こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

松前から函館へ日記②

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松前、寺町の猫)

 

 

 

 の続き。松前へ3年ぶりに行きました。以前松前へ来たのはあるアーティスト向けプログラムの一環でした。今回はほぼ丸一日というわずかな時間ながらも、その時見られなかった場所に行ってみたりもう一度見たい場所に行ったりしてなかなか充実していました。

 まずは宿へ荷物を置きに。

 

 

 

・3年ぶりの松前

 

2019.4.27. ②

 

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 バスを降り荷物を宿に預けようと歩き出す。傘をさすべきか迷う程度の小雨で、咲きかけた桜もしぼんで見える。前日に見た相原求一朗の作品を思い起こさせる。まるで呪いのような曇り空だ。少し気分が沈む。

 民家に混じって旅館や松前漬けの工場が並ぶ通りに今回の宿はある。愛想の良いおかみさんが出てきて応対してくださった。荷物だけ預けるつもりだったがもう準備ができているとのことだったので部屋まで行って一息ついた。内部は旅館と民宿の間のような雰囲気だった。廊下の角に大きな木彫り熊が置かれていた。

 

 

 

 ・ゴミ箱?


 町を歩くと住宅の横に蓋つきの箱が置いてあるのに気がついた。これはどうやらゴミを入れておくものらしい。生ゴミを海鳥や野良猫があさるからだろうか。なぜこのようにゴミを管理しているのかわからないけれど、バリエーションがあって楽しい。以下、今回見かけて写真を撮ったものを並べてみた。

  

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・専念寺

 

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 まず専念寺へ。近寄ると山門の梁や彫刻が黒く焦げている部分があるのがわかる。スマホで調べると明治以来2度の火災に遭っているということがわかった。一見、蝦夷地の念仏布教の中心となり大きな影響力を持った名刹には思えない。だがこの立派な山門のように往時の繁栄を思わせる痕跡がある。敢えてみすぼらしく炭化した古材を使い続けたことで松前の辿った歴史に思いをはせることができるのだ。

  

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・花盛りの松前城

 

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 松前では、普通の住宅のように見えてもちょっと立派な石垣をもっていたりする。聞くところによると松前城が廃城になったあとの石垣を再利用して使ったところがあるらしい。

 

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 雨に濡れた石畳に滑らないよう気をつけながら寺町を抜け松前城の方へ歩いていく。だんだん人通りが増えてきた。屋台もいくつもあった。今はちょうど「さくらまつり」の時期である。城下は観光客向けに沢山の桜が植えられていて、ゴールデンウィークは毎年賑わうということは知っていた。

 途中、3年前にもお参りした蠣崎波響の墓へ立ち寄った。

 私はこの3年の間に、波響の代表作である「夷酋列像」を自作で参照し模写までした。草葉の陰で波響は苦笑しているだろうか。気恥ずかしい墓参であった。

 

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 松前神社の裏手に出ると雨にも関わらず大勢のひとが行き交い桜を見たり写真に撮ったりして談笑しあたりを散策していた。

 

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 城の裏手には一本の木で白とピンクの花を咲かせる桜があった。そのすぐ横には幕末に松前藩内でクーデターを起こした田崎東(たざきあずま)の碑がある。

 松前神社では松前藩の祖である武田信広が祀られている。州浜型の手水鉢もなかなか凝っている。前回来た時はまだ場所請負人の知識などは僕にはなかったが、石造りの鳥居を見ると場所請負人らしき名前があった。そのことがわかるようになったのが嬉しい。

 すぐ近くにあった福山城跡の案内看板には「紀元二千六百年紀念」とあった。戦前戦中に流行った天皇を中心とする国家観。松前藩が置かれてきた「日本」の中での立ち位置。そしてアイヌとの関係やロシアとの関係について一瞬考えてみる。

  

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 ・阿吽寺

 

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 次に阿吽寺へ。伝説では嘉吉三(1443)年に南部氏との戦いに敗れた安東盛季が蝦夷地に逃れ、津軽の旧跡に因んで一宇を建てたことに始まるとされる寺院である。元和三(1617)年に現在地に移り、福山城の鬼門を守り松前藩祈願所とされた。本尊の不動明王は11世紀末~12世紀頃の作といわれ、他に松前家五世慶広の木像など所蔵している文化財も多い。

  

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 ここに来たのは初めてではない。3年前ふらっと立ち寄って扉を開けた私は、壁に所狭しと並ぶ鮮やかな色の船絵馬や銭を使った奉納額を目にし「こういう風に信仰を形にしたものがあるのか・・・!しかも北海道のこの小さなてらに!」と驚いたのだった。それが北海道の歴史、特に和人の歴史を追うひとつのきっかけとなり、また絵馬に対しても興味を持ったきっかけとなって今に繋がっている。
 その時はただ見ただけだったが、今日はたくさん写真を撮らせてもらうつもりではるばる来た。しかるべきところに問い合わせたり、それなりに準備しての再訪だった。

 ちょうど住職さん?の奥様がいらしゃったので撮影可能かどうか訊ねると二つ返事で了承してくださり、しかも奥の院の本尊や五世慶広の木像まで見せてもらえるという。親切で寛大な対応に感激した。重厚な蔵の扉が開く。

 まず丁寧にご本尊に手を合わせてから、いよいよ文化財を見せてもらう。

  

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 奥の院は蔵のような造りで、幕末にロシアの脅威に備えて松前城を改修した際の建築らしいとのことだ。漆喰で作られた壁が貴重な宝物を箱館戦争などの火事から守り、いまここで私の目の前にあるのだ。そう思うと身震いした。

 
 内部は暗いので照明器具がいくつか置かれている。スイッチを入れると宝物が照らされて闇に浮かび上がった。

 

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 まず五世松前慶広木像を見る。右手に笏を持ち烏帽子を被った姿である。胸には家紋の武田菱。その顔は髭を蓄えず、きれいな弧を描く眉は仏像を思わせる。割と幼い容貌である。豊臣秀吉徳川家康と渡り合い、蝦夷地の支配を確立し以後の松前藩の基礎を築いた人物にはとても見えない。そして像のサイズは意外に小さい。

 像が載っている台には古びた布が掛けられていた。もしや蝦夷錦かと思ったが中国の皇帝を示す龍の刺繍がない。しかし、相当な年代物のようには見える。私がこの古布を蝦夷錦かと推測したのは松前慶広には蝦夷錦にまつわるエピソードがあるからだ。もし、松前藩主の像の下に蝦夷錦が敷かれていたら・・・。その意味をちょっと考えてみたくなる。

 

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  本尊の不動明王は丸みのある体つきが優しく、親しみやすい雰囲気があった。煤で黒くなってきてはいるが彩色も残っている。截金もみえる。少し高い位置にある像を下から覗き込むと、背後から頭部前面に左回りに火焔が回り込む凝った作りであることがわかった。

 阿吽寺の山号は海渡山である。鎌倉時代室町時代かわからないが、いつの頃かこの不動明王像も津軽海峡を渡ってここへきたはずだ。港から港へ海を渡り船の上で生計を立てるような人々にとって、この像の存在がどれだけの支えになってきたことか。

 

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 絵馬も一通り写真に撮らせてもらう。やはり、いわゆる船絵馬が多い。いくつかガラス絵もあった。

 

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に続く)

 

 

 

松前から函館へ日記①

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羽田空港の飛行機、離陸前) 

 
 

 

 3年ぶりに松前、そして函館へ行きました。その日記です。まずは札幌へ。そして高速バスで函館へ行き、木古内まで電車。木古内からはバスで松前へ行きました。

 

 

 

・10連休の空港

 

2019.4.26.

  

 前日の晩は23時には布団に入ったのだがなかなか寝付けず、結局は5時間も寝られたのかどうか。

 5時に起床。荷物をまとめていると、はや6時になっていた。家を出る。

 

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 いま住んでいるところから羽田空港に向かうのは初めてだ。1時間もあれば着くだろうと思っていたのが間違いで、着いたのが搭乗締め切り30分ほど前。しかもわざわざカウンターで払わなければならない不足金があった。こういう時に限ってトイレに行きたくなったり、保安検査もやり直しになる。一連の搭乗手続きはギリギリになってしまったが、なんとか間に合った。東京に住み始めてから北海道へは飛行機で10回以上移動している。慣れすぎると今回のように慌てる羽目になることがよくわかって反省した。

 10連休などというおかしなカレンダーのせいか、普段よりどこも混雑しているように見える。

 朝食を食べていなかったのでヒレカツサンドを買った。この類のいわゆる空弁など今まで一度も食べたことがなかった。予想通りやわらかくて食べやすい。8時ころ北海道の新千歳空港に向けて飛行機は離陸した。あちこち走り回ったのですっかりへとへとだ。搭乗してサンドイッチを食べるとすぐ寝てしまった。

 乗務員さんの「まもなく着陸するのでテーブルを元の位置に戻してください!」という声で目が覚めた。窓外は目をさすような晴れた空と白い雲だったのが、いつのまにか北海道の上に広がる曇り空に変わっていた。

 この「上空から見下ろす視点」を人間が手に入れてどれほどの年月が経ったのだろう。だんだんと近づいてくる地面を見ながら思った。

  

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・札幌で展示を見る

 

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 飛行機はほぼ定刻通り9時30分に新千歳空港に到着。天気は曇り。空港に降り立つと冷たい空気に背筋が少し伸びた。

 荷物を受け取り10時には電車で札幌へ向かう。札幌へは昨年11月に自分が企画した展示のため帰ってきて以来だ。途中、車窓から見えた北広島の白い恋人の工場には気温6.5度の表示があった。まだまだ寒い。

 

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 昼食にパンを適当に買って食べ、12時30分頃から札幌の北海道立近代美術館を見る。少し桜が咲いていた。

 

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 相原求一朗という川越在住で北海道を描き続けた風景画家の回顧展だった。この展示で初めて知った画家だ。家業を続けながら公募展に出し続け、画集の出版や安井賞審査員を経て個人名を冠した美術館ができるという経歴を見るに、公募展に属する作家や兼業作家の一つの理想の人生だったのではないかと思える。もちろん兼業としての苦労も多かったろうとも思う。

 抽象画が流行る中で自分の描きたい絵について悩み、北海道の風景に抽象画的なものを見出したことが画業の転機になったのだという。そういう「抽象か具象か」みたいな問いには、現代と当時それぞれの時代が持っていた命題というか時代性の、大きな隔たりを感じてしまう。

 作風としては鋭いナイフの使い方が印象に残った。

 (展覧会特設ページ:http://event.hokkaido-np.co.jp/aihara/

 

 常設展示では松前藩家老で絵師だった蠣崎波響の特集。写真撮影不可。図録でしか見たことがなかった個人蔵の作品も何点かでていた。

 

 そのあと、北海道文化財団併設のギャラリーなど見て、ゴールデンウィーク美深町での滞在制作に備えて少し画材やスケッチブックを買い足す。

 一日中あまり天気は良くなく、夜になると雨が降り始めた。

 

 

 

 ・函館へ、木古内へ、松前

 

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 夕食を食べ23時55分発函館方面行きの高速バスに乗る。二号車だった。やはり混雑しているようだ。普通、高速バス車内は奥が女性、手前に男性が座るようになっているが、席の間違いがあったようで奥の方が少しざわついていた。大きな混乱にはならずに済んだようだ。

 北海道の高速バスはたいてい三列シートでトイレ付きだ。必要な設備は十分整っている。内地の劣悪な高速バスに度々乗っている身からすればかなり楽であると感じる。

 東京から北海道への移動の疲れからか、比較的すんなりと眠れた。

  

 

 

2019.4.27.

 

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函館駅) 

 

 運転手のアナウンスで目が覚めた。函館市内に入ると何箇所かで停車する。函館駅で降りないと湯の川温泉まで行くはめになるから到着まで20分くらいウトウトしながら寝ることもできずぼーっとしていた。高速バスという環境であるから布団に寝たときのような深い睡眠だった訳ではないが、比較的気持ちのいい目覚めであった。高速バスを乗り切った独特の達成感と倦怠感があった。

 函館駅前で下車。雨は止んでいない。

 駅に入ると、高速バスから吐き出されたであろう人たちが特にやることもなくわらわらと気怠さをまとうようにベンチのまわりに集まって佇んでいた。その傍らで僕は腰を落ち着け、持ってきたおにぎりを食べた。

 高速バス乗客への配慮なのか、なんと駅構内のコンビニは5時45分から開く。やることもないのでコンビニで資料を印刷したり読み込んだりして電車を待っていた。外に出ようかと思ったが寒そうだしまだ小雨が降っていたので体力温存のため止めた。

 

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 7時07分発のいさりび鉄道で木古内駅へ。座席にはちらほら観光客らしき乗客がいたけれど、地元の方が多いようだ。それでも乗客はまばら。

 すれ違う函館方面への電車の方が断然たくさんの客が乗っていた。

 気になっていた七重浜駅からは海は見えなかった。

 途中、少し寝た。泉沢駅では電車を見送るおじさんがいた。3年前にもどこかの駅で電車を見送る人を見た覚えがあるが、もっと年を取ったおじいさんだった気がする。

 線路沿いの道は、車は多少走っているほか人の姿はほぼない。雨はまだ降っている。

 

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 8時07分、ほぼ函館から1時間で時刻表通りに木古内に着く。まだここでも小雨が降っていた。時間つぶしに浜に出る。鳥居が海を背に立っている。ここで寒中みそぎが行われるのだろう。地層のような模様がついた小石を拾う。

 

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 駅のきれいなトイレに寄り、バス停に戻ると木古内の観光課の人なのか、行き先を案内しているおねえさんがバスの運転手と話している。

 

松前も降ってた?」

「寒い、まだ降ってる」

ゴールデンウィーク初日からこれだもね~」

 

と、苦笑しながらのやりとりが聞こえた。

  

 乗客は、観光客らしいおじさんが2、3人いるほかは地元のおじいちゃんおばあちゃんや中学生数人という感じだった。もしこの辺りに観光に来るとしても、車で移動する人が多かろう。バスはもっぱら地元の人の足なのだろう。

 

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 9時05分発。すぐ10分しないで知内町に入った。窓の外に「知内春のカキ祭り」の看板が見えた。

 街を過ぎるとバスは少し内陸を走る。

 知内温泉に「八百年の歴史」と書いてあるのを見た。さすが道南である。800年は誇張かもしれないが、いわゆる渡党や道南十二館のことを思い起こせば「500年の歴史!」くらいは言ってもいい。

 車内の放送で度々「函館バスいかすみもか・・・」と聞こえた。これは函館バス函館市電で使える「ICAS nimoca (イカすニモカ )」というICカードのことらしい。「いかすみ」ではなかった。JRは函館駅から木古内駅までICカードが使えないのに、木古内から松前までのバスではスイカも含めてICカードが使えるのだ。このことは以前来た時に気づいて不思議に思った。

 

 福島町のあたりからうとうと。寝ぼけて携帯を床に落としたら後ろに座っていたおばあちゃんがとってくれた。

「なんが携帯みたいの落ちてる、とってやるとってやる」

「すいません、ありがとうございます」

「だいじょぶか?壊れねぇか?」

 

と、優しく声をかけてもらった。

  

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 相変わらずの曇り空だがいつのまにか雨はやんでいた。漁業集落の間を抜けながら、3年ぶりの松前町が見えてくる。

 

 

 

へ続く)

 

大友真志“Mourai”を見て(大友真志作品の第一印象)

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(会場の様子)

 
2019.3.26.

 

 


 新宿のphotographers galleryで開かれていた大友真志さんの個展“Mourai”へ行った。(https://pg-web.net/exhibition/mourai/

 

 大友さんの作品は以前札幌で見たことがある。その時はグループ展(https://pg-web.net/news/masashi-otomo20141230/)の中の参加者のお一人だったこともあって北海道の風景やご家族のポートレートを撮る写真家であることを確認した程度だった。それ以上の感想は抱かなかった。いや、抱けなかったのかもしれない。改めてその展示の図録に載っている解説を読んでみたが、大胆に深い解釈に踏み込むというよりはどこか慎重な、作品の表面をなぞるような印象を受けた。そのような記述に共感できる程度に私は大友作品の雄弁ではない様を感じていたし、言い換えれば作品の語りにくさを感じていたのかもしれない。

 

 今回のphotographers galleryの展示は2室あった。

 

 大友さんは“Mourai”というタイトルのシリーズを以前から何度も発表している。自身の祖父が生まれた場所の名前である「望来」を冠したそれは、北海道の風景写真を中心として構成され家族の肖像や植木鉢などの静物、実家の庭なども被写体に含まれている。

 第1室は20点ほど横長の北海道の風景写真が並ぶ。第2室は大友さん、大友さんの父、大友さんの母のそれぞれのポートレートがあり、大友さんの写真に向かい合うように花咲く水辺の写真が壁に貼ってあった。

 

 風景写真はどちらかというと空は曇りがちで、晴れの日の写真は少ないように思った。水辺の写真も多い。川を撮ったもの、草原を撮ったもの、納屋を撮ったものなどがある。私にとってそれらは北海道のありふれた風景のように思え、懐かしさを覚える。だがこれを北海道になじみの薄い人がみれば植生の違いや気候の違いなどを感じ取って異国や異郷という言葉を思い浮かべるのかもしれない。

 ありふれた風景といっても作品からはスナップ的な軽さは感じず、しっかりと狙いを定めて対象を選び取った上で撮影していることが伝わってくる。風景は静止するでもなく動くでもなく、そこに在るものとして撮られている。モチーフからは象徴的であったりスペクタクル的であると感じられることは少ない。「ありふれた風景」、「特別ではない風景」、と私が形容してしまったそれらは、かえって「ありふれた風景などない」、「特別ではないものなどない」、ということを静かに囁いているようにも思える。

 写真の中心となるモチーフがあることにはあるのだが、それを中心化するのではなくその光景をそれ全体として捉えている。しかし写真に一切合切を詰め込もうというのでもなく、些細なものも不自然にならない範囲で取り込もうとしているようである。第2室にあるようなポートレートでも人物以外の椅子などにも自然と視線を注いでしまう。鉢植えを撮った静物の写真でもそれは共通している。その場で切り取られた光景をそのまま写真に撮ろうとする様は、何を撮ってもある意味で風景写真のようだと言えるかもしれない。ふと、そのような作品を眺める鑑賞者の目つきは、過去の写真からその写真が撮られた時代の風俗を類推するような時のそれに近いのではないだろうか、と考えてしまった。トークイベントで大友さんが田本研造に言及していたのを聞いた後だからかもしれない。

  

 写真に限らず何かを作品化するというのは、ありふれたものを特別な何かにしてしまうことだと思う。その手付きは、例えば何かを切り取って、名付け、展示することだ。そこには権威が伴う。

 大友さんの写真はどうだろう。風景に対峙し、はっきりと撮影者の意図をもって切り取ろうとしているように思う。そして撮られた写真は極めて決定的ではないものを写している。そこでは巧妙に特別なものや象徴的なものが避けられている。

 “Mourai”は、ある意味で作品化しながら作品化を拒むような視点がある。そこに幾許かの物足りなさを覚える人もいるかもしれない。しかしそれこそが作品を作品たらしめている理由なのではないだろうか。二律背反や葛藤をきちんと抱えた上での、腰の座った厳しさやストイックさがそこからは感じられた。

 

 

 

(終)

 

 

 

五美大展 (平成30年度 第42回 東京五美術大学連合卒業・終了制作展)のよかった作品

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 (会場の壁)
 

 

 平成30年度 第42回 東京五美術大学連合卒業・終了制作展(通称・五美大展)に行った。毎年莫大な量の作品に圧倒されて疲れるので今年は行くつもりはなかったのだがなんとなく気まぐれで行ってしまった。

 なお、作品情報は会場のキャプションに基づきます。

 

 

 ◯東京造形大学
 

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・「人物」油彩、キャンバス 240×350cm 小泉権之亮

 

 2018年6月にカナダで行われたG7首脳会合の際に撮られた写真を元にした絵である。かなり厚塗りのコテコテのマチエールで描かれている。こういうマチエールが好きな作家なのだろう。このマチエールでこの場面を描くことにほとんど必然性はないと思う。この絵の元になった写真が絵画っぽくて魅力的な構図なのだということに気づかされたのがよかった(この絵を見ただけで私がG7の写真だと思い出せたことがすぐれた構図であることを裏付けているように感じる)。宮本三郎戦争画「山下、パーシバル両司令官会見図」や、井上長三郎の政治風刺的な絵画を思い出した。

 

 

 

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・「Are You on Neutral Ground ?」ターポリン、インクジェットプリント 103×145cm  中村元

 

 石に、看板に、「Are You on Neutral Ground ?」、「あなたは中立ですか?」と書かれている。シンプルながら普遍的でしかも現代に合っているメッセージを使っているのがズルい。まさに先日行われた辺野古埋め立てに関する沖縄県民投票で「どちらでもない」などというほとんど詐欺めいたくだらない選択肢が入れられる、そういう現代において、噛みしめたい一言だ。「あなたは中立ですか?」。

 

 

 

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・「Gray and color #4」キャンバス、油彩 高橋稜

 

 三点の展示。魅力的な絵だと思う。どれも既視感はあるけれど左の小さい作品が不思議と好きになった。

 

 

 

 ◯日本大学芸術学部

 

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・「Your warmth」石 宮崎虹季

 

 台の上に異様にすべすべとした石が並んでいた。これは拾ってきた石を並べただけの作品なのか、それとも気に入った石を磨きまくった作品なのか気になった。何が言いたいかというと、僕は石が好きだということだ。

 

 

 

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・「冬」窓、セロハンテープ 並木円花

 

 セロハンテープを貼ってから割った窓に美しさを見出して展示しているだけなのだとしたらさほど面白みはないけれど「冬」という作品名がいいなと思った。たしかに冬っぽい。

 

 

 

 ◯多摩美術大学

 

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・「土の記憶」ミクストメディア 米山早希

 

 会場側の都合で実現できなかったが本来は54か所の土を採取しテキストと共に展示する作品らしい。今回は福島県内の土について提示してある。五美大展の後に大学での展示が控えていると、こういう宣伝みたいな展示ができるのがいいなと思った。あと床置きの木箱に写真が入っているのが素敵だと思った。

 

 

 

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・「Drive on rainy day 」布、アクリル 井上瑞貴

 タイトルから推測するに車を描いているらしい。とても車には見えないがなんだかかわいい。魅力がある。

 

 

 

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f:id:kotatusima:20190225232243j:plain・「身から出た」ミクストメディア 佐藤亜衣

 

 作家の部屋で見つかったなんだかよくわからないモノの用途を鑑賞者が考えてノートに書き込める参加型の作品。タイトルが好きになれないが、ちゃんとノートが面白いし、誰も不幸にならない感じでよく考えてあるなと思った。こういう仕組みを作れる人はたぶんかしこいのだろう。

 

 

 

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 ・「逃げたい人の絵」ミクストメディア 入江姫加

 

 プラモみたいに男女?が形作られている。デフォルメが魅力的。素材が一見わからなくておもしろかった。タイトルもなんだか気になる。何から逃げたいんだろう?

 

 

 

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 ・「専用キャンバス」キャンバス、油彩、アクリル 中屋胡桃 

 

 いろんな食べものがその輪郭にあわせた形のキャンバスに描かれている。単に身の回りのものを描いただけでなく、一応それぞれのモチーフの専用のキャンバスであるという設定が面白いし、その割に輪郭をなぞることがぜんぜん徹底していないのも面白い。まじめに絵画論を研究している人達をあざ笑うみたいだ。個人的には「すあま」の「専用キャンバス」が好きだった。売って欲しい。

 

 

 

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・「Complex521(The bombing in 91')」パネル、ミクストメディア 溝田悠太 ※写真はいずれも部分

 

 マチエールが魅力的だった。

 

 

 

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・「herstories」綿布、油彩 中尾江利

 

 人数が少ないけどアテネの学堂を下敷きにして女性の歴史に言及した絵らしい。どうでもいいけどなぜ木枠に張らなかったのだろう。

 

 

 

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 ・(上)「生老美思」リトグラフ、木版 (下左)「二十代母の焼き付け」リトグラフ (下右)「MIYOU」リトグラフ 太田美葉

 

 版画のポートレート。ポージングや背景の設定がうまいのだろう、人物がすごく魅力的に見える。

 

 

 

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 ・(左)「おだやかな青」(右)「しずかな青」水性木版 毛利万菜美

 

 駅を横構図で捉えるのも細かく分割して描くのも普通だが、抑え目の色合いとホームの下の線路までちゃんと描いているのが好きだった。一点一点にちゃんとサインもしてある。

 

 

 

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・「慰霊」高知麻紙、白土、緑土、水干絵具 高橋和

 

 かなり近くに寄らないと何が描かれているかわからない。というより、ほとんどゼロ距離で見ても何が描かれているかわからない。薄い線描で花や果物が描かれているようだ。鑑賞するのがかなりしんどい。そのぶん自然と目を凝らしてしまうということもなくはないが・・・。描くのもかなりしんどいのではないか?高い美意識があるのだろうことは感じられた。かかっている労力の割に評価がされなさそうだなと思ってしまった。

 

 

 
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 ・「海眼」三彩紙、岩絵具、箔 楽嘉怡

 

 渓斎英泉?あたりの錦絵の美人を持ってきてゴージャスに描いている。よく学生の日本画で(たまに油画でも)なんとなく浮世絵風のタッチで描かれた絵を見ることがある。しばしば現代の風物と過去の風物をまぜこぜにして描いたりして面白くしようとして失敗しているのだが、この作品に関しては作家の高い描写力のおかげか非常に魅力的で妖しげな美人が描かれていて良い。色も渋さと派手さが調和していて素敵だ。この美人を抜き出した小品が売っていたら欲しい。ただ画面中央の富士山と波が埋没してしまっているのが残念だ。

 

 

 

 ◯女子美術大学

 

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・「Autonomous thought (自立的思想)」紙、インク、クレヨン、キャンバス 41×31.8  松島千晶

 

 全然意味わかんないんだけど、他の学生の多くが大作をバンバン出品する中でこういう小品を出してそれでけっこう様になっていてかっこいいのがすごい。

 

 

 
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・「Personality」銅版画 30×20cm15点組 渡邊萌菜
 

 銅版画。バッキバキに割れたスマートフォンの画面を描いている。ありふれた日常の光景だがとても今っぽくていい。それだけではなく技法的にも面白い。画面のヒビがドライポイントで描写されている。ドライポイントとは銅版画の技法の一種で、丈夫なニードルで銅板に直接傷をつけ描画する方法をさす。つまり、傷を再現するのに版の上でも傷がつけられているわけだ。ドライポイントの特徴はその「にじみ」とも形容される生々しい太さをもった線だが、液晶の傷のにじみをうまく表現していると思う。

 

 

 

 ◯武蔵野美術大学

 

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 ・「簡易な装置」 石井雅人

 まったく名は体を表すというか、布団用の洗濯ばさみ?にモーターがついて床で回転していた。キャプションが作品にペタッと貼られているのがいい。

 

 

 
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・「自然体2」 鴇田拓真

 

 段ボールでコ汚いおばさんが作られている。結構でかい。遠くから見ても近くから見ても段ボールの造形だと分かるのだが、不思議と安っぽい感じがせず、すべての段ボールがあるべきところにあるべき形で用いられている感じ。造形物としてのレベルの高い説得力があった。タイトルもいい。

 

 

 

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・「手向ける」 東原茉梨奈

  

 壁から頭が生えていて、いろんな髪型が作ってある。どうやら本物の髪の毛を使っているらしく、少し生々しくて気持ち悪さを感じる人もいるかもしれない。これだけ毛を集めるのは大変だろう。この作品とは無関係かもしれないが江戸時代に北前船などが難波すると船乗りは金比羅大権現に祈願するのに最後は髷を切って祈る。そして無事生還したのちに髷が貼り付けられた額を奉納したりするのだが、それを思い出した。「手向ける」とは誰に対してなのだろうか。

 

 

 

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 ・「共に」 倉脇優介

 

 両側の車のハンドルを回転させることで進むことができ、中央の板に人などを載せられる。スチームパンク風の駕籠みたいなものだ。造形がかっこいい。

 

 

 

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 ・「untitled」 大塚美穂

 

 4点展示されていたうちの、この2点がいい。細かく装飾的に描き込んで化け物のような物をモノクロで表現するのは銅版画だとベタ中のベタだと思うけれど、なぜか作家性が感じられた。もっとたくさん見たい。

 

 

 

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 ・「border line」 新井あかね
 

 背景の日本画の画材がきれいだった。かわいい。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 何しろ数が多いので疲れるから行きたくなかったのだが、やはり行けばそれなりに面白い作品を見出すことができた。というより、これだけたくさんの作品があれば一点や二点は自分の琴線に触れる作品がない方がおかしいのであるから、ぜひ普段は美術展鑑賞に縁のないような人も来たらいいと思う。もっとゆっくりじっくり見ればまだまだいい作品を見出せたかもしれないことが心残りだ。

 五美大展は卒業(修了)制作という一つの区切りの作品が展示されている。それぞれの作家は特別な想いを持って制作、展示しただろう。やはりそのエネルギーには圧倒される。それも普段の作品展よりずっと疲れる要因だろう。

 確かに卒業制作展は大切な展示に違いないし、実際に私もそれがきっかけで展示の機会を与えられたこともある。とはいえ、これから作家として作品を発表していく人々にとっては卒業制作展はスタート地点に過ぎない。通過点といってもいい。大切なのはこの次であろう。グループ展か個展か分からないが、卒業した後に展示をできるのかどうか、どのようなものを見せることができるのか。どうやって制作と発表を続けていくのか。

 私もそういうことを卒業時にもっと考えておくべきだったなと今にして思う。

 

 

 

 (終)

 

冬と雪

 

 

 

 冬の静かな夜はいい。吐く息が白くなるような張り詰めた寒さがいい。そして、もしそこに降り積もる雪さえあれば、もはや言うことはなにもない。

  

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 全国的に寒波が到来し、東京でも何日も前から雪の予報が出ていた。朝起きたら案の定、雪は降っていた。だがそれは雨と見分けのつかない出来損ないのようなものであった。昼過ぎには大雪の心配もなくなったと報道されていた。ゆきだるまのひとつさえ見かけなかった。大騒ぎした割にはこれといって寒波の影響はなく、拍子抜けした。

 
 私は20年ほど北海道の札幌市で暮らした。いまこうして東京で何度目かの冬を迎え、曇り空の下、雪が濡らした路面を眺めながらぼんやりと冬について思いを巡らせている。

 北海道に住んでいた頃は冬について特に考えたことはなかったし、道外出身者が話す北海道の冬についてのいろいろを聞いてもあまり共感できなかった。今思えば、私にとってあまりにそれは当たり前すぎて、冬について感じたり考えたりすることに対して鈍感だったのだろう。だが何年も北海道から離れて冬を過ごしてみると、気がつくこともいくつかある。

 

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 どうやら私は、冬と雪は切っても切り離せないものだと無意識のうちに感じていたようだ。私にとっては雪が降ったら冬。もしくは雪が積もったら冬。こんなに明快な定義は他にないのではないか。

 ところが東京の冬は少しも雪が降らない。それでもやはり冬は冬だとされている。いつまでも惰性で秋が続くような気だるい季節が何ヶ月も続くみたいに感じられて、気が滅入る。

 雪がまったくないのに冬を名乗っている季節があることに私は違和感を覚えてしまう。

 ただ寒いというだけの季節なんて物足りない。もし、そこに雪さえあれば…。

 

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 それでも年に一度か二度、東京でも雪が降る日がある。その時には雪に慣れない車は渋滞し電車のダイヤは乱れに乱れる。それもそのはず、東京は雪の対策など何もない。そのコストに見合うほどの雪は降らないということだろう。

 それどころか冬の寒さへの対策も全然足りない。蹴れば倒れるようなぺらぺらの薄い壁を持った東京の住宅事情では、冬の寒さに心身が蝕まれてしまうかもしれない。情けないことに私がそうなりつつある。冬はやたらと気分が落ち込む。体調もなんとなくすぐれない。

 

 雪というのは不思議なもので、実はあんなに暖かさを感じさせるものもない。例えば、かまくら。雪国に育てば子供の頃作った経験を持つ人もあるだろう。雪で作られた建造物(?)の中が暖かい、その不思議。

 

 ある童謡では雪が降った時の犬と猫の様子が描写されている。屋外で力いっぱい雪と戯れるのも良いし、雪など意に介さないように振舞って室内で暖まるのもまた酔狂だ。

 だがそれも雪が降ってこそであって、しかも冬を楽しむには家の中は絶対に暖かくなければならない、と。私には、この童謡にはそんな冬の生活の教訓が込められているような気さえしてしまう。

 

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  東京の冬は寂しい。それは実に浅はかな、何も生まない寂しさだ。その寂しさの理由は、やはり雪がないことに尽きるのではないかと私は思う。
 私は今まで通勤や通学で、どうしても吹雪の中を歩かなければならなかった時が何度もあった。

 頭上では電線がじいじいと音を立て、足はギシギシと心地よく締まった根雪を踏んでいる。体中の顔だけが外気に晒されてひりひりしている。どれだけ防寒対策をしても、手の先と足の先はだんだん冷えてくる。それを振り切るように歩いていく。時折、道が途切れてしまっても、膝下まで積もった雪の中を漕いでいけばいい。仮にそれが冬の夜ならば電燈がなくてもじんわりとした明るさがあるはずだ。雪の白さが蛍光色のように静かに光って目に入るから・・・。

 例えば、こんな光景の中を何度歩いたことか。

 しかしそういう経験も思い出してみれば辛くはなかった。吹雪で視界が悪く周りに誰がいるのか何があるのか分からずに、ただ誰かの足跡を追って家路を急いでいると、ふとこの世に誰もいなくなってしまったような気持ちがする時があった。そういう孤独は不思議と気持ちを奮い立たせた。深く自分の中へ入り込んでいくような、時間も空間も超えてしまうような感覚があった。どうかすると、いつまでもそこに居たいと思うほど、寂しい中にも満ち足りた気分があった。

 雪国に育たなければこの気持ちは味わえないだろう。

 

  

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 この度の寒波は雪というには名ばかりのシロモノしか私にはもたらさなかった。

 今日みたいな日は寂しさを紛らわすために、しんしんと雪が夜の町に降る様を思い浮かべながら寝てみたくなる。寒くて暖かい冬の、不思議と満ち足りた寂しさを、布団の中でまどろみながら思い出してみることにしよう。

  

  

 

 (追記:この記事の写真は2019年2月に東京に降った雪のものです。全て筆者撮影。)

  

(終)

  

  

  

「北海道百年記念塔について思ったこと」から一年経って思っていること

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  (JR札幌駅地下街にて。右側が北海道百年記念塔の写真)

 

・あれから一年

 

 「北海道百年記念塔について思ったこと」というブログ記事を書いてから一年経った。これは百年記念塔の解体検討を伝えるニュース記事をみて、突発的また反射的に書いたものだ。

 

http://kotatusima.hatenablog.com/entry/2018/01/06/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E7%99%BE%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%A1%94%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E6%80%9D%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8

(ブログ記事)

 

 時間が経つのは早いものだ。

 その後、私は何人かの美術家に声をかけ「塔をしたから組む」というタイトルの北海道百年記念塔をテーマにしたグループ展を開いた。こんなことになるとはブログを書いた当時は全く思いもしなかった。

 

https://build-the-tower-from-the-bottom.tumblr.com (展覧会特設サイト)

 

 一年前に書いたブログでは百年記念塔の概要について書いた後、塔の解体の是非について述べた。当時は消極的ではあるが、解体やむ無しという立場をとっていた。

 

 その時の主張を要約してみよう。

 北海道百年記念塔は一部の道民に親しまれているし私自身も塔の色や形は好きだという気持ちがある。だが建築としての価値は私には分からず、実用的な利用方法もなさそうで、「負の遺産」として悪しき「開拓」のシンボルになれるかという点にも疑問がある。だから財政面で多数の同意は得られないだろう、ということだった。

 

  また、以前書いたブログには一部誤りがあった。「北海道命名150年」の年に解体に関する議論が起きたことを偶然のように書いてしまったが、北海道百年記念塔の解体検討は「北海道命名150年」と関連して見直されたというのが正しい。記事を書いた当時はこの経緯まで理解していなかった。

 ただ、100年を寿ぐ塔が50年を経ずに解体されそうだという状況は、なんとも言えない面白みがあるとは言える。

  

 

 

 ・私にとっての2018年

 

 では、一年経ってみて私自身の意見は変わったか。

 もちろん基本的なスタンスは一年くらいでは簡単には変わらない。しかし結論は変わった。

 

 私は、はっきりと、百年記念塔を残すべきだと思うようになったのだ。

 

 グループ展を開催するにあたって、時間の制約もあり完璧だとは言いきれないが、百年記念塔について一通りのことは調べた。公式の報告書から様々な書籍、新聞記事にも目を通した。そこからは建築に至る経緯、コンペの盛り上がりなどが分かった。また展示を開催したことで仲間の美術家をはじめたくさんの人と百年記念塔について話すことができた。

 一年前に「消極的に解体止む無し」とせざるを得なかったのは、いくつか疑問点があったからだった。

 私はこの一年の経験から、疑問点を解決したり自分なりの意見を持つことができた。以下ではそれを書いていきたい。

 

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(私が描いた百年記念塔)

 

 

・疑問①

 

 まず、一年前の私の疑問点は「建築としての価値」である。これについては、すでに建築を研究しているグループが塔の設計者を呼んだシンポジウムなど開催しており、一定の評価があると思える。

 

https://gamp.ameblo.jp/keystonesapporo/entry-12409588987.html

 

 また、百年記念塔跡地に作られる新しいモニュメントの素案を札幌の美術家に打診したのも建築の研究者だった。

 

http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180820011190001.html

 

 これらは上にリンクを貼ったように新聞でも取り上げられており、一定の注目を集めているようである。

  

 むしろ美術の側からの解体を惜しむ声が聞こえてこないのが不思議なくらいであるけれども、手前味噌ながら私が開催した「塔をしたから組む」は、百年記念塔が議論に値する塔であることを十分に示す結果となったと思う。

  

 以上の動きも意地の悪い見方をすれば、ただ建築や美術の専門家が騒いでいるだけと映るかもしれない。ただ、管見ながら一般市民の意見でも解体について積極的に肯定する声を私は聞いたことがない。解体賛成といえど財政難だから止むなしという形で消極的に認める声がほとんどである。

 一部ではすでに解体反対の署名運動も始められているらしい。

  

 

 

・疑問②

 

 また、一年前の疑問点としてあった「実用的な利用方法」については、相変わらず具体的な情報を得ていない。この点については今も情報を求めている。

  

 

 

・疑問③

 

 では、もう1つの疑問点、「負の遺産」として「悪しき『開拓』」のシンボルになれるか、というところである。当初、私はこの点について造形的な面から考えていた。百年記念塔は抽象彫刻のような造形物だと私は思っている。オブジェと言い換えてもいい。そこに鑑賞者によって投影されるもの(例えば開拓の先人)は限定されにくいだろう。その効果は狙われたものだろうが、かえってそのことが塔のもつべき何らかの象徴としての機能に対して不向きだと考えたのであった。

 

 ただ、最近はだいぶ私の考えも変わってきた。

 塔の形はどうであれ、これは結局のところ北海道民の心がけに頼るしかないことではないのか?と。「負の遺産」について、造形がどれだけ本質的な問題なのだろうか。例えば原爆ドームであればどうか、考えてみるといい。

 上で「『悪しき』開拓」と書いてしまったが、私は何も「開拓」を全否定するわけではない。北海道島に生まれ育った私は北海道開拓の恩恵を受けている。北海道民の多くもそのような恩恵を感じているはずだ。だからこそ北海道百年記念塔は作られたのである。しかし「開拓」は肯定できる側面ばかりの輝かしい歴史とは到底言い難い。この例は本当に枚挙に暇がない。

 北海道百年記念塔を残していくということは、その一面的ではない「開拓」を、いかにして引き受けていくかという問題と不可分である。最近、署名運動をしている人たちがどういう考え方をしているのか私は知らないが、百年記念塔を残すということはそういうことに他ならない。

 

 

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(私が昨年制作した作品の一部)

 

 

・これからの一年、そして「その先」

 

 日本はここ数年で、猛烈な勢いで、歴史の軽視、破壊、忘却が進んだ。それは文化の破壊と等しく、人間性への破壊行為である。わざわざ総理大臣や閣僚、官僚、政治屋、売文家、御用学者、御用商人らの固有名詞を出さずとも、何人も忌まわしい顔や名前が浮かぶだろう。

 

 私は一年前に、「塔が解体されるにしてもそこに塔があった事実はきちんと残すべきだろう。たぶん一番現実的でつまらない結末は静かに解体されることだ。その時は塔があったことを忘れないよう、せめてこの目に焼き付けておきたい。それは、あの塔に想いをもつものにとっての義務かもしれない、と思うのだ」と書いた。

  

 この想いは今も変わらない。塔を壊すのなら、塔のことを忘れてはならない。

 私が塔を解体して欲しくないのは、まさにこの点が気がかりだからだ。

  

 つまり、私たちは簡単に壊し、そして簡単に忘れる。そのことが私は怖い。

 

  覆水盆に返らず。破棄した文書は闇に消え、死人は二度と帰らない。

 解体した塔は元には戻らない。忘れた記憶は元には戻らない。そうではないだろうか?

 

  私は北海道を、北海道民を、信頼したい。しかしこの一年でどうにもその自信がなくなった。

 私が百年記念塔の解体を認めることになる、その時は果たして来るのだろうか。

 もう一年くらい、ゆっくり急いで考えてみたい。塔が解体されるその前に。

 


 

(終)

  

 

 

 

2019.1.9. 一部言い回し変更

2019.1.11. 一部言い回し変更

 

 

 

2018年(平成30年)よかった展覧会


 アラーキーの「ミューズ」の告発や、リーディングミュージアムなる制度の発表、東大での宇佐美圭司作品の廃棄など、政治同様にひどいニュースが多い印象の2018年。つい暗くなってしまうが、いい展覧会をたくさんみることができた(もちろん悪い展覧会やつまらない展覧会も…)。
 浜田知明さんや藤戸竹喜さんが亡くなられたのはけっこうショックだった。流政之さんや山口勝弘さんも亡くなられた。

 以下、見てよかった展覧会ベスト7。今年も独断と偏見で決める(並びは日付順で、この中には順位はない)。

・カオスラウンジ新芸術祭2017 市街劇 百五〇年の孤独 2017.12.28.〜2018.1.28.

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・・・3度目にして最後のカオスラウンジ新芸術祭2017。私は1度目とこの3度目に訪れた。たしか2018年の最初に見た展示で、幸先のいいスタートだなと思った覚えがある。廃仏毀釈によって仏教が失われたしまった地域が深くリサーチされていて見ごたえがあった。来場者は3通の手紙に導かれることによって町をさ迷う。最初に見せられる戒名のない墓石はそれだけで強い存在感があった。新しく作られた寺院と作家のコラボレーション(襖絵や地獄絵など)は、震災以後、地域とアートの関わりが繰り返し問われている中で、幸福な出会いのひとつだったのかなと思った。最後にたどり着いたお堂はこれまで歩いてきた町が見渡せるような山の斜面にある。この芸術祭のリサーチの先駆者ともいえるある郷土史家の資料を偶然にみつけた場所でもあったという。そこには町に落ちていたアルミ缶から鋳造されたらしい新しい鐘や作りかけのような仏像が置かれていた。それらはささやかながら力強い再生や復興のようなものを象徴しているように思えた。

 

 

 
アイヌ ネノ アン アイヌ 北海道開拓・開教の歴史から問われることー結城幸司の作品世界をとおして 2017.12.8.〜2018.1.31. 東本願寺接待所ギャラリー

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・・・美術展というよりは東本願寺の布教啓蒙活動的な展示。まず宗教団体として過去の過ちを真摯に受け止め正していこうという姿勢に敬意を表したい。アイヌ民族への真宗の布教の過程における差別に関する資料が並ぶ一方で、アイヌ民族の版画家である結城幸司さんの作品を並べるセンスがいいなと思った。

(詳細→2018年1月の京都②(東本願寺ギャラリー展とシンポジウム、北海道開拓と開教、アイヌの関わり) - こたつ島ブログ

 

 

 
・マイク・ケリー展 自由のための見世物小屋 1.8.〜3.31. ワタリウム美術館

・・・某映像祭で「Day is done」を見た知り合いは随分退屈だったと聞いていたので不安になって訪れたが、これは面白かった。展示の中心は学校の課外活動の様子を写した写真から想像され展開された映像インスタレーション作品。不鮮明な白黒写真が解釈され、(たぶん)まったく別のものに生まれ変わる様子は痛快だった。
 

 

 
・石川真生 大琉球写真絵巻 2.10. 〜3.4. 原爆の図 丸木美術館

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・・・タイトルの通り、琉球王国から沖縄県となり、現在に至るまでの歴史をたどった写真展。過去にあった出来事を現在の沖縄の人が演じることで再現、その様を撮影している。ペリーに扮したりするのだが、必ずしもかっちりした仮装ではないのでどことなく可笑しい。フォトジェニックという言葉からは程遠い。コスプレしてふざけているように見える写真もないではない。そのなかで当然ながら現在進行形の基地問題なども取り扱われることになる。政治家が沖縄の海に投げ入れられた石の重しでつぶされたりする。

 どういう写真かと問われてもなんとも説明しがたい。もちろん上記のような表面的な説明はできるのだが…。私は、なんとしてでもこれをやらなければいけなかった必然のようなものを感じた。写真家の作歴の必然?沖縄の写真史の?それとも日本の美術史の必然?それは分からない。美術家や写真家、芸術家は、どうしてもやらなければならない仕事がある。それに理由らしい理由はない。強いて言えば直観だろう。そういう仕事のように思えた。

 

 

 
・東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村 2.24.〜4.15. 板橋区立美術館
・・・いつもコレクションをうまく使って素晴らしい展示をしている印象の板橋区立美術館。沖縄の美術家と東京のつながりを見せてくるとは予想外だった。また、藤田嗣治など沖縄を訪れた作家の作品も印象に残る。日本美術史への認識を更新させられた。

 

  

 
池大雅 天衣無縫の旅の画家 4.7.〜5.20. 京都国立博物館
・・・名前はもちろん知っていたがほとんど作品をみたことがなく、大変勉強になった。絵が有名だが素人目に見ても書も達者だった(最初は書家として世に出たとか)。

  

 


・ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅 9.15.〜11.18. 町田市立国際版画美術館

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・・・銅版画家の回顧展。旅行の記録をメモに書き留めるように絵や文字を描き、複数の版画を一つの画面にコラージュするような作例が多く、もともと版画をやっていた自分としては「この手があったか!」とかなり感心させられた。

 

 

 
その他は以下の通り。(※展覧会名は必ずしも正式名称ではありません)

 

・・・谷川俊太郎(オペラシティアートギャラリー)、池田龍雄(練馬区立美術館)、横山大観(東京国立近代美術館)、「光画」と新興写真(東京都写真美術館)、ヌード展(横浜美術館)、岡本神草(千葉市美術館)、熊倉涼子 + 永井天陽 「DI-VISION/0」(TAVGALLERY)、ゴードン・マッター・クラーク(東京国立近代美術館)、内藤正敏(東京都写真美術館)、琉球 美の宝庫(サントリー美術館)、「AUDIO ARCHTECTURE 音のアーキテクチャ展」(21_21 DESIGN SIGHT)、ブリジット・ライリー(川村記念美術館)、加茂昂 追体験の光景(原爆の図 丸木美術館)、増山士郎「Tokyo Landscape2020」(Art  Center Ongoing)、村上友晴(目黒区立美術館)、ジャン=ポール・グード「In Goude we trust! 」(シャネルネクサスホール)、中村ケンゴ「モダン・ラヴァーズ」「JAPANS」(MEGUMI OGITA GALLERY)、磯村暖 LOVENOW(ユーカリオ)


…などが面白かった。

 

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 (横山大観 東京国立近代美術館

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 (谷川俊太郎 オペラシティー

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 (中村ケンゴ MEGUMI OGITA GALLERY)

 

 
 
 東京国立博物館では、今年は縄文展や「マルセルデュシャンと日本美術」が話題だった。いずれも展示されているモノ自体は最高だったのだが、キュレーションが良くないと思った。あまり練られてないというか、安直で鑑賞者をバカにするような展示だと感じた。担当者にもよるのだろうが、これからは東博にはキュレーションをあまり期待できないかもと思う。もったいない話だが…。

  

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 (セゾン美術館 入り口)

 
 ゴールデンウィークに友人と一緒に軽井沢のセゾン美術館に行けたのは本当に良かった。今年行った中では一番と言っていいくらい素敵な美術館だった。アンケートに答えると小冊子がもらえるのも素敵。

 今年は京都に展示を見に2回も行ったが、その他は展示のためにはあまり遠出はしなかった。

 6月からは絵馬に関することをブログに書くようになり、山形に作品制作のための調査と絵馬を見るのを兼ねて旅行した。今後はもっと美術館やギャラリーに行かなくなって寺社仏閣を詣でるようになりそうだ。

 今年の後半はグループ展を企画して、それに向けて動いていることが多くあまり展示は見なかった。全体的にも去年より見た展示は少なめだった。毎年思うことだが、もっと面白い展示をたくさん効率よく見たいものだ。それは結局は場数を踏むしかない。ゆくゆくは海外の展示もたくさん見たい。

 

 

 

 (終)