2020年前半は某芸術祭のアルバイトなどをしつつ、自分が企画に関わったグループ展の延期の対応、4~5月の自宅待機という変化の激しい期間だった。
おそらくは万一感染者を出したときに叩かれることを恐れてだろう、感染リスクが少ないと言われていたにも関わらず首都圏の多くの美術館はかなり早い段階から閉まっていた。このことでかえって無駄に質の低い展示を見なくて済んだかもしれない。ただ「白髪一雄展」(東京オペラシティアートギャラリー)を見逃したのだけは心残りだ。
図書館が使えなかったのがかなり痛手だったが、4~5月は調べものと資料のまとめに精を出しながら、だらだらと過ごした。
まったくと言っていいほど映画を見ることができていないので、もっと見たい。
・1月
今年の〈美術館初め〉は東京国立近代美術館で、企画展は特筆すべきことはなかったが常設で山下菊二の傑作『あけぼの村物語』や、中村正義が映画『怪談』(小林正樹監督作品)のために制作した連作『源平海戦絵巻』を見られてとてもよかった。東京都美術館の「松本力 記しを憶う」は、「アニメーション」や「ドローイング」について考えようとする人には必見の個展だったと思う。一枚一枚の違った絵を積み重ね一つの映像作品として統合するというよりも、その一枚一枚の差異に込められた感情が共振して増幅していくような作品群だった。
山下菊二『あけぼの村物語』
中村正義『源平海戦絵巻』第二図〈海戦〉部分
中村正義『源平海戦絵巻』第三図〈海戦〉部分
中村正義『源平海戦絵巻』第五図〈竜城煉獄〉部分
・2月
アサクサの「藪の中 日本赤軍」では、エリック・ボードレールの『重信房子、メイと足立正生のアナバシス、そしてイメージのない27年間」THE ANABASIS」と、ナイーム・モハイエメン『UnitedRedArmy』を上映していた。長野県まで足を伸ばし、上田市立美術館で「農民美術児童自由画100年展」を見て上田城なども観光できたのはよかった。日本画廊「3人の日本人展 山下菊二×中村宏×立石紘一」は、個人的にとても興味を惹かれた。展示打ち合わせのため北海道に行き若干展示を見た。北海道立文学館「砂澤ビッキの詩と本棚」は、詩人としての砂澤ビッキ再評価ともいえる視点が意欲的で、蔵書など展示物も興味深い。東京国立近代美術館「ピーター・ドイグ展」は、休館前に駆け込んで見た。小企画で北脇昇の特集(「北脇昇 一粒の種に宇宙を視る」)があったことで絵画というものの振り幅の広さを感じた。
アサクサ「藪の中 日本赤軍」展示風景
上田市立美術館「農民美術児童自由画100年展」
北海道立文学館「砂澤ビッキの詩と本棚」
「北脇昇 一粒の種に宇宙を視る」会場風景
・3月
神奈川県立近代美術館鎌倉別館「生誕120年・没後100年 関根正二展」は、個人的に好きな画家だったので見られてよかった。会期が短縮されたのが残念だ。なおこの展示は美術館連絡協議会の「美連協大賞」を受賞している。
また偶然にも松澤宥の回顧展が、カスヤの森現代美術館「松澤宥 80年問題」と、パープルームギャラリー「松澤宥ーイメージとオブジェにあふれた世界」との二ヶ所で開催されていた。
弘前、盛岡、青森へも行った。もりおか歴史文化館では「盛岡と北海道ー盛岡藩と蝦夷地の関係・交流史」、盛岡てがみ館では「北の大地に魅せられてー盛岡の先人と北海道」を見た。青森県立美術館や善知鳥神社にも行った。
上野の森美術館のVOCA展2020は、金サジ「女たちは旅に出、歌と肉を与えた」、藤城嘘「Lounge of ealthly delights / Oruyank'ee aux Enfers」、李晶玉「Olympia2020」が気になった。
神奈川県立近代美術館鎌倉別館「生誕120年・没後100年 関根正二展」
カスヤの森現代美術館、椿が咲いていた
もりおか歴史文化館「盛岡と北海道ー盛岡藩と蝦夷地の関係・交流史」・盛岡てがみ館「北の大地に魅せられてー盛岡の先人と北海道」
善知鳥神社
VOCA2020より 金サジ「女たちは旅に出、歌と肉を与えた」
VOCA2020より 李晶玉「Olympia2020」
・4~5月
ほとんど開いている美術館はなかったが練馬区立美術館「生誕一四〇年記念 背く画家 津田青楓と歩む明治・大正・昭和」は、堅実な回顧展だと感じた。私が知っている範囲では首都圏の美術館で最後まで開館していたのがここだったように思う。土日の臨時休館を除いて開館していた。
この頃はほとんど引きこもり生活だった。夜に街を徘徊したり、家に生えている雑草の絵を描いて過ごしていた。5月後半から徐々にギャラリーも開き始めた。
練馬区立美術館「生誕一四〇年記念 背く画家 津田青楓と歩む明治・大正・昭和」
(深夜徘徊時に撮った写真)
・6月
ミヅマアートギャラリーの「筒井伸輔展」は技法が独特だった。eitoeiko「天覧美術」(京都KUNSTARTZからの移動展)で特に気になったのは木村了子さんが『菊の皇子様』という題で天皇陛下の肖像を描いた作品だ。それを見ていまは取り壊されてしまった田舎の親戚の家の座敷に昭和天皇と家族の写真が掛かっていたのを思い出した。なぜこのような連想をしたかというと、たぶん木村さんの作品が高い位置に掛かっていて、田舎の仏壇の上の長押に故人の写真が掛かっているような位置を思い出させたからだ。昭和天皇の写真もそのような位置にあったのだ。その額はこげ茶色でよく賞状や故人の写真が入っているようなありふれたものだった。それと比べると木村さんの作品は「随分額縁が立派だなぁ」と思えて自分でも不思議だった。やはり「皇子」の額は金ぴかでいいのだろうし賞状の額は合わないと思う。でも昭和天皇の写真にはやはりあの絶妙に安っぽい茶色のシマシマの額が似つかわしい。わたしの中でそういう天皇と庶民との距離感のサンプルとして二つの天皇の肖像があまりにも好対照であった。江戸東京博物館の「奇才 江戸絵画の冒険者たち」は、蠣崎波響の『御味方蝦夷之図』(『夷酋列像』の「函館本」と呼ばれている作例)が気になって行ったのだが、まだまだ知られていない絵師が全国に数多いることがわかっておもしろかった。特に、髙井鴻山の妖怪、片山楊谷虎ののハリネズミのように過剰な毛、ネガポジの表現が独特で目がチカチカする墨江武禅の風景画など知らなかった絵師の作品を「良いとこ取り」で見られた。耳鳥斎や中村芳中には癒され笑ったし、絵金の作品を東京で見られるのも貴重な機会だったのではないだろうか。個人的には祇園井特のファンなので三点も見られて感激だった。東京ステーションギャラリーの「神田日勝 大地への筆触」は、小さい頃から慣れ親しんだ画家の回顧展だったので東京で見られたのは嬉しかった。予約制の割に混んでいた。
(終)