こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

秋田日記 序

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 この「秋田日記」は「秋田市文化創造交流館(仮称)プレ事業 SPACE LABO」への応募企画「秋田と北海道をつなぐ」の際に秋田で滞在調査・制作をした11日間の記録です。

 この企画では、①北前船平福穂庵・百穂のアイヌ絵③佐藤家 という3つのテーマについて調べ、秋田と北海道との繋がりについて探り、考えました。

 以下の文章は序、プロローグです。SPACE LABOのコーディネーターであったFさんに向けて送ったメールの内容になります。

 

 

 

2019.11.6.

 

Fさん

 
 お疲れ様です。SAPCELABO、いよいよ始まりましたね。フェイスブックで情報拝見しました。お忙しいとは思いますが、プロローグとして僕がいままでやってきたリサーチの下調べについてご報告します。

北前船について
 
 まず「日本遺産・北前船」のサイトを見ました。このサイトによれば秋田県内で北前船関連文化財があるのは、能代市男鹿市秋田市由利本荘市にかほ市です。文化財の内実としては、狛犬や灯篭、船絵馬、日和山船乗りが天候を判断する山)が多いようです。ここから、各市町村の観光課や教育委員会文化財担当部署に公開状況について問い合わせたりしました。「日本遺産・北前船については各市町村のホームページでも載せている情報がバラバラで、メールの返信の有無も、返信の速さも、教えてくれる内容の親切さもまちまちでした。立派なサイトがあるにも関わらず細かい所在地や公開状況すらよくわからない現状ではサイトにあるような「北前船トラベル」をしようと思うような観光客はほとんどいないだろうというのが正直な感想です。
 今回は日程を長くとったのでほとんどの市町村で博物館や文化財を見ることができそうです。能代市由利本荘市ではガイドさんをお願いしているので、ホームページでは得られないようなその場所で暮らしてきた方ならではのお話が聴けそうで、特に楽しみです。また、にかほ市戸隠神社由利本荘市の宮下神社、松ヶ崎八幡神社能代市向能代恵比寿神社稲荷神社は宮司さんや総代さんに船絵馬など文化財を見せていただけることになりました。タイミングいいのか悪いのか、上記の神社のいくつかは所蔵品を秋田県立博物館の企画展「北前船と秋田」に貸しているらしく、現地で見られないのが少し残念です。それでも、船絵馬などが奉納された現場に行って、どのような場所なのか見てくることには少なくない価値があると思います。
 また、いま気になっているのは「日和山」です。船乗りが天候を判断する丘のような場所で、港に近く見晴らしがよい場所なのでしょう。各地の「日和山に立って、そこから見える景色はどのようなものなのか。どう違うのか。
 ひとまず今回の滞在では、まず早い段階で企画展「北前船と秋田」を見、北前船について全体の概要を掴みます。それから各地に行ってその場所場所の北前船の痕跡を見てくるようなつもりです。
 文献としては、
北前船と秋田 (んだんだブックレット)」(加藤 貞仁著、無明舎出版、2005年)
北前船おっかけ旅日記」(鐙 啓記著、無明舎出版、2002年)
 を読んでいるところです。
 
 

平福父子について

 平福穂庵(1844~1890)、平福百穂(1877~1933)は角館出身の日本画家の親子ですが、二人とも北海道を訪れてアイヌ民族を描いています。その理由はなんなのか。

 まず文献を調べました。
・「平福百穂アイヌ』の周辺」(山田伸一著、北海道開拓記念館研究紀要、2015年)
・「北海道の平福穂庵」(加藤昭作著、「北域」第三十八、第三十九号)
が見つかりました。「平福百穂アイヌ』の周辺」では百穂がアイヌを描いたわけや描いた場所について考察され、「北海道の平福穂庵」には穂庵の渡道の詳しい経緯や函館での生活、函館でアイヌ絵を描いた平澤屏山との関係について書かれていました。

 ちょうど11月半ばからは秋田県立近代美術館平福穂庵の展示が開かれるタイミングであり、また仙北市角館町平福記念美術館にも行こうと思っていたので、「平福父子の作品になぜアイヌが描かれたのか」「平福父子の北海道滞在はそれぞれどのようなものだったか」学芸員の方に訊いてみています。

 なんとなくポイントとなりそうなのは、平福父子の二人とも、きちんと(?)北海道に来て取材を経てから「アイヌを描いていることです。アイヌを見ずに粉本などに拠って「アイヌ」を描くことも一応はできたはずなのにです。
 と、ここまで書いて、自分がまだ平福父子の作品をほとんどみたことがないことに改めて気がつきました。今回は秋田県立近代美術館アイヌを描いた作品の出品もあるそう)仙北市角館町平福記念美術館で、じっくりと作品を眺め、二人の故郷の角館にも行ってみて、そこから平福父子と北海道・アイヌとの関係について考えてみたいと思います。
 学芸員の方からは「評伝 平福百穂」(加藤 昭作 著、短歌新聞社、2002年)を教えていただいて入手しましたが、まだ読めていません。

③佐藤のルーツについて
 
 秋田市にいる私の父のいとこに電話で連絡しました。父のいとこ「Kおばさん」は、私の祖父母にむかしお世話になっていたといい、話したのは私が中学生だったころにあった祖父の葬式以来でした。

 私の父は「佐藤のルーツは大館とか鷹巣とか秋田の北の方らしい」佐藤の先祖は昔大きな農家か米問屋をやっていたが借金の肩代わりをしたり騙されたりして没落したらしい」くらいのことしか知らなかったし、そもそもそういうことに興味がない人なのですが、Kおばさんはわりあいそういうことが好きな人のようで、高祖父の父の名前まで知っており、電話口で簡単に話してくれました。

 私の高祖父「佐藤よねぞう」(米蔵?米造?)は、勤勉で優しい人で、鷹巣ではじめて機械式?の精米機を導入して繁盛した米問屋だったが、やはり借金の肩代わりなどをして没落し、満州に渡ることになったこと。高祖母「佐藤ちよ」は、弘前藩御用達の造り酒屋の娘で「おちよ様」とよばれるような令嬢で、その弘前の家からは東京にでて新聞社をつくるような人も輩出していること。高祖父の父「佐藤とりのすけ」(酉之助?)は、佐藤の本家に当たる人で、働かない人だったが高祖父「よねぞう」はそんな父も大事にしていたこと。佐藤の本家は現在の北秋田市小森にあったらしいが、跡を継ぐ人はなく家屋などもないこと。唯一、鷹巣に佐藤の親戚筋のひとが一人だけいること。

 Kおばさんはだいたいこのような内容を教えてくれました。先祖に興味のない私の父が知っていたくらいなので、「米問屋で没落した高祖父」の話は佐藤家の歴史として欠くべからざるエピソードなのでしょう
 Kおばさんから、私の知っていることは全部話す、一度泊まりにおいで、鷹巣にも連れて行ってあげる、と言っていただいたので、滞在中に行ってこようと思います。
 今は、先祖の顔を想像してドローイングを描いたりしています。それから、北秋田市から古い戸籍を取り寄せているところなので、それが届けばまた何かわかるでしょう。
 
 そのほか、文献としては
菅江真澄と秋田 (んだんだブックレット)」(伊藤 孝博著、無明舎出版、2004年)
秋田藩 (シリーズ藩物語)」(渡辺 英夫著、現代書館、2019年)
に目を通したところです。

 以上、それぞれ①、②、③のテーマで個展でもできそうな濃厚な内容になってきたと感じていますが・・・。
 無理にまとめる必要もないとは思いますが、現実問題として展示が控えているわけで、ひとまずの落としどころをさぐりながら、秋田をうろうろしようと思います。

佐藤拓実
 
 
 
 
 
 
・2019.11.08~11.18. 秋田滞在スケジュール
 
・11.07.東京を出発 深夜バスで秋田へ
・11.08.秋田市 宝塔寺、西来院、高清水公園、昼食、土崎みなと歴史伝承館、
 土崎港、道の駅あきた港、虚空蔵尊堂、大学、Kおばさんの家
・11.09.秋田市 秋田県立博物館「北前船と秋田」、小泉潟公園
・11.10.由利本庄市 松ヶ崎八幡神社
 秋田市 スペースラボツアー
・11.11.能代市 向能代稲荷神社・恵比寿神社、北萬、風の松原、はまなす展望台、
 日和山方角石、紙谷仁蔵の墓、八幡神社、金勇
・11.12.にかほ市 沖の棒杭、象潟郷土資料館、戸隠神社、古四王神社、物見山
・11.13.由利本荘市 由利本荘郷土資料館、
 にかほ市 金浦湊(日枝神社、方角石)、高昌寺、三王森の方角石、
 丁刄森の方角石、仁賀保勤労青少年ホーム(恵比寿森の方角石)、飛良泉本舗
・11.14.男鹿市 なまはげ館、真山神社、田沼家土蔵、戸賀八幡神社、寒風山展望台、
 道の駅、秋田県立図書館
・11.15.由利本荘市 宮下神社、本荘八幡神社、石脇湊、アクアパル、
 由利本荘市文化交流館
 秋田市 Kおばさんの家
・11.16.北秋田市 鷹巣町立図書館、大太鼓の館、Tおばさんの家、お寺、米屋跡、
 一番古い本籍地
 秋田市 Kおばさんの家
・11.17.仙北市 唐土庵、平福記念美術館、石黒家、角館樺細工伝承館、天寧寺裏山、
 学法寺、神明社、安藤醸造、伝四郎
・11.18.横手市 中山人形の工房、秋田県立近代美術館秋田ふるさと村
 秋田駅前から深夜バスで東京へ
・11.19.早朝 東京着