜欧堂田善  江戸の洋風画家・創造の軌跡」

 

細見美術館「響きあうジャパニーズアート」)

 

 

 

【12月】

●主なニュース

・2022年「Power 100」発表。1位はルアンルパ。

・2022年ターナー賞をヴェロニカ・ライアンが受賞。史上2人目の黒人女性。

サザビーズが創業278年で過去最高の約1兆800億円の総売上高を記録。

杉田水脈氏、政務官を辞任。

ヨコハマトリエンナーレ2023が会期延期。半導体不足による横浜美術館改修工事遅れのため。

●訃報

吉田喜重(映画監督)

・あき竹城(タレント)

渡辺京二(歴史家)

磯崎新(建築家)

ヴィヴィアン・ウエストウッド(ファッションデザイナー)

・ペレ(サッカー選手、元ブラジル代表)

●展覧会など

3日

岩手県立美術館 常設展「特集・堀江尚志」

 

 

 

●2022年の個人的な振り返りと2023年の展望

 2022年の訃報でショックだったのはアーティストでは林田嶺一だ。アウトサイダーアート的に語られがちな方だが北海道の画壇ではそれなりの評価を受けてきた人でもあり、もっと広い射程で検討されるべき人物だと常々思っている。芸能人ではオリビア・ニュートン=ジョンで小さい頃から聞いていた歌手だった。西村賢太石原慎太郎の追悼文読売新聞に寄せた直後に亡くなったのも印象深い。

 

参考:櫛野展正連載29:アウトサイドの隣人たち 「死んだふり」の流儀|美術手帖

 

 良し悪しは別として遠出が許されるように社会の雰囲気が変わってきたのが2022年だった。私も初めて長野市善光寺大阪市内の各地を訪れ、久しぶりに京都で遊ぶことができた。特に住吉大社を訪れることができたのは嬉しかった。

 

住吉大社) 

 

 個人的な生活の話をすると、私は2021年秋に関東から東北に引っ越して、それまでと仕事内容や生活のリズムが大きく変わった。2022年は見たい展示はそれなりに見ることができたものの(とはいえ見に行けず悔やんでいる展示はいくつもある)、生活のリズムが変わった影響がまだあり映画もほとんど見られず本も落ち着いて読めなかった。特に2022年前半はなかなか制作活動もできなかった。孤独を感じることが多く、たまに遠方の友人と長電話をしたりSNSの音声配信機能でしゃべるのが救いだった。2022年後半になってやっと仕事に慣れ、まだ成果は何も出ていないが少しずつ制作活動を始めることができている。2024年までにどこか雰囲気のよい場所があれば小さな個展を開いてみたい(よいギャラリーがあればぜひ紹介してほしい)。

 仕事上ではそれなりの成果を出した自負がありいくつか面白い出会いもあったが、必ずしも評価には結びつかず、基本的には頭の容量を割かなければならないのを苦痛に思うような業務が多い(似たような思いを持つ方も多かろう)。適切にうまくこなす技術を身に着けたい。

 私の怠惰であまりきちんとブログで言及できなかったが東北芸術工科大学秋田公立美術大学の卒業制作展を見られたのも良かった。

 ほぼなにもしていないに等しい2022年ではあったがこのブログと並行して書いている絵馬ブログだけは何とか月一回の更新を続けられた。絵馬の研究については、まだ何かをまとめるには蓄積が足りないと思われるので、もうしばらく辛抱して続けたい。

 

 展示を見る量は年々減っている。ほとんど夢のような話になるが、できれば2023年はもっと見る量を減らして本当にいい展示だけを見たい。時間を捻出して、例えば決まったテーマの本を数冊じっくり読むなど展示以外のインプットにもっと時間を使いたい。こういう考えになっているのは、もしかすると「展示」や「作品」というものに飽きてきているのが原因かもしれない。2023年はフットワークはあくまで軽く、しかし物事に向かう姿勢はしっかり腰を据えて自分の知識を深めるようになりたいものだ。

 

 

 

(終)

2021年度卒展面白かった作品・研究①東北芸工大編

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 東北芸術工科大学の卒業制作展(正式名称は東北芸術工科大学卒業/修了研究・制作展2021、以下では卒業制作展もしくは卒展とする)に初めて行った。関東以北ではおそらく最も有名な、美術系のコースがある大学だ。他の美術系大学に比べると歴史はやや浅いが卒業制作展を東京でも行う(今年度は残念ながら中止)など、前のめりな取り組みを行っている印象がある。

 卒業制作展ウェブサイトでは学生の作品を買えるオンラインショップ(会期中のみ)や会場の3Dアーカイブを見ることができる。

 

 東北芸術工科大学卒業/修了研究・制作展ウェブサイト

 

 すべての学科を十分に時間をとって見られたわけではなかったが以下では独断と偏見で面白かった作品や研究を備忘録的に振り返りたい。どうしても走り書き的な感想になってしまった。少しでも学生への励ましや何かの参考になればと思い恥を忍んでアップする。

 

※もし事実誤認や作品・研究の掲載に不都合があればご連絡ください。

 

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 卒業制作展のテーマは「春がくる」。メインビジュアルは花のグラフィック。大学内の各建物の入り口に暖簾のようにそれぞれの花のビジュアルが割り当てられ飾られていた。会場で配られるハンドアウトの地図にも花が描かれていたり対応した色分けがされていると、もっとわかりやすかったのではないかと思った。

 

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 東北芸工大名物の格言(?)

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 大学紹介のコーナー。

 

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 プロダクトデザインの学科紹介コーナー。ちなみにプロダクトデザインの卒業展示は写真撮影禁止だった。

 

 

 

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 コミュニティデザイン学科の展示。学科のウェブサイトには「地域が持続するための
“仕組み”をつくる」と書いてある。一言で言えば、地域支援のスペシャリストである「コミュニティデザイナー」を育成し様々な取り組みを行う学科ということになろうか。大学生と思えない興味深い研究がたくさんあった。展示空間のデザインとしても工夫が感じられた。もし私が高校生だったらここを受験したいかも……。

 

コミュニティデザイン学科|東北芸術工科大学

東北芸術工科大学 コミュニティデザイン学科|note

facebook 東北芸術工科大学 コミュニティデザイン学科

 

 

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草薙陽太「繁忙期の人手確保と給与改善による一次産業の持続可能性を高める仕組みづくり」。

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川合佑汰「中山間地域における鳥獣被害対策を前進させるきっかけづくりの提案」。

 

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 グラフィックデザイン学科では音声ガイドが準備され、ハガキで感想を投函するとSNSから返信が届く仕組みを作っていた。


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 様々なグラフィックデザインの作品があったが、やはりいわゆる「コロナ禍」を視覚化したものがいくつか目についた。

 こちらは人という字の形を用いて、世界的な人口の変化や流行病の感染者をダイアグラムで表現した小田切良真《移り変わる人々》。

 

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 村岡光《Visualising the COVID-19 pandemic》。

 

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 松本春乃の「シカク的シカク研究所」。平面上の四角形の見え方の実験。

 

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 グラフィックデザイン学科の就活のプレッシャーをかける掲示。見るだけで胃が痛くなる……。

 
 

 

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 絵画の修了制作展会場へ。それぞれが一部屋か大きな部屋の半分を展示に使い個展型式で発表していた。右の雪山の手前に子供たちがいるのが分かるだろうか。東北芸術工科大学は保育園を併設しているのだ。これは子供たちにとっても学生にとっても刺激になるだろう。

 建物の前にすでに展示がある……。

 

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 土田翔の作品は屋外と屋内を使って展開されていた。日本画家の小松均に私淑し、「直写」という小松が用いた屋外での写生方法を継承し拡張しようとしている。「直写」では眼前の様子をその場で紙に写すが、土田はさらに実感を重視し川を表現したければ川に入ったりもしている。面白いのは土田が作品の中に自身の姿を描き込んでいたり、制作過程を映像作品などで展開していることだ。作家が掴んだリアリティをよりよく絵画の上で表現しようと試みるだけではなく、制作している自身をやや離れた位置から客観的に見ている作家の姿がそこにある。土田の今後の作品が小松のただのモノマネにならずよりよく飛躍するためには、何かに(例えば小松の画業とか、描こうとしている対象に)没入する時と距離を取る時のメリハリが大事になってくると思うだろう。その可能性が見えた展示だった。

 

 

 

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 BALLGAGの作品は異彩を放っていた。まず素材が他の作品と違う。作品を空間で展開するということに対してもかなり意図的であるようだ。美意識が感じられる。

 透けている暖簾のような大きなシートの間から展示空間に入る。壁ではアクリルと思しきツヤのあるパネルを多用し、立体の額のような木枠にも大きな写真を何枚も入れて空間を作っている。ステートメントを読むと作家自身とインターネットの関係に着目していることや、共同体、ナショナリズムなどがキーワードであると分かる。モチーフとしては砂に埋もれるように敷かれた世界地図やスマートフォン、ノートパソコン、そしていくつもの森の中の裸体(と対になる服を着た人間)が強烈に印象に残る。良い意味でアノニマスな空間が立ち上がっている。

 写真を用いてインスタレーション的に展示しているという意味では志賀理恵子が思い浮かぶ。志賀の作品からはしばしば土着的なもの、或いは土地の伝説や太古の暮らし、神聖な儀式など、一言で言えば畏怖すべき何かを私は想起してしまう。一方BALLGAGの今回の作品からは都市伝説的なニュアンスを感じ、例えば樹海や心霊スポットで何かに出くわしてしまった気持ちにさせられる。どこか自分自身がそこに望まずとも関与している感触を覚えるのである。それは現代的なモチーフを使っていることに加え弱弱しく森の中に現れる写真の中の生身の人間の姿が、展示空間を戸惑いさまよう鑑賞者自身の姿とも重なるからだろうか。

 

 

 

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 作品販売ブースがあった。オンラインでも小作品が買えた。結構売れていた。

 

 

 

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 アーティスト養成プログラムTIPの展示室。

 

 

 

 

 

 添田賢刀《煙を吐く刀》。丁寧なテキストと絵画が展示されている。題はアステカ神話の神「テスカトリポカ」の日本語訳から採られているが、個々の作品は中島敦の『山月記』など様々な作品や作家の経験を元にしているようだ。

 物語を作りそれを描こうとしている作家である。絵の具の用い方や構図による視覚的快楽、モチーフの親しみやすさや個人の興味の発露に留まる作家が多い中で物語が全面に出ている作品はとても共感を覚える。

 

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 福岡由宇《44.446.207》。魚の頭の人間の質感と背景の質感の差がよい。

  

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 絵画の展示室の様子。

 

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 花木美里《ある日の食卓》。モザイク画はこれだけだった。他の美術大学の卒業制作展でもほとんどないだろう。つい目が行ってしまう。手法と凡庸なモチーフのコントラストがおもしろい。

 

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 池田璃乃《easter egg》。軽やかなストロークが見ていて気持ちが良い。

 

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 小林由《Neo Retro》。最初に目に入る重厚なマチエールの間からだんだんと断片的に風景が見えてくる。一目見たら忘れられなくなりそうなマチエールの強さがある。

 

 

 

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 彫刻専攻の展示の様子。

 

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 竹迫界斗《コンゴウオオツチグモ》《ノンノサン》。

 丁寧に彫られた石彫である。ステートメントを読むと、仏像の形態に興味を持ち、触れ難い感覚を表現しようとしていることがわかる。《コンゴウオオツチグモ》は展示空間の正面からはクモに見えるが後ろに回り込むと人の顔がある。《ノンノサン》は角度を変えると頭が妙に伸びていたり見え方が変わる。
 

 

 

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 小野寺唯による水性木版画。左上《どっちにしようか》、右上《ブルーインパルスが飛ぶんだって》、左下《絶対勝てないじゃん》、右下《代わりの買ってきて》。日常の仕草を捉える視点に加え、描かれた人物がいかにも発しそうな言葉が題に選ばれている点が良かった。今後の作品の展開が楽しみだ。

 

 

 

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 安達栞によるインスタレーションのような展示。《抱きしめて》、《楽園》、《凛とした》、《眼鏡》という題が付けられている。作家はステートメントで版を重ねるときの層(「レイヤー」という言い方もしている)を意識するときロマンスを感じると語り、同じ版を色や位置を変えて刷ったり、版を展示したり、複製された作品を並べたりと版画の持つ性質に自覚的に展示していることが見て取れる。それだけではなく全体的な赤系と青系の色調の重なりは昔の「3Dメガネ」のようでもある。

 

 

 

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 テキスタイル専攻の展示の様子。

 

 

 

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 総合美術コースの展示。作品制作だけでなくワークショップやプロジェクトのような場づくりの実践を学べるようだ。

 

東北芸術工科大学 美術科 総合美術コース

 

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深瀬未寿妃による研究発表《一緒につくろう!こもりちゃんねる》。いわゆる「コロナ禍」の中で自宅で過ごさざるを得ない子どもたちに向けて「おうち時間」が楽しくなる工作や遊びをVtuber(バーチャルユーチューバー)の形でレクチャーする。流行のVtuberとコロナ禍という状況への対応にワークショップを加えた最適解のように思える。優れた作品。

 

一緒につくろう!こもりちゃんねる - YouTube

 

 

 

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 工芸コースの展示室。

 

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 田中千裕《回転扉》。題の通りの作品だ。バーチャルでできることが増えているとはいえ今まで当たり前にできていたイベントが贅沢になり欲求が増している社会状況に合わせ、体験するということを回転扉の形で取り出したような作品。おそらく作家らしき人が制服を着て近くに立っており案内してくれた。ちょっと楽しかった。

 

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 河瀬茉子《景相》。いわゆる九相図を題材に陶のオブジェとして作り上げた。この素材ならではの質感が生々しくテーマに合っている。陶によるオブジェは見かけるが抽象的な形が多く、具体的な形で明確な主題を持った例はあまりみたことがない。今後の作品も見てみたい。

 

 

 

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 ここからは文化財保存修復学科の研究を見ていく。こちらは鏡綾夏「山形県上山市来訪行事「加勢鳥」の継承方法~聞き取り調査とケンダイ制作を通じて~」。無形文化財となっている奇祭の保存と継承に関する研究。

 ちなみに私は東北芸工大を訪れた翌日に上山市に宿をとっていて偶然「加勢鳥」(かせどり)を目にすることができた。

 

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(上山駅前の「加勢鳥」の様子)

  

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 一柳朱里「贋作における亀裂の判別に関する考察」。

 

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 方欣同「銅板油彩画の着色前処理における材料と技法の研究」。銅板油彩画というジャンルは知らなかった。興味深い。

 

 

 

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企画構想学科の展示。大学の学科紹介のページを見ると、「創造性」と「実践力」に重きをおき社会の中での様々なプロジェクト企画を学ぶ学科のようだ。

  

東北芸術工科大学 企画構想学科

 

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木村琴音「夜職女子×ラジオ 「夜職をする人」への偏見払拭を目指す企画」。

 

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後藤陽佳「うちの観音様トリセツ 天童三十三観音の文化と管理方法を保存する」。

 

 

 

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歴史遺産学科の展示へ。考古学や歴史学民俗学の興味深い研究成果がたくさん発表されていた。

 

東北芸術工科大学 歴史遺産学科

 

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渡邉美緒「震災伝承と震災遺構の成立プロセス」。

 

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相原瑞生「北海道開拓の現実 -北見市:北光社を事例として-」。北光社は坂本龍馬の甥である坂本直寛によって組織化された移民団で、1897(明治三十)年に入植した。北海道開拓は非常に個人的に興味があるテーマだが時間がなかったのですべては読めなかった。どこかできちんと読みたい。

 

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遠藤鈴香「ファンコミュニティの文化的様相ー日韓アイドルファンの動向を比較として-」

 

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高橋麻衣「医療現場の死と向き合う」

 

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 高村拓弥「我々の食は誰が守るのかーコロナ禍のフード・セキュリティー

 

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小國直輝「関西人としての意識と東北--オートエスノグラフィ序説-」

 

 

 

 

・まとめ

 

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 そのほか、文芸学科があるのは驚いた。

 ファインアート系ではやはり絵画の大学院生(修士)の展示はどれも見ごたえがあった。ただパフォーマンスやいかにも現代美術っぽいインスタレーション的な作品やリサーチベースの作品はほぼゼロで(それは決して悪いことではない)、学生がどういう作品に興味があり何から影響を受けているのかは気になった。コミュニティデザイン学科や企画構想学科(この二つの学科はけっこう似ているように思う)、総合美術コース、文化財保存修復学科、歴史遺産学科にもたくさん興味深い研究があり非常に刺激的だった。いずれ論文を検索して読んでみたい。時間がなくて映像学科や文芸学科の研究発表にほとんど時間が割けなかったのが悔やまれる。また来年度も来たい。

  

 

 

(おわり)

 

 

 

岩手県立博物館の常設展とテーマ展「教科書と違う岩手の歴史」後編

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前編の続き。岩手県立博物館のテーマ展示室へ向かう。

kotatusima.hatenablog.com

 

・「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生~古墳時代ー」の概要 

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 今回、博物館にわざわざ来たのはテーマ展「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生~古墳時代ー」を見たいがためだった。

 チラシには銅鐸や鉾、北海道島と北東北の地図の形に切り取られた稲の写真があしらわれ、背景は稲作を行う大規模集落のイラストになっている。展示を見た後だとこれらのモチーフの重要さが分かる。

 この展示では、縄文時代のあと飛鳥~奈良時代蝦夷(えみし)として岩手が日本史に「再登場」するまでの間、弥生~古墳時代の「空白期間」の歴史はどのようなものだったのかを、主に考古遺物から考察する。

 展示全体の構成としてはプロローグ「問題提起」から始まり、第1章で教科書に書かれている弥生~古墳時代の様相を、第2章で縄文時代の岩手の状況を確認したあと、第3章「弥生時代前半の岩手」から第6章「古墳時代の岩手」まで特に詳しく説明し、第7章「その後の岩手」までで通時的に中世までの岩手が辿ってきた歴史を紹介する。その後で補足的に「続縄文文化ー北海道の弥生~古墳時代」というコーナーがある。この構成から既に垣間見えるように北海道島の弥生~古墳時代の文化もこの展示のポイントのひとつである。

 

・プロローグ「問題提起」、第1章「教科書に描かれている弥生~古墳時代

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 ここからは会場のパネルの図や解説文、配布物などによって展示を概観していく。まずプロローグと第1章。

 岩手を含む北東北が教科書の歴史と最も違うのは弥生~古墳時代だという。この頃日本列島は朝鮮半島から稲作や金属器が伝わり中央集権国家へと向かう国家の形成期にあたる。

 縄文土器から弥生土器への移り変わりで言っても東日本の弥生時代の土器には縄文があり、西日本の縄文時代末期の土器にはすでに縄文が無いらしい。つまり「時代」より「地域」の伝統の方が強かったというわけだ。テストで出題されるような弥生時代の出土品では、例えば青銅器の代表格である銅鐸であれば近畿地方を中心に出土するのであり関東以北にはそもそも青銅器は無かった。このような農耕に関わる祭祀の道具は東北地方に見られず、北東北では木製の農具も見つかっていないとのことだ。地域によってそれだけのズレがあるのだ。

 

・第2章「縄文時代の岩手」

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 では弥生時代以前、縄文時代晩期の岩手は?といえば土偶の出土数が全国一位であることからもわかるように青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡を中心として北日本一帯に影響を及ぼした「亀ヶ岡文化」圏の中心地のひとつであった。縄文時代の岩手はほぼ教科書通りの狩猟採集生活で、当時は北日本の方が南よりも自然の恵みが豊かであったので余暇を土器など工芸品の作成や交易に費やすことができ定住生活でも頻繁に遠くへ移動していた。パネルの解説では文化的に「東高西低」だった、とまとめられていた。

  

f:id:kotatusima:20220214233118j:plain(中央:縄文晩期土偶、一関市相ノ沢遺跡、岩手県蔵 左:縄文晩期鼻曲型土面レプリカ、一戸町蒔前遺跡、一戸町教育委員会蔵)

 

・第3章「弥生時代前半の岩手」

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 ここ第3章から展示の本題に入る。弥生時代以後の岩手や北東北はどうなっていくのか?

 まず、弥生文化の定義をこの展示では「稲作を中心とした大陸由来の文化を核とする西日本に顕著にみられる文化」としており稲作の痕跡がひとつのポイントだということを押さえておきたい。

 北東北の稲作の伝播は地域差があった。意外にも津軽は海流のおかげで中部や関東より早く伝わっているとされ、北に向かう暖流によって稲作が可能であった(このことは展示の最後でまた触れることになる)。稲作以外の弥生文化日本海ルートをとり北東北へ伝わったとされ、その日本海ルートから外れている岩手には八戸を経由して最後にやってくるのだという。言い換えれば、朝鮮半島から岩手は最も遠かったのだ。

 弥生時代前半で顕著にみられる岩手の弥生文化の影響下にある産物は大陸系の管玉だけだという。弥生時代初期の土器の形式である「遠賀川式」の影響は一部要素を取り入れるに留まり、岩手で出土する石斧は必ずしも関東以南からの弥生文化が起源ではなく、北海道島が起源の説もあるらしい。

 弥生時代中期の岩手は、やはり水田跡はなく住居や石器は縄文時代と同じだが土偶は出土しなくなった。

 この時期にはクマを模した工芸品が出土するが解説パネルでは「北海道産品の模倣ではない」とされている。ブタみたいで手足が短く丸っこくてかわいい。弘前市の尾上山遺跡出土の青森県立郷土館蔵のクマ型土製品を思い出した。

 

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・第4章「弥生時代後半の岩手」

 

 弥生時代後半に入ると、ゲルマン民族の大移動や後漢の滅亡へつながる地球規模の寒冷期へ移行し、北東北は集落が激減する。胆沢川下流からは石包丁が出土し北上川との合流地点の南方では水田跡も発見されている。稲作が行われていたようだ。

 一方で南東北、特に仙台では弥生時代を通して水田が作られていたらしい。

 

・第5章「弥生時代終末~古墳時代初頭の岩手」

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 弥生時代末期~古墳時代初頭(3世紀頃)の岩手は最も教科書と違う時代だという。 

 この頃に特徴的なのは、地元岩手の形式である赤穴(あかあな)式の土器と北海道島の土器形式である後北(こうほく)式土器が一緒に出土し後北式墓地の跡も発掘されていることや、毛皮を加工するためと推測される黒曜石の石器が発掘されることだ。この毛皮加工も北海道島に住んでいた人々から来た習慣と言われている。

 これら当時の北海道島由来の文物は大規模な移民によってもたらされたのではないか、と指摘されていた。赤穴式土器は北海道でも出土するが歪んでいたり作りが薄く雑なものも多いらしい。一方で後北式土器は丁寧な作りで補修されている例もあり、東北と北海道で技術の差があったと考えられ、土器の出来栄えや出土量を考えると東北人の模倣ではなく移民による製作と推測されるというのだ。また、東北に数多くある「ナイ」や「ペツ」(川を意味する)が用いられたアイヌ語的な地名の広がりは後北式土器の分布と似ているらしく、後北式文化の人々がサケを中心とした河川漁労を主な生業としたことと通ずる。

 移民の理由にはいくつかの説がある。まず鉄製品が目的だったという説は、この頃の北東北に鉄器は伝わっていたものの豊富だったとは言い難く否定される。温かい地域に移動したのでは?という説に関しては、北へ向かう移民もいたことから理由にはならない。この展示では、後北式文化の人々が毛皮を加工し古墳文化の品々と交換していたことから獲物を求めて南下してきたか、後北式文化の人々が寒さに適応し出来栄えの良い土器を製作していたため技術指導で招いたのではないか、とされていた。

 

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・第6章「古墳時代の岩手」

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 古墳時代になると赤穴式土器は消滅し、関東以西で弥生土器に代わって使われるようになった土師器を東北でも使用するようになる。後北式土器は装飾が変化し北大式と名が変わる。古墳時代中期(5世紀)の墓からは土師器と北大式が出土するが墓制は後北式のままだ。後期(6世紀)には、ほぼ土師器のみが出土するようになる。

 古墳は大和政権とのつながりを示す墳丘墓のことだが、北東北では5世紀後半の角塚遺跡(岩手県奥州市)のみで、太平洋側のまとまった数の前方後円墳の北限である宮城県北部の大崎平野から50キロ北に位置する。これは北限の前方後円墳であり人型埴輪も出土している。この展示のプロローグでは角塚遺跡と胆沢城やアテルイの戦跡との関連性が示唆されていたが、それ以上のことは特に示されていなかった(アテルイらと朝廷の戦いは記録によれば8世紀末~9世紀)。周囲では角塚遺跡から2キロ北の胆沢川のほとりにある中半入遺跡は角塚遺跡の被葬者の居館とされ、ガラス玉、琥珀玉、大阪で作られた須恵器など古墳文化の産物が多くみられる一方、宮城県湯の倉産の黒曜石を使った皮革加工も行われており、さらに北海道に由来する土器も出土するため北海道から来た人々と地元の古墳文化の人々が一緒に住んでいた可能性もあるらしい。

 そのほか古墳文化の北上を示す文物に石製模造品があり、剣や鏡、日用品などをやわらかい石で作り古墳で死者にお供えしたり神事で用いたとされている。また、5世紀前後の近畿地方の古墳からは久慈産の琥珀玉が出土する。当時から採掘が行われていたことを示す遺跡があるという。

 

・第7章「その後の岩手」

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 ここからは古墳時代以降の岩手について。飛鳥時代(7世紀)には寒冷な気候が回復し竪穴住居や集落が増加、中央では仏教に影響を受けた飛鳥文化が花開くが全国的には「終末期古墳」と呼ばれる古墳が作られ続ける。岩手もその例外ではなく、特殊な地域ではなく一地方になっていく。ただし北東北では平安時代(9世紀)まで全国とは違う竪穴式の「末期古墳」が作られている。この頃、後北式土器は出土しなくなっているが北海道島との文化的な交流はうかがえる。7~8世紀頃の擦文文化(続縄文時代の後の文化)の影響を受けた文様が入った土師器が東北北部で作られていたり、北海道島の黒曜石が出土したり、北海道島で「末期古墳」が作られたりもしている。

 そして大化の改新(645年)後、朝廷から東北地方への支配が強まり8世紀後半にはアテルイ蝦夷(えみし)と呼ばれる人々と朝廷との戦いが起こり、岩手が教科書に「再登場」する。

 9世紀後半には戦費の増大から朝廷は税を納める限り蝦夷自治を認めるようになり蝦夷の中で覇権争いが起こる。その中で台頭してきた安部氏、そして安部氏が滅ぼされた後はその流れをくむ奥州藤原氏の時代となる。

 この展示では、中尊寺毛越寺に代表される平泉文化は岩手第二の繁栄期ではあるが中国や京都の真似をし価値が担保されている文化ともいえ、地元の技術で優れた工芸品を残した縄文晩期の亀ヶ岡文化のような、価値の担保と無縁な芸術品とは意味合いが違う、としている。

 藤原氏の滅亡後、中世の岩手は地方としては意外なほど教科書と同じであることに触れ、武士の居館の遺跡を紹介して第7章は終わる。

 

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(北海道島の文化の影響が指摘されている沈線文土器。盛岡市台太郎遺跡、岩手県蔵)

 

・「続縄文文化ー北海道の弥生~古墳時代」と研究史

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(北大Ⅲ式土器、江別市坊主山遺跡、岩手県立博物館所蔵) 

 

 さらにこの展示の補足として、章立てされていない「続縄文文化ー北海道の弥生~古墳時代」というコーナーが設けられ北海道島で縄文時代の後に続く「続縄文文化」や「恵山文化」、「後北式文化」の解説があった。遺跡の名づけについて、普通本州では小字を付けるところ、近代に「日本」に組み入れられた北海道には小字がなく便宜的に記号で付けられることが多いなど、こんなところにも北海道の特徴が表れるのかと思い面白かった。

 

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 さらにさらに、順路の最後には研究史に関するパネルがあった。

 「縄文学の父」と呼ばれる山内清男は精緻な土器型式編年網を作り、北海道島の縄文時代後の狩猟採集文化を「続縄文」と名付け、北海道島南部の恵山式土器に似ていることから、青森県津軽平野中央部にある田舎館村で出土する田舎館式土器を続縄文文化に含めた。山内はあくまで土器を問題とし続縄文と弥生の境を日本海側は秋田、太平洋側は青森としていた。

 その山内の薫陶を受けた伊東信雄は田舎館村垂柳遺跡の水田跡の発見(1981~1982、昭和56~57年ころ)を決定的な発見として田舎館式土器を弥生文化に位置付けた。この水田遺跡発見は当時冷害に悩まされていた北東北では驚きをもって迎えられたが、冷害が少なくなり後に「続縄文文化では稲作ができなかったのではなく選ばなかったのだ」という研究者さえ現れたという。発見から40年経った今日でも北東北での水田遺跡は津軽地方に限られており、上記第3章で説明されていたように、地球規模の寒冷化によって弥生時代中期後半以降は津軽でも稲作が継続されていなかった。

 ここまで確認してきたように一部でしか水田が発見されていないにも関わらず、北東北の弥生時代は一括で扱われがちで、日本海側と太平洋側の気候の違いなど地域によって異なる事情が考慮されていない。解説文の最後で、このような扱いは「白河以北一山百文」と同様であると難じて、展示は終わる。

 

 

・展示の感想

 

 ここまで長々と展示の様子を説明してきた。ここからは理解不足を恐れつつも展示を見た感想を書いていきたい。

 

 ここで最初に見たチラシを振り返ってみよう。岩手の弥生時代には存在しない銅鐸や鉾などの青銅器、寒冷であったためあまり行われていなかった稲作を行う集落のイラストが用いられていた。展示には不在のものがチラシに載っていることで逆に教科書でつくられたイメージの存在が浮かび上がってくる。北東北と北海道島の地図が稲穂の写真を背景にしていたのは、稲作に不向きだった地域同士の盛んな交流を思わせる。簡素な作りながら面白いチラシだった。

 
 この展示で私が特に興味を惹かれたのは弥生中期のクマ型土製品だ。解説では「北海道島産品の模倣ではない」とされている。熊にまつわる信仰と言えば、岩手県大迫町のアバクチ洞窟には儀礼の対象の可能性がある縄文後期のツキノワグマの遺体があったり、上でも触れたようにクマ型の意匠をもつ土製品が北東北で出土している。ヒグマであれツキノワグマであれその地に住む人々にとっては脅威だろうから北海道島の文化の影響があろうとなかろうと信仰の対象になることは想像に難くない。私が興味を惹かれるのは弥生中期のクマ型土製品以後の歴史だ。弥生末期~古墳初期の北海道島からの移民の信仰と北東北の在地のクマ信仰は交わっていたのか?それが後の北東北やアイヌ文化におけるクマ信仰にどう影響していったのか?同じ「クマ文化圏」としての共通点や相違点が今後、明らかになるといい。

 

 後北式土器の分布と、東北の「ナイ」や「ペツ」(川を意味する)が用いられたアイヌ語的な地名の重なりが指摘されており地図も掲示されていた。この説は興味深いものの、それをアイヌ語と呼んでいいのか、アイヌ語と日本の古代語や現在の日本語の関係などもっと説明しなければならない部分があると思う。例えばアイヌ文化についてしばしば誤解されがちなのが、アイヌ文化が成立したと言われる12~13世紀ころの文化と現在のアイヌ文化は、受け継いでいる部分はありながら違う、ということだ。日本の文化においても平安~鎌倉時代大和民族の文化と現代の大和民族の文化が、受け継いでいる部分がありながら違っているのと同じように。私はアイヌ語についての知識は皆無だがおそらく同じような関係性があろう。そのような解説や注意書きがないのは研究が進んでおらず説明できることが無いのか、説明が不要だと思うほど来場者を信用しているのかは分からないけれども、私には不親切に感じられた。

 

 また北海道島と北東北との文化的なつながりの深さについても改めて認識させられる機会となった。特に興味深いのが、寒冷化した気候条件が北海道島の住民と北東北の住民を近づけたところだ。この展示で「縄文のない縄文時代の土器」などで示されていたのと同様に、おかれた環境がいかに文化を規定するのかという好例だったのではないだろうか。

 

 この展示の後半では平泉文化と亀ヶ岡文化について、どのような価値観に基づいて何を模倣し形成されたかを軸に比較し後者を「芸術品」として評価している。私は平泉文化についても亀ヶ岡文化についても全く知識はないけれど、この評価が妥当なのか若干の疑いをもった。というのもあまりにオリジナル性について無批判に信用しすぎているように思えたからだ。不幸にして今回取り上げていたのは縄文時代(亀ヶ岡文化)でも平安時代(平泉文化)でもなく、弥生~古墳時代であったのでそれを確かめるヒントは無かった。この展示を見れば分かるように文化というのは不変ではない。土地の性質に影響されるし、異なった習慣をもつ人間同士の交わりなどでもいくらでも変化する。ではそこに果たして優劣があるとすればどのようにその判断は可能なのか?例えば、影響をより強く及ぼした方が優れた文化なのか?評価軸はいろいろ考えられよう。今後、このテーマを掘り下げた展示があれば見てみたいと思う。

 

 展示の最後の研究史の解説パネルにある「白河以北~」の言い回しから分かるように、企画者は北東北の地域差をないがしろにしている日本の歴史研究の偏りを「教科書」という語で象徴し俎上に載せようとしている。具体的には日本海側と太平洋側の気候の違いや海上交通が盛んだった時代の文化の伝来しやすさで、関東以南や南東北はもちろん北東北という括りでも津軽や八戸、岩手でも辿ってきた歴史に違いがあることが示されていた。薩摩藩長州藩出身者ら戊辰戦争における「官軍」からの東北への侮蔑の視線を表す「白河以北~」の表現がここで用いられるのは、現在の青森県岩手県の成り立ちや現在へつながる東北への扱いを想えば通ずるものがある。

 この展示を報じたある記事で、見出しに「岩手史の特異性」という文字を使ったものを目にした。「特異」という語は、はっきりと特別に他と違っていたり特別に優れていることを指すが、やや違和感のある言葉の選択だと私には感じられた。なぜなら「特異」という表現は教科書的な歴史観を基準にしたときに出てくる発想だと思えるからだ。だとすれば、まさに批判されている視点でこの展示を語ってしまっているところに教科書的な見方の根深さがよく現れているともいえよう。

 岩手の弥生~古墳時代が教科書に載っていないのは特別だからではない。それは岩手では普通だったのだから、この展示の題のように単に教科書と「違う」とか、「異なる」「差異がある」「相違がある」などと言い表すべきだろう。違っていることは特別なことではない。おそらく岩手以外にも教科書と違った歴史をもつ地域はたくさんあるだろうから。

 とはいえ、教科書で語られる平均化された歴史は大雑把な流れを把握する上では有用であり、そのような素地があればこそ今回のような差異に注目した展示が可能でもあるのだから全て否定することもできないだろう。

 しかし、繰り返しになるが、程度の差こそあれ教科書と違う要素を持つ歴史はありふれており「普通」であるとも言えるのだからどの地域とも通底する性質とすら捉えられなくもない。その意味で普遍的なのであり、教科書だけでは必ず見誤る事態があり掬いきれない状況がある、というのがこの展示の主旨だろう。

 

 テーマ展「教科書と違う岩手の歴史」は、歴史を測るのに大まかな物差しと細かな物差しとがあるとすれば後者の重要性が特によくわかる展示だった。

 

 

 (終)

岩手県立博物館の常設展とテーマ展「教科書と違う岩手の歴史」前編

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 先日、岩手県立博物館へ初めて行った。地質・考古・歴史・民俗・生物などの資料が展示されている総合博物館だ。2021年11月23日 から2022年2月6日 まで開催されていたテーマ展「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生~古墳時代ー」に興味を惹かれたのがきっかけだった。ついでに常設展もさらっと見学した。以下では二つの記事に分け、前編では常設展について、後編ではテーマ展について書いていこうと思う。

 

岩手県立博物館の入り口

 

 岩手県立博物館は岩手県の県制百年を記念して昭和55年(1980年)10月に開館した。入口へ向かう階段はそのため100段あるらしい。

 茶褐色の外観やエントランスホールの印象が北海道博物館(旧北海道開拓記念館)と似ていると思った。調べてみるとそれもそのはず、設計が同じ佐藤武夫であった(県立博物館は佐藤没後の設計事務所の作品)。

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 入館すると正面には大きな毘沙門天と餓鬼の像が。一木造の毘沙門天立像の中では日本最大の兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)のレプリカだそうだ(原資料は花巻市熊野神社境内成島毘沙門堂蔵、重要文化財)。
 
・1階の展示室 
 
 受付を済まし、右の生物の展示室へ。大きなサメのあごの骨や鉱物の標本、剥製が並んでいる。
 大きなクモの模型があってびっくりした。虫が苦手な人だったら腰をぬかすだろう。内側に入ってクモの複眼を体験できる展示だ。館内には陸前高田市立博物館の資料の修復施設も設けられており見学できる。

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 二ホンオオカミの可能性がある毛皮や二ホンカワウソの剥製など珍しい展示物もあった。
 早池峰山に固有種や南限種が多いのは氷河期に日本列島中部まで分布を広げた植生が後に残留したからだそうだ。このような残留した分布は例えば文化でも起きえるのだろうか?と、ふと考えてみたりした。

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 2階へ向かう。日本で最初に発見された「モシリュウ」という恐竜が発掘されたのは岩手だそうだ。階段を上がる途中にある大きな骨格模型はモシリュウに近いマメンキサウルスのものだ。
 生物の系統図の現生人類のイラストが宮沢賢治になっていた。宮沢は自然史に詳しく小説にも恐竜を追って白亜紀にタイムスリップする話があるそうだ。

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・2階の展示室
 
 2階ホールには干支の虎に関するコーナーがあった。2階には歴史や民俗、現代の生物の展示室、映像室やテーマ展示室がある。
 やはり装飾の凝った土器や土偶に目が行く。特に土偶は質、量ともに充実していると感じる。盛岡市萪内遺跡出土の土偶頭部(重要文化財)は大きくて迫力があった。この博物館の名品のひとつだろう。

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「トーテムポール様木製品」は木の棒に目や口のように見える彫刻が施されている。よくみると丸い目は木のコブのようでもある。人は何かに一度顔を見出してしまうと顔以外には見えなくなってしまうものだ。

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 常設展示室からテーマ展示室へ移動された資料のあとには、これもまた宮沢賢治のパロディで「特別 展示室ニ 居リマス」と書いた紙が置いてあった。

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 衝角付冑(しょうかくつきかぶと)は出土例の北限だ。岩手が何か文化的な北限であったり南限であるような記述にはつい注目してしまう。

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 中世の展示室へ。仏像のレプリカが展示してあるそばに「おさい銭をあげないでください」の掲示が。歴史資料や美術品として信仰の対象を展示してあるときに拭いきれないある種の矛盾やズレを思い出させた。

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 中世の展示では九戸政実の乱(南部氏の相続争いで盛岡藩初代南部信直が勝利する)の戦陣配置図のパネルに松前慶広(松前藩初代藩主)の名前を見つけた。慶広はこの戦に毒矢を用いるアイヌを率いて参陣していたといくつかの記録にある(『氏郷記』、『三河風土記』など)。このころはちょうど豊臣秀吉に接近していた頃で前年に上洛して謁見、翌年の朝鮮侵略では肥前名護屋の陣中に馳せ参じ翌々年に蝦夷地支配公認の朱印状を得ている。これにより松前氏は津軽安東氏の支配を脱し一大名として豊臣政権、そして江戸幕府支配下へと入っていく。
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 近世のコーナーではキリシタン関係が興味深かった。盛岡藩では踏み絵は確認されていないが仙台藩では行われていたという。松前藩では金山へ鉱夫としてキリシタンがたくさん入っており江戸時代のごく初めでは宣教師すら大目に見ていた(後に取締りを厳しくし100人以上を処刑している)。盛岡藩でも盛んに鉱山開発をやっていたはずだから、もしかしたらそれに踏み絵の有無が関わっているかもしれない。「マリア観音」は見たことがあったが、不動明王の剣を十字架に転用したと思われる例は初めて見ておもしろかった。

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 明治以降に関しては年表が掲げられているのみでほぼ展示はなく若干のパネルがあるのみで酷い有様だが、自由民権運動家の鈴木舎定の資料などは興味深かった。

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 民俗のコーナーでは食品サンプルがたくさんあって郷土食の紹介が充実していた。
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 「アマビエ」の展示も。資料を収集しているようだ。
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 東日本大震災津波で時が停まった柱時計もあった。

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 民族の展示室にも平泉文化に関する展示やたくさんの土器、土偶、蛇の骨がいっぱいに詰まったちょっと気味の悪い土器の展示もあった。

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f:id:kotatusima:20220215173154j:plain人面墨書土器(複製)原品 重要文化財 柳之御所遺跡 岩手県埋蔵文化財センター蔵)

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 テーマ展示室へ向かう。後編へ続く。

kotatusima.hatenablog.com

 

 

 

備忘録・2021年前半

 

 2021年前半の備忘録。昨年からの新型コロナウイルス蔓延は収束が見えず、反対の声も上がる中オリンピック開催とそれにまつわる数多の不祥事に加え、アート関連ではアーツ前橋の作品紛失問題、アートの現場でのハラスメント被害告発、「あいトリ」きっかけの無茶苦茶なリコール署名不正など、どうしようもないニュースが多かった印象の2021年上半期を振り返ります。

 展示をあまり見ていない(40数か所)割には特に言及したい展示もそれなりにあり、展示の面白さの打率としては悪くないかもしれない。時々演劇や映画も見たが数か所だ。寺社に絵馬を見に行ったり絵馬市で手に取ることもできてよかった。

 

 

 
・1月

 
 1月に入ってすぐ緊急事態宣言の発令。美術館や博物館にも「収容率50パーセント」が呼びかけられた(が、それはどれだけ実態に即した呼びかけなのか疑問がある)。12日には作家の半藤一利さんの訃報。アメリカではこの月にトランプ元大統領支持者による議会乱入事件とバイデン大統領の誕生があった。

 いわゆる「コロナ禍」以後ではじめて高速バスに乗り、青森県立美術館へ行ったがあいにく豪雪に遭ってしまった(この展示については2度に分けて感想を書いた。以下にリンク貼りました)。翌日は青森市内から出られなかったので歴史ある善知鳥神社でおみくじを引いたり暖かいリンゴジュースを飲んだり雪を漕いで図書館へ行ったりした。

 Gallery Nayuta「白濱雅也絵本原画展 スターとゴールド」は、知人の展示なので内輪っぽくなってしまうのだが、それを差し引いても、作家自身が酪農に従事した経験と廃材を支持体として再利用することがうまく組み合わされていて、絵としての魅力も十分だったと感じた。

 

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青森県立美術館「生誕110周年記念 阿部合成展 修羅をこえて~「愛」の画家」

 

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・Gallery Nayuta「白濱雅也絵本原画展 スターとゴールド」

 

 

 

7日

青森県立美術館「生誕110周年記念 阿部合成展 修羅をこえて~「愛」の画家」

展示の感想① 展示の感想②

9日

神奈川県民ホール「大山エンリコイサム 夜光雲」

17日

東慚寺 絵馬市

27日

√K Contemporary「梅津庸一監修 絵画の見かた reprise」

30日

泉岳寺

Café GODARD gallery カフェ・ゴダール・ギャラリー「ダダカンの『殺すな』展 祝 糸井貫二氏100歳記念!!」

Gallery Nayuta「白濱雅也絵本原画展 スターとゴールド」

銀座 蔦屋書店アートウォール・ギャラリー「弓指寛治 個展 マジック・マンチュリア(導入)」

ユーカリ「楊博個展“Fly me to the moon” sequence1:Nightngale and Rose」

  

 

 

・2月

 

 15日には「あいトリ」をめぐる大村愛知県知事へのリコール署名不正が愛知県選管に刑事告発されることに。26日からは昨年から騒動が続くアーツ前橋が収蔵品点検のため3ヶ月の休館に入った。新型コロナウイルス関連ではやっと医療従事者のワクチン接種がはじまった。菅首相長男の総務省幹部接待問題、ミャンマーの軍事クーデターも。展示はほとんど見ず、2月末から京都へ。開館後初めて京セラ美術館へ行き、KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 SPRINGのプログラムを見られたのはよかった。 

 特に「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」は、見づらいと感じる部分はありつつも、「人間の展示」に関する絵葉書を中心とした資料の物量に圧倒された。

 話題の京セラ美術館新館東山キューブ「平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989–2019」は、コレクティブの活動に着眼した点は非常に興味深く、2000年代前半までに活動した作家たちはそもそもよく知らなかったので面白かったし図録もデザインが凝っていてつい購入してしまった。ただ、出品者のうちカオス*ラウンジに関しては、展示の内容としても展示と直接関係ない批判に対する応答としても非常に中途半端かつ不十分で、企画・監修の椹木野衣氏や美術館の担当学芸員に対し不信感を抱かせるものであった。例えば同展示ウェブサイトには「本展出品作家として予定していたカオス*ラウンジの組織内トラブルを理由として、同団体の作品展示を取り止めました。一方で、平成年間における同団体の活動実績を踏まえて、歴史的事実を確認する意味で、資料2点を展示したところであり、同団体に係る展示が作品展示ではなく、資料展示であったことを改めて明らかにさせていただきます。なお、作品展示と資料展示の区別が明確でなかったという御指摘が複数あったことについては、本展の展示手法に係る問題として真摯に受け止めます」とあるが、この文章では根本的に組織内トラブルがあるコレクティブの作品展示がなぜダメで資料展示がいいのか説明できておらず、資料を「歴史的事実」を指摘するものとして定義づけただけである。その「歴史的事実」にしても、実際の展示物がカオス*ラウンジのステートメントを含んでいたことを考慮すると、どうなのか。ステートメントをある視点で企画された美術展において展示することが、はたして歴史的事実を提示したものであると言い切ってよいのか、私には疑問がある(念のため付け加えておくと、私はカオス*ラウンジの展示をすべきであるともしないべきであるとも言いたいのではなく、価値判断の根拠があいまいである点を問題視したい)。

 

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・京都伝統産業ミュージアム 「小原真史 イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」

 

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・京セラ美術館「平成美術:うたかたと瓦礫デブリ」カオス*ラウンジ 展示箇所

 

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・haku「IDEAL COPY「Channel:Copyleft」」
 

 

 

14日

(演劇)あうるすぽっとチェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』東京公演

19日

妙法寺上岡馬頭観音 絵馬市

27日

瀧尾神社

京都伝統産業ミュージアム 企画展示室「小原真史 イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」(KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 SPRING)

御霊神社

28日

清水寺

鳥辺山妙見堂(再訪)

京都市京セラ美術館新館東山キューブ「平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989–2019

ロームシアター京都nノースホール「垣尾優 それから」(KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 SPRING)

haku「IDEAL COPY「Channel:Copyleft」

 

 

 
・ 3月

  

 1日から2023年度まで横浜美術館が長期休館に入った。また篠田桃紅、田中邦衛の訃報が印象深い。緊急事態宣言が一時全面解除された。11日には東日本大震災から10年を迎えた。スエズ運河のコンテナ座礁、のちに実刑判決を受けた河合元法相の議員辞職などもあった。12日には日本テレビの朝の情報番組でアイヌ民族に対する差別的な表現が放送される事件があった。

 アートフェア東京2021は事前オンライン予約のみ、チケットは4000円と高額だったが賑わっていて感染症蔓延の影響は感じられなかった。昨年中止になった分、購買意欲がむしろ増していたのかもしれない。

 「“風景の再来 vol.1”渡辺兼人+笠間悠貴」では、渡辺は昨年春の人が居なくなった街の小さいサイズの作品を多く並べ、企画者でもある笠間はインドの雄大な山岳地帯で「風」を捉えようとした一辺1メートルはあろうかというプリントを展示していた。各部屋は被写体やプリントの大きさなど明快な対比になっているが、いわゆる風景写真によって目に見えない何かを写しとろうという問題意識が通底していた点、知人の展示ではあることを差し引いても面白かった。

  演劇では名取事務所「鈴木大拙と東京ブギウギ」を見た。同名の書籍(山田奨治 『東京ブギウギと鈴木大拙』株式会社人文書院 、2015年)を元にしており世界的な禅の研究者である大拙の息子・鈴木アラン勝との隠されてきた親子関係を、大拙の思想と東京ブギウギの世界観の比較と重ねて描く。

 見逃した展示としては、カスヤの森現代美術館の「生誕100年記念 ヨーゼフ・ボイス 展」(3月21日まで)に行けなかったのが悔やまれる。

  

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東京国際フォーラムアートフェア東京2021」

 

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・「2021年宇宙の旅 モノリス-ウイルスとしての記憶、そしてニュー・ダーク・エイジの彼方へ」より、赤瀬川原平《宇宙の罐詰》(1964/1994)

 

 

 

1日

魔氣神社

生身天満宮

郷土玩具平田

伏見人形丹嘉

伏水酒蔵小路
12日

女子美術大学卒業修了制作展 鈴木萌夏「レントゲン藝術研究所とは何かー資料アーカイブの実践とその考察

(演劇)小劇場B1「名取事務所公演 鈴木大拙と東京ブギウギ

20日

東京国際フォーラム ホールE/ロビーギャラリー「アートフェア東京2021

小山登美夫ギャラリー倉田悟展「Ba/u/cker La/u/cker」(バッカー・ラッカー)
24日

太田記念美術館笠松紫浪ー最後の新版画

ジャイル「2021年宇宙の旅 モノリス-ウイルスとしての記憶、そしてニュー・ダーク・エイジの彼方へ

photographers gallery「渡辺兼人 + 笠間​悠貴 “風景の再来 vol.1”

  

 

 
・4月


 1日付で文化庁長官が作曲家で元JASRAC会長の都倉俊一になった。原発処理水の海洋放出決定、熊本地震5年が経った。21日には展覧会の共同企画や巡回展開催を担う美術館連絡協議会が事務局業務を2022年度から停止することが明らかになった。新型コロナウイルス関連では25日から、昨年4月、今年1月に続き3度目の緊急事態宣言が発令され都立美術館は休館、1000平米以下の美術館・博物館については休業協力が要請された。また国立新美術館で5月10日まで開催が予定されていた「佐藤可士和展」が、緊急事態宣言の影響で4月24日をもって閉幕となり見逃してしまった。とても残念だ。

 映画では、シアターイメージフォーラム で「狼を探して」と「AGANAI 地下鉄サリン事件と私」を続けて見た。

 「狼~」は大企業にテロ行為を行った「東アジア反日武装戦線」をテーマとしている。この「狼」とは「東アジア~」の一部隊の名で、他に「大地の牙」「さそり」がある。いずれも組織的に編成されたのではなく「狼」の活動に呼応する形で現れた。ここでいう反日とは「反・日本の帝国主義」という意味であり、彼らは戦前から奴隷的に東アジア各地で搾取を続けた日本の財閥系企業や大手ゼネコンに対しテロで社会正義を実現しようとした。しかし「東アジア~」のメンバーは当然警察に追われた。このドキュメンタリーで扱われているのはそのメンバーの、服役、自殺、釈放、逃亡、獄死というそれぞれの歩みと関係者の証言である。「東アジア~」とその周辺を彼らに近い視点で実直に撮影しており、近代日本を考える上で重要な記録だと思った。
 「AGANAI~」は言うなればロードムービー的な映画で、地下鉄サリン事件の被害者であるさかはらあつし監督と、オウム真理教の後継団体「アレフ」の広報部長である荒木浩氏が旅に出る。実はふたりとも丹波地方出身で同じ時期に京都大学に在籍していた。二人のおっさんが親しげに会話しながら、一緒に食事をし、川で水切りをして遊び、ひとつのイヤホンをそれぞれ片耳に着けて音楽を聴く。これはいったい何を見せられているんだ?という気持ちにもならなくもない(笑)。そういうシーンも挟みつつ、さかはらは教団や信者のあり方に率直に疑問をぶつけ教義に反することすら勧める。まるで荒木の良心に訴えかけるように。映画のラスト、地下鉄サリン事件の慰霊行事にさかはらと共に参加した荒木はなんとも微妙な態度で切れが悪く、だからこそリアルで印象的だった。

 テロの加害者をクローズアップした映画と、被害者が監督である映画の 2本を同時に見られるというのが面白かった。

 タグチファインアート「岩名泰岳 みんなでこわしたもの」では、故郷である三重県伊賀市島ヶ原を拠点に活動し、島ヶ原村民芸術「蜜ノ木」というグループを結成している岩名泰岳さんが、昨年村から出られず見て歩いた廃屋や墓跡村の風景元に制作された絵画が展示されていた。タイトルの「みんなでこわしたもの」は、世界規模での過度な移動がもたらした新型ウイルスによって壊された従来の世界のことであり、社会的な事情で衰退していく集落を表しているとも受けとれる。そこから私は作家の物事に対する微妙な距離感を感じた。例えば、「壊す」という言葉を平仮名で柔らかく表していることや、衰退する村の風景を落ち着いた色味で少しずつ違う連作として咀嚼しようとすることにそれは現れているのではないかと感じた。

 

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・こどもの国雪印牧場

 

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・WALLA 「嘔吐学vol.2 川田龍 + 北林加奈子 greenery efficacy」

 

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・タグチファインアート「岩名泰岳 みんなでこわしたもの」

 

 

 
10日

(映画)シアターイメージフォーラム狼を探して

シアターイメージフォーラムAGANAI 地下鉄サリン事件と私

ユミコチバアソシエイツ「渡辺えつこ x 母袋俊也  Gegenüberstellung / confrontation 対置」

17日

(映画)東京都写真美術館「瞽女 GOZE」

22日

国立ハンセン病資料館「『青い芽』の版画展 ―多磨全生園の中学生が彫った「日常」の風景―

武蔵野美術大学美術館「オムニスカルプチャーズー彫刻となる場所

WALLA 「嘔吐学vol.2 川田龍 + 北林加奈子 greenery efficacy

24日

こどもの国雪印牧場

タグチファインアート「岩名泰岳 みんなでこわしたもの

  

 

 

・5月

  

 新型コロナウイルス関連では緊急事態宣言が7日に延長され都立の美術館・博物館も引き続き休館を継続、12日からの再開を発表していた国立美術館国立博物館も都の反発を受け一転して休館継続となるなど混乱が見られた。入管法改正案の廃案、署名偽造容疑、愛知県知事リコールで事務局長逮捕、高橋内閣参与の引責辞任など政治は相変わらず悪い意味で話題に事欠かなかった。テニスの大坂なおみ選手の会見見合わせによってマスコミの質が話題にもなった。
 24日から旧原美術館の建物の解体がはじまった。26日には北海道と北東北の縄文遺跡群が世界遺産へ登録するよう勧告されるという嬉しいニュースもあった。 
 映画館に関しては、26日には映画製作配給大手4社からなる一般社団法人日本映画製作者連盟が映画館の再開を要望する声明文を発表したこともあってか、28日には東京都は6月20日までの再延長が決定した緊急事態宣言下において博物館に加え映画館も同様に施設利用の規制を緩和し時短要請へと切り替えると発表した。また「アップリンク渋谷」が5月20日に閉館した。「コロナ禍」の影響が大きいことに加え、浅井代表による従業員へのパワハラ問題で客足が遠のいたこともあるのではないかと私は思っている。

 24日には浮世絵師で鳥居派九代目の鳥居清光、27日には絵本作家エリック・カールの訃報があった。

 江東区大島「プライベイト」の二人展「魂の影」は安井海洋さん企画。笹山直規さんの作品は一見おどろおどろしいのだけど民家を活かしてそれぞれの作品に合った場所に展示していた。素朴に木版の彫りが味わい深かった。松元悠さんの作品は一見どう読み解くべきか戸惑うのだけど、事件のリサーチ?の生々しい手書きの記録を読んでから見ると改めてゾッとしたり。作家さん2人とも版画なので、下絵、製版、刷りなど図像を制作過程で反復せざるを得ないわけで、モチーフに対する執念のなせる制作なのかな。2人の作家の良いコントラストを感じた。

 新宿ニコンサロンで見た「長沢慎一郎 THE Bonin I slanders」は、1830年小笠原諸島に住み始めた欧米人と太平洋諸島民の二十数人の末裔「Bonin Islanders/小笠原人」をテーマとした写真。その後日本領となった小笠原は第二次大戦中は全島民強制疎開、戦後は米軍が統治し1968年に日本に返還された。現在の住民の多くは返還後の移住者。
日本人でも欧米人でもない小笠原人の生活の記録。興味深かった。

 

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・新宿眼科画廊「もちもち脳みそクラブ」

 

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プライベイト「笹山直規・松元悠 魂の影」

 

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・ANB Tokyo 「中園孔二 個展 すべての面がこっちを向いている」

 

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・六本木蔦屋書店「康夏奈 作品展 100 miles climbing」
 

 

 
7日

新宿眼科画廊「もちもち脳みそクラブ
10日

ギャラリークトー「菅原彩美 近作展 目覚める星が聞こえる

プライベイト「笹山直規・松元悠 魂の影

20日

MAHO KUBOTA GALLERY 「AKI INOMATA 貨幣の記憶

ANB Tokyo 「中園孔二 個展 すべての面がこっちを向いている

六本木蔦屋書店「康夏奈 作品展 100 miles climbing

新宿ニコンサロン「長沢慎一郎 THE Bonin I slanders

(落語)六連会 桂竹紋、三遊亭吉馬、雷門音助

21日

KATA(LIQUIDROOM)「奈落で水を飲む」

22日

ギャラリーQ 「李 晶玉 展  L’EMPIRE DES SIGNES

ギャラリー58 「アヴァンギャルド・ポスター・コレクション

銀座たくみ「谷道和博 吹きガラス展
24日

富士嶽神社

青梅神社

日限地蔵尊

 29日

(演劇)紀伊国屋サザンシアター「こまつ座第136回公演 父と暮らせば

 


・6月

 

 4月25日から臨時休館によって中断されていた鳥獣戯画展の再開と会期延長、芸術文化振興会の映画『宮本から君へ』助成金不交付処分の取り消し訴訟の原告勝訴、菅原一秀経済産業大臣の辞職(のち公職選挙法違反の罪で略式起訴、罰金40万円、公民権停止3年の略式命令)などがあった。

 SOMPO美術館「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて」に行った。この美術館に行くのは、実は2012年のアンソール展以来でもちろん改装してからは初めて。それほど点数は多くなく画業の全貌が見られるというほどではないが、個別の作品はいいものが来ていると感じた。絵が手前にせり出す珍しい額も当時のものっぽかった。全体としては、少しだけ「デ・ステイル」のメンバーの紹介やカタログの展示を通した日本のモンドリアン受容についても触れられていて正統派の回顧展という感じで、モンドリアンっぽい柄のスカートや着物を着ているお客さんがちらほらいたのはこの展示ならではだったのではないか。

 TOH「MES 『DISTANCE OFRESISTANCE/抵抗の距離』」は、クシシュトフ・ヴォディチコを彷彿とさせる方法論に、クラブのパフォーマンスからきているらしいレーザーライトが導入されて、「クソみたいな国家にゲームオーバーを宣告するような展示」といえばいいのか。公共的空間への介入のやり方がかっこよく、展示も什器が凝っていた。

 POETIC SCAPE 「野村浩|101 EYES' GLASSES Paintings」は、目がついたショットグラスを発注してから実験的に描き始めた101枚の絵を展示。この目は蝶の羽の模様のように何かへの擬態を示しているらしい。つまりこの連作は絵に擬態しているのだが、ではそもそも絵とは何か?私たちがこの作品やショットグラスから感じる眼差しは目によるそれではなく実はただの楕円形の模様がもたらしているかもしれない。その模様の在り方はキャンバスに塗られたただの絵の具である絵とも似ている。作家さんが写真作品を制作されてきた経緯もあるのか、絵と微妙な距離感を保ちながら絵の根底を問うているような展示だった。

 26日は土曜会#17に参加。土曜会は美術の理論と実践について探求したい人たちのコミュニティとして勉強会を中心に活動しており、私は以前第12回でも発表したことがある。今回は4本のレクチャーが行われた。
 じょいともさんは「地図と風景」と題し、風景画の先祖(と先祖返り)として地図との関わりを論じる。大抵、風景画は人物画などの背景から独立したと論じられるが、眼前にある光景の連なりとして発生した地図の発展の中に風景画を見出す視点は私にとって新鮮だった。ルネサンス期を愛玩される風景画の起点に置いていたが、近現代の風景画がプリミティブな地図のような風景画に先祖返りするという説明を合わせると、遠近法との関わりを併せて考えを進めてみて欲しいと感じた。また、同様の視点から東洋・日本の風景画を論じる可能性も感じた。
 石原七生さんは「描き集める/掻き集める」と題し、ご自身の制作過程について順を追って説明していた。自分の制作でもかなり参考になりそうな内容だった。タイトルやコンセプト文を書いた上で絵を描いていくのは制作のルーティンの中で効率の面でも作品の完成度を上げる面でも非常に合理的だと感じたし、制作者でなくとも作品とタイトルとの関わりのひとつとして興味深かったのではないか。作品ごとの資料のファイルわけ等真似したいと思った。

 友杉宣大さんは「画集が絵本になる瞬間」と題し、英語が読めなかった頃に絵本のようにピカソの画集を眺めた経験から、絵本における絵がいかに物語ることができるかを説明、自作に活かした経過についてのお話していた。絵本の絵だけ見ていると文の意味に齟齬が生まれる場合もあるのではないかと質問があったが、全体のストーリーを通して見ると矛盾が生じることは少ないとのこと。私たちはビジュアルイメージの物語る力を過小評価しているのかもしれないと感じた。
 私のレクチャーは、「塔を下から組む『北海道百年記念塔展』の顛末」と題し、2018年からテーマにしてきた北海道百年記念塔を振り返ろうとしたもののまとまらず。退屈な話を聴いてくださった皆様には感謝したい。それでも私の目を通しているという制約はあるものの個別の作家・作品の要点はなんとか伝えられたか……。展示記録冊子もご紹介できてよかった。

 

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・BUoY Cafe & Bar「女が5人集まれば皿が割れる」

 

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千葉市美術館「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」

 

 
3日 

BUoY Cafe & Bar「女が5人集まれば皿が割れる

5日

SOMOPO美術館「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて

12日

ギャラリー小柳「still life 静物」

加島美術「堀江栞個展『声よりも近い位置』

TOH 「MES DISTANCE OF RESISTANCE/抵抗の距離

19日

武蔵野美術大学美術館「膠を旅する
26日

POETIC SCAPE 「野村浩|101 EYES' GLASSES Paintings

galleryαM 「約束の凝集 vol.4 荒木悠

土曜会#17

29日 

宝蔵院

千葉市美術館「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」

  

 

  

2021年後半は、質、量ともに充実した展覧会鑑賞をしたいし、もう少し映画や演劇の比率も増やしていければ言うことはないのだが。

 

(終)

 

『見送る人々』とその一室について(「生誕110周年記念 阿部合成展 修羅をこえて~『愛』の画家」青森県立美術館、2020年11月28日(土)~2021年1月31日(日))後半

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(『見送る人々』1938年、兵庫県立美術館所蔵)
 

 
 
 青森県立美術館の「生誕110周年記念 阿部合成展 修羅をこえて~『愛』の画家」の感想の続きです。

 感想前半はこちら。

kotatusima.hatenablog.com

 ※以下で示すページ数は針生一郎による『修羅の画家 評伝阿部合成』からの引用箇所です。

 

目次

 

・阿部合成の生涯(前半)

針生一郎『修羅の画家』を読む(前半)

・章立てごとの展示概要(前半)

・展示名、展示全体の印象、作品配置(前半)

・『見送る人々』について

・『見送る人々』の一室のほかの作品について

・まとめ

 

 

 

・『見送る人々』について

 

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(『見送る人々』1938年、兵庫県立美術館所蔵)

 

 展示概要で示したようにこの展覧会では最後の章に画業初期の代表作『見送る人々』を据えている。その理由のひとつは、やはり展示の最後に盛り上がりを持ってきたかったからだろう。逆に言えば回顧展でよくあるように年代順に作品を並べた時にどうしても阿部の画業は尻すぼみに見えるということを暗に示す展示構成なのかもしれない。

 『見送る人々』は、向かって左側、画面外を歩いていく出征軍人の列を見送る群衆を描いた作品である。人々が集まることが避けられマスクを着けて外出することが普及した2020年ではかえって新鮮な光景に見えてしまう。あちこちで国旗が降られ喧噪の中の老若男女の様々な身振りと表情が描きこまれている。左下から右上へ視線を移していくと熱狂の波が引いていき、右上角では静寂の中を馬橇で遠ざかる人が描かれている。

  この作品によって「反戦画家」の烙印を捺された阿部だが実際のところどれほど「反戦」の意志を込めていたのだろうか。 先に結論を言うと阿部がこの作品に「反戦思想」を込めたとは私にはどうも思えないのである。だが戦争を賛美するような絵では全くない。

 まず制作背景にまつわる言葉を振り返ってみよう。この絵は「深夜の駅に小旗をもった群衆がひしめき、女たちの悲鳴に似たあえぎの中で、蒼白の顔をした兵士たちを満載した列車が動き出す光景を目にした経験」(63頁)にもとづいているらしい。阿部は友人への手紙でこの作品の下絵を描き始めたことに触れ、「(前略)出征兵の見送り。三十個ばかりの顔丈で構成しようと念願してゐる。熱狂した泥酔者、感動して嘆く青年、悲しみで魂をなくした女、冷静な挨拶を送る中年の男、歌ふ少年達、愚痴でしわだらけの老人、傍観者(祝出征の幟のかげに自画像と僕の不遇な従兄の顔)等の顔と手。赤ん坊は特別無関心でなければならない。(中略)色はウルトラマリンの青と褐色の反撥。日の丸の赤が点在する。全体が一つの場面として何かを予感せしめる事ができたら満足だ。」(63-64頁)と語っている。

 またこの絵が官憲に目をつけられた後で阿部が友人へ宛てた手紙では「あの絵を不快だといふ理由でケナすことができても、嘘だと誰が言へる⁉外務省よ、軍部よ、アルゼンチン公使閣下よ。貴下たちは祖国の東北端に飢饉に追い詰められながら巨豪(ママ)に生き抜いてゐる人々を、人種が違ふとおつしゃるのか、働き手を戦線に送らねばならないこれ等の人々が、陽気で有頂天でをられるのだと考へる程、貴下たちはお人好しではよもやあるまいに。天皇陛下のおん為に僕を黙らせることが出来たとしても、真実は土壌に浸みる水のやうに大地の隅々に棲息するものをいつか冬眠からよみがえへらせるだらう。この事実が僕を台なしにするか、後日のエピソードとするかは、かかつて僕自身の怠惰と否とにあるのだーと信じる」(66-67頁)と書いている。

   第6章のほかの作品や、今回は展示されていない同時期の代表作のひとつ『百姓の昼寝』(1938年、東京国立近代美術館所蔵)を見てわかるように、この時期の阿部はひとまず民衆の労働や暮らしをモチーフとしていたといえよう。『見送る人々』の左側の壁面には『顔』(1937年、東京国立近代美術館)が展示されていたが、たくさんの顔を描いた類似作として注目に値する。

 

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(『顔』1937年、東京国立近代美術館所蔵)

 

 ここで唐突だが木下惠介の映画『陸軍』(1944年)とこの絵を簡単に比較してみたい。ラストシーンで出征する息子を追いかけ走る母親の姿が陸軍から批判されたことでも有名な作品だ。木下はおそらく確信犯で「女々しい」と批判されるような母親の感情を作品で表現した。それは「映画はこうあるべき、人間を描くとすればこうあるべき」と信じていることを実行せずにはいられなかったからではないか。

 一方この絵はどうだろう。真っ黒にぽっかり開いた口などは滑稽に見えなくもないが全員がそのように描かれているわけでもない。上に引用した言葉を読むに阿部はこの時期、群衆の様々な表情を材料とした絵の構図へ関心を持っていた。『顔』もその関心の延長線上の作例だろう。木下ほど確信犯ではないにしろ阿部も画家としての関心に沿って素直に制作したように私には思える。民衆の生活を題材にするなかで農耕や漁労と、ある意味で同じような位置づけのテーマとして出征を見送る群衆があり、そこで思い描いていた構図を実現しようとしたのだろう。

 とはいえ阿部にとって民衆の生活は単なる材料ではなかったはずだ。上記の官憲への憤りを見てもわかるように「アルゼンチン公使閣下」らに比べれば、阿部はほぼ民衆の側に立って物事を考え絵を描こうとした。だからこそ自画像をそこに描きこんだのではなかったか。

 ただ、自身を「傍観者」と書いて(描いて)いることから阿部と群衆の間にある微妙な距離を、私は読み取ってしまう。やや冷めた視線で群衆をデフォルメして描きその光景が孕んでいた「何か」を「予感」させるような表現を目指す。そのような立ち位置を画家のとるべきものとして阿部は考えていた。

 

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(『見送る人々』部分)

 

  また阿部はこの絵を「嘘だと誰が言へる⁉」と言う。表現を換えれば、この絵は東北の飢饉の中で生き抜く民衆の生活の「真実」だということだろう。「アルゼンチン公使閣下」の「頽廃不快の印象を与へ、日本人とはどうしても思へない」という評価もある意味でこの絵の核を見抜いているといえるかもしれない。なぜなら当時、真実を描こうとする行為が「反戦」になってしまうことだったのだから(ここで旭川生活図画事件を思い起こしてもいい)。この絵がそもそも二科展に出品され初入選で特選になったことからもわかるように誰にでも初めから時流に抗うものとして受け取られたわけではなかった。

 『見送る人々』における「反戦思想」は阿部が込めたものではない。北海道弁でいうところの「~さる」のように意志に反して、そう織り込まれたように受け取られる、事後的な周囲の状況があった。例えば「アルゼンチン公使閣下」のように「真実」が真実のまま表されて在ると都合が悪い人が勝手に「反戦」を見出したものであるともいえ、結果として強いものになびく連中の間で広まったのだ、という言い方が正しかろう。 

  

 

 

・『見送る人々』の一室のほかの作品について

 

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f:id:kotatusima:20210123164918j:plainf:id:kotatusima:20210123164926j:plain(『見送る人々』の展示室の様子)

 

 この部屋に『見送る人々』と一緒に展示されている他の作品についても考えてみたい。

 左の壁面には先述の通り『顔』(1937年、東京国立近代美術館所蔵)が、右の壁面左側には『野ざらしA(軍歌)』(1971年、青森県立美術館所蔵)が、右側にはシベリアの風景を描いた『シベリアの思い出に』(制作年不詳、青森県立美術館所蔵)が、『見送る人々』の正面にあたる壁には『前夜(太平洋戦争)』(制作年不詳、世田谷美術館所蔵)が展示されていた。

 

f:id:kotatusima:20210124032147j:plain(『野ざらしA(軍歌)』1971年、青森県立美術館所蔵)

 

 『野ざらしA(軍歌)』は、晩年の作品である。ソ連に近い中国東北地方やモンゴルの戦線で目にした光景を思い出し描いたのだろうか。タイトルにしても荒涼とした大地にしても同じく中国大陸に派遣された浜田知明(1917-2018)のシリーズ『初年兵哀歌』を彷彿とさせる。ここでは『見送る人々』のたくさんの顔と野に転がるいくつかの骸骨の対比の意図があるだろう。阿部が「予感せしめ」ようとした出征兵の未来の姿を描いたのかもしれない。

 

f:id:kotatusima:20210124032201j:plain(『シベリアの思い出に』制作年不詳、青森県立美術館

 

 『野ざらしA(軍歌)』の隣にはシベリアで目にしたと思しき教会を描いた『シベリアの思い出に』がかかっている。この絵を見る限りはシベリア抑留の辛く苦しかったであろう経験はあまり想起されない。右端の空にわずかに黄色い日が差しており希望すら感じさせる。針生の評伝の次のような一節を思い浮かべてしまう。「復員後の合成は、軍隊や抑留の時代の自分のつらさ、苦しさについては語らなかったが、「人間どんな状態でも生きられるものだよ」「あのホロンバイルの風景のすばらしさは、和唐をつれていってみせたい」などという言葉で、虜囚の状態でかいまみた絶対の自由だけは、息子の和唐につたえようとしたようだ。」(94頁)。

 

f:id:kotatusima:20210124032224j:plain(『前夜(太平洋戦争)』制作年不詳、世田谷美術館

 

 もう1枚、『見送る人々』と向かい合う位置にある作品『前夜(太平洋戦争)』は、「前夜」と言いながら「太平洋戦争とはこういうものであった」と事後に振り返った絵だろうか。黄色い空は夕刻か朝か判然としない。右側に鋭く波のような何かの軌跡が描かれ左側には何本かの木とともに1基の十字架が描かれている。私はこの絵からは戦争前夜の不穏な空気よりは嵐が過ぎ去ったあとの清々しさ感じてしまう。阿部はここでおそらく死の象徴として十字架を用いている。卒塔婆や墓石、骸骨ではない。阿部はメキシコでのキリスト教への取材から晩年の死や鎮魂、祈りのテーマへと向かうが、私はこの作品の存在を媒介として『見送る人々』と晩年(第1章)の作品が繋がっているように思った。ヨーロッパではなくメキシコを経由したキリスト教受容は阿部を特徴づけるひとつの要素であり、その方面からも作品が検討されるべきだろう。

  

 『見送る人々』と類似作例の『顔』以外の3点の作品はいずれも戦争を題材として戦後に描かれた。この1室によって「阿部にとって戦争とはなんだったのか」という問いを発しようとしているのだろう。その答えを出すのは私には難しい。  

 『見送る人々』の発表によって「反戦画家」の烙印を捺されたことは当然ながら阿部の画業に大きな影響を及ぼした。もし、この絵が軍部などに激賞されていたとしたら。あるいは特に悪い評判が立たずただの入選作として扱われていたらどうだったか。例えば今日の私たちは出征兵の見送りという題材から阿部を好戦的な画家と見たかもしれない。戦後に描かれた作品とともに『見送る人々』を見返すとき、可能性の阿部合成を、パラレルワールドの阿部合成を、ありえたはずの別の阿部合成を思い浮かべずにいられない。この展示室で私は一人の画家の運命を変えた瞬間に数十年を遡って立ち会っているような感覚を覚えた。

 

 

 

・まとめ

 
 針生一郎による評伝は多少の図版はあるものの画家のそれである以上どうしても阿部について十分に知ることができるとは言いにくい。今回、美術館の展示と併せて見ることで奥行きをもって阿部の画業を知ることができた。青森まで行った甲斐は十分にあった。

 『見送る人々』は太平洋戦争へ向かう当時の日本の雰囲気を象徴する日本美術史上重要な作品の一つに違いはないが、以前の私がそうであったように、一般的には「反戦思想」の色がやや強調された状態で受け取られているように感じる。好戦でも反戦でも「絵」は変わらない。変わらずそこにある。絵に描きこもうとした阿部なりの「真実」も変わらない。変わるのは時流だ。時流が画家のひとつの可能性を潰したのだ。画家にとって戦前戦中はさぞ生きにくい時代だったろう。

 さて、いまこの21世紀の日本が、世界が、果たして画家にとって生きやすい世の中なのかというと決してそうではないだろう。「アルゼンチン公使閣下」の「頽廃不快の印象を与へ、日本人とはどうしても思へない」という評価など昨今跋扈するヘイトスピーチと絶望的なまでにそっくりである。

 生誕110年にしてこれほど大規模な回顧展が開かれていることからしても、「真実は土壌に浸みる水のやうに大地の隅々に棲息するもの」を「冬眠からよみがえへらせ」たし、『見送る人々』にまつわる騒動は「後日のエピソード」となったと言えるだろう。時流というのはごく一部の人間の好悪であってなんの根拠もない。阿部は時流におもねることなく絵を描こうとしたが困難もまた多かった。ゆえに針生が「修羅」という語を用いて阿部を評したことを改めて慧眼と言わざるを得ない。混迷を極める社会の中で自分もまた自分自身であり続けることができるだろうか、と鋭く問われる展示だった。

 展示構成からして『見送る人々』を中心に据えた展覧会だったが私個人としてもどうしても『見送る人々』にばかり目が行ってしまった。また機会があればほかの作品も見直して例えば青森の風土を通した考察などもできないかと思っている。従兄の画家である常田健との比較も面白いだろう。いずれ太宰治碑も見てみたい。また近いうちに青森へ行くことになりそうだ。

 

(終)

 

2021.1.26. 一部言い回しを変更、主旨が変わらない範囲で語句を追加

 

『見送る人々』とその一室について(「生誕110周年記念 阿部合成展 修羅をこえて~『愛』の画家」青森県立美術館、2020年11月28日(土)~2021年1月31日(日))前半

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 青森県立美術館の「生誕110周年記念 阿部合成展 修羅をこえて~『愛』の画家」を鑑賞してきた。

 私にとって阿部合成(1910-1972)は、少し前まで名前のほかはほとんど何もしらない画家だった。ただ、どこかで目にしていた代表作の『見送る人々』の印象はとても強く、漠然と時流に抗った作品だったのだろうと想像していた。美術評論家針生一郎による『修羅の画家 評伝阿部合成』という伝記があることも一応知っていて気になる画家のひとりだったが深くは追わずにいた。回顧展が開かれると聞いてせっかくなので2021年の「美術館はじめ」の展示とした。

 展示はやはり『見送る人々』を軸にまとめられており、以下ではこの作品について考えたことを中心に感想を書いた。長くなってしまったので前半と後半に分けた。前半部は主に展示の概要、後半部で『見送る人々』など個別の作品について書いている。

  

目次

 

・阿部合成の生涯

針生一郎『修羅の画家』を読む

・章立てごとの展示概要

・展示名、展示全体の印象、作品配置

・『見送る人々』について(後半)

・『見送る人々』の一室のほかの作品について(後半)

・まとめ(後半)

 

 

 
・阿部合成の生涯

 

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(展示室入口の様子)

 

 まず青森県立美術館ウェブサイトのページを参考に阿部の画業と展示内容を簡単にまとめてみた。

 阿部合成は1910年9月14日に現在の青森市浪岡に生まれ旧制青森中学を卒業。京都市立絵画専門学校で日本画を学び一度帰郷した後、上京して画家としての活動を始める。出征する兵士を見送る情景を描いた『見送る人々』は二科会に入選した出世作であり代表作だが雑誌に掲載された口絵をみた当時の駐アルゼンチン公使内山岩太郎が「頽廃不快の印象を与へ、日本人とはどうしても思へない」と取締りを要請、新聞に大きく報道されたことから「反戦画家」の烙印を捺された阿部は画壇から忌避され、また自らも画壇から距離をおいた。1943年に出征した阿部はシベリア抑留を経て1947年に帰国した。この経験は阿部の性格や作品に大きな影響を与えた。1959年に旅立ったメキシコでは日墨会館に寄宿し現地の日本人から歓待され当地の風俗などに影響をうけながら日本画やメキシコの壁画などの要素をとりいれ新たな画風を作り上げた。1960年10月帰国。1963-4年には再びメキシコに滞在。帰国直後の1965年には五所川原市金木町の芦野公園の「太宰治碑」を手掛け、以後1972年に亡くなるまで死、鎮魂、祈りをテーマとした。今回の展示では青森県立美術館が所蔵する約140点を中心にメキシコ滞在期に制作された作品も含め初期から絶筆まで油彩作品を約200点展示し、全貌を紹介する過去最大の回顧展となっている。

 

 

 

針生一郎『修羅の画家 評伝阿部合成』を読む

 

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(『修羅の画家 評伝阿部合成』書影) 

 

 今回、回顧展に行くことをきっかけに針生一郎による評伝を予習のつもりで読んだ(以下のページ数はすべてこの本からの引用箇所を示す)。

 この伝記は由利子夫人の手記を元に各種資料に当たって書き下ろされたものだ。淡々とした語り口は、やや「修羅」などという題と比較すると熱に欠け突き放したような冷静な文体だという感じを与えるが、合成が知人や夫人に宛てた手紙からの引用が却って目立つ効果を生んでいたと思う。

 伝記の最初は夫人が中年の阿部合成と出会った場面の述懐から始まり、そこで抱かせる画家の印象は「ゴリラ」(10頁)などと喩えられることからもわかるように豪快な変人の姿だ。阿部合成は太宰治と中学の同級生であり、学生の頃はどちらも作文や詩作を得意とし、しかも地主かつ政治家の息子でもあって非常に似た境遇にあった。合成はのち家業を手伝い小作人と契約を交わしたりもしていたようである。修羅とは醜く果てのない争いの意味である。画家の苦悩は芸術上のもの(自らが描くべき絵とはどのようなものか、など)ももちろん大きかったのだろうが、初めの妻との結婚関係、具体的にいえば金策も含めた家庭の維持もあり、戦後までは地主の立場への疑問でもあり、戦中の「反戦画家」の烙印、シベリア抑留を経て戻った戦後日本の姿もその悩みの対象としていたのだろう。阿部は日本でも制作のため滞在したメキシコでも一貫して民衆を描き、「修羅」を描き続けたと言ってもいいのかもしれない。評伝を読む限りでは、絵が評価されないことはもちろん人間関係や経済的な悩みの印象が強かった。ある意味で非常に俗な側面を持ち、であるからこそ切実に訴えかけてくるテーマとを持った画家なのだろう。以上がこの評伝のだいたいの感想である。

  

 

 

・章立てごとの展示概要

  

 今回の展示はモチーフごとに6つの章にわかれている。 年代順ではない。だが最初の部屋がもっとも新しい作品群で、最後の部屋で初期の代表作たる「見送る人々」へ展示を収斂させていくような構成になっていて、おぼろげに時間を遡っていくような感覚があった。各章はだいたい次のような内容になっていた。

 

  

f:id:kotatusima:20210123162524j:plain(第1章)

f:id:kotatusima:20210123201336j:plain(第1章、左から『ミイラ・声なき人々の群れB』1966年、『埋められた人々A』1966年、『埋められた人々B』1969年、青森県立美術館所蔵)

 

「第1章 祈りと鎮魂」は、晩年の亡者を描いた作品群を主に展示。太宰治碑の制作やメキシコ滞在を経て、戦争と抑留の体験が昇華されたものと位置付けている。

 

f:id:kotatusima:20210123162531j:plain(第2章)

f:id:kotatusima:20210123162852j:plain(第2章の次にくる印象的な3点。章立てとしては第1章に含まれる。左から、『インデオたちの祈り』、『マリヤ・声なき人々の群れA』、『インデオたちの祈り』いずれも1966年、青森県立美術館所蔵)f:id:kotatusima:20210123201112j:plain(左から1968年の『埋葬』(2点組)、1939年の『小さな埋葬』。どちらも栃木県立美術館所蔵)

 

 「第2章 故郷と家族」では家族や故郷の風景、祭りや民衆の生活を描いた作品を紹介。メキシコで書かれた3点は祭壇画のようで、この展示の前半のハイライトのひとつといえよう。特に埋葬を主題とする2点の作品は人物のポーズなどが共通するがそれぞれ戦前と戦後に描かれており、通底するテーマと画業の変遷を見て取れる。

 

 

f:id:kotatusima:20210123162602j:plain(第3章)

f:id:kotatusima:20210123204930j:plain(第3章、花を描いた作品を集めた壁面)

f:id:kotatusima:20210123204936j:plain(デッサンなど)

 

 「第3章 愛するものたち~様々な主題」では、動物、風景、人物、花など合成が生涯を通じて描いた様々な主題の作品を展示。阿部のモチーフの幅の広さがうかがえる一方、他の章にうまく収まらなかった作品をまとめた一角なのだな、という印象は拭えない。

 

 

f:id:kotatusima:20210123163926j:plain(第4章)

f:id:kotatusima:20210123204942j:plain(第4章、太宰治碑のための素描(スケッチブック)、青森県立美術館所蔵)

 

 「第4章 海を見る詩人 ~太宰治、山岸外史、文学者たち」は小さいコーナーで、評論家の山岸外史をモチーフとした絵や文学者たちとの交流を示す装丁の仕事、太宰治碑のエスキース新聞小説の挿絵などを展示。

 

 

f:id:kotatusima:20210123162901j:plain(第5章)

f:id:kotatusima:20210123204130j:plain(第5章、風船売りの作品群)

f:id:kotatusima:20210123204138j:plain(第5章、ピエロの作品群)

 

 「第5章 メキシコ、サーカス、道化」では板を彫り込み砂などを塗りこめて作られた特徴的なメキシコでの作品や、メキシコで目にし晩年まで描かれた闘牛士や風船売り、サーカスをモチーフにした作品を1室にまとめている。

 

f:id:kotatusima:20210123162928j:plain(第6章1室)

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(第6章、『鱈をかつぐ人』1937年頃、神奈川県立近代美術館所蔵)

f:id:kotatusima:20210123163009j:plain(第6章2室)

 

   「第6章 『見送る人々』と壁画の夢」では『見送る人々』と同時期の阿部の関心を示す作品を展開。従兄弟の常田健ルネサンス美術やメキシコ壁画運動を研究するグループを作ったころにともに旧居に描いた壁画などを展示していた。

  

 

 
・展示名、展示全体の印象、作品配置

  

 展示名「修羅をこえて~『愛』の画家」は「修羅」を針生の評伝の題からとっていて、一見「修羅」よりも「愛」の側面を強調したいようでもあるが、実際は一種の解釈の幅の中での表現で、阿部は「修羅」の画家であり「愛」の画家であると呼ぶ方が相応しかろう。どうしても針生の評伝をベースにして展示をみてしまったきらいはあるが私としては「修羅」の印象が大きく覆ることはなかった。
 作品の色合いは初期はバーントアンバー系の茶の混じったような感じで年々彩度がきつくカラフルになっていったようだ。日本画を学んだ阿部だが青森では寒くて膠がすぐ固まってしまうため卒業後は油絵を描くようになったらしい(58頁)。あえて日本画風の特徴を指摘するとすれば特に戦後の作品にみられる簡略化されたタッチには水墨画のような筆の動きへの意識が感じられるし、いくつかの絵のざらざらしたマチエールも日本画の顔料を思わせないこともない。

 展示風景で印象的なのは小作品が多いことで、例えば針生も阿部の60年代後半の制作について次のように書いている。「無名で異端の画家だった時代は、生活にも追われていたから、計画され描きこまれた少数の作品に限定せざるをえなかったが、この時期は自由な制作に集中できて大作への意欲も捨てきれない一方、当面の仮住まいを由利子のために何とかしたい、という気持ちもあったにちがいない。それだけに円熟にむかうべき時期に、彼は酔いにまかせて即興の詩を口ずさむように、筆の走るままに小品ばかり描きすぎた、という批判も周囲にはある」(210頁)。「修羅」の画家らしいと言うべきか、生活に追われつつ必死で絵を描き続けた集積だと思うと見ていて少し胸が痛くなる。小作品の多さゆえ二段で作品が掛かっている壁面もあり、同じモチーフの作品の関係性は把握しやすいもののやや窮屈で少なくとも一点一点をじっくり見せるような配置ではないと感じた。カタログレゾネのページをめくった時に羅列された小さい作品画像が目に入った時のことを思い起こさせた。

 また、4章を除くすべての章のはじめに自画像が置かれていたのが目についた。『見送る人々』は絵の右半分には阿部自身や家族、知人の姿が描きこまれており、この作品をひとつの自画像であるとすれば各章の自画像は第6章への伏線と捉えることができるだろう。

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(左から『自画像(絶筆)』1972年、『自画像』1947年、『自画像』1947年、『自画像』1960年、以上青森県立美術館、『自画像』1936年、神奈川県立近代美術館

  

  

 

 後半に続く・・・。

 

 

 

(続きはこちら)

kotatusima.hatenablog.com

 

2021.1.26. 一部主旨が変わらない範囲で言い回しを変更、語句追加