こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

『見送る人々』とその一室について(「生誕110周年記念 阿部合成展 修羅をこえて~『愛』の画家」青森県立美術館、2020年11月28日(土)~2021年1月31日(日))後半

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(『見送る人々』1938年、兵庫県立美術館所蔵)
 

 
 
 青森県立美術館の「生誕110周年記念 阿部合成展 修羅をこえて~『愛』の画家」の感想の続きです。

 感想前半はこちら。

kotatusima.hatenablog.com

 ※以下で示すページ数は針生一郎による『修羅の画家 評伝阿部合成』からの印象箇所です。

 

目次

 

・阿部合成の生涯(前半)

針生一郎『修羅の画家』を読む(前半)

・章立てごとの展示概要(前半)

・展示名、展示全体の印象、作品配置(前半)

・『見送る人々』について

・『見送る人々』の一室のほかの作品について

・まとめ

 

 

 

・『見送る人々』について

 

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(『見送る人々』1938年、兵庫県立美術館所蔵)

 

 展示概要で示したようにこの展覧会では最後の章に画業初期の代表作『見送る人々』を据えている。その理由のひとつは、やはり展示の最後に盛り上がりを持ってきたかったからだろう。逆に言えば回顧展でよくあるように年代順に作品を並べた時にどうしても阿部の画業は尻すぼみに見えるということを暗に示す展示構成なのかもしれない。

 『見送る人々』は、向かって左側、画面外を歩いていく出征軍人の列を見送る群衆を描いた作品である。人々が集まることが避けられマスクを着けて外出することが普及した2020年ではかえって新鮮に見えてしまう。あちこちで国旗が降られ喧噪の中の老若男女の様々な身振りと表情が描きこまれている。左下から右上へ視線を移していくと熱狂の波が引いていき、右上角では静寂の中を馬橇で遠ざかる人が描かれている。

  この作品によって「反戦画家」の烙印を捺された阿部だが実際のところどれほど「反戦」の意志を込めていたのだろうか。 先に結論を言うと阿部がこの作品に「反戦思想」を込めたとは私にはどうも思えないのである。だが戦争を賛美するような絵では全くない。

 まず制作背景にまつわる言葉を振り返ってみよう。この絵は「深夜の駅に小旗をもった群衆がひしめき、女たちの悲鳴に似たあえぎの中で、蒼白の顔をした兵士たちを満載した列車が動き出す光景を目にした経験」(63頁)にもとづいているらしい。阿部は友人への手紙でこの作品の下絵を描き始めたことに触れ、「(前略)出征兵の見送り。三十個ばかりの顔丈で構成しようと念願してゐる。熱狂した泥酔者、感動して嘆く青年、悲しみで魂をなくした女、冷静な挨拶を送る中年の男、歌ふ少年達、愚痴でしわだらけの老人、傍観者(祝出征の幟のかげに自画像と僕の不遇な従兄の顔)等の顔と手。赤ん坊は特別無関心でなければならない。(中略)色はウルトラマリンの青と褐色の反撥。日の丸の赤が点在する。全体が一つの場面として何かを予感せしめる事ができたら満足だ。」(63-64頁)と語っている。

 またこの絵が官憲に目をつけられた後で阿部が友人へ宛てた手紙では「あの絵を不快だといふ理由でケナすことができても、嘘だと誰が言へる⁉外務省よ、軍部よ、アルゼンチン公使閣下よ。貴下たちは祖国の東北端に飢饉に追い詰められながら巨豪(ママ)に生き抜いてゐる人々を、人種が違ふとおつしゃるのか、働き手を戦線に送らねばならないこれ等の人々が、陽気で有頂天でをられるのだと考へる程、貴下たちはお人好しではよもやあるまいに。天皇陛下のおん為に僕を黙らせることが出来たとしても、真実は土壌に浸みる水のやうに大地の隅々に棲息するものをいつか冬眠からよみがえへらせるだらう。この事実が僕を台なしにするか、後日のエピソードとするかは、かかつて僕自身の怠惰と否とにあるのだーと信じる」(66-67頁)と書いている。

   第6章のほかの作品や、今回は展示されていない同時期の代表作のひとつ『百姓の昼寝』(1938年、東京国立近代美術館所蔵)を見てわかるように、この時期の阿部はひとまず民衆の労働や暮らしをモチーフとしていたといえよう。『見送る人々』の左側の壁面には『顔』(1937年、東京国立近代美術館)が展示されていたが、たくさんの顔を描いた類似作として注目に値する。

 

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(『顔』1937年、東京国立近代美術館所蔵)

 

 ここで唐突だが木下惠介の映画『陸軍』(1944年)とこの絵を簡単に比較してみたい。ラストシーンで出征する息子を追いかけ走る母親の姿が陸軍から批判されたことでも有名な作品だ。木下はおそらく確信犯で「女々しい」と批判されるような母親の感情を作品で表現した。それは「映画はこうあるべき、人間を描くとすればこうあるべき」と信じていることを実行せずにはいられなかったからではないか。

 一方この絵はどうだろう。真っ黒にぽっかり開いた口などは滑稽に見えなくもないが全員がそのように描かれているわけでもない。上に引用した言葉を読むに阿部はこの時期、群衆の様々な表情を材料とした絵の構図へ関心を持っていた。『顔』もその関心の延長線上の作例だろう。木下ほど確信犯ではないにしろ阿部も画家としての関心に沿って素直に制作したように私には思える。民衆の生活を題材にするなかで農耕や漁労と、ある意味で同じような位置づけのテーマとして出征を見送る群衆があり、そこで思い描いていた構図を実現しようとしたのだろう。

 とはいえ阿部にとって民衆の生活は単なる材料ではなかったはずだ。上記の官憲への憤りを見てもわかるように「アルゼンチン公使閣下」らに比べれば、阿部はほぼ民衆の側に立って物事を考え絵を描こうとした。だからこそ自画像をそこに描きこんだのではなかったか。

 ただ、自身を「傍観者」と書いて(描いて)いることから阿部と群衆の間にある微妙な距離を、私は読み取ってしまう。やや冷めた視線で群衆をデフォルメして描きその光景が孕んでいた「何か」を「予感」させるような表現を目指す。そのような立ち位置を画家のとるべきものとして阿部は考えていた。

 

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(『見送る人々』部分)

 

  また阿部はこの絵を「嘘だと誰が言へる⁉」と言う。表現を換えれば、この絵は東北の飢饉の中で生き抜く民衆の生活の「真実」だということだろう。「アルゼンチン公使閣下」の「頽廃不快の印象を与へ、日本人とはどうしても思へない」という評価もある意味でこの絵の核を見抜いているといえるかもしれない。なぜなら当時、真実を描こうとする行為が「反戦」になってしまうことだったのだから(ここで旭川生活図画事件を思い起こしてもいい)。この絵がそもそも二科展に出品され初入選で特選になったことからもわかるように誰にでも初めから時流に抗うものとして受け取られたわけではなかった。

 『見送る人々』における「反戦思想」は阿部が込めたものではない。北海道弁でいうところの「~さる」のように意志に反して、そう織り込まれたように受け取られる、事後的な周囲の状況があった。例えば「アルゼンチン公使閣下」のように「真実」が真実のまま表されて在ると都合が悪い人が勝手に「反戦」を見出したものであるともいえ、結果として強いものになびく連中の間で広まったのだ、という言い方が正しかろう。 

  

 

 

・『見送る人々』の一室のほかの作品について

 

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f:id:kotatusima:20210123164918j:plainf:id:kotatusima:20210123164926j:plain(『見送る人々』の展示室の様子)

 

 この部屋に『見送る人々』と一緒に展示されている他の作品についても考えてみたい。

 左の壁面には先述の通り『顔』(1937年、東京国立近代美術館所蔵)が、右の壁面左側には『野ざらしA(軍歌)』(1971年、青森県立美術館所蔵)が、右側にはシベリアの風景を描いた『シベリアの思い出に』(制作年不詳、青森県立美術館所蔵)が、『見送る人々』の正面にあたる壁には『前夜(太平洋戦争)』(制作年不詳、世田谷美術館所蔵)が展示されていた。

 

f:id:kotatusima:20210124032147j:plain(『野ざらしA(軍歌)』1971年、青森県立美術館所蔵)

 

 『野ざらしA(軍歌)』は、晩年の作品である。ソ連に近い中国東北地方やモンゴルの戦線で目にした光景を思い出し描いたのだろうか。タイトルにしても荒涼とした大地にしても同じく中国大陸に派遣された浜田知明(1917-2018)のシリーズ『初年兵哀歌』を彷彿とさせる。ここでは『見送る人々』のたくさんの顔と野に転がるいくつかの骸骨の対比の意図があるだろう。阿部が「予感せしめ」ようとした出征兵の未来の姿を描いたのかもしれない。

 

f:id:kotatusima:20210124032201j:plain(『シベリアの思い出に』制作年不詳、青森県立美術館

 

 『野ざらしA(軍歌)』の隣にはシベリアで目にしたと思しき教会を描いた『シベリアの思い出に』がかかっている。この絵を見る限りはシベリア抑留の辛く苦しかったであろう経験はあまり想起されない。右端の空にわずかに黄色い日が差しており希望すら感じさせる。針生の評伝の次のような一節を思い浮かべてしまう。「復員後の合成は、軍隊や抑留の時代の自分のつらさ、苦しさについては語らなかったが、「人間どんな状態でも生きられるものだよ」「あのホロンバイルの風景のすばらしさは、和唐をつれていってみせたい」などという言葉で、虜囚の状態でかいまみた絶対の自由だけは、息子の和唐につたえようとしたようだ。」(94頁)。

 

f:id:kotatusima:20210124032224j:plain(『前夜(太平洋戦争)』制作年不詳、世田谷美術館

 

 もう1枚、『見送る人々』と向かい合う位置にある作品『前夜(太平洋戦争)』は、「前夜」と言いながら「太平洋戦争とはこういうものであった」と事後に振り返った絵だろうか。黄色い空は夕刻か朝か判然としない。右側に鋭く波のような何かの軌跡が描かれ左側には何本かの木とともに1基の十字架が描かれている。私はこの絵からは戦争前夜の不穏な空気よりは嵐が過ぎ去ったあとの清々しさ感じてしまう。阿部はここでおそらく死の象徴として十字架を用いている。卒塔婆や墓石、骸骨ではない。阿部はメキシコでのキリスト教への取材から晩年の死や鎮魂、祈りのテーマへと向かうが、私はこの作品の存在を媒介として『見送る人々』と晩年(第1章)の作品が繋がっているように思った。ヨーロッパではなくメキシコを経由したキリスト教受容は阿部を特徴づけるひとつの要素であり、その方面からも作品が検討されるべきだろう。

  

 『見送る人々』と類似作例の『顔』以外の3点の作品はいずれも戦争を題材として戦後に描かれた。この1室によって「阿部にとって戦争とはなんだったのか」という問いを発しようとしているのだろう。その答えを出すのは私には難しい。  

 『見送る人々』の発表によって「反戦画家」の烙印を捺されたことは当然ながら阿部の画業に大きな影響を及ぼした。もし、この絵が軍部などに激賞されていたとしたら。あるいは特に悪い評判が立たずただの入選作として扱われていたらどうだったか。例えば今日の私たちは出征兵の見送りという題材から阿部を好戦的な画家と見たかもしれない。戦後に描かれた作品とともに『見送る人々』を見返すとき、可能性の阿部合成を、パラレルワールドの阿部合成を、ありえたはずの別の阿部合成を思い浮かべずにいられない。この展示室で私は一人の画家の運命を変えた瞬間に数十年を遡って立ち会っているような感覚を覚えた。

 

 

 

・まとめ

 
 針生一郎による評伝は多少の図版はあるものの画家のそれである以上どうしても阿部について十分に知ることができるとは言いにくい。今回、美術館の展示と併せて見ることで奥行きをもって阿部の画業を知ることができた。青森まで行った甲斐は十分にあった。

 『見送る人々』は太平洋戦争へ向かう当時の日本の雰囲気を象徴する日本美術史上重要な作品の一つに違いはないが、以前の私がそうであったように「反戦思想」の色がやや強調された状態で受け取られているように感じた。好戦でも反戦でも「絵」は変わらない。変わらずそこにある。絵に描きこもうとした阿部なりの「真実」も変わらない。変わるのは時流だ。時流が画家のひとつの可能性を潰したのだ。画家にとって戦前戦中はさぞ生きにくい時代だったろう。

 さて、いまこの21世紀の日本が、世界が、果たして画家にとって生きやすい世の中なのかというと決してそうではないだろう。「アルゼンチン公使閣下」の「頽廃不快の印象を与へ、日本人とはどうしても思へない」という評価など昨今跋扈するヘイトスピーチと絶望的なまでにそっくりである。

 生誕110年にしてこれほど大規模な回顧展が開かれていることからしても、「真実は土壌に浸みる水のやうに大地の隅々に棲息するもの」を「冬眠からよみがえへらせ」たし、『見送る人々』にまつわる騒動は「後日のエピソード」となったと言えるだろう。時流というのはごく一部の人間の好悪であってなんの根拠もない。阿部は時流におもねることなく絵を描こうとしたが困難もまた多かった。ゆえに針生が「修羅」という語を用いて阿部を評したことを改めて慧眼と言わざるを得ない。混迷を極める社会の中で自分もまた自分自身であり続けることができるだろうか、と鋭く問われる展示だった。

 展示構成からして『見送る人々』を中心に据えた展覧会だったが私個人としてもどうしても『見送る人々』にばかり目が行ってしまった。また機会があればほかの作品も見直して例えば青森の風土を通した考察などもできないかと思っている。従兄の画家である常田健との比較も面白いだろう。いずれ太宰治碑も見てみたい。また近いうちに青森へ行くことになりそうだ。

 

(終)

 

2021.1.26. 一部言い回しを変更、主旨が変わらない範囲で語句を追加