2024年のまとめその1です。
【1月】
●出来事
1日
2日
3日
8日
・旧田中角栄邸で火災
16日
・差別扇動にあたるような投稿がSNS上でされているとしてアイヌ民族の女性アーティストが人権侵犯の被害を札幌法務局に申告、受理。また2月5日には札幌弁護士会に人権救済を申し立て。12月2日には札幌法務局が「侵犯事実不明確」と通知。
19日
・群馬県高崎市の群馬の森にある朝鮮人追悼碑の代執行による撤去を県が決定。
・宇宙航空研究開発機構(JAXA)の月探査機が日本の無人探査機として初めて月面着陸に成功。
25日
・神奈川県の病院に末期がんで入院している男が東アジア反日武装戦線メンバーの桐島聡を名乗る。29日に死亡。
31日
●訃報
4日
・篠山紀信(写真家)
6日
・福住治夫(美術ジャーナリスト、編集者)
11日
・ユーリ・ソローミン(俳優、映画「デルス・ウザーラ」アルセーニエフ役)
24日
・カール・アンドレ(彫刻家)
29日
・福地茂雄(元アサヒビール社長、社団法人メセナ協議会理事長、東京芸術劇場館長)
30日
・原子修(詩人、劇作家)
31日
・柚木沙弥郎(染色工芸作家)
●日記
2日
・新千歳空港にて生ノースマンを偶然手に入れる
10日
・千葉神社で初詣。おみくじは小吉。
18日
・映画「窓ぎわのトットちゃん」
24日
・新幹線で青森へ
・棟方志功記念館「冬の展示 板極道」(動画:https://youtu.be/C9TxH3LDRic?si=N9uBp-SdoVH_9kZ1)
・善知鳥神社を参拝。おみくじは大吉。
・青森県観光物産館アスパムで地ビールを買う。猛暑でダメージを受けた農家支援のためのりんご果汁を使ったビールなど。
・浅虫温泉に宿泊。今時珍しく遅くまで開店しているお土産屋でこぎん刺しのキーケースを買う。
25日
・早起きして道の駅の温泉に入りに行く。窓の正面に大きく湯ノ島が見えて絶景。名物の板かりんとうを買う。青森駅でSuicaを紛失したらしきことに気が付く。
・青森県立美術館「奈良美智: The Beginning Place ここから」「令和5年度青森県立郷土館サテライト展 生誕130年 今純三 純三が描いた戦前の青森」
・奈良美智の作品《あおもり犬》の頭に、カトリック聖職者の帽子のようにしんしんと雪が降り積もっていた。今純三の作品をまとめて見た。
31日
●所感
・能登半島の地震、日本航空機の事故など不穏な一年の始まりだった。
・映画「窓ぎわのトットちゃん」は、泣かせる筋書きも悪くないがアニメ表現として凝っているシーンがいくつかあり楽しめた。終盤の出征を見送る行列のシーンの悪夢のような演出には背筋がゾクゾクした。戦争とは悪夢に他ならない。林静一のアニメ作品《かげ》を思い起こした。戦争のもたらす日常と隣り合わせの暗さを感じたからだろうか?戦時下の音楽のあり方の描写も興味深い(黒柳徹子の父は音楽家)。
・映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」。まず、思ったより血みどろでスプラッターだった。そして前評判の通り良質なブロマンスだった。二次創作が捗りそう。ストーリーは思っていた以上に《犬神家の一族》的な話だったことが気にならなくはないが、既存の劇画の墓場鬼太郎などとちゃんと接続されていて、妖怪・伝奇漫画家であると同時に戦争漫画家でもあった水木しげる先生的な要素をきちんと取り込みつつ、戦中戦後の時代背景と絡めて人間の病理に言及する脚本はよくできていて、オールドファンも楽しめそう。少し話のテンポが早すぎる気はした。
(映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」)
【2月】
●出来事
1日
・アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』作中で「笑い男事件」と称される一連の事件が発生。これに合わせて現実でもイベントが開催。
5日
・伊藤忠がイスラエル最大の軍需企業「エルビット・システムズ社」との協力関係を2月中をめどに終了すると発表。
15日
・内閣府が2023年のGDP速報値を発表。日本はドイツに抜かれ世界4位に転落。
●訃報
6日
・差間正樹(ラポロアイヌネイション会長)
・小澤征爾(指揮者)
21日
・スティーヴ・パクストン(ダンサー)
●日記
2日
・友人アーティストI君とびっくりドンキーへ行き、引っ越すことを話して別れを惜しむ。
3日
・Youtubeにて『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man』を視聴。以後、攻殻機動隊シリーズを気にし始め、漫画などを読む。
8日
・グループ展「にがつのねこといぬ2024」(Gallery TURNAROUND)に参加(~20日まで)
10日
・岩手県立美術館「そのとき、岩手では ー展覧会でたどる、いわて美術の歴史ー」
16日
・ユミコチバアソシエイツ山本尚志 “Naming The World”」
・日本民藝館「柳宗悦唯一の内弟子 鈴木繁男展―手と眼の創作」
17日
・東京国立近代美術館「中平卓馬 火―氾濫」「所蔵作品展 MOMATコレクション(2024.1.23–4.7)」「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》」
・國學院大學博物館「相互貸借特集展示(西南学院大学博物館資料) 創らられたキリシタン像―資料からみるキリシタンへのまなざし―」。偽のキリシタン遺物を展示した小特集で印象深い。
「企画展「榧園好古図譜ー北武蔵の名家・根岸家の古物(たから)」
(日本民藝館「柳宗悦唯一の内弟子 鈴木繁男展―手と眼の創作」)
●所感
・国立新美術館「マティス 自由なフォルム」は、やはり質量とも切り絵が素晴らしく特に後半に展示してあった司祭の制服がたまらない。
・ユミコチバアソシエイツ「山本尚志 “Naming The World”」は現代書の個展。例えばほぼ同様の図像の作品が2点あり片方に雲と雷、もう片方に松というタイトルが付いていた。いわゆるシニフィエとシニフィアンの関係の恣意性を端的に示していた。
(ユミコチバアソシエイツ「山本尚志 “Naming The World”」)
・東京国立近代美術館「中平卓馬 火―氾濫」は写真ファンのみならず美術好きには待望の展示だったろう。
中平卓馬の作品を論じるにあたって記憶喪失は気になるところではあるけれど正直なところ私にはそれ以前と以後で何らかの断絶のようなものは作品からはあまり感じられなかった(それには中平自身のリハビリなど努力もあるのかもしれない)。
作品はいわゆるアレブレボケから《氾濫》、『植物図鑑』を経て、《キリカエ》に至るまで変化はあるものの変わらない視座もまたあったように思えた。それは目の前の光景をいかに写真にありのままに写し取るかということだと思った。
中平卓馬のドキュメンタリーは「カメラになった男」という、ジガ・ヴェルトフの《カメラを持った男》みたいなタイトルが付けられている。そのような、私が今眼前に見て脳に映しているところのもの、イメージと言えばいいのか、そういったものを、いかにレンズに写しフイルムへ印画紙へと焼き付けるかという行為を切実に、試行錯誤という程度の甘いものではないストイックでキリキリした緊張感の中でやってきたのだということを感じた。それは事前に『植物図鑑』を読んで、こわいくらいの真剣さを感じていたこともあるかもしれない。学生運動が盛んな時代の影響もあったかもしれない(同じ時代を扱ったものとして東京都写真美術館で去年開催された展示でも中平について触れられていた)。やはり私は晩年の《キリカエ》が好きで、赤瀬川原平が指摘しているあの撮影の仕方、つまり望遠で切り取るスタイルは、私には人が風景のなかからあるモチーフを意識に上らせた時の感じがよく出ているように思え、勝手ながら中平のやりたかったことの一つの実現を見た気がして腑に落ちた。私は前からカメラを人間の身体の拡張みたいに考えてもいたので、確かに中平卓馬は「カメラになった」というか、カメラを自分の視覚にすることができたのかもしれないな、などと思った。
いろんな写真家に訊いてみたい質問として、実際に世間の人が写真に対して思っているほどは、写真のイメージは、私たちが見ている視覚のイメージの引き写しというわけではなくて結構違っているものだと思う。私には、中平卓馬はいろんな方法でそのギャップを埋めようとしたように思えた。
ジガ・ヴェルトフについては、ほぼ同時期にたまたまYoutubeでアニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man』を視聴して、その中でも言及されていた(最終話)のを見ていた。今年の三月くらいから人に会うと、中平卓馬、攻殻機動隊、ジガヴェルトフが出てくる三題噺みたいなまとまらない話をして、そして毎回ポカンとされていた。だけど自分の中では不思議と繋がっていて腹落ちしている。これについてはいつかちゃんと読みやすい文章にまとめたい。その関係で、最近眼鏡やゲーテにも興味を持っている。この変な三題噺は6月のグループ展「東京/現地(オンサイティブ)」で発表した「M・R」という連作の発想にもつながっている。
【3月】
(志波城古代公園にて)
●出来事
7日
6日
・札幌市で開催されたグループ展「すすきの夜のトリエンナーレ2024」(2024年2月20日~25日)内において展示作家による来場者へのセクシュアル・ハラスメントと暴行の被害が発生したことに対し被害者の会が声明文を発表。のちに展示作家はお詫びの文章を発表。
11日
・国立西洋美術館の内覧会で出品作家や市民が行ったイスラエルのガザ侵攻への抗議活動に対して警察が美術館内へ許可なく立ち入り監視する。
13日
・旧日本軍兵士が受けたPTSD・心的外傷後ストレス障害に対し戦後初めて国が調査に乗り出す方針を決定。
15日
・沖縄戦の混乱で国外に流出した琉球国王の肖像画「御後絵」を含む複数の文化財が米国内で見つかったと沖縄県が発表。
16日
18日
・札幌千秋庵製菓の洋風煎餅「山親爺」のテレビCMが26年ぶりにリニューアルして復活。パッケージデザインのリニューアルも発表。黒い缶は廃止。
●訃報
1日
・鳥山明(漫画家)
4日
・TARAKO(声優・俳優)
11日
・リサ・ラーソン(陶芸家)
14日
・神田一明(画家)
26日
・リチャード・セラ(アーティスト)
29日
・舟越桂(彫刻家)
●日記
5日
・啄木賢治青春館「紺スタ大博覧会」消しゴムはんこ作品が並ぶ。今純三に近いものを感じた。
・版画家Iさんとお茶を飲み別れを惜しむ。
19日
・報恩寺、光原社資料室などを友人の写真家Tさんと見学し別れを惜しむ。
21日
24日
・国立近現代建築資料館「アイヌの建築と工芸の世界- チセ、マキリ、アットゥㇱ -」
26日
・ギャラリーSAI「深瀬昌久展」
・映画「海がきこえる」
28日
29日
・国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?
――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」「小企画展
真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」
31日
・小金井市中町天神前集会所「実験映画を観る会vol.8 伊藤隆介特集上映」
(啄木賢治青春館「紺スタ大博覧会」)
(志波城古代公園にて)
(盛岡市の報恩寺。羅漢堂が有名だが彫刻家・堀江尚志の作品の石膏原型などもある)
●所感
・仕事の都合で岩手県を離れた。何人か友人のアーティストが別れを惜しんでくれた。
・琉球国王の肖像画「御後絵」を含む複数の文化財が米国内で見つかったと沖縄県が発表したのには大変驚いた。
・「舟越桂」の訃報。僕が最も最初に名前を覚えた彫刻家のひとりだった。やはり地元の美術館に作品が所蔵されているというのは大きいもので、他のどの彫刻家よりも先にその名があり作品があった。たぶん佐藤忠良と同じ頃に、高村光太郎より本郷新より舟越保武より先に、小学校の頃に名を覚えたと思う。木彫の不思議な人物像の、うつろなようで確かな存在感をもつ瞳は、いつもすっと自分の中に入ってきた。岩手に住むようになってからは県立美術館の常設展でよく作品を目にしていて一層身近な存在だった。で、あったが故にこれまできちんと彫刻家・舟越桂について考えることをしてこなかった。生前にそれができなかったのが残念だ。
・ギャラリーSAIの「深瀬昌久展」では瀬戸正人さん所蔵の貴重な深瀬のプリントを実際に手袋をして手に取りながら見た。先日中平卓馬展にも行って、なんとなく関連付けて見てしまった。深瀬さんも中平さんも何か作品に徹底しているものがあって、破滅型のように思えた。自分を追い込んでいく態度というか、それに人は惹かれるのかもしれないと感じた。
(ギャラリーSAI「深瀬昌久展」にて、瀬戸正人さん所蔵の貴重な深瀬のプリント)
・話題になっていた、国立西洋美術館の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」についての感想もここに書き残しておきたい。
序盤で松方コレクションに遡り安井曽太郎の言葉を引いて「美術館がアーティストのために存在できてきたか?」と自問するのは理屈としてはわかる。しかしその後の章立ては問題設定があまりに多岐に渡りすぎていて、見るのが辛かった。平たく言えば、私の平凡な脳みそにとっては、作品とテーマが多すぎて見づらい。
元も子もないことを言えば、ひとりの美術ファンとして西洋美術館で現代美術を見たいと思ったことは今まで一度もないのだが、世の人々はどうなのだろうか、という疑問もある。
もちろんこれは西洋美術館による西洋美術の相対化に対する疑問ではなく、むしろそのような方向に特化した展示は今の時代や社会にあるべきだし個人的な興味としても見てみたいと思う。例えば日本に限らずアジアやアフリカの美術への西洋美術の影響を考察する展示のような。こういうのは福岡アジア美術館あたりが得意かもしれない。
わざわざ現代の美術家にお出ましいただかずとも、同時開催していたゴヤの版画の特集のようにコレクションを活かして、時代を超え現代を捉え直す視点を提供してくれる好企画をすることも西洋美術館であれば可能なのだ。
そういう意味では最終章でモネと辰野登恵子の作品を並べたりするのは、実験的な絵画の比較検討をやろうとしていることが見た目にわかりやすくかつ西洋美術館ならではのコレクションの活用で面白かった。ここだけでも何時間でも見ていられそうな展示だった。この章のテーマで一つの展示を作っても良かったと思う。
その中で印象に残った作品として、弓指寛治はあるホームレスの物語を中核に据えて作品を展開しており読み物として面白かった。だが、ひとつ私が気になったのは作品から読み取れるキュレーターのホームレスに対する態度で、オブラートに包んだ言い方をすると悪い意味で一歩引いていると思えた。もしそうなのだとするとこの展示でも扱われ、展示オープニングの抗議でも扱われているような様々な社会問題への、西洋美術館からの自問自答の真剣さにも関わるものだと私には感じられた。
さすが個々の作品は一定以上の水準ではある。だが全体としてはまとまらず煮え切らないという印象の展示だった。キュレーターの責だろう。
そして、以上のことよりずっと重要なのは、国立西洋美術館の内覧会で出品作家や市民が行ったイスラエルのガザ侵攻への抗議活動に対して警察が美術館内への許可なく立ち入り監視したという事実であり、そのことに対して美術館から抗議があったかどうか、ではないだろうか。
(国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」)
「国立西洋美術館「小企画展 真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」
・たましん美術館の「邨田丹陵 時代を描いたやまと絵師」は、教科書に載っているあの大政奉還の絵(聖徳記念絵画館所蔵)の絵師の回顧展といえばわかるだろうか。小堀鞆音や寺崎廣業らと活動していたが公募展への出品をやめたため知られざる存在となっていたようだ。私も全く知らなかった。展示数は多くないが多摩地域の美術館らしい好企画と言えるのではないか。丹陵は父が田安家家臣だったところから徳川家関連の仕事をいろいろやっていたらしく、大政奉還の絵に繋がるのもなるほどとなった。また丹陵はプロ顔負けの規模で菊栽培をやっていて鏑木清方が驚いたとか、面白い逸話も紹介されていた。大政奉還の図は旧幕臣らの意を汲む形で下絵が描き直されているらしく元々はどういう構想だったのか気になった。
・Bunkamuraル・シネマでは映画「海がきこえる」を見た。若い世代も来ているように見受けられかなり混雑していた。まさに春休みにぴったりの作品だ。松野も杜崎も足が長いなぁスタイルええなぁと思いながら見ていた。恋愛ものでもあるけど友情ものでもあって、松野がなんともいえずいいキャラクターだ。里伽子が学園祭に参加せず詰められているシーンは以前だったら可哀想だと思ったかもしれないけれど、今なら詰める側の気持ちもわかる。里伽子に惹かれたのは才色兼備で都会的で垢抜けているからなのか、自分を通す強さ(自分勝手とも言える?)なのか。杜崎が里伽子への気持ちを自覚するのは松野との再会の時なんじゃないかと思った。回想の演出もよかったし、最初と最後の吉祥寺駅のシーンは本当にきれいな構成だった。ほのかに漂う進学校ならではの雰囲気もいい感じ。細かい疑問として、緑の壁がイヤなのはわかるが、なぜホーローの鍋はだめなんだ?
・静岡県立美術館「天地耕作 初源への道行き」。アーティスト・コレクティブの活動を始めたばかりだったので参考になるかと思い鑑賞。海外での展示にまで展開していった活動を徐々に非公開のパフォーマンスへと閉じていく(アーティスト自身の内側へ開いていく?)様が興味深かった。
(静岡県立美術館「天地耕作 初源への道行き」)
・札幌市で開催されたグループ展で展示作家による来場者へのセクシュアル・ハラスメントと暴行の被害が発生したことに対し被害者の会が声明文を発表し、のちに展示作家がお詫びの文章を発表したことについても書いておきたい。私は当該展示を見ていない。だが経緯を当事者による発信のSNS上で追う限りは、適切なハラスメントの告発とそれに対する適切な謝罪の表明が行われたように見受けられた。今後も同様の被害が起きないように願う。
ここであえて問題としたいのは被害者の会や当該展示作家のSNS上の投稿に付けられたコメントで、展示作家に対し無理な擁護をしようと試みて被害者を攻撃するようなものが散見されたことだ。もちろん被害を軽視する態度は問題があるが、それ以上に彼らが庇いたいはずの展示作家が自身の過ちを反省する機会を奪うようになっている構造が大変残念だった。私は出身地として札幌の文化的成熟度は高くあって欲しいと願っているが、このような事態が起きるのみならず、詫びの文章に加害者を無理に庇うようなコメントが顕名で多数投稿されるようでは、それもまだまだ遠いと思わざるを得なかった。展示作家が可哀想である。
・札幌千秋庵製菓のリブランディングは基本的によくできていると思うが「山親爺」なパッケージデザイン刷新で黒い缶が廃止になったのは少し残念だ。
4月〜6月編に続く・・・。