映画「生きとし生けるもの」(監督:今津秀邦)

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 角川シネマ新宿で映画「生きとし生けるもの」を見た。以下ネタバレ注意。
 

 

 

 作品についての概要は映画公式サイトからの抜粋で十分だろう。
 


『長年旭山動物園のポスター写真などを手がけてきた北海道在住の写真家今津秀邦が初監督を務めた渾身のドキュメント。北海道で生きる様々な命の証を、感性豊かに心に刻み込む。解説が無くても伝えられる映像を記録するために5年の歳月を費やした。物語へと誘う津川雅彦のナレーションは2か所のみだが圧倒的な存在感。監修は旭山動物園元園長の小菅正夫。その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たちは見応え十分』
『いちど限りの永遠。本物のドキュメントは、語るまでもないドラマだった』
『一斉にねぐら立ちをする8万羽のマガン、氷河期から生き残るエゾナキウサギの冬支度、故郷の川へ遡上するシロザケと待ち構えるエゾヒグマ、情感豊かなキタキツネの子育て・・・。今を精一杯生きる姿から、新たな感動と衝撃を体験する』

 (以上抜粋、引用にあたり行を詰めた。)

 

 『いちど~』と『本物の~』は、チラシや劇場予告でも使われていて、この作品象徴するフレーズだ。サイトには次のような監督からのメッセージも載っている。
 
『私は私。あなたは、あなたでしかありません。この世界に必要だから生まれました。野生動物と表現される生き物たち、根をはって命を全うする植物、空気、光・・・。存在する全てものが必要であり、お互いに必要としています。時には邪魔になったり、敵や味方と感じる時がありますが、今生きているのは全ての営みがあってのことです。特に野生動物は全ての状況を受け入れ、持って生まれた能力を最大限に生かして命を全うします。誰がどうこうではなく、ただ今を生き抜いています。この映画は動物たちを紹介するのが目的ではありません。北海道の自然やそこに生きる様々な姿、能力を借りて、あなたは、あなたでしかないことを表現しました。映画を観終わった後、新たな価値観を感じていただければ幸いです。誰もが、一度限りの永遠だということを』

 (以上抜粋、引用にあたり行を詰めた。)

 
 監督メッセージや公式サイトの概要をまとめてみよう。
 『5年の歳月を費やし』て完成したこの『本物のドキュメント』は、『語るまでもないドラマ』、『解説が無くても伝えられる』や『動物たちを紹介するのが目的ではありません』などの言葉に表れているように、出来るだけ説明を避け、『その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たち』によって『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』、乱暴にまとめてしまえば、命の尊厳や普遍的な生き物の営みを感じてもらうことを意図している、といえるだろう。
 
 
 
 映画は明け方に水辺で何かを待つようにたたずむ男のシルエットから始まる。男の手にはスケッチブック。朝焼けの空はまさに私の知っている北海道のそれであり、はやくも懐かしさで泣きそうになってしまった。するとマガン?の群れがわーっと飛び立ち、見上げる男の頭上を覆うように飛んでいく。この最初のシーンから鳥肌ものだ。マガンについて「?」としたのは作品中では動物の名前について字幕やナレーションがないので確認できなかったからだ。特に触れられていないが、この男はおそらく絵本作家のあべ弘士さんだろう(エンドロールには名前があった)。この冒頭のシーン以外で直接ヒトが出てくるシーンはない。続いて「誘い人」津川雅彦の語りが入り、動物たちの生きざまを見に行く旅へいざなわれる。津川の語りは最初と最後のみ。
 あとは比較的短いカットの映像が続く。どうやって撮ったの?としばしば思ってしまうほど生き生きとした姿を捉えていて、人によってはカメラの存在はあまり感じないかもしれない。だが構図として完成度の高すぎるシーンばかりだからだろうか、ときどき人工的な感じを覚えた。動物のたてる音も不自然なくらいちゃんと入っている。BGMは管弦楽で、うるさくない程度に盛り上げていて効果的だったと感じた。
  

 

 
 特に四季が意識されるような編集ではないが、真夏の次に真冬が来るようなことはなく、いつの間にかゆるやかにシーンが移り変わっていく。その中で、美しいとしか言いようがない北海道の自然の景色も織り込みながら、遠くからも近くからも、また地面からも空からも、動物の様々な生きざまをひたすら見ていく。

 動物、と一言でいってもヒグマやエゾシカ、フクロウ、モモンガ、ナキウサギ、シャチ、シャケ、ウサギ、キタキツネの他、タンチョウ、ワシ?などの鳥に加え、虫も撮られていて幅広い。例えば、草花で彩られた岸壁の間を走り回るナキウサギの独特な動きの間、雪原でのタンチョウの群れとエゾシカの群れの邂逅、水平線の向こうまで続く流氷の海のあちこちに佇む海鳥や、黒光りした筋肉の塊みたいな泳ぐシャチの背、雪を掘り出して植物を食べるのに夢中なエゾシカのお尻などなど、印象的な光景がいくつもある。いうなればオムニバスやアンソロジーのような作品だ。といっても全く各動物を並列に扱っていたわけではなく、ハイライトとなるシーンはあった。
 
 
 
 北海道の野生動物といえば、真っ先に挙がるのはヒグマだろうか。ヒグマの登場シーンはいくつかあったが、シャケを捕るシーンが凝っていた。まず川を泳ぐシャケを撮っている。水中にまでカメラが入り、鑑賞者はシャケの視点になる。次にシャケを撮るヒグマが映され、また交互に川を遡るシャケの映像が差し込まれる。おそらくシャケの映像とヒグマの映像は別に撮っているのだろう。状況を客観的に見る視点とシャケの視点を入り乱れさせる編集は作為的だが、劇的な画面を生んでいた。
 また、チラシにもなっているキタキツネは明らかにこの映画の主役級の扱いだった。砂利の轍を残して真ん中に雑草の生えている道がある。その傍のやぶに住むキタキツネの親子が魚を食べたり、子ぎつねがじゃれ合う様子などに多く時間が割かれていた。映画の後半に次のようなシーンがある。道の向こうへ親ギツネが行ってしまう。その姿が見えなくなった途端、車のブレーキのような不穏な音が入る。交通事故に遭ってしまったのだろうか?しかし、狐の亡骸が映されるわけでもなく、車の影さえみえない。次に子ぎつねが映る。何かを待つようにじっとしている。その表情が私には不安げに見えた。その後は子ぎつねが親ぎつねの向かっていった道の向こうへ歩いていくシーンが続く。私はこのシーンに、親ギツネの不意の死とそれを乗り越えた子ぎつねの新たな旅立ち、というストーリーを読み取った。
 撮影クルーは私の想像したようなことが起きた現場に立ち会ったのだろうか。私が子ぎつねの表情を不安げなものとして見てしまったのは、間違いなく前のシーンの影響だろう。私にはキツネの個体の見分けがつかないから、親ギツネと子キツネという関係性すら合っていたのかわからない。どこかで別のキツネの映像が混ざっていてもわからない。そもそもこの映画の特徴は先にも書いてある通り、動物の名前についてはもちろんのこと、説明的な字幕やナレーションがない点だった。
 
 
 
 このキタキツネのシーンに関しては、特に動物を『役者のように』撮影、編集し物語的な演出をしようという意図が感じられた。しかしその演出がどの程度事実で、どの程度演出なのかわからないからモヤモヤしてしまう。『本物のドキュメントは、語るまでもないドラマだった』はこの映画の宣伝文句だが、「ドキュメントの対象に対して語らないこと」を「対象をありのまま提示し解釈しないこと」なのだとすれば、『役者のように』動物を撮り演出することは「語っている」ことに他ならないのではないか。
 もちろん、編集や演出がドキュメンタリーにとって禁じ手だ、などと言うつもりはない。そうではなく、そもそもカメラは何らかの対象を切り取るものだから、そこから意志とか作為を排除することは不可能であるはずだ。ドキュメンタリーも、もちろん何かを表現した作品なのだから、意図はあっていいし、あるべきだ。
 だとすれば問題になるのは編集の有無ではなく(そんなものは有るに決まっている)、その編集がどのようなもので、作品の意図に沿っているか?ということだろう。『語るまでもないドラマ』などといって字幕やナレーションによる説明を避けたことはこの映画にとって副次的な要素であり、こだわり抜いたと思しき『その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たち』によって『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』を伝えることに成功しているかどうか、という観点からこそ作品を考えるべきだ(作品の意図そのものに対する批評をするとすれば、さらにその先だろう)。

 

 推測の域をでないが、美しく生き生きと動物を撮影するには、撮る側の「この動物はこう見せたい」というビジョンがあり、それを実現する様々な準備と工夫がなくては不可能だったのではないだろうか。この映画は、北海道に住む野生動物に対して多くの人が抱くイメージに近く、制作者も含む私たちが見たいと思っている生態をかなり望み通りに、しかも予想を上回るクオリティで実現している。そのかわり、一般に知られていないような生態や、グロテスクなものや退屈なものなどノイズは周到に排除されている(より正確に言えば、排除されているかどうか本当のところは分からないが、そのように見える)。言うまでもなく何かを普遍的であると感じ、それを受け入れるには、新奇さを覚えてしまっては難しい。
 そのような動物たちの生きざまが制作者側の意図によって、それぞれの種の個性や時の流れを超えた形で純化、一般化、抽象化され増幅された形で提示されているのがこの映画だろう。これを普遍的な生き物の営みの表現とみなせば、『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』は伝わるかもしれない。
 

 
 
 そもそもこの映画は『生きとし生けるもの』というタイトルだった。「生きとし生けるもの」という慣用句の最も古い使用例のひとつは古今和歌集仮名序だそうである。
  
 やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける
 世の中にある人ことわざしげきものなれば 心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり
 花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける
 力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
 男女のなかをもやはらげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり
 (引用に当たり改行、傍線筆者)
 
 「ウグイスやカエルの鳴き声を聴けばあらゆる生き物で歌を詠まないはいない」というような意味だろう。しかし素人なりに曲解すれば、「生きとし生けるもの」はこの文の主語ではなくて目的語ではないだろうか。主語は人である。前の文とのつながりから考えて「ウグイスやカエルの鳴き声などあらゆる生き物に思いを託し歌を詠まない人はいない」とも読める。
 だとするとこの映画はなんだろうか。この映画はあらゆる生き物が歌を詠む様を撮った映画なのか、あらゆる生き物に思いを託し歌を詠んだ人間の映画なのか。私には、後者のように思えてならない。

「草間彌生 わが永遠の魂」2017年2月22日~5月22日 国立新美術館(東京都六本木)

 国立新美術館で「草間弥生 わが永遠の魂」を見た。草間作品をまとめて見たのは初めて。

 
 

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(チケット)
 
 展示構成は次のようになっている。
 最初にまず近作の富士山の絵がある。私はこの絵はあまりいいと思えなかったので期待せず次に行くと、奥行きのある大きな部屋に出る。最新作の連作「我が永遠の魂」がズラッと並び、部屋の中央には巨大な花のオブジェがあって圧倒される。この部屋は携帯でのみ写真撮影可。順路はこの部屋を囲むように続いていて、渡米前の日本画から、「無限の網」シリーズ、ペニスを模したソフトスカルプチュアのシリーズはもちろん、カボチャの絵やあまり見ない映像作品やコラージュ作品、ドローイングも時系列順に揃っていて草間の全貌がつかめる。
 おそらくそれぞれの時期の代表作が集まっているのだろう。点数以上に充実している感じがした。
 また今回は美術展で初めて音声ガイドを借りて聴いてみた。草間本人のインタビューや詩の朗読、歌声(!)も入っていて面白かった。草間ファンにはおすすめしたい。
 
 

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(展示室内の様子)

 
 作品の変化を追っていくと、ミニマルアートや、ウォーホールも用いたような集積と反復、ソフトスカルプチュア、ハプニング、ジェンダー的なテーマなど、その時々の時代のテーマを時に先んじて扱い、しかも大喜利的に反応するだけではなく自分のものにして取り込んでしまっているように見えた。草間最大のテーマである強迫観念にしても、前世紀から今世紀の大きなテーマのひとつのようにも思える。
 これが努力によるものなのか運なのか勘の鋭さなのかはわからないが(たぶん全部だと思う)、ともかくそういった意味での草間弥生の凄さは感じられた。
 
 
 一番最初の富士山の作品(「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がって行く時」)や、連作「我が永遠の魂」などは、よくイメージされるアウトサイダーアート的なものに似て見え、あまり私の好みではない。もちろん草間は京都市立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)で日本画を学んでおり、美術教育を受けていないという意味でのアウトサイダーアーティストではない。
 しかし他の「無限の網」にしても、数々のドローイングにしてもコラージュにしても、非常にモノとして魅力的だと感じ驚いた。私は草間弥生がこんなに絵のうまい人だと知らなかった。渡米前から瀧口修造らに評価されていたというのもわかるし、草間の底力をみる思いがした。
 
 

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(「木に登った水玉2017」2017年 サイズ可変 ミクストメディア)
 
 草間弥生といえば「水玉」であり、反復と埋没である。それは草間自身の幻覚や強迫観念からきたものであることは有名だ。
 水玉や反復それ自体は草間の発明したものではないが、もはや代名詞となりつつあると言えると思う。作家が自身の世界観や宇宙観を表現し発表していくにあたって、代表的なモチーフが知られ親しまれることは大きな喜びだろう。そして草間の場合は本人のキャラというか雰囲気に加え、水玉がポップでキャッチーに見えるから、なおさら印象に残るし人気が出る。
 展覧会入り口の横には長い行列があってビビる。これは入場制限ではなくてショップのレジ待ちの行列だ。たくさんグッズを買い込む人を見ると、作品や草間弥生自身が消費、消耗されてしまうようにも見える。
 しかし私が思うに来場者と草間の関係はそうではない。草間が水玉の中へと埋没し「自己消滅」するように、買い物をした来場者もたぶんそのグッズで水玉の中へ埋没してしまうのではないだろうか。そんな狙いもあるのではないか。
 なぜ写真撮影は携帯のみ可なのだろう?たぶんそれは草間作品を待ち受け画像にすることで携帯を埋没させるためである。美術館の周りの木に巻かれた水玉だって、来場者ごと、美術館ごと、水玉に埋没させるためのものだろう。
 
 

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(「オブリタレーションルーム」2002年~現在 サイズ可変 家具、白色ペイント、水玉ステッカー)


 レジ待ちの列に30分並んだあと、ヘトヘトになりながらも、「オブリタレーションルーム」(部屋や家具に水玉シールを貼ることのできる参加型コーナー)に行ってみた。開幕から10日あまりなのに、もはや貼られすぎて水玉じゃなくなりつつある部屋を見ていると、来場者と作家の何とも言えない絶妙な力関係を見ているように感じた。

 

(完)

私と御朱印

 

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(私の御朱印帖①)

 

 

 ここ数年「御朱印集め」が流行っているようだ。たぶん旅行代理店か何かが紹介し始めて、それが旅番組で取り上げられるようになって広まったのだろう。ホントかウソかわからないが「御朱印ガール」なるものまで出現しているらしい。その一方で「スタンプラリー感覚で集めるのは敬意に欠ける」という批判もあるようだ。実際に私も「スタンプとは違うので大切に保管してください」という旨の注意書きを見たことがある。数日前には期間限定などのレアな御朱印がオークションで取引されたり、転売目的で何点も御朱印をもらうことが問題視されニュースになっていたのを目にした。これもブームの過熱の証左だろう。

 

 御朱印とは寺社仏閣を参拝した証としてもらう印章や墨の字で、もとは寺院に納経した証だったという。ふつう四国のお遍路や七福神めぐり、観音霊場めぐりのような巡礼者がもらうものなのだろう。「御朱印帳」と呼ばれる帳面に書いてもらうことが多いが、ペラ一枚の半紙に書置きしているところもある。この御朱印帳もだいたい各寺社で売られていて、凝った刺繡を施したようなかわいいものは人気だそうだ。

 大伽藍ならお堂ごとに御朱印を用意しているところもある。片や多くの浄土真宗の寺院は御朱印を書き与えていない。

 大抵は初穂料などとして300円を納める。特に金額を設定していないところもある。参拝の証なのだから参拝後に貰うものかと思いきや、参拝前に御朱印帳を預けて帰りに受け取るところも多い。

 

 

 私が御朱印をもらうようになったのは2012年9月の京都旅行がきっかけだ。残暑が厳しい日だった。

 東寺を参拝したあと、お守りなどを扱う一画でたまたま御朱印の文字が目に入ったのでこれは何かと尋ねた。作務衣を着たおばさんは丁寧に御朱印について説明してくれた。「これをもらったらきちんと参拝しなきゃいけないなあ」と考えたのを覚えている。私はそこで初めて御朱印帳を買い、表紙の余白に「御朱印帖」と書いてもらった。

 御朱印は細く伸びる梵字のしたに滑るような動きの筆で「弘法大師」と書かれていた。今見てもうっとりする。そして同時にその描かれた様を見たときの感動と、静かで涼しいお堂の日陰の色も思い出されるのだ。

 

 

 私が御朱印をもらう理由は、きちんと参拝するためだ。御朱印は神仏の名前が書かれていることも多いし、書かれていなかったとしても寺社からいただくありがたいものだ。だから、御朱印をもらうとなればそれだけで気持ちが引き締まる。以前より寺社での作法、振る舞いにも気をつけるようになった。一枚一枚違う御朱印のように、一回一回を丁寧に参拝するようになるということだ。それは結局自分の満足にもなる。

 

 また、御朱印には多くの情報がある。 御朱印は千差万別だ。私はまだ見たことがないが、何色ものはんこを使ったカラフルなものや手書きの絵入りのものもあると聞く。もちろんそれはただ観光客を集めるための物ではなく、それぞれの寺社の特徴にちなんだものだろう。

 御朱印を見るときはその達筆にうっとりするのも楽しみ方のひとつだが、文字や紋をきちんと見て読んでいくと発見が多い。例えばご本尊が何であるか、とか、その寺社の紋や由来などである。御朱印帳には向かい合った御朱印の墨や朱肉が移らないようによく紙を挟んでもらうのだが、それには御朱印自体や寺社についての説明が書かれていることが多く、それをみるのもまた楽しい。

 例えば私にとって思い出深いのは京都の千本釈迦堂大報恩寺)の御朱印だ。ここは本尊は釈迦如来なのに御朱印は普通「六観音」と書かれる(希望すれば観音菩薩や釈迦如来と書いてもらえる)。そのことだけでも私は結構面白いと感じるのだが、この六観音というのは鎌倉時代の仏師・定慶による六観音像のことで、重要文化財だ。これがすごい。まず観音像を六体一度に見ること自体あまりないのに加え、一体180センチほどあってデカく、しかも超端整なのだ。ちなみにここは本堂が応仁の乱の戦火を逃れた国宝だったりして他にも見どころがかなり多い。寺宝を展示している建物はめちゃくちゃ寒く、震えながら何度も六観音の前を往復して拝観した記憶がある。

 

 このように、御朱印は参拝した時のことを実にありありと思い出させてくれるものでもある。京都のような観光地ではあまりできないけれど、御朱印をお願いするのと同時に寺社の由来とか世間話をすることもある。もちろん迷惑にならない範囲で、だ。御朱印集めがあんまり流行るとそういうこともできなくなるかもしれない。

 

 

 わざわざ寺社を参拝したとなれば、何か記念になるものが欲しくなったり、いくらか気持ちを納めたいというのが人情だろう。しかしお守りだとあちこちであまりたくさんもらっても後々扱いに困りそうだし、他にそれほど目ぼしいものがないこともある。お賽銭はだいたい五円とか十円の小銭だ。そういう時に300円というお手頃な初穂料で、しかもけっこうきれいで、寺社の由来などに触れられる御朱印は、参拝者にとっても寺社にとってもけっこういいものなのではないだろうか。

 

  御朱印をスタンプラリー感覚で集めることへの批判があるとも上に書いた。それは言い換えれば御朱印ありきの参拝の形だろう。たとえ遠方の寺社に参拝に行ったとしても御朱印さえもらえれば良いという考え方であれば、転売が横行するのも理屈としては理解はできる。

 私にとって御朱印は経験したこととともにあるもので、つまりは参拝ありきのものだ。御朱印は参拝の証としてもらうという大前提はいったん無視しても、どこかに行って建物や名所旧跡を見て参拝して・・・いろいろあってやっともらうものだ。その一連の流れが面白いのであって、それがあるから御朱印は私にとって価値になる。ティム・インゴルドの「ラインズ」でいう徒歩旅行の線と輸送の線の違いみたいなものだ。

 そういう楽しみ方をしている私にとって、行ったこともないような場所の御朱印を手に入れるのはたとえレアものでも魂の抜けた死体を手に入れているようなものだ。むしろ昔の「お伊勢参り」のように、御朱印集めを名目にして参拝ついでに観光も・・・というようなことがあってもいい(旅行代理店の思う壺かもしれないが)。その意味でなら私も動機が「スタンプラリー」であってもそれほど悪いとは思わない。

 

 そもそもスタンプラリーという言い方で御朱印集めを批判するのはよくわからない。どうせ「昔の人は信心で巡礼したが、今の若いものは信心もなしに御朱印目当てで参拝するのはけしからん」とでもいうのだろう。信心のあるなしが御朱印集めとスタンプラリーの違いなのであれば、それは他人が指摘できるような性質のものではないだろう。そんなことを敢えていうのは野暮だ。

 私が思うのは、信心もなにもなしにレアさや見た目のキレイさだけで御朱印を集めるのはただただ空虚で、もったいないということだ。ちょっと寺社仏閣に興味のあるようなひとであれば、是非おすすめしたい。

 

(完)

香川日記③ 瀬戸内国際芸術祭2016 大島

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 2016年ももうすぐ終わり。

 今年は本当にあちこち行きました。京都、福岡、福井、岡山にも行きました。
 夏に行った瀬戸内の島々のことも印象深いです。その中でも自分なりに特に記録として書いておきたいと思うのは大島のことです。伊豆大島ではなく瀬戸内の大島です。
 
 大島は香川県高松市庵治町に属する面積61ヘクタールの小島です。高松港の東8キロにあり、島の大部分は国立療養所大島青松園が占めています。ここは明治42年からあるハンセン病の患者を隔離し治療していた施設の一つです(もちろん療養所はここだけではなく、現在は国立の施設が全国に13か所あります)。

 治療法が確立されすべての治療が完了した現在は、入所者の方々には高齢による症状と後遺症へのケアが行われています。
 
 大島についてはこちらが簡潔で詳しいです。
 
・国立療養所大島青松園 概況 
http://www.nhds.go.jp/~osima/Seigai.html
・国立療養所大島青松園 沿革 
http://www.nhds.go.jp/~osima/Seienk.html
 
 平成8年にらい予防法が廃止されて以来、徐々に島民と島外との交流が行われ、平成22年から瀬戸内国際芸術祭の会場になったことも影響を及ぼしているようです。
 
高松市公式ホームページ 大島の振興
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/21367.html
 
 そんな大島にほとんど予備知識もなく行ってきました。

 

 

 

8.12.

 

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 6時45分頃に起床。7時半前にホテルを出発。ことでんバス高松駅まで向かう。
 8時過ぎに高松駅到着。
 すぐに高松港の瀬戸内国際芸術祭のインフォメーションセンターに行く。ここで芸術祭期間中に一日三度出る大島行き船の整理券が配られる。会期外は第二土曜日に船があるらしい。
 整理券が配られる30分以上前に着いたのだが、すでに人が並んでいた。私の前に並んでいた人たちは「どこの島に行った」とか「何回行った」とかいう話をしていた。相当芸術祭が好きなのだろう。

 

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 大島は瀬戸内国際芸術祭の鑑賞パスポートを持っていれば鑑賞料はかからない。持っていなくても300円だ。船も整理券さえちゃんと貰えばタダで乗れる。

 無事整理券を貰い、港へ。

 

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 さほど大きくない船に乗る。けっこう揺れている。救命胴衣をつけて9時20分頃出発。
 右手に屋島のきれいな三角形を眺めつつ進む。

 

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 9時41分到着。

 まず受付を済ませ、参加証をもらう。

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 十数人ずつ二班にわかれ、瀬戸芸のボランティア団体「こえび隊」の方のガイドでいくつか島内の施設を回った後に二十分くらいの自由時間がある。なのでなかなか見る時間が少ない。芸術祭の作品としては、名古屋造形大学教授の高橋伸行さんや同大学の有志による「やさしい芸術プロジェクト」によるもの、田島征三さんによるものの他、山川冬樹さんの作品もあったらしいが見つけられなかった。

 

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 まず納骨堂へ。近くに胎児の慰霊碑もある。かつてはハンセン病患者に対し人工中絶が行われていた。

 

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 横断歩道で流れるような音楽が島のあちこちでずっと流れている。キレイに舗装された道はどこに行っても柵があり、白線が引かれている。これはいずれも目の悪い入所者さんのためのものだ。放送は決まった範囲で流しているので現在地が分かるようなっている。柵も白線もそれに頼って歩くためにある。

 

 周りには誰もいない。それどころか人の気配も生き物の気配も全くない。鳴りやまない音楽と一緒に見慣れない白線がずっと続く道を歩いていると、パラレルワールドに来てしまったかのような不思議な感じを覚える。

 

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 田島征三「青空水族館」

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 田島征三「森の小径」

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 やさしい美術プロジェクト 「つながりの家」大島資料室・北海道書庫

 

 ここは元療養施設の長屋で、生活用具を展示する大島資料室や大島の歌人の間で受け継がれてきた蔵書が置かれた北海道書庫がある。

 

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 近くの海で釣りをするのにつかった小さい漁船もインスタレーションになっている。

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  入所者の部屋の再現や、入所者の写真作品なども展示。

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 北海道書庫は島の北側にあるから北海道なのだというが、他と分断されている流刑地みたいなイメージもありそう。

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 北海道書庫のすぐ近くにあるこれは、数年前に海から引き揚げられた解剖台なのだという。入所の際は解剖承諾書を書かされ。患者が死去した際は解剖された。その手伝いや処理にも患者が関わっていた。

 

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 この穴から解剖した際に出たものが流されたのだろう。

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 最後に、「風の舞」というところに来た。ここは火葬場で、以前は入所者が火葬も行っていたという。

 鎮魂の願いと、死者の魂が風に乗って自由に解き放たれるようにという願いが込められた場所だとのことだ。

 

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 ハンセン病歌人、明石海人(1901‐1939)の碑があった。

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 観音像も立っている。この像に込められた想いというのは全く私には想像もつかない状況のものだ。大島で生き抜くということはどういうことなのか。「生涯孤島但し安心立命」って何なのか。辛いとか苦しいとか、そういう次元の話ではなかろう。

 そしてふと、今も入所者の方がおられることを思い出す。その意味でもこれは過去のことではないのだ。

 

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 集合場所に駆け足でむかう。

 

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 どこに咲いていても花はうつくしい。

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人数を確認して、島を11時10分頃出発した。

 

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 11時半頃に高松港に到着。

 

 別世界にいたような気分を味わった。高松からわずか数キロを隔てた島に広がる風景はなんとも言い表しがたいものだった。
 

 

 (終)

「野又圭司 展 脱出〜困難な未来を生きるために〜」  2016年10月5日〜12月4日 本郷新記念札幌彫刻美術館(札幌市) 

 

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  ずっと野又さんの個展を見たかったのだが、いつも機会を逃していた。やっと念願叶った。

 野又圭司 氏(1963〜)は函館市生まれ岩見沢市在住の彫刻家。北海道大学文学部哲学科を卒業後、1980年代後半から本格的に創作活動を始めた。自己の内面を反映したボックスアートから、近年は建造物の模型を用いたインスタレーション作品などを展開しているとのことだ。

 「市街から離れ、過疎化の進む村落に暮らしながら、経済至上主義、格差社会、インターネットによるコミュニケーションの変容といった社会状況を見つめ、世界の似姿としての造形によってその行く末を暗示する作風は、現代社会への鋭い批評として注目を集めてきました。」(以上作品リストより)。

 今回の個展では、最新作「脱出」を含むここ10年間の作品8点が発表されていた。作品数は多くないものの、近年の作品の移り変わりや中心となるテーマは見て取ることができる展示だった。

 

 

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 「無力の兵器(自分を撃ち込め!!)」(97年) 木、銅ほか

 

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 「地球空洞説」(98年) 木、ガラスほか

 

 90年代の作品は2点。「無力の兵器(自分を撃ち込め!!)」(97年)は、創作活動の苦しみや自己との葛藤が昇華した作品のようだ。「地球空洞説」(98年)は、地球儀のような、骨組みがむき出しの球にわずかに陸地が載っている作品。一見、作家が広い視野からものを見ているようにも見えるが、その世界解釈は抽象的だ。

 いずれにしてもこの頃の作品は内省的で、自己の思考がテーマの中心にあるようだ。

 

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 「遺跡」(08年) 銅 

 巻物が立体的に展開したような展示。

 

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  「遺跡」(08年) 部分

 

 年代順でいくと次は一気に「遺跡」(08年)に飛ぶ。この間の作品の変遷がわからないのが残念だが、テーマが変わっているのがわかる。上記にもあったように、社会的なテーマへの移行が起きている。

 

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 「レミング(百億の難民)」(14年) 銅、砂

 

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 「レミング(百億の難民)」部分

 

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 「「経済」という全体主義」 (15年) 砂、木

 

 「遺跡」や「「経済」という全体主義」(15年)、「レミング(百億の難民)」(14年)について思ったことがある。これらの作品は数センチから数十センチくらいの大きさのたくさんの建物の模型や人の模型で構成されている。私はこれらを見て「炭住」(炭鉱住宅。炭鉱労働者のための長屋で多くの場合家賃等は企業もちだったという)を思い出した。
 
 野又さんのアトリエは岩見沢市のなかでもかつて炭鉱があったエリアにあるらしい。夕張方面など岩見沢周辺の山間では今でも炭住を見かける。
 川俣正さんも炭鉱のあった山々や炭住の模型制作をプロジェクトで展開している。それは私が生まれるずっと前の賑やかな炭鉱の町の模型だ。 野又さんの作品は炭住を作っているわけではない。なのに私はそこに炭住を見る。そこに見た炭住はかつての炭鉱の繁栄を表すものではなく、「過疎化の進む村落」(出品リストより)のそれだ。これは私の見知っているという意味で非常にリアルである。作品にあるたくさんの小さなテントや、砂でできた吹けば飛びそうな崩れかけの家々は、社会に警鐘を鳴らすディストピアの模型ではなく、すでに目前にある現実の風景と二重映しになった模型のように見える。

 

 

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 「「経済」という全体主義」 (15年) 部分

 

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 「助けて欲しいんじゃないのか。」(12年) セメント、石膏、銅、ほか  部分 

 

 出品作品リストの解説文には、野又さんは「作品のモティーフとしてこうした社会問題に目を向け、模型によって世界の縮図を表現」しているとある。
 では、野又作品と社会問題の関わりはどういうものなのか?

 
 私は解説文の「現代社会への鋭い批評」という表現に違和感を覚える。批評というのは第三者的な立場を確保しないとできないことだが、野又作品から感じられる社会問題への真摯な態度は、まさに今そのただなかを生きる当事者のそれだと思えるからだ。野又作品には批評的な態度は、要素として少なく見える。

 一方で、「世界の縮図」や「模型」という表現もしっくりくる。これらも俯瞰的、鳥瞰的な視点の産物である。野又さんの視点で社会を見据え形にすることは、確かに批評的行為ではある。言い換えれば野又作品は現状の見取り図的な作品だと思うが、そのめざすところは批評なのだろうか?

 批評とはごく単純にいえば「良い点と悪い点の客観的な判断」となるだろう。だから近年の野又作品は、世の中の悪い点である社会問題をテーマとして扱った時点で十分批評的だともいえる。だが、私としては、むしろある側面からは批評的ではないという点を強調したい。社会の出来事の良し悪しを論ずることよりも、そこを越えた、問題への接触や介入のようなもの(実際に行為にならなくても何とか働きかけたいという意識)が野又作品には感じられるからだ。

 それが行動に発展したのが最新作「EXODUS(脱出)」(16年)とも言えるかもしれない。

 

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 「EXODUS(脱出)」(16年) 木、稲、ガラスほか 

 
 ある種の社会問題を扱った作品を鑑賞した時のつまらなさが、スノビズムあるいは衒学趣味など、その類の高慢な自意識を感じさせることに原因があるのだとすれば、野又さんの作品にはそれが無い。

 反面、扱う問題の多くがあまりに身近で深刻な問題であり、俗っぽいとか泥臭いとも言える。そこに茶化しはなく、生真面目さがあって時に息苦しささえ感じさせる。

  

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 「存在の耐えられない軽さ」(10年) 木

 

 この展示では、「存在の耐えられない軽さ」(10年)でインターネットについても扱われている。ネット上ではいわゆる炎上などの半ば悪ふざけのような感覚で行われたことが大きな事件に発展することも珍しくない。

 この作品でもパソコンの画面が模されたオブジェに焦げ跡がついている。「炎上」を表現しているのだろう。木で丁寧に作られたと思しきこのオブジェは、深刻なメッセージを発しているようにはなかなか見えない。木目の風合いもいい感じで、椅子なんて持って帰りたいくらいだ。風刺というには直接的に過ぎる。これが「現代社会への鋭い批評」だろうか。

 

 この馬鹿馬鹿しいほど直球な作品は、私には批評に見えない。だからといって、これを看過していいとも思えないのである。

 野又作品は社会問題に対し批評的な関わりを持ちながら、批評にはとどまっていない。 「困難な未来を生きるために」できることは社会を見据えること。そして批評にとどまらず行動することなのだ。

 

 これはネットで顕著だと思うが、何かに「マジになる」ことへの軽蔑やニヒリズムが、社会に何か重大な変化、それも悪い変化を引き起こしていることを、最近私はよく感じる。私は野又作品から「もはや皮肉や冷笑、悪ふざけの時代ではない」と言われているように思えてならない。今、私たちは、真面目で堅苦しくてつまらないものをこそ見るべきではないのか?私たちが見たがっているものは、実はそういうものではないのか?と思うのだ。 

 

 ただ、そうは思っていても野又作品から感じられる「マジさ」にはやはり息苦しさがともなう。きっと私と同じように真面目で堅苦しくてつまらないものに息苦しさを感じる人は、未来の困難さをも同時に感じるだろう。私たちに未来があるのかどうか、考えるのにはいい試金石になる展示かもしれない。

 
 

 (終)

「チャリティ展 夕張市美術館コレクション〜炭都・夕張の美術遺産」2016年10月8日(土)〜10月30日(日) プラニスホール(札幌市)

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 1979年に開館した夕張市立美術館は、 道内では網走に次いで二番目の市立美術館だ。
 
 私が小学生だった頃、夕張に家族で遊びに行き、一度中をちらっと覗いたことがある。その時は確か白黒の写真や佐藤忠良の彫刻があった。古めかしい建物だった。
 
 2012年、美術館は積雪によって屋根が崩落してしまう。このニュースに私は大変驚いた。  
 2006年の財政破綻の影響によって再建は叶わず、美術館は翌年廃止された。幸い所蔵品は無事で、現在も大切に保存されている。
 本展は、財政破綻から10年経ち、文化複合施設の整備など地域再生に向けた取り組みを始めた夕張の再生の一助となるべく開かれた。
 
 
 
 作品は油彩が多い。全体は3章に分かれ、夕張で生まれ育ち活動した作家や美術館に招かれたり夕張で制作を行ったりした作家の作品が見られる。
 
 第1章 「地底から港へー石炭がたどった道」では、作品を通して石炭の採掘から運搬までの過程を追う。
 
 ここで一番最初に展示されているのが2014年に夕張で採集された石炭なのだが、これについているキャプションが他の作品のものを模していて面白い。作品名には「石炭」、作者は「地球」、素材には「隠花植物」とある。この展覧会において「石炭」以上に重要な作品はないかもしれない。
 「黒ダイヤ」「産業のパン」とも呼ばれた石炭は過去のエネルギーのように思われがちだが、実はこの30年、日本での使用量は右肩上がりであり、いまも発電や製鋼などで我々の生活を支えているという。
 
 この章では木下勘二の「入坑する人」が印象深い。坑内にエレベーターで入坑する坑夫たちをややカラフルに曲線を用いてデフォルメして描いている。ふとレジェの作品の建築現場を描いたものを思い出した。
 
 ここで紹介されている倉持吉之助(1901-1996)、木下勘二(1917-1989)、畠山哲雄(1926-1999)、大黒孝儀(1907-1994)や、次の章で紹介されている小林政雄(1917-2010)は、いずれも炭鉱で働きながら夕張を描いたり学校で後進の育成に努めたりしつつ、道展や一水会などに出品していた作家たちだ。
 
 
 
 
 第2章は、「炭鉱(ヤマ)とともにー「炭鉱作家」と、作品の中の夕張」とし、夕張の風景や人々が描かれた作品を紹介している。
 
 ここでは上記の作家たちを炭鉱作家と呼んでいる。私にはこの「炭鉱作家」という言葉はあまり聞き慣れない。これについて少し考えてみる。
 
  例えば神田日勝は農民画家と言われる(本人は農民画家という呼称を嫌い「農民である」「画家である」としていたが)し、木田金次郎はのちに画業に専念したものの、かの有名な「生まれ出づる悩み」のイメージからいけば、漁民画家とも言えそうだ(もっとも、これらはレッテル貼りの一種であり作家本来の姿を見失う恐れがある)。
 
 農民画家、漁民画家と、炭鉱作家(炭鉱画家もそこには含まれよう)は何が違うのか、といえば、それはまず第一次産業第二次産業の違いが挙げられる。
 
  これは私の偏見が多分に入った見方だと思うけれど、第一次産業の方が、より自然に寄り添った、エコな、純朴な、「試される大地」的なイメージに合致するのではないかと思う。
  一方では第二次産業の方が自然を汚すとか、無機質な、非人間的なイメージが強い。
 これらにはもちろん例外がたくさんある。現状とは必ずしも合致しない。ただ、そういうイメージはある程度には一般的ではなかろうか。
 
  
 今度は逆に農民画家、漁民画家と、炭鉱作家は何が同じかを考えてみる。
 彼らは例えば画家であれば、身の回りの動物や風景や建物を描く。彼らの作品を鑑賞した時には、(優れた作品であれば)美的な感動が呼び起こされるだろう。しかしそれだけではなく、時にはモチーフとなった彼らの生業や土地土地の風土、歴史も重層的に見えてくるはずだ。
 
 極端なことをいえば、第一次産業であれ第二次産業であれ(もちろん第三次産業であれ)、人の営みがあればそこには歴史が生まれ、文化が生まれるのが必然である。作品は作家を通して出てくるものなのだから、作家の日々の営みが作品に影響するのは不思議なことでもなんでもない。その中でも特に生業の色濃く出ているのが、農民画家や炭鉱作家とは言えまいか。
 
  彼らの生業がもし文化や歴史として見えてくるのであれば、そこには一定の蓄積が必要だろう。年月を重ねることなしには文化や歴史はそれらとして見えてこないはずだ。
 
 炭鉱作家という言い方が最近されるようになったものなのか私にはわからない。ただなんとなく感じるのは、炭鉱が歴史や文化として見られるようになってきた(それだけの年月を重ねた)からこそこの言葉が出てきたのではないかということだ。もちろん、先述の通り石炭は今日でも我々の生活を支えるものだが、炭鉱に対しては認識の上ではやはり過去のものとなりつつあると思う。過去のものとなることはいい側面ばかりではないけれど、時が経ち、距離感を持って炭鉱という文化を見ることができるようになってきたのかもしれない。
 
 また、第一次産業第二次産業の別が年月を経てフラットに見られるようになったという風にも考えられるかもしれない。
 
 私が先日訪れた郷土資料館の方も仰っていたが、歴史の風化はあっという間だ。炭鉱作家の作品は美的な感動のみではなく、文化的な視点からも興味深い。だからこそ多くの人に見てもらいたいと感じる。
 
 
 第2章では特に小林政雄による「夕張風景抄絵巻」が印象深い。水彩による絵手紙風な絵巻だ。ちょうど開かれていたのは錦沢という場所にあった遊園地の絵で、「ここは炭鉱のまちのオアシスです」と書かれていた。
 今の錦沢の遊園地跡地には到達することも難しいという。
 
 第3章では夕張ゆかりの様々な作家を紹介していた。漫画家の森熊猛は私の出身高校の先輩にあたるが、夕張出身とは知らなかった。この章では一見夕張に関係なさそうな作品もある。岡部昌生さんの作品などは特に見応えがあった。
 
 この展示に文句をつけるとすれば、壁をキレイにしてほしいということだ。特に第3章で、穴があいて壁紙の剥がれたところがあって汚かった。
 
 もう1つ、できれば今からでもいいから図録を制作してほしい。解説文が炭鉱についてわかりやすく説明していてすごく良い上、資料的価値も高いと思うからだ。チャリティー展なら物販を充実させるのはむしろ普通の流れだと思う。絵葉書ももしあれば買っていただろう。
 
 あとこれもできれば、作品目録を配布してもらえるとうれしい。
 
 
 
 (終わり)

香川日記② 瀬戸内国際芸術祭2016 直島

 瀬戸内海の豊島から犬島、直島へ行きました。これは直島に着いてからの記録です。

やっぱ直島は数時間ではとても見切れないですね。ちゃんと全部見ようと思うなら一泊くらい必要かもしれない。そういえば黄色いかぼちゃを見つけられなかった。

 

8.11 続き

 

 

 
 犬島から直島の宮浦港へは14時ころに到着した。

 

 さっそくトラブルが。
 着いてすぐにフェリーターミナルで高松へ行く船のチケットを買おうとするも、財布が見つからない。ポケットにもない。リュックをひっくり返しても出てこない。
 高速船が停泊しているところまで引き返しても、船上に人の姿はない。近くにあった船の案内所に聞いても落とし物の報告はないという。

 焦る。どうする?一文無しでこの島からどう帰る?

 フェリーターミナル内の観光案内所に行くとあるかもしれないと聞き再び向かう。途中、船の乗組員らしき方に呼び止められ、観光案内所に財布を届けたよ、という。

 息を切らしながらカウンターに駆け込み財布の落し物が届いてないか尋ね、間髪入れず財布の特徴を述べた。やはりあった。しかも中身もそのまま無事だった(たぶん)。ほっとした。

 このターミナル(海の駅「なおしま」)も妹島和世+西沢立衛/SANAAによる設計だ。

 

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 まずは宮浦港の草間彌生の赤いかぼちゃを見る。かぼちゃの中は空洞になっていて、水玉模様から中に入れる。やはり中は暑かった。

 

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 (赤かぼちゃの中)

 

 以前直島に来たことがあるという友人の助言を受け、ロッカーに荷物預けて(300円)、電動自転車を借りた(1000円)。


 さっそく美術館のたくさんあるエリアへ行く。

 まずはかの有名な地中美術館をめざす。
 それには急な山道をしばらく上らなけらばならない。そのための電動自転車だ。もしこれが徒歩であれば、倍以上の時間がかかっただろう。

 途中「応神天皇御遺跡」の看板を見かけた。直島には第15代応神天皇が腰をかけたという石もあるらしい。

 

 住宅街の中に掲示板?があった。岡崎さんという方が風景を「直島百景」として描いているようだ。

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 斜面を登っていくごとに変わって見える瀬戸内海の景色を振り返り振り返り、楽しみつつ向かった。

 

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 汗だくで坂を上っていくと地中美術館の入り口が見えた。入ろうとすると、「チケットセンター」へ行けという。美術館本体と別にチケットのための建物があるとは…。チケットを買う列は途切れず、売店にも休憩スペースにもけっこう人がいる。駐輪場もほぼ満車。

 
 聞くと入場制限をかけており、入場券を買うための整理券を貰わなけらばならなかった。なんと面倒な。ただ一定人数ずつ入場させるのではなくて、券すらスムーズに買えないなんてことは初めてだ。もちろんすぐ貰う。このとき15時少し前で、整理券は15時30分~16時の間に入場券を買えるものだった。

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 時間を無駄にできないので、すぐ近くの李禹煥美術館へ行く。入り口の案内のおじさんにまさかとはおもいつつ「入場制限してませんか」と訊いたが、「そんなのない」と不愛想に言われた。ここの建築も地中美術館と同じく安藤忠雄による。30分ほど見た。

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 自転車を停め、門から少し歩くと入り口がある。壁に沿った細い階段を下ると、急に開けた場所に出る。「柱の広場」という名のここは、大きなコンクリート柱と石と鉄板がある。その右手に室内への入り口があって、高い壁の間の道を行く。

 

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 受付を済ますと「照応の広場」というところに出る。ここは塀に囲まれた屋外だ。また石と鉄板とがある。再び室内へ戻ると「出会いの間」がある。年代順にいくつかの絵画がならんでいる。その後「沈黙の間」「影の間」「瞑想の間」と続く。石に映像が投影されていたり、あの李禹煥独特のストロークが部屋の三面にあったりする。基本的には展示替えはないが、開館してから追加された作品もあるとのこと。

 よかったとか悪かったとかいうより何よりも感想として出てくるのは「あぁ李禹煥だなぁ」ということだ。この唯一無二の世界観を確立しているのはすごいことなのかもしれない。

 

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 美術館はなだらかに下る丘に面していて、作品の向こう側には海が見えた。この辺はツクツクボーシがやかましかった。

 

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 チケットを買って(パスポートを提示しても1000円かかる)、15時半頃から地中美術館を見る。内部は撮影禁止。パンフレットには「瀬戸内の自然と地中につくられた空間を通して、自然と人間の関係を考える場所です」とある。

 
 入り口から細い通路を入って行って、ショップなどがある部屋を抜けると展示スペースにつく。ウォルター・デ・マリア、モネ、ジェームズ・タレルの作品はそれぞれ別スペースにあって、それぞれを見るために並ばなければならない。特にタレル作品を見るのには15~20分くらい待った。作品はB2、B3にあることになっているが、中は迷路のようで自分がいる位置がよくわからなかった。地下と言っても自然光が取り入れられている上に広いので全く閉鎖的ではない。

 
 ウォルター・デ・マリアの作品は抽象彫刻によるインスタレーションとでもいえばいいのか。緊張感のある空間で、教会か何かに居るようだった。でもその神聖さは日本の寺社とはちがう感じだ。例えば、この作品の金色のオブジェはイコン画の背景の金を思いださせたけれど、日本の仏像に使われる金とは違うものを感じさせる。
 モネの作品もなかなか凝った部屋に展示してある。真っ白い石で壁ができていて、床は二センチ角ぐらいの小さい石のタイルが敷き詰められている。ここは靴を脱いで入る。足の裏の感触が気持ちいい。作品五点はいずれも晩年の「睡蓮」だ。ここの「睡蓮」がモネのたくさんある睡蓮の中でも良い絵なのかどうかはわからないけれど、絵のために部屋を作ってしまうのはすごい財力を感じる。
 ジェームズ・タレルの「オープン・フィールド」は、遠くから見るとただの壁に投影された青い光なのだが、その壁は実はくり抜かれていて、靴を脱いで中に入っていける。奥行のよくわからない空間を体験できるわけだ。それを見た後に「オープン・スカイ」を見る。これは何のことはない、ただ天井に四角い穴が開いた部屋で空を眺めることができるだけなのだが、空の青さが「オープン・フィールド」の青い部屋と重なっているからか、普段と違った気持ちで空を見上げてしまう。ここでは普段の物の認識が更新されている。それは頭で理解するというよりは、視覚が否応なく体験してしまっている点で特徴的だ。

 16時半ころまで見る。


 本村港のほうへ行ってみる。広木池の上には新宮晋を思い起させる小さくて白いオブジェがいっぱいあった。

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(戸高千世子「彼方の気配」)

 

 直島ダム近くには大きなゴミ箱の作品がある。これは産業廃棄物が材料として使われているらしいから、豊島にあった産廃も含まれているのかもしれない。

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(三島喜美代「もうひとつの再生 2005-N」)

 

 その近くに木が整然と植えてある広場がある。調べるとこれも作品らしい。安藤忠雄による「桜の迷宮」で、「直島に暮らす人々や島を訪れた人たちの花見や散歩、憩いの場として、この場所が活用されることをもくろむ」(芸術祭サイトより)のだとか。桜の時期じゃないと桜はただの木なんだなと思う。

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安藤忠雄「桜の迷宮」)

 

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(直島ダムのすぐ横には「水は生きている」の碑が。)

 

 
 本村エリアは下調べもなしに行って、建物が閉まっていたりもしたのでほとんど何も見れなかったのだが、町役場の建物は面白かった。

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直島町役場)

 一部ガラス張りだけど和風の屋根が乗っかっていて、西本願寺飛雲閣道後温泉を思い出させる。建築家・石井和紘の手によるもので、直島だとこの他に小学校も手掛けている。

 福武財団が入る前からこういう変わった建物をつくっていたのならば、それを受け入れる下地はあったのかもしれないとも思ってしまうが、役所や学校は島民のための施設であり、観光向けの施設とは性格が異なるだろう。

 

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(学校)

 

 
 宮ノ浦エリアに戻り、楽しみにしていた「直島銭湯I♥湯」を見に行く。ここは実際に銭湯として運営されている。せっかくなので入湯料510円を払って汗を流した。

  僕は男なので、言うまでもなく女湯の内装はみられなかった。残念だ。

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(「直島銭湯I♥湯」)

 浴室内の男湯と女湯の仕切りの上には象の像がある。これはその名も「ハナコ」と言って、かつては札幌の定山渓温泉近くにあった北海道秘宝館の入り口に居た。1000キロ以上も離れた瀬戸内海の島で再会するのは不思議な気持ちだ。

 

 
 フェリーまで時間があまりなかったが、一瞬だけ宮浦ギャラリー六区へ行き、丹羽良徳による「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」を見た。霊能者に歴代町長を下してもらうという作品。一時間くらいの映像。とても全部は見られなかった。

 

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(フェリーから)


 18時20分のフェリーで島を離れた。船から眺める夕日は島々の後ろから射す後光のようでものすごくきれいだ。

 

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 19時過ぎに高松港に着く。

 
 芸術祭のインフォメーションセンターに行くと、大島行きは1日3便らしいことがわかる。翌日は大島に行くことに決めた。

 
 ホテルへ向かう。高松市街からは遠くて不便なところを選んでしまった。交通機関をのり間違えて、住宅街の中の暗い道を30分くらいキャリーバッグを引きながら歩いた。何回か田んぼに落ちそうになった。一日の終わりにひどい目にあった。
 21時過ぎにホテルについて、カップ麺を食う。22時から温泉へゆっくり浸かる。
 テレビをつけると「障害者のための情報バラエティー バリバラ」の、相模原の障害者殺傷事件についての緊急企画が入っていた。

 

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(ホテルの部屋にあった相田みつを

 

 「なみだで洗われたまなこはきよらかでふかい」

 


 1時前に就寝。