(JR札幌駅地下街にて。右側が北海道百年記念塔の写真)
・あれから一年
「北海道百年記念塔について思ったこと」というブログ記事を書いてから一年経った。これは百年記念塔の解体検討を伝えるニュース記事をみて、突発的また反射的に書いたものだ。
(ブログ記事)
時間が経つのは早いものだ。
その後、私は何人かの美術家に声をかけ「塔をしたから組む」というタイトルの北海道百年記念塔をテーマにしたグループ展を開いた。こんなことになるとはブログを書いた当時は全く思いもしなかった。
https://build-the-tower-from-the-bottom.tumblr.com (展覧会特設サイト)
一年前に書いたブログでは百年記念塔の概要について書いた後、塔の解体の是非について述べた。当時は消極的ではあるが、解体やむ無しという立場をとっていた。
その時の主張を要約してみよう。
北海道百年記念塔は一部の道民に親しまれているし私自身も塔の色や形は好きだという気持ちがある。だが建築としての価値は私には分からず、実用的な利用方法もなさそうで、「負の遺産」として悪しき「開拓」のシンボルになれるかという点にも疑問がある。だから財政面で多数の同意は得られないだろう、ということだった。
また、以前書いたブログには一部誤りがあった。「北海道命名150年」の年に解体に関する議論が起きたことを偶然のように書いてしまったが、北海道百年記念塔の解体検討は「北海道命名150年」と関連して見直されたというのが正しい。記事を書いた当時はこの経緯まで理解していなかった。
ただ、100年を寿ぐ塔が50年を経ずに解体されそうだという状況は、なんとも言えない面白みがあるとは言える。
・私にとっての2018年
では、一年経ってみて私自身の意見は変わったか。
もちろん基本的なスタンスは一年くらいでは簡単には変わらない。しかし結論は変わった。
私は、はっきりと、百年記念塔を残すべきだと思うようになったのだ。
グループ展を開催するにあたって、時間の制約もあり完璧だとは言いきれないが、百年記念塔について一通りのことは調べた。公式の報告書から様々な書籍、新聞記事にも目を通した。そこからは建築に至る経緯、コンペの盛り上がりなどが分かった。また展示を開催したことで仲間の美術家をはじめたくさんの人と百年記念塔について話すことができた。
一年前に「消極的に解体止む無し」とせざるを得なかったのは、いくつか疑問点があったからだった。
私はこの一年の経験から、疑問点を解決したり自分なりの意見を持つことができた。以下ではそれを書いていきたい。
(私が描いた百年記念塔)
・疑問①
まず、一年前の私の疑問点は「建築としての価値」である。これについては、すでに建築を研究しているグループが塔の設計者を呼んだシンポジウムなど開催しており、一定の評価があると思える。
https://gamp.ameblo.jp/keystonesapporo/entry-12409588987.html
また、百年記念塔跡地に作られる新しいモニュメントの素案を札幌の美術家に打診したのも建築の研究者だった。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180820011190001.html
これらは上にリンクを貼ったように新聞でも取り上げられており、一定の注目を集めているようである。
むしろ美術の側からの解体を惜しむ声が聞こえてこないのが不思議なくらいであるけれども、手前味噌ながら私が開催した「塔をしたから組む」は、百年記念塔が議論に値する塔であることを十分に示す結果となったと思う。
以上の動きも意地の悪い見方をすれば、ただ建築や美術の専門家が騒いでいるだけと映るかもしれない。ただ、管見ながら一般市民の意見でも解体について積極的に肯定する声を私は聞いたことがない。解体賛成といえど財政難だから止むなしという形で消極的に認める声がほとんどである。
一部ではすでに解体反対の署名運動も始められているらしい。
・疑問②
また、一年前の疑問点としてあった「実用的な利用方法」については、相変わらず具体的な情報を得ていない。この点については今も情報を求めている。
・疑問③
では、もう1つの疑問点、「負の遺産」として「悪しき『開拓』」のシンボルになれるか、というところである。当初、私はこの点について造形的な面から考えていた。百年記念塔は抽象彫刻のような造形物だと私は思っている。オブジェと言い換えてもいい。そこに鑑賞者によって投影されるもの(例えば開拓の先人)は限定されにくいだろう。その効果は狙われたものだろうが、かえってそのことが塔のもつべき何らかの象徴としての機能に対して不向きだと考えたのであった。
ただ、最近はだいぶ私の考えも変わってきた。
塔の形はどうであれ、これは結局のところ北海道民の心がけに頼るしかないことではないのか?と。「負の遺産」について、造形がどれだけ本質的な問題なのだろうか。例えば原爆ドームであればどうか、考えてみるといい。
上で「『悪しき』開拓」と書いてしまったが、私は何も「開拓」を全否定するわけではない。北海道島に生まれ育った私は北海道開拓の恩恵を受けている。北海道民の多くもそのような恩恵を感じているはずだ。だからこそ北海道百年記念塔は作られたのである。しかし「開拓」は肯定できる側面ばかりの輝かしい歴史とは到底言い難い。この例は本当に枚挙に暇がない。
北海道百年記念塔を残していくということは、その一面的ではない「開拓」を、いかにして引き受けていくかという問題と不可分である。最近、署名運動をしている人たちがどういう考え方をしているのか私は知らないが、百年記念塔を残すということはそういうことに他ならない。
(私が昨年制作した作品の一部)
・これからの一年、そして「その先」
日本はここ数年で、猛烈な勢いで、歴史の軽視、破壊、忘却が進んだ。それは文化の破壊と等しく、人間性への破壊行為である。わざわざ総理大臣や閣僚、官僚、政治屋、売文家、御用学者、御用商人らの固有名詞を出さずとも、何人も忌まわしい顔や名前が浮かぶだろう。
私は一年前に、「塔が解体されるにしてもそこに塔があった事実はきちんと残すべきだろう。たぶん一番現実的でつまらない結末は静かに解体されることだ。その時は塔があったことを忘れないよう、せめてこの目に焼き付けておきたい。それは、あの塔に想いをもつものにとっての義務かもしれない、と思うのだ」と書いた。
この想いは今も変わらない。塔を壊すのなら、塔のことを忘れてはならない。
私が塔を解体して欲しくないのは、まさにこの点が気がかりだからだ。
つまり、私たちは簡単に壊し、そして簡単に忘れる。そのことが私は怖い。
覆水盆に返らず。破棄した文書は闇に消え、死人は二度と帰らない。
解体した塔は元には戻らない。忘れた記憶は元には戻らない。そうではないだろうか?
私は北海道を、北海道民を、信頼したい。しかしこの一年でどうにもその自信がなくなった。
私が百年記念塔の解体を認めることになる、その時は果たして来るのだろうか。
もう一年くらい、ゆっくり急いで考えてみたい。塔が解体されるその前に。
(終)
2019.1.9. 一部言い回し変更
2019.1.11. 一部言い回し変更