こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

天塩川日記④

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弘法寺の線刻仏)

  

 の続き。恩根内滞在4日目が始まります。

 

 

  

2019.5.4.

 

 

 

・白樺を描く

 

 滞在4日目。7時起床。なんとなく頭がいたい。疲れが溜まってきているのかもしれないと思いつつも「むしろこういう時は動いた方が元気がでるのだ」と自分に言い聞かせつつ朝食を済まし、朝8時頃から、再び5月2日にペンだけで描いた白樺の風景を描きに行った。結局この時に描いた絵を今回の展示のポスターとチラシに使うことになった。

 

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(制作風景)

 

 よく見ると前描いた時より少し雪が溶けている。集中して描いているといつのまにか太陽の光が射す位置が変わっている。刻一刻と季節は移り変わり道北の遅い春が訪れてきているのだと実感する。

 

 アートヴィレッジに戻ってはやめの昼食にピラフを食べる。白樺の絵はさっそく大友さんが写真に撮り、データを渡すと工藤さんがすぐポスターにしてくれた。仕事がはやい。大友さんと本日のスケジュールについて相談する。

 

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・恩穂山へ

 

 大友さんが事前に情報を入手していた「紋穂山」について工藤さんに確認したところ、「恩穂山ではないか?」「このあたりに四国八十八か所を模した石仏があり、それがあるのが恩穂山だ」とのこと。さらに「八十八か所があるといえば…」と近くのお寺を案内された。

 

 この日は大友さんのお子さんたちも2人ついてきて一緒にフィールドワークだ。にぎやかで楽しい。13時ごろ出発。

 まず、アートヴィレッジから車ですぐの天塩山弘法寺に来てみた。ここは北海道八十八か所霊場の第十八番札所である。たしかに八十八ケ所を模した石仏はあったのだが、思っていたよりずっと立派だった。その八十八か所の石仏が並ぶ端に自然石に素朴な線刻で仏の姿を彫ったものが何個かあった。

 想像と違う気がするな・・・と思い帰ろうとすると、ちょうどよく住職さんらしき方がいたので訊いてみたところ、立派な八十八か所の石仏は下川町のお寺で維持できなくなったのを持ってきたもので軟石を使った珍しいつくりなのだという。

 「ではあの線刻の石仏は?」と訊ねると「明治35年に開拓に入った方が畑から出てきた石に彫ったものだ」という。その方がこのお寺の檀家さんなのでここにそれがあるとのこと。道の駅近くの高台にある公園には自然石に線刻した石仏がもっとたくさん置かれているとのこと。その高台こそが恩穂山で、どうやら話に聞いていた石仏はほとんどそこにあるらしい。ちなみに後から調べるとその入植者は神野槌之丈さんといい、やはりというべきか四国の愛媛県の出身者であった。

  

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(恩穂山の石仏)

 

 恩穂山の公園の石碑には「びふか森林公園」の文字が彫られていた。

 町の功労者の銅像などいくつかの碑と並んで八十八か所の石仏がずらっと並んでいた。しかも2タイプある。一方は自然石に線刻されもう一方は成形された石に浮き彫りになっている。いずれも素朴な印象を受ける。不動堂や大師堂もある。お堂にお邪魔して拝ませてもらう。大師堂の祭壇にあった仏像は自然石に線刻されたうえでチョークのようなものを使って青や黄色で輪郭がなぞられていた。不動明王は立体的に彫られているが朴訥とした表情で顔が大きい。不動堂は神野さんとはまた別のいわれがあるようだ。

  

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(雪の重さで折れたらしい木)

 

 山の上へ登っていくとまだ雪が少し残り、階段に木が倒れて覆い被さっていた。

 

 

・アトリエ3モア

 

 その後15時頃から音威子府へ向かう。砂澤ビッキのアトリエであった「アトリエ3モア」を再訪、見学した。ここはアトリエになる前は小学校だったらしい。

 中は木のチップを床に敷き詰めたり暗室で作品をライトアップしたりとかなりギャラリーとしての改装が施されているが、アトリエなどは使われていた当時のままだ。

 作品は年代順並んでいるわけではなく、なんとなくテーマごとに並ぶ。いわゆるビッキ文様が施された器物のドローイングや動物、荒々しい木彫り熊、のみ跡を活かした抽象彫刻、長い巻物状のドローイングなどがある。初期のシリーズ「ANIMAL」に属する作品を見られたのが嬉しい。カフェスペースではバーの装飾に使われていた看板などが展示されている。音威子府村の入り口に立っていたビッキ作のトーテムポールもここにある。もちろん、愛用の品の数々やデスマスクも展示されている。

 

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(アトリエ3モア、館内の様子) 

 

 僕が展示を見ている間、大友さんの子どもたちはカフェスペースでおとなしく動物の映像を見ていた。とても居心地の良い場所だ。

 

 アトリエ3モアを見終え、すぐ近くのJR筬島駅に行ってみる。客車を改造した駅舎を通り抜け線路に出ようとすると、足元に5センチほどの蛾が落ちていて驚いた。「ビッキは蛾をモチーフに作品を作っていた」という説明を読んだばかりだったので、ふいに会ったこともないビッキと出会えたような気がした。

 

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(筬島の蛾)

 

 その後、天塩川に出る。大友さんは写真を撮り、僕は川岸を描いた。ビッキは飼っていたアヒル天塩川で水葬したこともあったという。時々、大友さんの子どもたちが絵を描く僕の両側に座った。見られながら絵を描くのは緊張するし気恥ずかしい気持ちもあるが、それ以上に今さらながら絵を描いていることで注目されるのが嬉しかった。

 

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 (音威子府駅前にて)

 

 恩根内に戻る途中、JR音威子府駅にも寄る。駅の外のスロープに並ぶ柱にはフクロウが彫られ、駅名の看板も木彫だった。ビッキの作だろうか。構内の一角には音威子府から浜頓別を通り南稚内につながっていたJR天北線の資料があった。駐車場の片隅には高さ2メートル以上あろうかという雪山がまだ残っており、除雪機で崩しながら溶かしていた。

 

 

 夜、大友さんと共通の知り合いの美術家のNさんが来て泊まっていくことになった。お土産に魚の干物をくれた。3人で少しお酒を飲みながらよもやま話をして1時頃に就寝。

 

 

 

 ⑤に続く。