こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

上田日帰り紀行(2020年春、農民美術を見に)

 

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  長野県上田市上田市立美術館に、「農民美術・児童自由画100年展」(2019年11月30日(土)~2020年2月24日(月)開催)を見に行った。たびたびフェイスブックなどで広告を目にして気になっているうちだんだん会期の終わりが近づいてきた。行くか迷ったがどうしても我慢できず高速バスのチケットを取って日帰りを強行することになった。先に結論を言うと「農民美術」については非常に資料が豊富で、行って良かった。

 長野県を訪れたのは数年前のゴールデンウィークに友人と軽井沢に遊びに行って以来の二度目。上田市は戦国武将の真田氏の本拠地でもある。さて、一日でどれだけのものを見られるだろうか。

 

 

 

2020.02.17.

  

上田市

 

 朝8時前、池袋駅前からバスに乗る。友達と軽井沢に出かけた時にも同じ場所からバスに乗った。席はそれなりに埋まっているが満席になりそうな気配はない。バスが出てからスーパーで買ってきたサンドイッチを食べると早起きのせいですぐ眠気が襲ってくる。空は曇って小雨が降りそうだった。半ば船を漕ぎながら、窓の外の山並みを眺めた。そのうちにいつのまにか寝ていた。

  

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 目が覚めると「しもにた」という道の駅をバスが出発するところで、空は青く晴れていた。ベンチにおじいさんが普段着でひとりだけ座っているのが窓の下に見えた。

 早春の山の斜面に真っ直ぐな杉が並び立っている。とげとげとした山脈のところどころで、頂には岩が露出していた。白っぽい山々の一部に抹茶に似た緑と古びた苔のような茶色の木々が残っている。やはり私が見慣れた北海道の山々とは違う。

 小諸高原を抜ける。とても景色が良い。眼前にあるのは浅間山だろうか。

 前の席に座っていた二人連れの若い男が急に歌いだした。イヤホンをしていて周りが見えていないのだろうか。ヘタクソで何の曲かわからなかった(よく聴くと水星だった)。でも、つい歌ってしまう気持ちがわかるくらいにはいい天気だった。

 

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上田市立美術館

 

 11時過ぎに上田駅に着いた。町の周囲がぐるり山に囲まれているのには軽井沢と近い印象を覚えた。駅前には水車と真新しい騎馬武者の銅像がある。近くで見なかったが真田幸村の像らしい。駅の外壁には大きく真田氏の家紋「六文銭」が描かれていた。トイレを済まし観光案内所で上田市立美術館への道順を訊こうとすると、嬉しいことにさっそく農民美術が出迎えてくれた。小さな木彫りの人形が透明なケースに入っていた。展示に合わせて商店街などあちこちに設置しているらしい。

 

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(観光案内所の農民美術) 

 

 駅の「温泉口」から出て突き当たりの十字路を右に進む。こちらの出口は駅前と言えどかなり人通りが少ない。10分ほど歩くと右手に大きなショッピングモールがあり、その向かいに美術館の建物が見えてきた。敷地の角に大きな看板が立っていた。

 

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 上田市立美術館(サントミューゼ)は総合的な文化施設で、円形の広場を中心に多くの小部屋が大きな廊下でつながっているような構造の建物だ。それぞれの部屋の横を通ると確定申告の会場だったり、中で楽器の練習をしていたり、版画の工房として使っていたりするのが見える。

 

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(サントミューゼ内部の様子)

  

 

 

・「農民美術児童自由画100年展」

 

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 11時半過ぎから「農民美術児童自由画100年展」を見る(以下の記述は私の感想を除き展示内の解説か展示図録に拠る)。

 そもそも「農民美術運動」とは、農民自身の手によって作られた工芸品(農民美術)の量産により農村民の生活の芸術化と生活水準の向上を目指す運動で、「児童自由画運動」とは手本によらず子どもたちの実感に基づいた創造的表現活動を学校教育の中に定着させようとするものだった。この二つの運動を主導したのが上田市ゆかりの山本鼎(1882~1946)であり、1919年にふたつの運動が始まってから100年を記念し開催された、というのが本展の位置づけになる。 展示はまさに題の通り山本鼎の農民美術運動の始まりから現在までと、自由画教育運動の二部構成で、農民美術運動のほうがかなり展示物が多かった。逆に自由画教育運動については物量がかなり少なめだったのが残念だった。

 まず山本の経歴を簡単に振り返ると、愛知県岡崎市生まれ(異論もある)で、父親が医院を開業した縁で上田を拠点とした。はじめ木口木版の工房に奉公したのち東京美術学校に入学、黒田清輝や久米桂一郎の指導を受ける。在学中は彫りや刷りなど制作の過程すべて芸術家自身が行う「創作版画」の運動に関わる。30代前半でフランスに留学、帰路にロシア革命直前のモスクワの「児童創造展覧会」で子供たちの自由闊達な絵を見、また農民による工芸品に出会ったのが山本の人生を変えた。以後、山本は教育者や美術的な社会運動家として、「農民美術」と「児童自由画」を活動の主軸とした。

 まず、「序章 山本鼎」で山本の代表的な絵画作品が紹介される(ここで展示されていた作品は図録には掲載されていない)。主に油絵や木版画である。山本は「セザンヌにおける色面、構図の重視」、「ルノワールの人物表現」、「モネの光の捉え方」に影響を受けたと解説されていたが、たしかに『平田知夫領事肖像』(1916)の色づかいなどを見るにセザンヌの影響を感じさせる。「自分の感覚を作品に映し出そうとする印象派の画家たちの表現法・・・」という説明書きもされていたが、大雑把でモヤッとした。ヨーロッパで山本は「実相主義」(この言葉は初めて聞いた)、つまり「自分が直接に感じたものを表現すること」の自覚を得たのだ、とも説明されていた。その是非は私にはわからないが、山本の言葉「自分が直接感じたものが尊い」(初出は1928年『学校美術』誌上の談話筆記という)は、農民美術にも児童自由画にも通底しているようである。

 「第1章 農民美術の胎動」は、山本が4か月滞在したロシアから持ち帰った工芸品や初期の農民美術運動の趣意書など資料が展示されていた。運動の初め頃の作業風景の写真など資料が散逸せず残っているのには驚いた。

 「第2章 農民美術の展開」では、その題の通り全国に展開していく農民美術運動を多くの実作を交え紹介していた。大正後期~昭和初期がもっとも運動が盛んで、一時樺太から鹿児島まで全国で講習会が開かれ、全国に120か所以上の農民美術生産組合があった。各地の講習会は、最初の製品デザインやサンプル製作は山本や講師たちが行い、実作や石膏デッサンによる形態把握などの基礎的講習を経て受講生が組合を作り、デザインを考案し農民美術を生み出していく、という仕組みになっていたらしい。講習は道具類の実費以外は原則無料で行われたという。

 展示物では、やはりそれぞれの地域の特色が出た「木片人形」がおもしろかった。木彫り熊のルーツの一つであるといわれる北海道八雲町の徳川農場でも講習が行われたようであるし、秋田の版画家の勝平得之が手掛けた風俗人形も興味深い。諏訪なら御柱祭秩父であればオオカミ、南多摩なら高尾山の天狗面、宇治なら茶摘み、鹿児島なら西郷さんなど、その土地らしいモチーフが見られた。

 1919年に始まった農民美術運動は主に三期に分けられ、1924~1930年の二期に大きく進展し、1931~1935の三期になると山本が東京に引き上げたり国の副業奨励助成金が打ち切られるなどして活動が停滞していく。展示図録ではほとんど触れられていないが、この模索期には都市部購買層のニーズを想定した洋風の家具等の製作も行われていたようだ。

 「第3章 戦後の農民美術」では、戦後の作品を紹介。太平洋戦争でほとんどの農民美術生産組合や関連団体が活動を停止したなか、長野県上田地域では1949年から再び製作を開始し、1955~1961年には「農民美術技能者養成制度」によって県内各地から訓練生を集め、農民美術の担い手を育てていった。

 続く「第4章 現代の農民美術」では農民美術の流れをくむ現役の作家を紹介していた。その中には農民美術の製作技術をベースに独自の技法を身に着けたり日展など公募展で彫刻家として活躍する作家も含まれる。1982年には農民美術は長野県知事指定伝統工芸品となった。

 「第5章 農民美術の可能性」では、現在の活動を取り上げ、2017年から「こっぱ人形の会」が行っている学生向けの講習会の作品や、ブランディングとして商店の看板を農民美術の作家が木彫で手掛けたものなどが展示されていた。

  

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(一部、写真撮影が可能なコーナーがあった。近年の講習で製作されたもの)

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(上田市をモデルにしたアニメ映画『サマーウォーズ』(細田守監督作品)のキャラクターをモチーフにした「農民美術」もあった。市内ではあちこちで関連グッズを見かけた)
 

 その後が「児童自由画100年」の展示コーナーだった。

 「第1章 自由画教育の議論」では児童自由画の運動にかかわる資料や「児童自由画展覧会」の作品が展示されていた。教科書の見本を見て描く「臨画」への批判から、児童が直接対象を見て描く「自由画」が提唱されたわけだが、1910年発行の教科書《新定画帖》は、臨画から描き方の細かい指導を伴いながら写生画に移行するように作られていたようだ。厳密に見ていくと「臨画」と「自由画」にはある程度共通する理念があるのではないかと感じた。また同時期に北原白秋も雑誌『赤い鳥』で「児童自由詩運動」を展開したらしい。北原の詩集「邪宗門」には山本も挿絵を描いている。

 「第2章 山本鼎と、運動をめぐる人々」では、木村荘八や倉田百羊など児童自由画の議論や運動に関わった画家などを紹介。「第3章 教育の現場にて」では、山本が20年間教育に携わった自由学園や長野県内の児童自由画教育を実践した学校の生徒作品を紹介していた。やはりこのような信州の教育運動が松澤宥を生んだのかな、と想像しながら見た。かなり偏っているけれど私にとってはどうしても長野は松澤宥のイメージが強い。

 

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(美術館から向かいのショッピングモールが見えた)

  

 14時過ぎ、展示を見終え館内のショップで図録と絵葉書を何枚か買った。図録は興味深い論考がいくつも載っているのだが、持ち帰って読み返すと、どうやら肝心の展示内の各章各展示物の解説文が収録されていないようであった。記録という意味では大きい欠陥なのではないか。

 

上田城

 

 とても天気がよい。すぐ近くの上田城へ行ってみる。

 

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 信号の向こうに城が見えてわくわく。こちらは城の南面にあたる。

 
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 この石垣の下には千曲川が流れて天然の堀となっていたそうだ。

 

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 上田城は1583(天正11)年、真田昌幸によって築かれた。上田盆地のほぼ中央に位置し、二度も徳川軍を撃退した名城だ。関ヶ原合戦後は破却され真田氏に代わり仙石氏、松平氏の居城となった。

 西櫓の脇にある急な階段を登ると眞田神社の裏手に出る。神社は観光客向けに、ゲーム内でキャラクター化された真田幸村を押し出している。また地元高校の運動部が奉納した大きな絵馬があった。

 

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 東虎口櫓門は左右の南北の櫓が昭和24年に、門が平成6年に再建されたそうだ。地域の誇りなのだろう。

 

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上田市立博物館

 

 城内には上田市立博物館があるので寄ってみた。

 春には全国の多くの博物館でも行われている雛人形の展示とともに、常設だと思われる江戸以降の上田藩主の甲冑5、6領が武具と共に展示されていた。真田家の次の城主の仙石家も家紋が銭だったのは面白い。変わり兜や長篠合戦の際の武田家からの分捕り品の槍など興味深く、とても満足した。最後の上田藩主である松平忠礼の資料もあった。忠礼は戊辰戦争前後に藩士や家族をたくさん写真に撮っており、以前古写真の本をよく見ていた僕にはおなじみだった。また幕末に活躍した赤松小三郎の資料も展示されており、その中では和洋折衷の刀が面白かった。サーベルのような鍔で、刃は両刃なのだという。

 その他、近代の養蚕の資料を見て、松澤宥の「プサイの部屋」は蚕室だったよな、と思い出した。信州は養蚕がさかんだったのだ。

 

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 博物館の別館には鉱物など自然史系の資料も一部ありつつ真田家の資料がまとまっていて、VRで上田合戦のことが学べる部屋もある。こちらの方が展示にだいぶお金がかかってる感じだ。やはり真田家は人気なのだろう。この建物はもともと山本鼎記念館だったため入り口脇に石碑がまだある。いまはサントミューゼに山本鼎の資料が移っている。

 

 

 

・農民美術を買いにいく

 

 16時半すぎ、上田城から出て「農民美術」を買い求めに夕暮れ時の町を散策した。

  

f:id:kotatusima:20200430181152j:plain(橋に不思議なマークが)

f:id:kotatusima:20200430181210j:plain(そういえば上田は真田十勇士のゆかりの地でもある)

f:id:kotatusima:20200430181227j:plain (上田城跡の向かいの小学校がとても立派だった。塀に狭間がついている)

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f:id:kotatusima:20200430181334j:plain上田市内の信濃国分寺は「蘇民将来」の護符を正月に授与している)

 

 

 
 まず着いたのは栄屋工芸店。額屋も兼ねていた。昭和期に北海道に卸していたというアイヌ文様風の彫刻が施された木製の皿も展示してあった。八雲町と農民美術のつながりを思い出す。ここでは迷った末に青い壺型のつまようじ入れと赤い鳥の頭がついたつまようじ入れを買った。箱にまかれた紙にも真田氏の家紋の六文銭や「上田獅子」をあしらっている。

 

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 バスまでまだ時間がある。もう少し町を歩く。大きな通りから一本中に入ると場違いな「花やしき」「あさくさ」の文字。これは大正6(1917)年創業の上田映劇といって、運営者は変わっているが現役の劇場だ。浅草などの文字やネオンは映画のセットがそのまま残されたものらしい。またいつか上田に来ることができたらここで映画や演芸を見てみたいものだ。

 

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(ここは江戸後期の学者である佐久間象山が勉強した地らしい)

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 農民美術を求めて向かった二件目はアライ工芸店。趣のある店内だった。素朴な茶匙を買った。

  

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・帰路

 
 農民美術を手に入れ、駅へ。ローソンで弁当やお茶を買う。駅前で弾き語りをしている人がいて、すぐ横で女の子をナンパしてる風のお兄さんたちがいた。

  

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 定刻より数分遅れてバスが来た。帰りの車内では疲れていたので夕食を食べてすぐ、ぐっすり寝てしまった。22時過ぎ、気が付いたら東京に着いていた。一日の滞在でも一通りの観光地は見られて充実していた。また来たい。

 

 

 (終)