こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

冬と雪

 

 

 

 冬の静かな夜はいい。吐く息が白くなるような張り詰めた寒さがいい。そして、もしそこに降り積もる雪さえあれば、もはや言うことはなにもない。

  

f:id:kotatusima:20190210001557j:image

  
 全国的に寒波が到来し、東京でも何日も前から雪の予報が出ていた。朝起きたら案の定、雪は降っていた。だがそれは雨と見分けのつかない出来損ないのようなものであった。昼過ぎには大雪の心配もなくなったと報道されていた。ゆきだるまのひとつさえ見かけなかった。大騒ぎした割にはこれといって寒波の影響はなく、拍子抜けした。

 
 私は20年ほど北海道の札幌市で暮らした。いまこうして東京で何度目かの冬を迎え、曇り空の下、雪が濡らした路面を眺めながらぼんやりと冬について思いを巡らせている。

 北海道に住んでいた頃は冬について特に考えたことはなかったし、道外出身者が話す北海道の冬についてのいろいろを聞いてもあまり共感できなかった。今思えば、私にとってあまりにそれは当たり前すぎて、冬について感じたり考えたりすることに対して鈍感だったのだろう。だが何年も北海道から離れて冬を過ごしてみると、気がつくこともいくつかある。

 

f:id:kotatusima:20190210091859j:image

 

 どうやら私は、冬と雪は切っても切り離せないものだと無意識のうちに感じていたようだ。私にとっては雪が降ったら冬。もしくは雪が積もったら冬。こんなに明快な定義は他にないのではないか。

 ところが東京の冬は少しも雪が降らない。それでもやはり冬は冬だとされている。いつまでも惰性で秋が続くような気だるい季節が何ヶ月も続くみたいに感じられて、気が滅入る。

 雪がまったくないのに冬を名乗っている季節があることに私は違和感を覚えてしまう。

 ただ寒いというだけの季節なんて物足りない。もし、そこに雪さえあれば…。

 

f:id:kotatusima:20190210001717j:image

 
 それでも年に一度か二度、東京でも雪が降る日がある。その時には雪に慣れない車は渋滞し電車のダイヤは乱れに乱れる。それもそのはず、東京は雪の対策など何もない。そのコストに見合うほどの雪は降らないということだろう。

 それどころか冬の寒さへの対策も全然足りない。蹴れば倒れるようなぺらぺらの薄い壁を持った東京の住宅事情では、冬の寒さに心身が蝕まれてしまうかもしれない。情けないことに私がそうなりつつある。冬はやたらと気分が落ち込む。体調もなんとなくすぐれない。

 

 雪というのは不思議なもので、実はあんなに暖かさを感じさせるものもない。例えば、かまくら。雪国に育てば子供の頃作った経験を持つ人もあるだろう。雪で作られた建造物(?)の中が暖かい、その不思議。

 

 ある童謡では雪が降った時の犬と猫の様子が描写されている。屋外で力いっぱい雪と戯れるのも良いし、雪など意に介さないように振舞って室内で暖まるのもまた酔狂だ。

 だがそれも雪が降ってこそであって、しかも冬を楽しむには家の中は絶対に暖かくなければならない、と。私には、この童謡にはそんな冬の生活の教訓が込められているような気さえしてしまう。

 

f:id:kotatusima:20190210001737j:image

 

  東京の冬は寂しい。それは実に浅はかな、何も生まない寂しさだ。その寂しさの理由は、やはり雪がないことに尽きるのではないかと私は思う。
 私は今まで通勤や通学で、どうしても吹雪の中を歩かなければならなかった時が何度もあった。

 頭上では電線がじいじいと音を立て、足はギシギシと心地よく締まった根雪を踏んでいる。体中の顔だけが外気に晒されてひりひりしている。どれだけ防寒対策をしても、手の先と足の先はだんだん冷えてくる。それを振り切るように歩いていく。時折、道が途切れてしまっても、膝下まで積もった雪の中を漕いでいけばいい。仮にそれが冬の夜ならば電燈がなくてもじんわりとした明るさがあるはずだ。雪の白さが蛍光色のように静かに光って目に入るから・・・。

 例えば、こんな光景の中を何度歩いたことか。

 しかしそういう経験も思い出してみれば辛くはなかった。吹雪で視界が悪く周りに誰がいるのか何があるのか分からずに、ただ誰かの足跡を追って家路を急いでいると、ふとこの世に誰もいなくなってしまったような気持ちがする時があった。そういう孤独は不思議と気持ちを奮い立たせた。深く自分の中へ入り込んでいくような、時間も空間も超えてしまうような感覚があった。どうかすると、いつまでもそこに居たいと思うほど、寂しい中にも満ち足りた気分があった。

 雪国に育たなければこの気持ちは味わえないだろう。

 

  

f:id:kotatusima:20190210001751j:image

  
 この度の寒波は雪というには名ばかりのシロモノしか私にはもたらさなかった。

 今日みたいな日は寂しさを紛らわすために、しんしんと雪が夜の町に降る様を思い浮かべながら寝てみたくなる。寒くて暖かい冬の、不思議と満ち足りた寂しさを、布団の中でまどろみながら思い出してみることにしよう。

  

  

 

 (追記:この記事の写真は2019年2月に東京に降った雪のものです。全て筆者撮影。)

  

(終)