(羽田空港の飛行機、離陸前)
3年ぶりに松前、そして函館へ行きました。その日記です。まずは札幌へ。そして高速バスで函館へ行き、木古内まで電車。木古内からはバスで松前へ行きました。
・10連休の空港
2019.4.26.
前日の晩は23時には布団に入ったのだがなかなか寝付けず、結局は5時間も寝られたのかどうか。
5時に起床。荷物をまとめていると、はや6時になっていた。家を出る。
いま住んでいるところから羽田空港に向かうのは初めてだ。1時間もあれば着くだろうと思っていたのが間違いで、着いたのが搭乗締め切り30分ほど前。しかもわざわざカウンターで払わなければならない不足金があった。こういう時に限ってトイレに行きたくなったり、保安検査もやり直しになる。一連の搭乗手続きはギリギリになってしまったが、なんとか間に合った。東京に住み始めてから北海道へは飛行機で10回以上移動している。慣れすぎると今回のように慌てる羽目になることがよくわかって反省した。
10連休などというおかしなカレンダーのせいか、普段よりどこも混雑しているように見える。
朝食を食べていなかったのでヒレカツサンドを買った。この類のいわゆる空弁など今まで一度も食べたことがなかった。予想通りやわらかくて食べやすい。8時ころ北海道の新千歳空港に向けて飛行機は離陸した。あちこち走り回ったのですっかりへとへとだ。搭乗してサンドイッチを食べるとすぐ寝てしまった。
乗務員さんの「まもなく着陸するのでテーブルを元の位置に戻してください!」という声で目が覚めた。窓外は目をさすような晴れた空と白い雲だったのが、いつのまにか北海道の上に広がる曇り空に変わっていた。
この「上空から見下ろす視点」を人間が手に入れてどれほどの年月が経ったのだろう。だんだんと近づいてくる地面を見ながら思った。
・札幌で展示を見る
飛行機はほぼ定刻通り9時30分に新千歳空港に到着。天気は曇り。空港に降り立つと冷たい空気に背筋が少し伸びた。
荷物を受け取り10時には電車で札幌へ向かう。札幌へは昨年11月に自分が企画した展示のため帰ってきて以来だ。途中、車窓から見えた北広島の白い恋人の工場には気温6.5度の表示があった。まだまだ寒い。
昼食にパンを適当に買って食べ、12時30分頃から札幌の北海道立近代美術館を見る。少し桜が咲いていた。
相原求一朗という川越在住で北海道を描き続けた風景画家の回顧展だった。この展示で初めて知った画家だ。家業を続けながら公募展に出し続け、画集の出版や安井賞審査員を経て個人名を冠した美術館ができるという経歴を見るに、公募展に属する作家や兼業作家の一つの理想の人生だったのではないかと思える。もちろん兼業としての苦労も多かったろうとも思う。
抽象画が流行る中で自分の描きたい絵について悩み、北海道の風景に抽象画的なものを見出したことが画業の転機になったのだという。そういう「抽象か具象か」みたいな問いには、現代と当時それぞれの時代が持っていた命題というか時代性の、大きな隔たりを感じてしまう。
作風としては鋭いナイフの使い方が印象に残った。
(展覧会特設ページ:http://event.hokkaido-np.co.jp/aihara/)
常設展示では松前藩家老で絵師だった蠣崎波響の特集。写真撮影不可。図録でしか見たことがなかった個人蔵の作品も何点かでていた。
そのあと、北海道文化財団併設のギャラリーなど見て、ゴールデンウィークの美深町での滞在制作に備えて少し画材やスケッチブックを買い足す。
一日中あまり天気は良くなく、夜になると雨が降り始めた。
夕食を食べ23時55分発函館方面行きの高速バスに乗る。二号車だった。やはり混雑しているようだ。普通、高速バス車内は奥が女性、手前に男性が座るようになっているが、席の間違いがあったようで奥の方が少しざわついていた。大きな混乱にはならずに済んだようだ。
北海道の高速バスはたいてい三列シートでトイレ付きだ。必要な設備は十分整っている。内地の劣悪な高速バスに度々乗っている身からすればかなり楽であると感じる。
東京から北海道への移動の疲れからか、比較的すんなりと眠れた。
2019.4.27.
(函館駅)
運転手のアナウンスで目が覚めた。函館市内に入ると何箇所かで停車する。函館駅で降りないと湯の川温泉まで行くはめになるから到着まで20分くらいウトウトしながら寝ることもできずぼーっとしていた。高速バスという環境であるから布団に寝たときのような深い睡眠だった訳ではないが、比較的気持ちのいい目覚めであった。高速バスを乗り切った独特の達成感と倦怠感があった。
函館駅前で下車。雨は止んでいない。
駅に入ると、高速バスから吐き出されたであろう人たちが特にやることもなくわらわらと気怠さをまとうようにベンチのまわりに集まって佇んでいた。その傍らで僕は腰を落ち着け、持ってきたおにぎりを食べた。
高速バス乗客への配慮なのか、なんと駅構内のコンビニは5時45分から開く。やることもないのでコンビニで資料を印刷したり読み込んだりして電車を待っていた。外に出ようかと思ったが寒そうだしまだ小雨が降っていたので体力温存のため止めた。
7時07分発のいさりび鉄道で木古内駅へ。座席にはちらほら観光客らしき乗客がいたけれど、地元の方が多いようだ。それでも乗客はまばら。
すれ違う函館方面への電車の方が断然たくさんの客が乗っていた。
気になっていた七重浜駅からは海は見えなかった。
途中、少し寝た。泉沢駅では電車を見送るおじさんがいた。3年前にもどこかの駅で電車を見送る人を見た覚えがあるが、もっと年を取ったおじいさんだった気がする。
線路沿いの道は、車は多少走っているほか人の姿はほぼない。雨はまだ降っている。
8時07分、ほぼ函館から1時間で時刻表通りに木古内に着く。まだここでも小雨が降っていた。時間つぶしに浜に出る。鳥居が海を背に立っている。ここで寒中みそぎが行われるのだろう。地層のような模様がついた小石を拾う。
駅のきれいなトイレに寄り、バス停に戻ると木古内の観光課の人なのか、行き先を案内しているおねえさんがバスの運転手と話している。
「松前も降ってた?」
「寒い、まだ降ってる」
「ゴールデンウィーク初日からこれだもね~」
と、苦笑しながらのやりとりが聞こえた。
乗客は、観光客らしいおじさんが2、3人いるほかは地元のおじいちゃんおばあちゃんや中学生数人という感じだった。もしこの辺りに観光に来るとしても、車で移動する人が多かろう。バスはもっぱら地元の人の足なのだろう。
9時05分発。すぐ10分しないで知内町に入った。窓の外に「知内春のカキ祭り」の看板が見えた。
街を過ぎるとバスは少し内陸を走る。
知内温泉に「八百年の歴史」と書いてあるのを見た。さすが道南である。800年は誇張かもしれないが、いわゆる渡党や道南十二館のことを思い起こせば「500年の歴史!」くらいは言ってもいい。
車内の放送で度々「函館バスのいかすみもか・・・」と聞こえた。これは函館バスと函館市電で使える「ICAS nimoca (イカすニモカ )」というICカードのことらしい。「いかすみ」ではなかった。JRは函館駅から木古内駅までICカードが使えないのに、木古内から松前までのバスではスイカも含めてICカードが使えるのだ。このことは以前来た時に気づいて不思議に思った。
福島町のあたりからうとうと。寝ぼけて携帯を床に落としたら後ろに座っていたおばあちゃんがとってくれた。
「なんが携帯みたいの落ちてる、とってやるとってやる」
「すいません、ありがとうございます」
「だいじょぶか?壊れねぇか?」
と、優しく声をかけてもらった。
相変わらずの曇り空だがいつのまにか雨はやんでいた。漁業集落の間を抜けながら、3年ぶりの松前町が見えてくる。
(②へ続く)