こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

備忘録・2019年前半 行った展示など

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(町田市立国際版画美術館・特に内容には関係ないです)

 

 2019年前半 行った展示などの備忘録。

 

  改めて見てみると、行きたかった美術展はおおむね行けていて満足。しかし何年たっても思い出すような自分にとって重要になりそうな展示はほぼなかった。また美術展に行けたかわりに映画や演劇の類は全く見れていない。本もほとんど読めていない。情けない。

 

 印象深い美術展を挙げていきたい。

 まず、マイケル・ケンナ展(東京都写真美術館)。マイケル・ケンナの作品は札幌で見て以来大ファンだったので見られてよかった。無意識にひいき目に見てしまっているのだと思うが、北海道を撮った作品群が特によいと思った。

 「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s」(アーツ前橋)は、アジア各地で用いられてきた木版画を俯瞰する試み。現在進行形の運動で横断幕などに使われている木版画を見ると、美術館に飾られているだけの作品は霞んで見えてしまう。

 「美しいぼろ布展 ~都築響一が見たBORO~」(アミューズミュージアム)は、施設閉館を耳にして急遽行った。貴重な資料を見られてよかったのだが展示が安っぽくお粗末だったので、今後はもう少し改善してほしい。 資料がかわいそうだ。

 「二人のカラリストの出会い デイビット・ホックニー 福田平八郎」(THE CLUB)は全体で20点もないほどの小規模な展示だったが、その手があったか!と思わせるような組み合わせの妙で印象に残った。こういうのをキュレーションというのではないかと思った。

 「ハーヴィン・アンダーソン They have a mind of their own」(ラットホールギャラリー)は、内容的に北海道出身の自分に重なる部分があり、興味深かった。植民地出身であるということ、そこから絵を描くということ、とは。

 「志賀理江子 ヒューマン・スプリング」(東京都写真美術館)は、志賀さんにもともと興味があったので念願だった。「螺旋海岸」を初めて見たときの衝撃には及ばないが、ネットで怖い話を読んだ時のような恐怖感というか、禁足地に入ってしまった時に化け物に出会った時の感情というか・・・そういう何とも言えない感じの写真は相変わらずよかった。。凝った会場構成も楽しめた。

 「六本木クロッシング2019:つないでみる」(森美術館)や、東京都現代美術館 リニューアルオープン記念展は、思っていたより面白くなかった。

 

 寺社はあまり行けなかったが、鷽替えは行き過ぎるくらいに行ってしまった。武蔵御嶽神社や上岡観音絵馬市、深大寺だるま市は行ってよかった。

 

 2019年前半に見た展示などは以下の通り(なお、見て面白くなかった展示や通りすがりに詣でた寺社などはメモしていない)。

 
1月

 

3日

東京国立博物館 「博物館に初もうで」

寛永寺根本中堂(特別拝観徳川15代将軍肖像画

・平河天満宮

・新井天神北野神社

6日

・武蔵御嶽神社

15日

・BLUM&POE 「ヒュー・スコット・ダグラス」

・AKIO NAGASAWA 青山 「オロール・ドゥ・ラ・モリヌリ 『オマージュ・ア・アライア』」

・MISA SHIN GALLERY 「高山明 マクドナルド放送大学

20日 

東京藝術大学 横浜校地 元町中華街校舎 「東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻 修士課程修了制作展」

全労済ホール スペース・ゼロ 「赤城修司 個展 Fukusima Traces,2018」

22日

東京都写真美術館  マイケル・ケンナ

 24日

亀戸天神 鷽替え

25日

五條天神社 鷽替え

湯島天神 鷽替え


2月

 

2日

・アーツ前橋 「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s」 

・nap gallery 「露口啓二 『自然史』」

11日

・世田谷文化生活情報センター 生活工房「新雪の時代-江別市世田谷の暮らしと文化」

14日

東京国立博物館顔真卿

15日

・メゾン・エルメス 「ピアニスト 向井山朋子

16日

・小金井アートスポットシャトー2F 「『35th parallel north 』」

・パープルームギャラリー 「オブジェを消す前に 松澤宥 1950-1960年代の知られざるドローイング 」

・salon 文家 「exhibition49」

17日

岡本太郎記念館 「弓指寛治 『太郎は戦場へ行った』」

・TAV gallery 「高田冬彦&仁藤建人 『不可能な人』」

18日

・ギャラリーエークワッド 「木下直之全集ー近くても遠い場所へー」

19日

・上岡観音 絵馬市

・原爆の図丸木美術館 「原田裕規 写真の壁」

20日

名古屋市美術館 「辰野登恵子 ON PAPERS」

碧南市藤井達吉現代美術館「佐藤玄々(朝山)展」

25日

国立新美術館美大

国立新美術館「21st DOMANI 明日展

 30日

・志茂熊野神社


3月

 

1日

YUKI- SIS 「菊池史子個展 “TELLING A STORY” 」

3日

深大寺だるま市

9日

日本民藝館柳宗悦の『直観』」

・四谷未確認スタジオ  「中川元晴個展『おとなしいファンクション』」

東京国際フォーラムアートフェア東京

・ギャラリーFREAKOUT 「ドリル3」

14日

ヒルサイドフォーラム「もの・かたりー手繰りよせる言葉を超えて」

・ギャラリーなつか 「阿部智子 what's floating?」

15日

・KEN NAKAHASHI 「佐藤雅晴 死神先生」

21日

埼玉県立近代美術館 「インポッシブルアーキテクチャ

23日

・TOKAS hongo 「霞はじめてたなびく」

26日

・photographersgallery「大友真志 Mourai」

28日

・EUKARYOTE 「ユアサエボシ プラパゴンの馬」

29日

アミューズミュージアム 「美しいぼろ布展 ~都築響一が見たBORO~」

上野の森美術館VOCA展2019」

・kanzan gallery 「山霊の庭 野村恵子」

30日

・THE CLUB 「二人のカラリストの出会い デイビット・ホックニー 福田平八郎」

 


4月

 

3日

・Gallery蚕室 「五福文様展」

11日

日本橋三越本店 「久松知子絵画展」

13日

・メゾンエルメス「うつろひ、たゆたひといとなみ 湊茉莉展」

14日

松屋銀座デザインギャラリー1953 「菅俊一展 正しくは、想像するしかない。」

15日

・ギャラリーアーモ 「櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展」

17日

東京国立近代美術館 「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」

19日

東京造形大学 助手展

21日

・THE CLUB「コア・ポア Returnee」

・銀座蔦屋書店 ARTPARTY2019.04 「磯村暖『わたしたちの防犯グッズ』」

24日

東京都写真美術館志賀理江子 ヒューマン・スプリング」

東京都写真美術館「写真の起源 英国」

25日

・佐藤美術館「TOHOKU CALLING」

・GalleryK「大地と人と街 西村卓 安田萌人」

26日

・北海道立近代美術館 「相原求一朗 の軌跡 ー大地への挑戦ー」

・北海道立近代美術館「近美コレクション 風雅の人 蠣崎波響展」

・北海道文化財団アートスペース「葛西由香 201号室、傍らの些事」

28日

市立函館博物館「描かれたアイヌ 市立函館博物館所蔵資料に見るアイヌの姿」

 


5月

 

1日~10日

・恩根内滞在制作

10日

・salon cojica 「大橋鉄郎個展 いえい、頑張っていこうよ。」

11日

・札幌芸術の森美術館「砂澤ビッキ 風」

・本郷新記念札幌彫刻美術館「砂澤ビッキ 樹」

・書肆吉成GATEギャラリー「露口啓二 写真展」

18日

・ファーガスマカフリー「白髪一雄」

・ラットホールギャラリー 「ハーヴィン・アンダーソン They have a mind of their own」

・ヴォイドプラス「田口和奈 エウリュディケーの眼」

・NEWLD Cassette tapes & Arts. 「RETRO MACHINISM」

・美術愛住館 「アンドリュー・ワイエス

23日

・LOKO gallery 「加茂昴 境界線を吹き抜ける風」

24日

・神奈川県立歴史博物館「横浜浮世絵」

・横田茂ギャラリー 「山口勝弘 日はまた昇る

25日

森美術館六本木クロッシング2019:つないでみる」

・OTAFINEARTS「アキラ・ザ・ハスラー+チョン・ユギョン『パレードへようこそ』」

ニコンTHEGALLERY新宿「北島敬三 UNTITLEDRECORDS2018」

 
6月

 

1日 

・二人展「天塩川 鼎談」に参加 

12日

川村記念美術館ジョゼフ・コーネル コラージュ&モンタージュ

14日

東京都現代美術館 リニューアルオープン記念展

20日

・町田市立国際版画美術館 「ーTHE BODYー 身体の宇宙」

・パープルームギャラリー 「韓国からの8人」

26日

東京大学総合研究博物館 「愛で、育て、屠る 家畜」

日中友好会館美術館 「金山農民画展 中国のレトロ&ポップ」

・銀座ヒロ画廊 「ヴァシリス・アブラミディス新作個展『Host』」

・銀座メディカルビル 「ティンリン個展 ロンジー・プロジェクト」

29日

・株式会社数寄和「ホリグチシンゴ vapor under the city」

  

 

 

(終)

 

 

ー東京で北海道を探すー「新雪の時代ー江別市世田谷の暮らしと文化」見学レポート

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 北海道札幌市の隣町の江別市には「世田谷部落」と呼ばれる集落がある。なぜ東京の世田谷区と同じ名前の集落があるのだろうか。その集落はいつどのようにできたのか。そこに住む人々の暮らしはどうなっているのか…。

 

 世田谷文化生活情報センター生活工房では「新雪の時代ー江別市世田谷の暮らしと文化」と題して2019年1月26日~3月10日まで、この「北の世田谷」について展示が行われていた。私は集落の存在こそ聞いたことがあったが、その形成の経緯や実際の暮らしなどはよく知らなかった。主に暮らしの中の文化的側面にスポットを当てており、小規模ながらよくまとまって見やすい展示だった。行った日はちょうどレクチャーがあって戦中の集団移住の概要を知ることもできた。

 

 

 

※以下の文章の事実関係等は特に断らない限り会場の掲示物を参考にした。

 

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 会場はこんな感じ。

 

 「北の世田谷」こと世田谷部落(※「部落」という言葉は北海道では差別的意味を持たず集落とほぼ同じ意味で使われているため、以下それを尊重して使用する)は、1945年7月に食糧増産を目的とする「拓北農兵隊」として東京都世田谷区から33世帯が入植したことに始まる。エノケン一座の役者や音楽家、大学講師などさまざまな肩書きを持つ人々が農耕に適さない泥炭地を切り拓いていった。今回の展示は新聞記事や入植者による証言、機関誌『新雪』に関する資料、世田谷部落開拓2世の山形トムさんの絵画作品などを通して歴史を辿るものだ。

  

 

  

 ◯「北の世田谷」ができるまで

 

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 (左、会場入り口のあいさつ文 右、世田谷区民の入植をモチーフにした演劇のポスター)

 

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 (会場に掲示されたパネル)

 

 太平洋戦争中の1942年、初の日本本土空襲であった「ドーリットル空襲」以降、次第に空襲は激しさを増すばかりとなり、1945年3月の東京大空襲の2ヶ月後、5月25日と26日には世田谷を含む山の手エリアで空襲があった。世田谷区役所庁舎もこの時焼失したといわれる。都市部の戦災者たちは行き場をなくし食糧の確保も問題視されるようになった。

 それを解決するために、戦災者を集団で北海道に帰農させる計画が進められることとなった。1945年5月に「北海道疎開者戦力化実施要綱」が次官会議で決定、衆議院議員であり「日本酪農の父」と呼ばれる黒澤酉蔵らによって意見書も提出された。当時の帰農者募集の新聞記事には、移住地までの鉄道運賃無料、住宅の用意や食料の配給制度など好条件が見て取れる。この帰農者たちが後に「拓北農兵隊」と呼ばれることになる。

 拓北農兵隊の第一陣の出発は1945年7月6日。壮行式では東京都長官や開拓協会会長の千石興太郎(のち農商相)、町村金吾(北海道出身、当時警視総監、のち北海道知事など)の激励や、歌手による「拓北農兵隊を送る歌」の歌唱まであった。拓北農兵隊は入植先ごとの地名で呼ばれ、世田谷区民33世帯は江別隊と呼ばれた。終戦後も「戦後緊急開拓事業」に引き継がれるまで空襲被災者の帰農は続き、1945年7月から11月までの間で3400戸17000人の移住と帰農が行われたという。移住者の記録を見ると、電気や都市ガスのある生活から皿に油を入れて火を灯す生活になったなどと書かれており、北海道各地への短期間での急激な入植は世田谷区民の移住に限らず大変な混乱と労苦を伴うものだったろうと想像できる。

 江別隊が野幌駅に到着したのは7月9日、無事に現地の農家に迎えられた彼らだったが新聞広告で謳われていた住宅の用意はされておらず、牛舎の2階を借りて原始林から伐採した材木を往復20キロの道のりを運んで家を建てるところから始めなければならなかった。一か月後の8月15日には終戦。入植希望者の半数以上は東京に帰り、18世帯が「世田谷」に残った。

 

 この世田谷区民の入植をモチーフにした劇団「川」による公演「北の世田谷物語」のポスターも展示されて、記録映像が流れていた。ポスターには副題のように「落武者たちの記念日」とある。確かに世田谷区民は戦争で都を追われ、地方に逃げてきた者たちであっただろう。しかし、彼らは落武者なのか?と思った。この呼称が彼らの自称なのだとすれば、そこに彼らのおかれた境遇と独特のアイデンティティが読み取れるかもしれない。

 

 

 

 ◯機関紙『新雪

 

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 機関紙『新雪』が創刊されたのは1947年1月31日。この時期は移住後の生活もひと段落した頃だったのだろうか。発行者は当時17〜19歳の若者たちによるグループ「世田谷青年会」で、内容は随筆、評論、俳句に加え挿絵までついていた。最初は手書きの原稿を綴じたものだったが1949年にはガリ版刷りになり、のち1950年の休刊を挟んで1952年に『緑原』と改題復刊、1955年に『新土』と改題され継続された。『新雪』自体も息の長い活動だったようだが他にも句誌や文芸誌が作られたというから、このような同人誌的活動がとても盛んだったことがうかがえる。会場のパネルには以下のような言葉があった。

 

 ー進歩が終わったときは退歩のはじまりだと。我々は常にこの言葉をかみしめ、機関紙を中心にお互いを物質文明に恵まれないこの原野の心のよりどころとし、助け合い励まし合い、苦しみ合って教養をつんで行きたいと思ふ。ここに土に立脚した完全なる文化人が生まれ、その結合は理想的文化郷となるであらう事を確信するー

(愚生「所感」『新雪』1949年1月号p4より)。

  

 都市での暮らしから原野を切り開く暮らしに変化する中で文学や文芸が必要とされたことが興味深い。

 また、青年会の中では宮沢賢治が紹介され、その思想に共感、理想郷「イーハトーヴォ」を「北の世田谷」の地に投影していたことも指摘されていた。

  

 

 

 ◯「北の世田谷美術館

 

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(会場解説パネル)

 

 北の世田谷美術館は、入植2世の山形トムさん(1934〜)が作った私設の美術館。トムさんは1970年頃から絵画教室や江別の美術団体をきっかけに農業や酪農のかたわら絵を描き始めた。牛舎を改装し自身の作品など80点を飾った美術館のオープンは1996年。残念ながら2015年春に火事で焼失、建物だけでなく多くの作品や開拓当時の資料も失われたが、アトリエに保管されていた絵画があり2015年8月には一時的に再開館も果たした。本展で展示されている絵画はアトリエで焼失を免れた絵画7点と世田谷区が所蔵する2点だ。

 

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 (左、トムさんのアトリエの写真 右、パレットや短冊)
 

 以下、作品を紹介。

 

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「馬耕」92.0×147.0 油彩、パネル 制作年不詳

 

ブラウという農機具を馬に引かせている。北海道の開拓初期に使われた道具だが世田谷では1960年頃まで使っていたという。

 

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「家畜ビート」94.7×123.0 油彩、カンヴァス 1977(昭和52)年

 

 北海道の畑作の基幹作物であるビートを栽培する様子。

 

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「ブルドーザー」130.5×162.0 油彩、カンヴァス 制作年不詳

 

1961年に酪農機械利用組合が発足、馬耕からトラクターの利用へ移行していった。本作は牛馬への愛着と同様の視点から描かれたという。

 

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「夕暮」91.0×117.0 油彩、カンヴァス 制作年不詳

 

石狩川を背景に糸杉が立ち並び、奥には王子製紙の煙突が見える。付近の代表的な景観である。

 

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「羊群」38.0×45.5 油彩、カンヴァス 2016(平成28)年

 
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「夕暮」38.0 ×45.5 油彩、カンヴァス 1979(昭和54)年頃か

 

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「入植記念日10周年」130.0×162.0 油彩、カンヴァス 制作年不詳

 

 入植10周年記念日に撮られた写真を元にしている。右端にいるのは山形トムさんの父の山形凡平さん。

 

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「風雪」130.0×162.0  油彩、カンヴァス 制作年不詳 世田谷区所蔵

 

 

 地方と都市の関係や暮らしと文化の関係について考えるのに興味深い展示だと思った。 

 ②へ続く?…

 

 

  

アイヌ民族と「アイヌ絵」について知りたい方への個人的ブックガイド

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(小玉貞良「蝦夷絵」 市立函館博物館所蔵)

  

 

 

 以前、東京の中野で開催されている「土曜会」というラフなアートの勉強会に参加したことがあった。「アイヌ絵」について知っていることを30~40分ほど喋ったのだが、これほど大変だとは思わなかった。自分でわかっているつもりのことを改めて整理して話そうとすると復習の必要もあり、かなり準備に手間取った。情けないことに開催日の数日前に風邪を引いてしまい、「寝込んでいた時間をプレゼンのスライドの内容を整理したり詳しくできていれば、もう少しマシなプレゼンになったのに・・・」と、少し悔しい気持ちでいる。アイヌアイヌ絵について、少しでも興味を持つ方が増えれば幸いなのだが。

 

 プレゼン後におすすめの本を訊かれたり、自分でもおすすめの本を紹介しようと思っていながら時間が足りなかったので、ここに書いておく。

 僕が読んだ本の数などタカが知れているので、先輩諸氏にもっといい本があればぜひご教示願いたい。

 

 まず、アイヌの世界を旅する (太陽の地図帖 28) 」(太陽の地図帖編集部 、平凡社は、アイヌ民族について知りたい人が最初に読むのにはとても良い。手軽でわかりやすい。美しい写真やイラストを眺めていいるだけで楽しい一冊。旅行ガイド的な情報も豊富なので、北海道旅行の前に買うのがおすすめ。ただし観光情報の一部はすでに古くなっているものもあるかもしれないので注意。

 アイヌの世界を旅する」は文章は少なめで、あくまで概要を押さえるのに適している本だと思われる。物質文化に興味をもったらちょっと古いけど詳細なアイヌ文化誌ノート(歴史文化ライブラリー) 」(佐々木利和 著 、吉川弘文館を読むとか、物語に興味を持ったら「カムイ・ユーカラ平凡社ライブラリー)」(山本多助 著、平凡社アイヌの昔話ーひとつぶのサッチポロ(平凡社ライブラリー)」(萱野茂 著、平凡社を読むといい。

 アイヌの歴史を押さえるのであればアイヌ民族の軌跡(日本史リブレット)」(浪川健治著、山川出版社も、少し古いがまとまっていてよい。

 

 漫画は「ハルコロ」(石坂啓 著、潮出版社を勧めたい。アイヌをモチーフにして描かれた数少ないマトモな漫画だ。ちょっと古い本なので風俗描写が適切かわからないが、良質の少女漫画を楽しみながらアイヌの世界観に触れることができる。

 

 萱野茂さんの著作はたくさんあって、とても読み切れていない。だが、自伝アイヌの碑」 (萱野茂 著、朝日新聞社は、やはり外せない。二風谷でアイヌ語の中で成長し、若いころはアイヌに関わることを避けていた萱野さんがあるきっかけで民具や民話の収集を行うようになり、それは資料館へ結実していく。読み易い。

 

 また、今日アイヌのことを知る上で必読なのがアイヌ民族否定論に抗する」(岡和田晃、マーク・ウィンチェスター 編、河出書房新社だ。これは昨今のヘイトスピーチに対してカウンターとして出版された。実に様々な角度から批判が展開されている。これほど多様な反論を目にすれば、小林よしのりネトウヨ議員らの発言には全く根拠がないことが誰でもわかるはずだ。民族(エスニシティ)についての理解を深めることもできる一冊。

 

 また、私のように表現に関わる人間に是非読んで欲しいのがアイヌ肖像権裁判・全記録 (PQブックス)」 (現代企画室編集部、現代企画室)だ。いわゆる「アイヌ民族肖像権裁判」の証人証言や被告人尋問、裁判をめぐる言説を収録している。この裁判は、肖像権の侵害にとどまらず、学者側のアイヌに関する記述の杜撰な実態や、学問の自由を盾にした根深い人権侵害と差別を明らかにしたものだった。はじめ原告は無断で写真を使用されたのみならず「滅びゆく~」というレッテルを貼られて本に掲載されたことで、民族としての誇りを深く傷つけられたことから謝罪を求めたのだった。学者を表現者と置き換えて読めば、他者を表現することについて考える本としても読めるのだ。

 

 その他、「新・先住民族の近代史」(上村英明 著、法律文化社にも学ぶところが大きかった。10年ほどを経て出た改訂版だが内容は全く古びず、今こそ読まれるべき本といえる。いくつかのトピック(オリンピックや核開発など)にわけて、近代以降のそれらが先住民族にどのような影響を及ぼしたのかについて書かれている。アイヌに関する記述も多い。琉球処分についても。


 アイヌ語由来の地名についても興味深い研究がたくさんあり、私はまだまだ不勉強で何もわからないが、たまたま手に取ったアイヌ語地名を歩く」(山田秀三 著、北海道新聞社)は、図入りで読み易かったので紹介しておく。新聞の連載を基にしており、見開きで一つのまとまった内容なので手軽だ。知里真志保との交流など、時々挟まれるエピソードも楽しい。入門には相応しかろう。

 

 アイヌ絵については出版されている本は多くないのだが、アイヌ絵巻探訪ー歴史ドラマの謎を解く」(五十嵐聡美 著、北海道新聞社)は、ほとんど唯一の入門書といっていいかと思う。新書版の割には図版も多く、内容も充実していて小玉貞良について特に詳しい。なにより読み易い。文章の品位を落としかねないくらいだ。個人的にはもう少し堅苦しくてもいいのにと思う。だれにでも勧められる。ほかに「『アイヌ風俗画』の研究」(新明 英仁 著、中西出版)は、カラー図版が豊富で画集のよう。内容も詳細で専門的。たしか博士論文を下敷きにしているはず。買うには高いので、図書館などでまずはこの本を見て、視覚的にアイヌ絵を知るのもいいかもしれない。

 

 展覧会図録だと、夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」(北海道博物館 編)がおすすめ。アイヌアイヌ絵に興味をもつきっかけが夷酋列像だったという人って一定数いると思うのだが、私がまさにそうである(夷酋列像アイヌ絵なのかどうか、という疑問は置いておく)。これを読んでおけば明日からあなたも「夷酋列像」博士だ!夷酋列像」の拡大画像がちょっと粗いのが玉に瑕だが、その他にはほとんど言うことなし。様々な角度から考察されていて面白い。

 他に、アイヌ文様の美 線のいのち、息づくかたち」(北海道立近代美術館 編)もよい。写真が豊富で、まさにアイヌ文様の美を堪能することができる一冊。古い本だが「描かれた北海道 18・19世紀の絵画が伝えた北のイメージ」(北海道開拓記念館 編)は、「蝦夷地」や「北海道」のイメージがどう形成されていったのか考えるのに必須の一冊。

 

また思いついたら追記していきたい。

 

 

 

(終)

 

 

天塩川日記⑩

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(恩根内のふきのとう) 

 

 の続きです。恩根内から札幌へ帰ります。そのまえに少し寄り道をしました。

 

 

 

2019.5.10.

  

 

 

 ・恩根内の朝

 

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(恩根内のミズバショウ

 

 滞在最終日の10日目。

 前日の晩はよく寝られず。時間がもったいないと思い4時半に起床、荷物をまとめる。

 5時過ぎから絵を描きに外へ出た。アートヴィレッジすぐ近くの湿地に生えたミズバショウフキノトウを描いた。

 6時過ぎからご飯を食べ、7時には札幌に向けて出発する。

 工藤さんご夫婦がコーヒーを淹れてお見送りしてくれた。これを飲めば目が覚めそうだ。

 

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士別市内のバス停はサフォークがモチーフ)

 

 車の窓から見る空は曇り、山の上の方に雲がかかっている。

 札幌に戻るとはいえ、まだ制作は終わらない。途中、滝上町の方をぐるっと回って上川町、愛別町を抜けて天塩岳の姿を見て帰ることにした。

 

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 美深から名寄を抜け士別に入り、再び岩尾内湖の横を通る。愛別町の方へ向かわず、滝上町の方へ向かう山道を進む。

 9時半ころ、似峡川にかかる不動橋あたりで少し車を停めた。あたりにたくさん生えていたエゾエンゴサクを描いた。雲行きが怪しくなってきた。

 運転している大友さんのとなりでうつらうつらして、つい寝てしまった。

 

 

 

 ・天塩岳を探して

 

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天塩岳?)

 

 車中からあたりを見てグーグルマップと比べながら、天塩岳らしき山の姿を探しながら走った。

 10時ころ、気が付くと滝上町に居た。学部生のころボランティア活動で来て数日間滞在したことがあり、見覚えのある懐かしい街並みだ。とうとう、ぽつぽつと雨が降ってきた。

  

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 滝上町から南下。10時半前、滝上町滝西手前にて天塩岳らしい山脈を見るも確信が持てず。もう少しベストな風景を探して進む。
 一瞬、雹が降ってきた
  

 なかなかちょうどいい具合に天塩岳の姿を拝める場所はみつからず、近づき過ぎて手前の山に阻まれ、だんだん見えなくなってきた。これはまずい。もう一枚くらい絵を描きたい・・・。

  

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(浮島トンネル近くのふきのとう)

 
 273号を通り、11時ころに浮島トンネルを通過。

 上川町に出た。このあたりはもう石狩川流域である。もう天塩岳の姿は拝めないのか・・・と半ばあきらめつつ、それでもずっとiphoneとにらめっこしながら、窓の外の風景と周囲の山並みとを見比べていた。

 

 11時半前 、石北線の安足間(あんたろま)駅あたりで、ちらっとそれらしい山が見えた。大友さんに頼んで更によく見えそうなところを探す。少し近づいて見る。石狩川が流れるすぐ近く、山と山の間から雪を載せた山頂がちょうど覗いている場所があった。方角と大きさからして、あれはどうやら天塩岳らしい、ということになった。

 

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(安足間) 

 

 車を停めて「これで天塩川を辿る旅もとうとう終わりか・・・」と思いながら山並みを描く。手が追い付かないほど雲の動きがはやい。いつのまにか雨が降ってきて次第に強まってきた。水彩絵の具が流れてしまう前に車中に避難して仕上げた。こんな終わり方もまた、天候には恵まれていなかった今回の滞在に似つかわしいのかもしれないと思う。

 13時前には描き終えて、旭川へ。

 

 

・札幌へ

 

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(つゆが多いラーメン)

 
 旭川の「ゆるキャラ」の「あさっぴー」の話などしながら旭川の道の駅に着いた。おみやげを物色し、ラーメンを食べた。スープの量が多すぎてちょっとこぼしてしまった。

 

 14時半前に札幌へ向け出発。

 だんだんと見覚えのある風景が見えてくる。札幌は雨は降っていなかった。16時ころには無事到着し大友さんと別れた。

 10日間の滞在はこれで無事終了。

 

 

 (終)

 

  

 

天塩川日記⑨

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 (牛と目があう)

 

 の続き。恩根内滞在9日目。天塩川を辿る旅も大詰めです。

 

 

 

2019.5.9.

 

 

 

天塩川下流ふたたび

 

 9日目。6時半ころ起床、8時ころ出発。

 この日は再び下流方面へ。問寒別や雄信内を巡る。このあたりは何日か前に通ったエリアだが車を停めてみることはしなかった。

 地図上で眺めても実際に辿ってみても、天塩川はずいぶんくねくねした川だという印象を受ける。その様を描いてみたいと思っていた。

 

 音威子府を通り抜け、中川町へ。

 空は危うい感じの曇り空で、「まるで僕が屋外に立ってペンを持ったら降り出しそうな天気だ」と言って笑った。なんとか雨が降らないよう耐えてくれと祈る。時々車を停め大友さんが写真を撮る。

 

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(木の生えた柵)

 

 9時ころ佐久橋を渡って中川町の佐久エリアを抜け、川を左手に見ながら北上する。

 パンケナイ川と天塩川の合流点で一枚描く。ここはちょうど天塩川がカーブしている部分でありながら、カーブの手前まではかなり直線的に流れているところでもある。天塩川ほどの大河になると流れの表情も様々だと感じる。10時ころまで描いた。

 ウトナイ川を通りぬけ、宗谷本線と幌延町の問寒別駅前を過ぎ平成橋を渡る。

 このあたりは天塩川のカーブのきついところがショートカットされた結果できたと思しき三日月型の池が何箇所にもある。しかし、なかなか池の様子が見渡せるような良い場所がない。

 新問寒大橋を渡って国道40号に戻り、11時ころから12時ころまで雄信内トンネルすぐ脇の天塩川がカーブしているところで絵を描いた。

 雄信内から安牛駅を過ぎ、幌延町を通る。13時前に幌延駅近くで車を停め、昼食にした。

 駅前の通りを歩いているとパン屋さんを見つけた。僕はコーヒークッキーパン(150円)と、カスタードメロンパン(180円)、塩パン(100円)を買った。どれも表面はサクサクしていて中は柔らかく、うまい。

 

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 幌延の駅舎で座って食べた。駅内に「深層地層研究センター」の広告が。放射性廃棄物の処理研究施設らしい。やはりこういう施設は広告もいかにもお金がかかっている感じだ。

 

 

 

天塩川河口ふたたび

 

 ここまでくると天塩川河口まではそう遠くない。せっかくなので前来た時とは違う道で河口を再訪することにした。今度は北からサロベツ原野を通り抜けていく。サロベツ原野(サロベツ湿原)は「利尻礼文サロベツ国立公園」に含まれる高層湿原で、枯れた植物が6千年をかけて泥炭となって積み重なってできた。ラムサール条約湿地になっている。

 まずサロベツ原野にある幌延ビジターセンターめがけて出発。

 ビジターセンターではそれぞれの季節の動植物のパネル展示や泥炭地を輪切りにした資料を見た。ヒシクイという鳥のぬいぐるみが置いてあり、その鳥が食べる菱の実の標本を見ると前に天塩川河口に来た時に拾った謎の種子とそっくりであった。思わぬところで正体を知ることになった。

 

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ヒシクイのぬいぐるみ。なんと手作り)

 

 サロベツ原野を抜け、海岸沿いに河口へ向かう。原野のすぐ近くで砂を採取しているらしきところがあって重機が動いていた。

 

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 海に出ると左手に大きな風力発電のプロペラがずらっと並んでいるのが見えた。20機以上あっただろうか。オトンルイ風力発電所だ。

 原野を背景に白いプロペラが海に向かってそびえたっている。

 この嘘のような光景を天塩川河口から見つけたとき、僕は蜃気楼が現れたのかと思った。

 

 14時半ころ、5月3日以来6日ぶりで天塩川河口についた。

 前に来た時は絵の具を忘れて来てしまった。この日は思う存分、色をつけて描くことができ大変満足だった。30分そこそこで描いたにしてはうまく描けた。

 前回は寄らなかった鏡沼公園に行き松浦武四郎銅像を見る。武四郎が「天塩日誌」にまとめた天塩川を遡る旅も、ここ天塩から始まり天塩で終わったのだった。僕たちも天塩川を辿る旅ではじめに河口に来て、また終わりに河口に来ている。図らずも武四郎の旅をなぞるような恰好になった。

 15時半ころ帰路についた。帰り道では牛と目が合ったりキツネがやぶから飛び出してきたりした。僕はいままであまり野生のキツネと遭ったことはなかったが、今回の旅では10日ほどの間で3回以上遭った。

  

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 中川町まで戻ってきて、橋のたもとで一枚描いた。

 

 恩根内へは18時過ぎに到着。明日は札幌に帰らなければならない(とは言っても僕は助手席に乗っているだけなのだが)。

 もう一度天塩川温泉へ行き疲れをとろう、ということになった。黒い色をした音威子府そばを食べ湯に浸かる。いよいよ、明日で滞在が終わると思うと急にさみしくなってきた。20時半に帰宅。

 22時就寝。

  

 

 

 ⑩に続く。いよいよ最終回。

 

 

 

天塩川日記⑧

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(岩尾内湖畔にて)

 

 の続き。天塩川を辿る旅も、とうとう8日目。

 

 

 

2019.5.8.

 

・「恩根内テッシ」

 

 滞在8日目。7時起床。朝ごはんを作ろうと寝ぼけながら台所に立つとどこからともなく脚の長いバッタがでてきてびっくり。これで目が覚めた。

 

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(恩根内テッシ付近?)

 

 8時過ぎに出発。前日から天塩川の由来になった「テッシ」を見たいと思っていた。恩根内大橋のすぐ近くにテッシがあるはずだ。こういう天塩川の情報は川下りをする人たちが共有しているようで、検索するとカヌーの上から撮影したらしい動画も出てくる。

 大友さんと川のすぐ近くまで行って歩いてみるも、それらしきものは何も見えず。雪溶け水やここ何日かの雨による増水で見えなくなっているのかもしれないと思う。

 

 気を取り直して、道の駅美深のオートキャンプ場内にあるテッシの碑と復元テッシを見に行く。復元テッシは本来は小さい池の中にあるはずなのだが水が抜かれていてかなりみすぼらしかった。

 天気が不安定だ。雨が少し降ってきたが出かけよう。

 

 

 

・士別へ

 

 今日は昨日に引き続き天塩川上流へ向かい、その源流を探ることに。

 名寄へ向かうのに高速道路に乗ると、そのすぐわきの大きな空き地でショベルカーが雪山を崩しているのを見かけた。途中、急に雨が強くなったりしていて先行きが不安になる。

 名寄で高速道路を降り、士別市へ。北海道には東の方に同じ読みの標津という地名があるので、こっちの士別を道民はしばしば「サムライしべつ」と呼んでいる。10時前には士別市内の天塩川沿いに出た。まだ雨は降っている。ずっと川に沿うように走っていく。

 西内大部川(にしないだいぶがわ)を越えた先で浄水場のような河川管理施設があった。近くまで行ってみる。やはり天塩川の水量は多い。流れは速く、大きな音を立てている。この辺は美深などの下流に比べると、だいぶ川幅が狭くなってきているように思える。

 

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(兼成橋から)

 

 上士別町にある兼成橋(けんせいはし)の付近で車を停めた。大友さんは写真を撮り、僕は橋の上から絵を描いた。やや黄土色に濁った水が岩に当たって白く波を立てていた。この岩こそが「テッシ」なのだろうか。橋の上から川をのぞき込むと、岸から大友さんが現れて躊躇なく川の中まで入りながら写真を撮っていた。11時半前まで絵を描く。

 

 

 

・岩尾内ダム

 

 岩尾内湖へ向かう。

 岩尾内湖は天塩川をせき止めて作られたダム湖だ。士別市朝日町の市街を通り抜け、12時ころ岩尾内ダムに着いた。

 管理棟に寄ると、入り口に「ダムカードあります」の掲示が。なんでもそれぞれのダムでは「ダムカード」というダムの情報をまとめたトレーディングカードのようなものを配っているらしい。せっかくなので事務所に貰いに行くと、「こちらがダムカード、こちらは記念ダムカードです」と言って二枚くれた。一枚は通常版で、もう一枚は「天皇陛下御在位三十周年」と書いてあった。ダムと天皇陛下にどういう関係があるのだろう?

 

 岩尾内湖をぐるっと巡るように走り、下川愛別線からさらに源流、天塩岳へ向かう。ずっと曇り空だったがやはり山の天気は変わりやすいのだろう、急に曇ってきて雨がぱらついたりした。途中、天塩川がぐっとカーブしているところで絵を描き始めたのだが、雨がひどくなりとても絵が描ける状態じゃなくなってやむを得ず車に退避した。

 

 

 

天塩岳

 

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天塩川上流) 

 

 13時ころ、「天塩岳登山口」と書かれた看板を過ぎた。みぞれ混じりの雨が降ってきた。だいぶ細くなった天塩川と並行して道が走っている。この辺までくると岸には雪が積もっている。

 傘を持って車から出るがどうにもペンだと雨でにじんで絵の描きようがない。鉛筆に持ち替えて描いてみたものの上手くいかず、もどかしい。

 

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(ポンテシオダム周辺)

 

 坂をしばらく上っていくと小さなダムがあった。「ポンテシオダム」といい、ダム湖は「ポンテシオ湖」という。

 山はすっかり雪景色で、5月だということを忘れそうな天気だ。その先のダム湖の脇で道は行き止まりになっていた。14時ころから、大友さんにお願いして車内でダム湖を描かせてもらった。雨が降ったり寒くなってきたら窓を閉め、1時間くらい絵と格闘した。

 

 15時ころ下山したら、ぱたと雨が止んだ。もしかして雪が降っているのは山の上だけなのだろうかと思った。

 麓の沢でも時おり車を停めて撮影。雨に濡れてしっとりとした緑が濃くみえ、鮮やかに映える。

 

 

 

・岩尾内湖の景色

 

 来た道を戻ってまた岩尾内湖へ。

 キャンプ場の駐車場に車を停め、大友さんと二人で寒い寒いと言いながらダム湖の写真を撮るなどする。砂利道は湖水の中に入って消えていた。この先に湖の底に沈んだ集落があるのだろうか。大友さんはずんずん水のあるところにも入っていく。湖面に反射した木々や山々がきれいだった。

 

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(岩尾内湖)

 

 16時過ぎ、ダム湖に隣接する展望台から見える景色をペン画で一枚描いた。またぽつぽつ雨が降ってきてインクをにじませた。16時半過ぎには帰路へ着く。夕日が射してきた。帰り道は雨上がりの気持ちの良い空だった。

 

 

 

・サフォーク

 

 17時半過ぎ、士別市街へ戻ってきた。夕食は「展示成功の前祝に・・・」などと言いながら名物のサフォークを食べられる店を探した。サフォークとは顔が黒い種類の羊だ。

 アイフォーンでちょっと調べて適当な居酒屋に入った。二人前のセットを頼む。ジンギスカン鍋で、もやしなどと一緒に特製のタレにつけて食べた。普通の羊肉よりだいぶ癖が少なく食べやすかった。僕は調子に乗ってチャーハンも平らげた。

 以前よりは楽になっているようだが、まだまだ腰が痛そうな大友さんを見かねて、居酒屋のおじさんが「テレビでみたんですよ」などと言いながら腰にあててゴロゴロするための、水が入ったペットボトルを貸してくれた。

 すっかり満腹になり18時半過ぎに士別市を出発。

 

 19時半ころ恩根内に到着した。

早く寝たいが我慢してもう一仕事。大友さんと相談しながら6月からの展示のフライヤーをつくった。

 23時ころ就寝。

 

 

 

⑨に続く。

  

 

  

天塩川日記⑦

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(北星八幡神社の鳥居) 

 

 の続きです。恩根内滞在7日目、天塩川を辿っている。この日は南下しました。

 

 

 

2019.5.7.

 

 

 

・名寄へ

 

 滞在7日目は7時起床。

 大友さんの腰は昨日の午前中に休んだのが大きかったようで、幸い快方に向かっている。天塩川温泉も効いたのだろう。恩根内滞在も後半戦だ。外は雨だが、めげずに8時ころ出発。これからは天塩川上流を辿る。まず名寄へ向かう。

 道道760号智恵文美深線に入り、天塩川沿いに走る。

 高砂川を越え、十八線川、イオナイ川を越え、宗谷本線智北駅の対岸あたりで一枚絵を描いた。倒れた木が枝を川に浸していた。天塩川の色合いにもだんだん慣れてきた。岸に生えた柳の黄緑、水面の深い青緑、空の青と雲の灰色・・・。

 

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(曇り空)

 

 天智橋を渡り北星というエリアに出た。橋の名から思わず乙巳の変を思い出したが、「「天」塩川」と「「智」恵文(ちえぶん)」という地名からとって「天智」なのだろう。通りがかった北星八幡神社は鳥居と石碑と提灯掛けだけの小さな神社だ。鳥居に使われている木はコブを残したままで、しかも青い屋根がついているのがおもしろい。地図を見るとこの先は行き止まりになっているようだったので引き返し、さらに天塩川沿いに走る。

 

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天塩川名寄川の合流地点)

 

 11時ころ、天塩川名寄川の合流地点についた。とはいっても何かダイナミックな地形がみられるわけでもなく、静かに流れが交差していた。大友さんと「天塩川沿いの景色はどこに行ってもあまり変わり映えしないな…」と話すようになっていた。それは天塩川を辿ったからこそ言えることでもあるのだが。ここで1枚さっと絵を描き、河原のすぐ近くにエゾエンゴサクが群れて生えているところがあったのでそこでも描く。

 

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(明神子河童)

 

 ピヤシリ大橋を通って名寄市内へ向かおうとすると「河童」とだけ書かれた謎の看板が。いってみると幼稚園生くらいの背丈の河童の銅像があった。リアルな造形で不気味だった。夜にみたら大人でもかなり驚くだろう。周囲にはいくつか看板が出ていて河童の四季の生活の説明や、この「明神子河童」の「声明文」があった。このあたりの自然保護を訴えるために誰かが銅像を建てたらしい。北海道でも定山渓など河童伝説が残る場所があり、アイヌ文化でもミントゥチと呼ばれる河童に近い半人半獣の神の伝説があるけれど、名寄は特にそういった話はなく、「明神子河童」は近年の創作のようだ。

 惠内大橋を渡り、内淵エリアを通って市内へ向かう。

 さすが名寄は市だけあってにぎやかだ。ちゃんと街区らしい街区がある。別に皮肉でもなんでもなく素朴に「都会だ…!」と言ってはしゃいでしまう。

 12時頃、薬局で切らしていた頭痛薬とザルを買った。僕は頭痛持ちなので薬が欠かせない。大友さんはとうとう腰サポーターを買っていた。着けると「だいぶ楽になった」とのこと。店頭でサポーターを選んでいる様子をみていて気が付いたのだが、各種の腰サポーターのコーナーが店頭の棚のなかでも特に低い位置に置いてあるのはどうなのだろうか。

 昼食はスマホで検索して出てきたスープカレーの店に入った。僕はカレー好きを自称しているけどあまり辛すぎるものは食べられない。札幌に住んでいた時期にも数軒のスープカレーの店に入ったことがある程度だ。大友さんもカレーは好きで、辛いものもけっこういけると言っていた。店内には居酒屋のように靴を脱いで上がるようになっているのが珍しかった。薄暗い内装は雰囲気があって味もよかった。

 

 

 

・下川へ

 

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(もらったトマトジュース)

 

 お腹も満たされたところで13時から更に名寄川上流の下川町方面へ行ってみることにした。

 作品の題材を探そうと風連町にある七線橋のたもとの空き地に車を停めると、すぐ近くで発車しようとする車のトランクの扉が開けっ放しになっていた。大友さんと「おーい!」と声を出して教えてあげると、おじさんが降りて来て、お礼に下川町で作っているというトマトジュースをくれた。トマトの味が濃い。いい食後のデザートになった。

 

 車を走らせ下川町に入る。「万里の長城」と書いてある謎の看板があった。この謎はすぐあとで解けることになる。

 

 14時ころ、古びた水道橋のような何かがあったので車を停め見てみる。詳細は分からず。

 名寄川沿いから逸れ、下川パンケ川に沿って走る。道道354号を道なりに進むとどんどん山の中へ入っていく。でも道はちゃんと舗装されている。行き交う車もない。この先は下川鉱山があったところだ。いまこの道を使う人はほとんどいないだろう。途中、産業廃棄物の処理場のような工場の横を通り過ぎ、グーグルマップに「下川鉱山の五大木」とあるところの先で行き止まりになった。

 

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 14時半頃に引き返して帰り道についた。行きには見えなかった大きな建物の入り口には「小学校」とあった。とても学校を有する集落があったようには思えなかったので驚いた。建物はいま草木に覆われつつある。とはいえ、日本全国にそんな集落跡はいくらでもあるだろう、と思い直した。北海道だと特に炭鉱跡にそういうところが多いかもしれない。

 

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 桑渓橋を渡り五味温泉の方へ林道を抜けていく。この辺は林業をやっているらしい。木が伐採されて視界が開けた斜面に出た。雲間から射す午後の日差しが気持ちいい。

 

 下川町の市街へ戻る途中、通りがかった桜ケ丘公園というところに例の「万里の長城」があった。土地造成の際に出た石を町民が積み上げ15年かけてつくったという。中国領事館のお墨付きを得ているというから本格的(?)だ。公園内の道沿いにはチェーンソーで彫られたらしい木の彫刻が並んでおり、なんともいえない不思議さだった。

(参考:http://www.shimokawa-time.net/event/banri/ )

 

 

 

名寄市北国博物館

 
 名寄川沿いでときおり車を停めつつ来た道を戻り、16時頃から名寄市北国博物館を見る。

 博物館の前では「SL排雪車キマロキ」という特殊な編成の機関車が展示されている。ロビーに入ると富山県から移入した「風連獅子舞」の獅子頭があった。

 

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 展示では、石刃をつくる様子が実物大の人形を使って説明されていたり、北国の住環境の移り変わりをこれもまた実物大の家(!)を一部再現して見せたりと、なかなか凝っている。

 アイヌ文化の資料には制作者名が表示されたものがあった。こういう例は他所の博物館ではあまり見たことがない。

 

 また、名寄市は北風磯吉が住んでいた場所でもあるのだ。展示をみてその名を思い出した。

 北風磯吉(1880(明治13)年?~1969(昭和40)年)は名寄と下川の境にあるキトウシヌプリ付近で生まれ、明治31年からアイヌ給与地である内淵で農業に従事した。日露戦争では旭川第七師団に応召、伝令として活躍し金鵄勲章を受けたことでも有名で、北風の話が載った少年向け雑誌が展示されていた。除隊後も農業を続け、地区の学校の建設費を寄付するなどの一方で天塩川内陸部のアイヌ文化の伝承者として多くの調査に貢献した。晩年は炭焼きをしたあと旭川の養老院に入り亡くなった。遺品は郷土史家を通じてこの博物館に寄贈され、銅製の立派な肖像のレリーフとともに展示されている。

 午前中に通ってきた内淵の風景を思い出しながら、北風の晩年のかっこいい肖像写真を眺めた。

  

 

 

・夕暮れ時の天塩川

 

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天塩川。左手が風連別川との合流地点)

 
 博物館を出て、17時ころ天塩川と風連別川の合流点あたりでしばし絵を描く。もう夕暮れどきである。対岸の林は逆光で黒くなっている。連日の雨でペンのインクをにじまされたことを教訓に、試しに水彩絵の具を使わずにインクを水筆で伸ばしたりにじませたりして絵を描いてみた。なかなかうまくいった。

  

 恩根内に戻る途中、もうだいぶ暗くなっていたが天塩川沿いのテッシを見ようと恩根内大橋のたもとに行ってみた。しかしそれらしきものは見つからず翌日にまた探してみることにした。

 

 滞在7日目の日が暮れる。

 

 ⑧へ続く。