こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

五美大展 (平成30年度 第42回 東京五美術大学連合卒業・終了制作展)のよかった作品

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 (会場の壁)
 

 

 平成30年度 第42回 東京五美術大学連合卒業・終了制作展(通称・五美大展)に行った。毎年莫大な量の作品に圧倒されて疲れるので今年は行くつもりはなかったのだがなんとなく気まぐれで行ってしまった。

 なお、作品情報は会場のキャプションに基づきます。

 

 

 ◯東京造形大学
 

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・「人物」油彩、キャンバス 240×350cm 小泉権之亮

 

 2018年6月にカナダで行われたG7首脳会合の際に撮られた写真を元にした絵である。かなり厚塗りのコテコテのマチエールで描かれている。こういうマチエールが好きな作家なのだろう。このマチエールでこの場面を描くことにほとんど必然性はないと思う。この絵の元になった写真が絵画っぽくて魅力的な構図なのだということに気づかされたのがよかった(この絵を見ただけで私がG7の写真だと思い出せたことがすぐれた構図であることを裏付けているように感じる)。宮本三郎戦争画「山下、パーシバル両司令官会見図」や、井上長三郎の政治風刺的な絵画を思い出した。

 

 

 

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・「Are You on Neutral Ground ?」ターポリン、インクジェットプリント 103×145cm  中村元

 

 石に、看板に、「Are You on Neutral Ground ?」、「あなたは中立ですか?」と書かれている。シンプルながら普遍的でしかも現代に合っているメッセージを使っているのがズルい。まさに先日行われた辺野古埋め立てに関する沖縄県民投票で「どちらでもない」などというほとんど詐欺めいたくだらない選択肢が入れられる、そういう現代において、噛みしめたい一言だ。「あなたは中立ですか?」。

 

 

 

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・「Gray and color #4」キャンバス、油彩 高橋稜

 

 三点の展示。魅力的な絵だと思う。どれも既視感はあるけれど左の小さい作品が不思議と好きになった。

 

 

 

 ◯日本大学芸術学部

 

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・「Your warmth」石 宮崎虹季

 

 台の上に異様にすべすべとした石が並んでいた。これは拾ってきた石を並べただけの作品なのか、それとも気に入った石を磨きまくった作品なのか気になった。何が言いたいかというと、僕は石が好きだということだ。

 

 

 

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・「冬」窓、セロハンテープ 並木円花

 

 セロハンテープを貼ってから割った窓に美しさを見出して展示しているだけなのだとしたらさほど面白みはないけれど「冬」という作品名がいいなと思った。たしかに冬っぽい。

 

 

 

 ◯多摩美術大学

 

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・「土の記憶」ミクストメディア 米山早希

 

 会場側の都合で実現できなかったが本来は54か所の土を採取しテキストと共に展示する作品らしい。今回は福島県内の土について提示してある。五美大展の後に大学での展示が控えていると、こういう宣伝みたいな展示ができるのがいいなと思った。あと床置きの木箱に写真が入っているのが素敵だと思った。

 

 

 

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・「Drive on rainy day 」布、アクリル 井上瑞貴

 タイトルから推測するに車を描いているらしい。とても車には見えないがなんだかかわいい。魅力がある。

 

 

 

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f:id:kotatusima:20190225232243j:plain・「身から出た」ミクストメディア 佐藤亜衣

 

 作家の部屋で見つかったなんだかよくわからないモノの用途を鑑賞者が考えてノートに書き込める参加型の作品。タイトルが好きになれないが、ちゃんとノートが面白いし、誰も不幸にならない感じでよく考えてあるなと思った。こういう仕組みを作れる人はたぶんかしこいのだろう。

 

 

 

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 ・「逃げたい人の絵」ミクストメディア 入江姫加

 

 プラモみたいに男女?が形作られている。デフォルメが魅力的。素材が一見わからなくておもしろかった。タイトルもなんだか気になる。何から逃げたいんだろう?

 

 

 

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 ・「専用キャンバス」キャンバス、油彩、アクリル 中屋胡桃 

 

 いろんな食べものがその輪郭にあわせた形のキャンバスに描かれている。単に身の回りのものを描いただけでなく、一応それぞれのモチーフの専用のキャンバスであるという設定が面白いし、その割に輪郭をなぞることがぜんぜん徹底していないのも面白い。まじめに絵画論を研究している人達をあざ笑うみたいだ。個人的には「すあま」の「専用キャンバス」が好きだった。売って欲しい。

 

 

 

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・「Complex521(The bombing in 91')」パネル、ミクストメディア 溝田悠太 ※写真はいずれも部分

 

 マチエールが魅力的だった。

 

 

 

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・「herstories」綿布、油彩 中尾江利

 

 人数が少ないけどアテネの学堂を下敷きにして女性の歴史に言及した絵らしい。どうでもいいけどなぜ木枠に張らなかったのだろう。

 

 

 

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 ・(上)「生老美思」リトグラフ、木版 (下左)「二十代母の焼き付け」リトグラフ (下右)「MIYOU」リトグラフ 太田美葉

 

 版画のポートレート。ポージングや背景の設定がうまいのだろう、人物がすごく魅力的に見える。

 

 

 

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 ・(左)「おだやかな青」(右)「しずかな青」水性木版 毛利万菜美

 

 駅を横構図で捉えるのも細かく分割して描くのも普通だが、抑え目の色合いとホームの下の線路までちゃんと描いているのが好きだった。一点一点にちゃんとサインもしてある。

 

 

 

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・「慰霊」高知麻紙、白土、緑土、水干絵具 高橋和

 

 かなり近くに寄らないと何が描かれているかわからない。というより、ほとんどゼロ距離で見ても何が描かれているかわからない。薄い線描で花や果物が描かれているようだ。鑑賞するのがかなりしんどい。そのぶん自然と目を凝らしてしまうということもなくはないが・・・。描くのもかなりしんどいのではないか?高い美意識があるのだろうことは感じられた。かかっている労力の割に評価がされなさそうだなと思ってしまった。

 

 

 
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 ・「海眼」三彩紙、岩絵具、箔 楽嘉怡

 

 渓斎英泉?あたりの錦絵の美人を持ってきてゴージャスに描いている。よく学生の日本画で(たまに油画でも)なんとなく浮世絵風のタッチで描かれた絵を見ることがある。しばしば現代の風物と過去の風物をまぜこぜにして描いたりして面白くしようとして失敗しているのだが、この作品に関しては作家の高い描写力のおかげか非常に魅力的で妖しげな美人が描かれていて良い。色も渋さと派手さが調和していて素敵だ。この美人を抜き出した小品が売っていたら欲しい。ただ画面中央の富士山と波が埋没してしまっているのが残念だ。

 

 

 

 ◯女子美術大学

 

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・「Autonomous thought (自立的思想)」紙、インク、クレヨン、キャンバス 41×31.8  松島千晶

 

 全然意味わかんないんだけど、他の学生の多くが大作をバンバン出品する中でこういう小品を出してそれでけっこう様になっていてかっこいいのがすごい。

 

 

 
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・「Personality」銅版画 30×20cm15点組 渡邊萌菜
 

 銅版画。バッキバキに割れたスマートフォンの画面を描いている。ありふれた日常の光景だがとても今っぽくていい。それだけではなく技法的にも面白い。画面のヒビがドライポイントで描写されている。ドライポイントとは銅版画の技法の一種で、丈夫なニードルで銅板に直接傷をつけ描画する方法をさす。つまり、傷を再現するのに版の上でも傷がつけられているわけだ。ドライポイントの特徴はその「にじみ」とも形容される生々しい太さをもった線だが、液晶の傷のにじみをうまく表現していると思う。

 

 

 

 ◯武蔵野美術大学

 

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 ・「簡易な装置」 石井雅人

 まったく名は体を表すというか、布団用の洗濯ばさみ?にモーターがついて床で回転していた。キャプションが作品にペタッと貼られているのがいい。

 

 

 
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・「自然体2」 鴇田拓真

 

 段ボールでコ汚いおばさんが作られている。結構でかい。遠くから見ても近くから見ても段ボールの造形だと分かるのだが、不思議と安っぽい感じがせず、すべての段ボールがあるべきところにあるべき形で用いられている感じ。造形物としてのレベルの高い説得力があった。タイトルもいい。

 

 

 

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・「手向ける」 東原茉梨奈

  

 壁から頭が生えていて、いろんな髪型が作ってある。どうやら本物の髪の毛を使っているらしく、少し生々しくて気持ち悪さを感じる人もいるかもしれない。これだけ毛を集めるのは大変だろう。この作品とは無関係かもしれないが江戸時代に北前船などが難波すると船乗りは金比羅大権現に祈願するのに最後は髷を切って祈る。そして無事生還したのちに髷が貼り付けられた額を奉納したりするのだが、それを思い出した。「手向ける」とは誰に対してなのだろうか。

 

 

 

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 ・「共に」 倉脇優介

 

 両側の車のハンドルを回転させることで進むことができ、中央の板に人などを載せられる。スチームパンク風の駕籠みたいなものだ。造形がかっこいい。

 

 

 

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 ・「untitled」 大塚美穂

 

 4点展示されていたうちの、この2点がいい。細かく装飾的に描き込んで化け物のような物をモノクロで表現するのは銅版画だとベタ中のベタだと思うけれど、なぜか作家性が感じられた。もっとたくさん見たい。

 

 

 

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 ・「border line」 新井あかね
 

 背景の日本画の画材がきれいだった。かわいい。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 何しろ数が多いので疲れるから行きたくなかったのだが、やはり行けばそれなりに面白い作品を見出すことができた。というより、これだけたくさんの作品があれば一点や二点は自分の琴線に触れる作品がない方がおかしいのであるから、ぜひ普段は美術展鑑賞に縁のないような人も来たらいいと思う。もっとゆっくりじっくり見ればまだまだいい作品を見出せたかもしれないことが心残りだ。

 五美大展は卒業(修了)制作という一つの区切りの作品が展示されている。それぞれの作家は特別な想いを持って制作、展示しただろう。やはりそのエネルギーには圧倒される。それも普段の作品展よりずっと疲れる要因だろう。

 確かに卒業制作展は大切な展示に違いないし、実際に私もそれがきっかけで展示の機会を与えられたこともある。とはいえ、これから作家として作品を発表していく人々にとっては卒業制作展はスタート地点に過ぎない。通過点といってもいい。大切なのはこの次であろう。グループ展か個展か分からないが、卒業した後に展示をできるのかどうか、どのようなものを見せることができるのか。どうやって制作と発表を続けていくのか。

 私もそういうことを卒業時にもっと考えておくべきだったなと今にして思う。

 

 

 

 (終)

 

冬と雪

 

 

 

 冬の静かな夜はいい。吐く息が白くなるような張り詰めた寒さがいい。そして、もしそこに降り積もる雪さえあれば、もはや言うことはなにもない。

  

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 全国的に寒波が到来し、東京でも何日も前から雪の予報が出ていた。朝起きたら案の定、雪は降っていた。だがそれは雨と見分けのつかない出来損ないのようなものであった。昼過ぎには大雪の心配もなくなったと報道されていた。ゆきだるまのひとつさえ見かけなかった。大騒ぎした割にはこれといって寒波の影響はなく、拍子抜けした。

 
 私は20年ほど北海道の札幌市で暮らした。いまこうして東京で何度目かの冬を迎え、曇り空の下、雪が濡らした路面を眺めながらぼんやりと冬について思いを巡らせている。

 北海道に住んでいた頃は冬について特に考えたことはなかったし、道外出身者が話す北海道の冬についてのいろいろを聞いてもあまり共感できなかった。今思えば、私にとってあまりにそれは当たり前すぎて、冬について感じたり考えたりすることに対して鈍感だったのだろう。だが何年も北海道から離れて冬を過ごしてみると、気がつくこともいくつかある。

 

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 どうやら私は、冬と雪は切っても切り離せないものだと無意識のうちに感じていたようだ。私にとっては雪が降ったら冬。もしくは雪が積もったら冬。こんなに明快な定義は他にないのではないか。

 ところが東京の冬は少しも雪が降らない。それでもやはり冬は冬だとされている。いつまでも惰性で秋が続くような気だるい季節が何ヶ月も続くみたいに感じられて、気が滅入る。

 雪がまったくないのに冬を名乗っている季節があることに私は違和感を覚えてしまう。

 ただ寒いというだけの季節なんて物足りない。もし、そこに雪さえあれば…。

 

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 それでも年に一度か二度、東京でも雪が降る日がある。その時には雪に慣れない車は渋滞し電車のダイヤは乱れに乱れる。それもそのはず、東京は雪の対策など何もない。そのコストに見合うほどの雪は降らないということだろう。

 それどころか冬の寒さへの対策も全然足りない。蹴れば倒れるようなぺらぺらの薄い壁を持った東京の住宅事情では、冬の寒さに心身が蝕まれてしまうかもしれない。情けないことに私がそうなりつつある。冬はやたらと気分が落ち込む。体調もなんとなくすぐれない。

 

 雪というのは不思議なもので、実はあんなに暖かさを感じさせるものもない。例えば、かまくら。雪国に育てば子供の頃作った経験を持つ人もあるだろう。雪で作られた建造物(?)の中が暖かい、その不思議。

 

 ある童謡では雪が降った時の犬と猫の様子が描写されている。屋外で力いっぱい雪と戯れるのも良いし、雪など意に介さないように振舞って室内で暖まるのもまた酔狂だ。

 だがそれも雪が降ってこそであって、しかも冬を楽しむには家の中は絶対に暖かくなければならない、と。私には、この童謡にはそんな冬の生活の教訓が込められているような気さえしてしまう。

 

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  東京の冬は寂しい。それは実に浅はかな、何も生まない寂しさだ。その寂しさの理由は、やはり雪がないことに尽きるのではないかと私は思う。
 私は今まで通勤や通学で、どうしても吹雪の中を歩かなければならなかった時が何度もあった。

 頭上では電線がじいじいと音を立て、足はギシギシと心地よく締まった根雪を踏んでいる。体中の顔だけが外気に晒されてひりひりしている。どれだけ防寒対策をしても、手の先と足の先はだんだん冷えてくる。それを振り切るように歩いていく。時折、道が途切れてしまっても、膝下まで積もった雪の中を漕いでいけばいい。仮にそれが冬の夜ならば電燈がなくてもじんわりとした明るさがあるはずだ。雪の白さが蛍光色のように静かに光って目に入るから・・・。

 例えば、こんな光景の中を何度歩いたことか。

 しかしそういう経験も思い出してみれば辛くはなかった。吹雪で視界が悪く周りに誰がいるのか何があるのか分からずに、ただ誰かの足跡を追って家路を急いでいると、ふとこの世に誰もいなくなってしまったような気持ちがする時があった。そういう孤独は不思議と気持ちを奮い立たせた。深く自分の中へ入り込んでいくような、時間も空間も超えてしまうような感覚があった。どうかすると、いつまでもそこに居たいと思うほど、寂しい中にも満ち足りた気分があった。

 雪国に育たなければこの気持ちは味わえないだろう。

 

  

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 この度の寒波は雪というには名ばかりのシロモノしか私にはもたらさなかった。

 今日みたいな日は寂しさを紛らわすために、しんしんと雪が夜の町に降る様を思い浮かべながら寝てみたくなる。寒くて暖かい冬の、不思議と満ち足りた寂しさを、布団の中でまどろみながら思い出してみることにしよう。

  

  

 

 (追記:この記事の写真は2019年2月に東京に降った雪のものです。全て筆者撮影。)

  

(終)

  

  

  

「北海道百年記念塔について思ったこと」から一年経って思っていること

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  (JR札幌駅地下街にて。右側が北海道百年記念塔の写真)

 

・あれから一年

 

 「北海道百年記念塔について思ったこと」というブログ記事を書いてから一年経った。これは百年記念塔の解体検討を伝えるニュース記事をみて、突発的また反射的に書いたものだ。

 

http://kotatusima.hatenablog.com/entry/2018/01/06/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E7%99%BE%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%A1%94%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E6%80%9D%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8

(ブログ記事)

 

 時間が経つのは早いものだ。

 その後、私は何人かの美術家に声をかけ「塔をしたから組む」というタイトルの北海道百年記念塔をテーマにしたグループ展を開いた。こんなことになるとはブログを書いた当時は全く思いもしなかった。

 

https://build-the-tower-from-the-bottom.tumblr.com (展覧会特設サイト)

 

 一年前に書いたブログでは百年記念塔の概要について書いた後、塔の解体の是非について述べた。当時は消極的ではあるが、解体やむ無しという立場をとっていた。

 

 その時の主張を要約してみよう。

 北海道百年記念塔は一部の道民に親しまれているし私自身も塔の色や形は好きだという気持ちがある。だが建築としての価値は私には分からず、実用的な利用方法もなさそうで、「負の遺産」として悪しき「開拓」のシンボルになれるかという点にも疑問がある。だから財政面で多数の同意は得られないだろう、ということだった。

 

  また、以前書いたブログには一部誤りがあった。「北海道命名150年」の年に解体に関する議論が起きたことを偶然のように書いてしまったが、北海道百年記念塔の解体検討は「北海道命名150年」と関連して見直されたというのが正しい。記事を書いた当時はこの経緯まで理解していなかった。

 ただ、100年を寿ぐ塔が50年を経ずに解体されそうだという状況は、なんとも言えない面白みがあるとは言える。

  

 

 

 ・私にとっての2018年

 

 では、一年経ってみて私自身の意見は変わったか。

 もちろん基本的なスタンスは一年くらいでは簡単には変わらない。しかし結論は変わった。

 

 私は、はっきりと、百年記念塔を残すべきだと思うようになったのだ。

 

 グループ展を開催するにあたって、時間の制約もあり完璧だとは言いきれないが、百年記念塔について一通りのことは調べた。公式の報告書から様々な書籍、新聞記事にも目を通した。そこからは建築に至る経緯、コンペの盛り上がりなどが分かった。また展示を開催したことで仲間の美術家をはじめたくさんの人と百年記念塔について話すことができた。

 一年前に「消極的に解体止む無し」とせざるを得なかったのは、いくつか疑問点があったからだった。

 私はこの一年の経験から、疑問点を解決したり自分なりの意見を持つことができた。以下ではそれを書いていきたい。

 

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(私が描いた百年記念塔)

 

 

・疑問①

 

 まず、一年前の私の疑問点は「建築としての価値」である。これについては、すでに建築を研究しているグループが塔の設計者を呼んだシンポジウムなど開催しており、一定の評価があると思える。

 

https://gamp.ameblo.jp/keystonesapporo/entry-12409588987.html

 

 また、百年記念塔跡地に作られる新しいモニュメントの素案を札幌の美術家に打診したのも建築の研究者だった。

 

http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180820011190001.html

 

 これらは上にリンクを貼ったように新聞でも取り上げられており、一定の注目を集めているようである。

  

 むしろ美術の側からの解体を惜しむ声が聞こえてこないのが不思議なくらいであるけれども、手前味噌ながら私が開催した「塔をしたから組む」は、百年記念塔が議論に値する塔であることを十分に示す結果となったと思う。

  

 以上の動きも意地の悪い見方をすれば、ただ建築や美術の専門家が騒いでいるだけと映るかもしれない。ただ、管見ながら一般市民の意見でも解体について積極的に肯定する声を私は聞いたことがない。解体賛成といえど財政難だから止むなしという形で消極的に認める声がほとんどである。

 一部ではすでに解体反対の署名運動も始められているらしい。

  

 

 

・疑問②

 

 また、一年前の疑問点としてあった「実用的な利用方法」については、相変わらず具体的な情報を得ていない。この点については今も情報を求めている。

  

 

 

・疑問③

 

 では、もう1つの疑問点、「負の遺産」として「悪しき『開拓』」のシンボルになれるか、というところである。当初、私はこの点について造形的な面から考えていた。百年記念塔は抽象彫刻のような造形物だと私は思っている。オブジェと言い換えてもいい。そこに鑑賞者によって投影されるもの(例えば開拓の先人)は限定されにくいだろう。その効果は狙われたものだろうが、かえってそのことが塔のもつべき何らかの象徴としての機能に対して不向きだと考えたのであった。

 

 ただ、最近はだいぶ私の考えも変わってきた。

 塔の形はどうであれ、これは結局のところ北海道民の心がけに頼るしかないことではないのか?と。「負の遺産」について、造形がどれだけ本質的な問題なのだろうか。例えば原爆ドームであればどうか、考えてみるといい。

 上で「『悪しき』開拓」と書いてしまったが、私は何も「開拓」を全否定するわけではない。北海道島に生まれ育った私は北海道開拓の恩恵を受けている。北海道民の多くもそのような恩恵を感じているはずだ。だからこそ北海道百年記念塔は作られたのである。しかし「開拓」は肯定できる側面ばかりの輝かしい歴史とは到底言い難い。この例は本当に枚挙に暇がない。

 北海道百年記念塔を残していくということは、その一面的ではない「開拓」を、いかにして引き受けていくかという問題と不可分である。最近、署名運動をしている人たちがどういう考え方をしているのか私は知らないが、百年記念塔を残すということはそういうことに他ならない。

 

 

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(私が昨年制作した作品の一部)

 

 

・これからの一年、そして「その先」

 

 日本はここ数年で、猛烈な勢いで、歴史の軽視、破壊、忘却が進んだ。それは文化の破壊と等しく、人間性への破壊行為である。わざわざ総理大臣や閣僚、官僚、政治屋、売文家、御用学者、御用商人らの固有名詞を出さずとも、何人も忌まわしい顔や名前が浮かぶだろう。

 

 私は一年前に、「塔が解体されるにしてもそこに塔があった事実はきちんと残すべきだろう。たぶん一番現実的でつまらない結末は静かに解体されることだ。その時は塔があったことを忘れないよう、せめてこの目に焼き付けておきたい。それは、あの塔に想いをもつものにとっての義務かもしれない、と思うのだ」と書いた。

  

 この想いは今も変わらない。塔を壊すのなら、塔のことを忘れてはならない。

 私が塔を解体して欲しくないのは、まさにこの点が気がかりだからだ。

  

 つまり、私たちは簡単に壊し、そして簡単に忘れる。そのことが私は怖い。

 

  覆水盆に返らず。破棄した文書は闇に消え、死人は二度と帰らない。

 解体した塔は元には戻らない。忘れた記憶は元には戻らない。そうではないだろうか?

 

  私は北海道を、北海道民を、信頼したい。しかしこの一年でどうにもその自信がなくなった。

 私が百年記念塔の解体を認めることになる、その時は果たして来るのだろうか。

 もう一年くらい、ゆっくり急いで考えてみたい。塔が解体されるその前に。

 


 

(終)

  

 

 

 

2019.1.9. 一部言い回し変更

2019.1.11. 一部言い回し変更

 

 

 

2018年(平成30年)よかった展覧会


 アラーキーの「ミューズ」の告発や、リーディングミュージアムなる制度の発表、東大での宇佐美圭司作品の廃棄など、政治同様にひどいニュースが多い印象の2018年。つい暗くなってしまうが、いい展覧会をたくさんみることができた(もちろん悪い展覧会やつまらない展覧会も…)。
 浜田知明さんや藤戸竹喜さんが亡くなられたのはけっこうショックだった。流政之さんや山口勝弘さんも亡くなられた。

 以下、見てよかった展覧会ベスト7。今年も独断と偏見で決める(並びは日付順で、この中には順位はない)。

・カオスラウンジ新芸術祭2017 市街劇 百五〇年の孤独 2017.12.28.〜2018.1.28.

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・・・3度目にして最後のカオスラウンジ新芸術祭2017。私は1度目とこの3度目に訪れた。たしか2018年の最初に見た展示で、幸先のいいスタートだなと思った覚えがある。廃仏毀釈によって仏教が失われたしまった地域が深くリサーチされていて見ごたえがあった。来場者は3通の手紙に導かれることによって町をさ迷う。最初に見せられる戒名のない墓石はそれだけで強い存在感があった。新しく作られた寺院と作家のコラボレーション(襖絵や地獄絵など)は、震災以後、地域とアートの関わりが繰り返し問われている中で、幸福な出会いのひとつだったのかなと思った。最後にたどり着いたお堂はこれまで歩いてきた町が見渡せるような山の斜面にある。この芸術祭のリサーチの先駆者ともいえるある郷土史家の資料を偶然にみつけた場所でもあったという。そこには町に落ちていたアルミ缶から鋳造されたらしい新しい鐘や作りかけのような仏像が置かれていた。それらはささやかながら力強い再生や復興のようなものを象徴しているように思えた。

 

 

 
アイヌ ネノ アン アイヌ 北海道開拓・開教の歴史から問われることー結城幸司の作品世界をとおして 2017.12.8.〜2018.1.31. 東本願寺接待所ギャラリー

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・・・美術展というよりは東本願寺の布教啓蒙活動的な展示。まず宗教団体として過去の過ちを真摯に受け止め正していこうという姿勢に敬意を表したい。アイヌ民族への真宗の布教の過程における差別に関する資料が並ぶ一方で、アイヌ民族の版画家である結城幸司さんの作品を並べるセンスがいいなと思った。

(詳細→2018年1月の京都②(東本願寺ギャラリー展とシンポジウム、北海道開拓と開教、アイヌの関わり) - こたつ島ブログ

 

 

 
・マイク・ケリー展 自由のための見世物小屋 1.8.〜3.31. ワタリウム美術館

・・・某映像祭で「Day is done」を見た知り合いは随分退屈だったと聞いていたので不安になって訪れたが、これは面白かった。展示の中心は学校の課外活動の様子を写した写真から想像され展開された映像インスタレーション作品。不鮮明な白黒写真が解釈され、(たぶん)まったく別のものに生まれ変わる様子は痛快だった。
 

 

 
・石川真生 大琉球写真絵巻 2.10. 〜3.4. 原爆の図 丸木美術館

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・・・タイトルの通り、琉球王国から沖縄県となり、現在に至るまでの歴史をたどった写真展。過去にあった出来事を現在の沖縄の人が演じることで再現、その様を撮影している。ペリーに扮したりするのだが、必ずしもかっちりした仮装ではないのでどことなく可笑しい。フォトジェニックという言葉からは程遠い。コスプレしてふざけているように見える写真もないではない。そのなかで当然ながら現在進行形の基地問題なども取り扱われることになる。政治家が沖縄の海に投げ入れられた石の重しでつぶされたりする。

 どういう写真かと問われてもなんとも説明しがたい。もちろん上記のような表面的な説明はできるのだが…。私は、なんとしてでもこれをやらなければいけなかった必然のようなものを感じた。写真家の作歴の必然?沖縄の写真史の?それとも日本の美術史の必然?それは分からない。美術家や写真家、芸術家は、どうしてもやらなければならない仕事がある。それに理由らしい理由はない。強いて言えば直観だろう。そういう仕事のように思えた。

 

 

 
・東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村 2.24.〜4.15. 板橋区立美術館
・・・いつもコレクションをうまく使って素晴らしい展示をしている印象の板橋区立美術館。沖縄の美術家と東京のつながりを見せてくるとは予想外だった。また、藤田嗣治など沖縄を訪れた作家の作品も印象に残る。日本美術史への認識を更新させられた。

 

  

 
池大雅 天衣無縫の旅の画家 4.7.〜5.20. 京都国立博物館
・・・名前はもちろん知っていたがほとんど作品をみたことがなく、大変勉強になった。絵が有名だが素人目に見ても書も達者だった(最初は書家として世に出たとか)。

  

 


・ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅 9.15.〜11.18. 町田市立国際版画美術館

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・・・銅版画家の回顧展。旅行の記録をメモに書き留めるように絵や文字を描き、複数の版画を一つの画面にコラージュするような作例が多く、もともと版画をやっていた自分としては「この手があったか!」とかなり感心させられた。

 

 

 
その他は以下の通り。(※展覧会名は必ずしも正式名称ではありません)

 

・・・谷川俊太郎(オペラシティアートギャラリー)、池田龍雄(練馬区立美術館)、横山大観(東京国立近代美術館)、「光画」と新興写真(東京都写真美術館)、ヌード展(横浜美術館)、岡本神草(千葉市美術館)、熊倉涼子 + 永井天陽 「DI-VISION/0」(TAVGALLERY)、ゴードン・マッター・クラーク(東京国立近代美術館)、内藤正敏(東京都写真美術館)、琉球 美の宝庫(サントリー美術館)、「AUDIO ARCHTECTURE 音のアーキテクチャ展」(21_21 DESIGN SIGHT)、ブリジット・ライリー(川村記念美術館)、加茂昂 追体験の光景(原爆の図 丸木美術館)、増山士郎「Tokyo Landscape2020」(Art  Center Ongoing)、村上友晴(目黒区立美術館)、ジャン=ポール・グード「In Goude we trust! 」(シャネルネクサスホール)、中村ケンゴ「モダン・ラヴァーズ」「JAPANS」(MEGUMI OGITA GALLERY)、磯村暖 LOVENOW(ユーカリオ)


…などが面白かった。

 

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 (横山大観 東京国立近代美術館

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 (谷川俊太郎 オペラシティー

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 (中村ケンゴ MEGUMI OGITA GALLERY)

 

 
 
 東京国立博物館では、今年は縄文展や「マルセルデュシャンと日本美術」が話題だった。いずれも展示されているモノ自体は最高だったのだが、キュレーションが良くないと思った。あまり練られてないというか、安直で鑑賞者をバカにするような展示だと感じた。担当者にもよるのだろうが、これからは東博にはキュレーションをあまり期待できないかもと思う。もったいない話だが…。

  

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 (セゾン美術館 入り口)

 
 ゴールデンウィークに友人と一緒に軽井沢のセゾン美術館に行けたのは本当に良かった。今年行った中では一番と言っていいくらい素敵な美術館だった。アンケートに答えると小冊子がもらえるのも素敵。

 今年は京都に展示を見に2回も行ったが、その他は展示のためにはあまり遠出はしなかった。

 6月からは絵馬に関することをブログに書くようになり、山形に作品制作のための調査と絵馬を見るのを兼ねて旅行した。今後はもっと美術館やギャラリーに行かなくなって寺社仏閣を詣でるようになりそうだ。

 今年の後半はグループ展を企画して、それに向けて動いていることが多くあまり展示は見なかった。全体的にも去年より見た展示は少なめだった。毎年思うことだが、もっと面白い展示をたくさん効率よく見たいものだ。それは結局は場数を踏むしかない。ゆくゆくは海外の展示もたくさん見たい。

 

 

 

 (終)

 

私と郷土玩具

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(左:京都、伏見人形の窯元「丹嘉」「三竦み」 右:東京「今戸焼 白井」の三竦み)

 

 

 

・郷土玩具?

 
 全国各地に郷土玩具と呼ばれるものがある。例えば年賀はがきや切手にあしらわれている干支の置物がそれである。各地のこけしやだるまの類を含めてもいいだろう。

 

 はっきりした定義があるのかは知らないが、郷土に根ざした独自性を持つことと、何らかの伝統を守ってきていることが条件とされる場合が多いようである。とはいえ、伝統的な玩具に現代的な工夫を加えたり、新作を作る例もままあるので一概には言えないようだ。

 近年は御朱印ブームも相まって招き猫など縁起物や寺社の変わった授与品も人気を集めている。そのテのものを集めた本を見かける機会も増えた。

 

 私は御朱印に関してはブームになる以前から集めていた(ちなみに今はやめた)のだが、郷土玩具についてはブームになった頃から集めるようになったことを告白しておこう。ただ、私はブームに乗ったというよりは北海道でのリサーチを進める上でまず木彫り熊やニポポに注目して、日本各地の文化的所産に興味を広げていく上で郷土玩具を集めるようになった。コレクションというより作品のモチーフのために集めている側面が強いのだが…いや、言い訳はもうこの辺にしておこう。理由はどうであれ、私も郷土玩具が魅力的だから集めているという点ではブームに乗った人と変わりはないのだ。認めたくないけれども、どういう郷土玩具があるか知る上ではブームの恩恵を少なからず受けている。

  

 

 

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(東西の狐対決)

 
 私は単に郷土玩具を片っ端から集めるようなことは絶対したくない。一応、こだわりがあるのだ。ここからは、郷土玩具を集める上で自然にできた自分なりのルールを書いていくことにする。

  

 

 

・マイルール


 私が勝手に決めているルールは、3つ。

 

①「現地で買う」

②「現代の作家から買う」

③「授与品とそれ以外を分ける」

 

である。

  

 

 
 まず①「現地で買う」について。

 郷土玩具は当然ながらそれぞれの地方によって違った特徴を持つ。であれば、その産地の風土を反映することも多いはずだ。その土地へ赴き何かを感じた上で買うことで、郷土玩具への自分なりの理解を深めることができるはずだ。また、旅の思い出と共に郷土玩具を自宅に持って帰ることも楽しみのひとつであるといえよう。 他に現地へ行って買う利点として、安いことがある。東京のお洒落な喫茶店や雑貨店でも郷土玩具を扱う例がここ数年で随分と増えたようだが、やはりそこは商売なので現地で買うより何割か高い場合が多い。これは仕方がない。

 また、現地だと在庫も多い。そこで作っているのだから当然だ。郷土玩具の良い点は、手作りでひとつひとつ表情が違うこと。自分の好みの顔を選ぶのに、在庫が多いに越したことはない。

 

 また、②「現代の作家から買う」については、言い換えれば骨董品屋や古道具屋では集めない、ということ。わざわざ古道具屋で探して集め出すとキリがないということと、現代の作家を微力ながら応援したいという気持ちからである。

  

 ①、②を合わせると、現地に行って直接買う、ということになるのだが、小売していると聞いて訪ねていったら所が住宅や工房を兼ねている場合も多い。そこで作業の様子を見せてもらえたりするのは、嬉しいひとときだ。仕上げられていく様子を目にすると職人への尊敬とともに郷土玩具に愛着も湧く。それどころか、お家に上げてもらって茶菓子や飲み物をご馳走になりながら世間話をする、なんてこともあった。これはもちろん稀である。

  

 

 
 中川清七商店の店頭にミニチュアの郷土玩具のガチャポンがしばしば置いてある。これは郷土玩具ブームのひとつの要因かもしれない。私にはこれを集める人の気が知れない。あれを買うくらいなら本物を買えば良いと思ってしまう。言ってしまえば単なる安っぽい偽物ではないか。ガチャポンの玩具はしばしばミニチュアとしての面白さが魅力であると私は思っている。郷土玩具は大抵は高さ10センチに満たないので、大きさもガチャポンの玩具とさほど違わない。そこにミニチュアの魅力があるのかどうか、と思うのだが…愚痴はこの辺にしておこう。

 閑話休題

  

 

 

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(木鷽。左:亀戸天神 右:町田天満宮

  

 ③の「授与品とそれ以外を分ける」について。

 郷土玩具とされるものの中には、工房で作られ小売店で売られるものもあるし、寺社で授与されるものもしばしばある。例えば全国の天神社で授与される木鷽がそうだ。

 授与品は神主さんや巫女さんが作っていたり、そうでなくても何らかの祈願がされているだろう。いわばお守りと同様の品であり神様仏様の分身として扱わなければならない筈だ。それを市井の玩具と一緒くたにするのは神仏への礼儀に反する、ということは言っておきたい。私はこの違いをはっきり区別した郷土玩具の本やウェブサイトをあまり見たことがない。

 授与品を集めること自体もそんなに褒められたことではないと思うのだが、集めることが行き過ぎてお参りをせず授与所に一目散に行くようなことは避けたいし、まして処分するような時になればお焚き上げなどそれなりの扱いをするのが最低限のマナーだろう。

   

  

  

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(東西の狐対決その2)

 

 

 

・まとめ

 

 近年は郷土玩具についての博物館での展示もあるとたまに聞く。それは博物学的価値が認められたというよりは、以前のブームに乗って集めたコレクターが亡くなって、寄贈される事例が全国である、ということらしい。

 北海道大学博物館に展示されているアイヌをモチーフにした北海道土産のコレクションのように、ある時期の文化を考察する上で有用な事例もある。

  

 個人的には、どうせ集めるのだったらかわいいとか面白いとかいうだけではなくて(もちろんそれはそれでコレクションの理由としては十分わかるのだが)、なにか系統に沿ったものにしたいと思う。それがコレクション形成の醍醐味でもあるだろう。

 面白くてかわいい郷土玩具は、その種々の背景なしには存在しない。郷土玩具を生んだ各地の文化への敬意を払いながら、行き過ぎた振る舞いをせずに集めたい。そして縁あって手に入れることができたものは末永く大切にしたいものだ。

 

 

 

(終)

 

 

 

東京で北海道を探す「蝦夷地探検家 秦檍丸 先生 墓」

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 根津から谷中へ向かって坂道を歩いていた。落ち葉ももうだいたい散り終えたかという晩秋。いかにも昔からありそうな佇まいの商店や住宅が並ぶ街を抜け、だんだんと道の両側にお寺が増えてくる。

 

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 車道の反対側に玉林寺という禅寺があった。ふと気になって信号を渡り、山門の前にある白くて縦に細長い石碑の字を読んだ。そう古くはなさそうなそれには「秦檍丸 先生 墓」の文字。その横によく見ると小さく「蝦夷地探検家」とあり、「はた あおきまろ」と読み仮名が振られている。

  「蝦夷地探検家の秦檍丸…」と、そこまで読んでやっと思い出した。秦檍丸(秦檍麿)、別名を村上島之允(村上島之丞)といい、松浦武四郎に先立つことおよそ半世紀、近藤重蔵らと蝦夷地を調査し「蝦夷島奇観」C0012769 蝦夷島奇観 - 東京国立博物館 画像検索などを書き残した人物だ。 

(参考 三重県 県史あれこれ:http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=17/ 函館市史:http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-04/shishi_03-04-07-03-01.htm

 

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 境内は奥に広い。参道を進むとお堂があり、右手には千代の富士銅像があり(菩提寺らしい)、住居がある。左手奥から渡り廊下の下をくぐりお堂の裏手に抜けられるようになっていて、墓地の大部分はその先にある。

 

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 石の階段を少し登る。左右に石仏がずらっと並び、正面にひときわ大きい石仏(無縁塔)がある。墓地の中の道は特に規則性がなく、単に通れるところを縫って通っているようだ。唐破風風の屋根が付いていたり、自然のままの形だったり、軍隊の階級が書いてあったり、様々な年代の墓石が混在している。

 墓地をぐるぐる二周ほどしても、なかなか墓が見つからない。 

 枯葉を掃除していたおじさん、たぶん檀家さんなのだろう。見かねて声をかけてくれ、親切に墓の場所を教えてくれた。

 

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 墓のそばに顕彰碑があるものの、目立つような案内板も何もない。むしろ他の墓より低く小さめの墓石だった。これでは見つけられないはずだ。

 顕彰碑は昭和五十年に倉島延三という人物が建てた。

 山門の「秦檍麿 先生 墓」の碑も同時期に設置したのだろう。これがなければ僕は一生この寺院に足を踏み入れることもなかったかもしれない。

 墓石自体はいつ建てられたのだろうか。没年は文化五(1808)年、流行病が原因で49歳だったという。当時のものが残っていてもおかしくはない。

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 目を閉じて静かに手を合わせながら、おのずと「蝦夷島奇観」に描かれた風景や文物を脳裏に浮かべていた。

 あたりはさほど汚れていなかったが枯れ葉を一枚だけ除けた。今度来ることがあれば手桶に水の一杯でも持ってこよう。

 

 

 曹洞宗望湖山 玉林寺  東京都台東区谷中1丁目7−15

 

 

 

2018.11.25.加筆

石狩日記① 

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 (「無辜の民」への道)

 

 
  

 「石狩日記」というと、松浦武四郎の「石狩日誌」を思い出す人もいるだろう。

  石狩川流域にはかつて13の「場所」(アイヌと交易を行う区域)があり、「イシカリ場所」と呼ばれた。はじめ慶長年間に開設されたというからかなり古い。

 この日は「場所」の開設を期に鮭の交易で栄えた石狩市の本町地区に行ってきた。私はまだ「石狩日誌」を読む機会を得てはいないが、武四郎が訪れた頃の面影は今もあるだろうか。

  

  

  

・いしかり砂丘の風資料館

 

 石狩市と一口にいっても広い。この日行った本町地区は石狩川河口付近のエリアで、自家用車で行った。札幌駅からでもバスで行ける。

 

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 まず「いしかり砂丘の風資料館」へ。小さいがよくまとまっていて解説も充実している。入場料は大人300円。

 

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 一階は缶詰つくりコーナーや漂着物の展示コーナーのほか、「川」「海」「河口」のテーマごとに自然科学や近世、近代の歴史資料の展示。

 

 まず入るとチョウザメの剥製がある。日本近海では北海道や東北の沿岸で見られることがあるが、大正から昭和初期に減少し、日本では事実上絶滅したともされている。十数年に一度、ごく稀に捕獲されることもあった。石狩では江戸時代から鮭の豊漁をもたらす「鮫様」(妙鮫法亀大明神)としてチョウザメが石狩弁天社に祀られてきた。この信仰は「チョウザメ石狩川の主である」というアイヌの伝承に由来するともいわれている。その石狩弁天社の手水鉢も展示されていた。

  

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 面白かったのがこの「ケリ」で、アイヌの鮭皮製の靴をもとにゴム長靴が普及する大正頃まで作られた。一足で一冬越せるほど丈夫だが干しているうちに焼けてしまったり、犬や猫に食べられてしまったりしたという。

 

 そのほか一階にはかつての油田の模型や、商家の屋敷の模型、イシカリ場所についての解説パネルなどがあった。

 

 

 二階は「石狩紅葉山49号遺跡」という遺跡の展示だった。ここには縄文時代中期の木製の器や鮭を取るための柵がある。素人目に見ても珍しいことがわかる。土器と違い木製の器だと腐らず残るのはなかなかないだろう。

 この遺跡は全国では100例程度しかない「低湿地遺跡」(湿地の中で水浸し状態になった遺跡)で、その中でも縄文時代中期のものは数例なのだという。また、鮭の漁労施設は国内でも最古級のもので、従来もっとも古いとされていた2000年前の遺跡からさらに2000年古く、縄文時代のものとしては初めての出土例だ。

 

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 柵の結び目を眺めて、縄文人の手仕事が目の前にあると思うと不思議な気持ちになる。

 

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 いしかり砂丘の風資料館の隣には、「旧長野商店」がある。資料館との共通券で入館できる。 正直に言ってあまり賑やかではない町の中に、これだけ立派な建物が現れるのは唐突だと思わされる。それだけかつてこの辺りが繁盛していたということだ。

 「旧長野商店」は越後出身の長野徳太郎が明治7年に創業した店舗で、石狩市内最古の木骨石造建築物(木造の骨組みの外に石を積む)だ。一説によれば明治10年代まで建築時期が遡れるともいう。移築、復元されているのですべての部材が建築当時のものではなく、中はかなりきれいになっている。瓦屋根とアーチ窓など和洋折衷のデザインを用い、店舗と蔵がともに耐火性の高い木骨石造であることなどが珍しいとされる。

 

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・石狩尚古社

 

 次に、1キロも離れていない私設の資料館「石狩尚古社」へ行く。

 

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 二階建ての館内はとにかく物で埋め尽くされている。館主の中島さんのひいお爺さんが明治2年佐渡から北海道に来て、この辺りで呉服店を経営し大成功、一時は札幌の丸井今井を凌ぐほどだったとか。

 明治時代は鮭漁の最盛期で、石狩には2000人以上の出稼ぎ人が入り込み、料亭や遊郭が軒を連ねたという。

 

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 千社札。「天登屋」は樺太支店で、テントで営業していたという。

 

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 のれんなどが所狭しと並ぶ。

 

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 このアツシはある時期に佐渡の中島家の縁戚の手に渡ったが再び石狩に戻ってきた。時期や生産地が比較的はっきりしていて珍しいのだそうだ。

 左にぶら下がっているのは砂澤ビッキの作品のようであるけれど、頭がない。あるとき散歩していたらこれが川をバラバラに流れてきた。拾い集めるもどうしても頭の部分が見つからなかったという。いったい何があったんだろうか?

 

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 二階も陶器やらアイヌの木製品やら。

 

 館主からひとつ気になることを聞いた。展示物の中にアイヌを描いた絵のコピーが数点あった。いわゆる江戸時代に和人がアイヌを描いた一連の「アイヌ絵」の一種だろう。そのアイヌ絵は初見だったので、どのような絵なのか訊ねると、石狩のあるアイヌは漁場を持つくらいの金持ちで、石狩ではほかの地域と違ってアイヌと和人が対等にやっていた。その金持ちのアイヌが絵師に描かせた絵だ、と。

この絵はいまどこにあるかと訊くと、某大学の研究者が持って行ったきり返さないらしい。

事の真偽はなんとも分からないが、大変興味を惹かれる話だった。機会があればもう少し突っ込んで調べてみたい。

 

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 そもそもこの「尚古社」というのは幕末(一説には安政3年)から石狩にあった俳句の結社の名前だ。各地の結社は有名な俳人に俳句を書き連ねた帳面を送り、添削を受けていたという。さながら通信教育だ。

 中島家に残された全国の俳人の短冊が、もの凄い量展示されていた。

 

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 これは明治30年に重野安繹(1827~1910、漢学者、歴史家、日本最初の文学博士の一人)が石狩を訪れアイヌの集落を訪れたときのことを書いた漢詩を書き直したもの。

 石狩の名士であった中島家には学者や政治運動家、軍人らがたくさん書を残していった。

 

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  帰りがけに玄関の上を見上げると井上円了の書が。

 

 中島家の家紋が入った器や地方の俳人の短冊は、個々のものとしてはそれほど価値が高いものではないかもしれない。しかしこれがまとめまった形でここにあることの意味はかなり大きい。これら資料を精査することでわかる当時の暮らしの様子には、計り知れない可能性があると思う。

 今回の展示はいちおう企画展で、「中島家渡道百五拾年記念展」だった。そのチラシには「尚古社資料館展示品がまるごと北海道150年の歴史です」とあった。まさにその通りだろう。

 北海道博物館あたりで中島家の資料をお借りして特集展示をやったりしたことはあるのだろうか。私設でどうしても雑然とした印象はぬぐえないが、展示物については館主は嬉々として説明してくださるし、北海道の歴史に少しでも関心のある人は行くといい。

  

 

 

・「無辜の民」

 

 浜辺に車を走らせ、「無辜の民」像を見に行く。私は中学生の時からの本郷新ファンなので、ここに来るのは念願だった。

 

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 道の両側に草が生えて、あたりはただ空と遠くにかすかに海としか見えないようなところに、ぽつんと「無辜の民」の看板が出ていた。舗装されていない道を進むと、草原の向こうに台座に載った彫刻があった。

 

 

 

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 船を模したようなコンクリートの台座に載った人体は、紐か何かでで引っ張られ吊られている様にも見え、それでいて体を自ら突っぱねて筋肉を緊張させているような力も感じさせる。なんと例えればいいのか、足がつったときのような感覚と言おうか。自分の意志ではないけれど確実に自分のなかから現れてきた何かがそうさせている、という状況。

 見た目の通り身動きの取れない状況を表現した作品には違いないのだろうが、受け身で縛られ流されるままではなく、かといって露骨に抗う態度を見せるのでもない。字義通りに受け取れば、一種の悲痛な状態におかれた「無辜の民」の像だろう。それを頭でわかっていつつも、この人体のもつ独特な緊張感と解放感とが入り混じった存在感が先に印象に深く刻まれてしまう。不思議な像だ。ヒューマニスティックさに振り切れず、どこかでドライな客観性すら感じさせるのは、この大きさのせいでかえってヒューマニスティックさが薄まった結果なのか、造形物の制作過程で生じてしまう客観性のせいなのか、作者の本郷新のセンスなのか。

 

 

 

 

 寂しげな浜辺から再び町へ。石狩八幡神社へ向かう。

 

 (②へ続く) 

 

 

 

2018.9.18. アイヌ絵について加筆