十勝日記③ 生花苗(おいかまない)から帯広へ

 

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 引き続き十勝、帯広を観光した記録を書く。十勝日記② 十弗(とおふつ)より - こたつ島ブログ の続き。

 

 8月12日②

 

  


 大樹町の生花苗川(おいかまないかわ)近くにある晩成社跡地は草に覆われ、紫色の案内看板(なんでこの色なんだろう?)と建造物の痕跡、いくつかの墓碑、再現した住宅一棟しかない。だが、大正10年ころの様子を示す地図によれば、かつてここには二棟のサイロ、厩舎、倉庫、住宅、倉庫などが立ち並んでいた。

 

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 晩成社は十勝開拓をめざし依田勉三らにより明治15(1882)年、西伊豆で結成された。13戸27人がオベリベリ(当時は下帯広村、のちの帯広町と現・帯広市の前身)に入植するも野火、気象災害、トノサマバッタの被害などが発生、逃げ出すものが続出し、30ha.の原野開墾に10年の歳月を要した。牧場経営のため生花苗に入ったのは明治19年。牛、豚、馬の飼育、養蚕、ハム、練乳やバター、缶詰の製造、馬鈴薯、ビート、しいたけ、お米の栽培、木材の生産などを行うもいずれも成功せず、明治42年生花苗沼(おいかまないとー)を港湾にする計画を立てるも実現しなかった。諸事業は様々な災害に加え、交通網の不備や販売不振で損失が大きかったという。大正九年には幕別町途別で稲作に成功するも、それ以外は成果をあげることはかなわなかった。
 依田勉三自身は大正4年までこの地に住み、大正14年帯広市の自宅で73歳で没している。死後、北海道開拓神社(札幌市円山の北海道神宮境内にある)の37番目の祭神として祀られた。他にも晩成社幹部の一人である鈴木銃太郎は芽室町開拓、渡辺勝は音更町開拓で活躍した(参考:第三章 開拓使・札幌県時代(明治2年〜19年) | 帯広市ホームページ 十勝)。

 
 晩成社の最後は、多額の借金整理のため苦労の末築き上げた開墾地や諸施設を売り払い、すべてが無になるという厳しい結末を迎えた。昭和7(1932)年に依田家子孫の手で解散手続きが取られた。ちなみに当時を偲ぶものとして、六花亭で売られているマルセイバターサンドがある。赤いパッケージは晩成社が十勝で最初に作ったバターのレッテルを模したものだ(マルセイバターサンド4個入 | 六花亭)。
 

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 再現された依田勉三の住居は見るからに壁が薄そうで、見て一言「寒そう」と口から出てしまった。近くでたくさんの牛が草を食んでいた。農業王国とも言われる十勝の現在を見て、かつての晩成社の社員たちは草葉の陰でどう思っているだろうか。
 

 

 

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 その後は帯広百年記念館へ。建物は緑が丘公園内にあるが、ここは十勝監獄の施設跡地でもある。明治28(1895)年に北海道集治監十勝分監(のちの十勝監獄)ができ、大農場を築き生活物資の製造、土木建築を行ったことは十勝の発展に大きな役割を果たしたという。網走監獄が特に有名だが、北海道の開拓において囚人の果たした役割は大きいと改めて知った。

 

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 館内はちょうど夏休みで子供むけのワークショップをやっていた。展示は大きなマンモスの像があるイントロダクションから始まり、晩成社を中心とした開拓についての展示、動植物など自然について、先史時代の史料、アイヌ文化についての展示、農耕牧畜に関する展示が主だった。

 
 館内には「アイヌ民族文化情報センター・リウカ」(帯広百年記念館 アイヌ民族文化情報センター)があり、資料の閲覧や小中高生の授業サポートなどの活動を行っている。帯広は白老や二風谷と比べるとアイヌ文化の活動に関してはあまり知られていないが、昭和32年という最も早い時期から「十勝アイヌウポポ愛好会」が設立され、現在まで「帯広カムイトウウポポ保存会」(参考:平成11年度 アイヌ文化奨励賞(団体) 帯広カムイトウウポポ保存会 | アイヌ文化振興・研究推進機構)として地域特有のアイヌ文化、古式舞踊等を継承してきた経緯がある。このことはもっと知られてもよい。

 

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 その後は近くの中華料理店によって「中華ちらし」を食べてみた。なかなかおいしかった。各店舗でも味や具が違うのだろう。

 

 慌ただしい滞在だった。十勝はまだまだ見るべきところがありそうだという実感を得た。断片的に触れた歴史にも奥深さを感じた。いずれまた来ようと思う。

 

 

 (終)