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「草間彌生 わが永遠の魂」2017年2月22日~5月22日 国立新美術館(東京都六本木)

 国立新美術館で「草間弥生 わが永遠の魂」を見た。草間作品をまとめて見たのは初めて。

 
 

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(チケット)
 
 展示構成は次のようになっている。
 最初にまず近作の富士山の絵がある。私はこの絵はあまりいいと思えなかったので期待せず次に行くと、奥行きのある大きな部屋に出る。最新作の連作「我が永遠の魂」がズラッと並び、部屋の中央には巨大な花のオブジェがあって圧倒される。この部屋は携帯でのみ写真撮影可。順路はこの部屋を囲むように続いていて、渡米前の日本画から、「無限の網」シリーズ、ペニスを模したソフトスカルプチュアのシリーズはもちろん、カボチャの絵やあまり見ない映像作品やコラージュ作品、ドローイングも時系列順に揃っていて草間の全貌がつかめる。
 おそらくそれぞれの時期の代表作が集まっているのだろう。点数以上に充実している感じがした。
 また今回は美術展で初めて音声ガイドを借りて聴いてみた。草間本人のインタビューや詩の朗読、歌声(!)も入っていて面白かった。草間ファンにはおすすめしたい。
 
 

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(展示室内の様子)

 
 作品の変化を追っていくと、ミニマルアートや、ウォーホールも用いたような集積と反復、ソフトスカルプチュア、ハプニング、ジェンダー的なテーマなど、その時々の時代のテーマを時に先んじて扱い、しかも大喜利的に反応するだけではなく自分のものにして取り込んでしまっているように見えた。草間最大のテーマである強迫観念にしても、前世紀から今世紀の大きなテーマのひとつのようにも思える。
 これが努力によるものなのか運なのか勘の鋭さなのかはわからないが(たぶん全部だと思う)、ともかくそういった意味での草間弥生の凄さは感じられた。
 
 
 一番最初の富士山の作品(「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がって行く時」)や、連作「我が永遠の魂」などは、よくイメージされるアウトサイダーアート的なものに似て見え、あまり私の好みではない。もちろん草間は京都市立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)で日本画を学んでおり、美術教育を受けていないという意味でのアウトサイダーアーティストではない。
 しかし他の「無限の網」にしても、数々のドローイングにしてもコラージュにしても、非常にモノとして魅力的だと感じ驚いた。私は草間弥生がこんなに絵のうまい人だと知らなかった。渡米前から瀧口修造らに評価されていたというのもわかるし、草間の底力をみる思いがした。
 
 

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(「木に登った水玉2017」2017年 サイズ可変 ミクストメディア)
 
 草間弥生といえば「水玉」であり、反復と埋没である。それは草間自身の幻覚や強迫観念からきたものであることは有名だ。
 水玉や反復それ自体は草間の発明したものではないが、もはや代名詞となりつつあると言えると思う。作家が自身の世界観や宇宙観を表現し発表していくにあたって、代表的なモチーフが知られ親しまれることは大きな喜びだろう。そして草間の場合は本人のキャラというか雰囲気に加え、水玉がポップでキャッチーに見えるから、なおさら印象に残るし人気が出る。
 展覧会入り口の横には長い行列があってビビる。これは入場制限ではなくてショップのレジ待ちの行列だ。たくさんグッズを買い込む人を見ると、作品や草間弥生自身が消費、消耗されてしまうようにも見える。
 しかし私が思うに来場者と草間の関係はそうではない。草間が水玉の中へと埋没し「自己消滅」するように、買い物をした来場者もたぶんそのグッズで水玉の中へ埋没してしまうのではないだろうか。そんな狙いもあるのではないか。
 なぜ写真撮影は携帯のみ可なのだろう?たぶんそれは草間作品を待ち受け画像にすることで携帯を埋没させるためである。美術館の周りの木に巻かれた水玉だって、来場者ごと、美術館ごと、水玉に埋没させるためのものだろう。
 
 

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(「オブリタレーションルーム」2002年~現在 サイズ可変 家具、白色ペイント、水玉ステッカー)


 レジ待ちの列に30分並んだあと、ヘトヘトになりながらも、「オブリタレーションルーム」(部屋や家具に水玉シールを貼ることのできる参加型コーナー)に行ってみた。開幕から10日あまりなのに、もはや貼られすぎて水玉じゃなくなりつつある部屋を見ていると、来場者と作家の何とも言えない絶妙な力関係を見ているように感じた。

 

(完)

私と御朱印

 

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(私の御朱印帖①)

 

 

 ここ数年「御朱印集め」が流行っているようだ。たぶん旅行代理店か何かが紹介し始めて、それが旅番組で取り上げられるようになって広まったのだろう。ホントかウソかわからないが「御朱印ガール」なるものまで出現しているらしい。その一方で「スタンプラリー感覚で集めるのは敬意に欠ける」という批判もあるようだ。実際に私も「スタンプとは違うので大切に保管してください」という旨の注意書きを見たことがある。数日前には期間限定などのレアな御朱印がオークションで取引されたり、転売目的で何点も御朱印をもらうことが問題視されニュースになっていたのを目にした。これもブームの過熱の証左だろう。

 

 御朱印とは寺社仏閣を参拝した証としてもらう印章や墨の字で、もとは寺院に納経した証だったという。ふつう四国のお遍路や七福神めぐり、観音霊場めぐりのような巡礼者がもらうものなのだろう。「御朱印帳」と呼ばれる帳面に書いてもらうことが多いが、ペラ一枚の半紙に書置きしているところもある。この御朱印帳もだいたい各寺社で売られていて、凝った刺繡を施したようなかわいいものは人気だそうだ。

 大伽藍ならお堂ごとに御朱印を用意しているところもある。片や多くの浄土真宗の寺院は御朱印を書き与えていない。

 大抵は初穂料などとして300円を納める。特に金額を設定していないところもある。参拝の証なのだから参拝後に貰うものかと思いきや、参拝前に御朱印帳を預けて帰りに受け取るところも多い。

 

 

 私が御朱印をもらうようになったのは2012年9月の京都旅行がきっかけだ。残暑が厳しい日だった。

 東寺を参拝したあと、お守りなどを扱う一画でたまたま御朱印の文字が目に入ったのでこれは何かと尋ねた。作務衣を着たおばさんは丁寧に御朱印について説明してくれた。「これをもらったらきちんと参拝しなきゃいけないなあ」と考えたのを覚えている。私はそこで初めて御朱印帳を買い、表紙の余白に「御朱印帖」と書いてもらった。

 御朱印は細く伸びる梵字のしたに滑るような動きの筆で「弘法大師」と書かれていた。今見てもうっとりする。そして同時にその描かれた様を見たときの感動と、静かで涼しいお堂の日陰の色も思い出されるのだ。

 

 

 私が御朱印をもらう理由は、きちんと参拝するためだ。御朱印は神仏の名前が書かれていることも多いし、書かれていなかったとしても寺社からいただくありがたいものだ。だから、御朱印をもらうとなればそれだけで気持ちが引き締まる。以前より寺社での作法、振る舞いにも気をつけるようになった。一枚一枚違う御朱印のように、一回一回を丁寧に参拝するようになるということだ。それは結局自分の満足にもなる。

 

 また、御朱印には多くの情報がある。 御朱印は千差万別だ。私はまだ見たことがないが、何色ものはんこを使ったカラフルなものや手書きの絵入りのものもあると聞く。もちろんそれはただ観光客を集めるための物ではなく、それぞれの寺社の特徴にちなんだものだろう。

 御朱印を見るときはその達筆にうっとりするのも楽しみ方のひとつだが、文字や紋をきちんと見て読んでいくと発見が多い。例えばご本尊が何であるか、とか、その寺社の紋や由来などである。御朱印帳には向かい合った御朱印の墨や朱肉が移らないようによく紙を挟んでもらうのだが、それには御朱印自体や寺社についての説明が書かれていることが多く、それをみるのもまた楽しい。

 例えば私にとって思い出深いのは京都の千本釈迦堂大報恩寺)の御朱印だ。ここは本尊は釈迦如来なのに御朱印は普通「六観音」と書かれる(希望すれば観音菩薩や釈迦如来と書いてもらえる)。そのことだけでも私は結構面白いと感じるのだが、この六観音というのは鎌倉時代の仏師・定慶による六観音像のことで、重要文化財だ。これがすごい。まず観音像を六体一度に見ること自体あまりないのに加え、一体180センチほどあってデカく、しかも超端整なのだ。ちなみにここは本堂が応仁の乱の戦火を逃れた国宝だったりして他にも見どころがかなり多い。寺宝を展示している建物はめちゃくちゃ寒く、震えながら何度も六観音の前を往復して拝観した記憶がある。

 

 このように、御朱印は参拝した時のことを実にありありと思い出させてくれるものでもある。京都のような観光地ではあまりできないけれど、御朱印をお願いするのと同時に寺社の由来とか世間話をすることもある。もちろん迷惑にならない範囲で、だ。御朱印集めがあんまり流行るとそういうこともできなくなるかもしれない。

 

 

 わざわざ寺社を参拝したとなれば、何か記念になるものが欲しくなったり、いくらか気持ちを納めたいというのが人情だろう。しかしお守りだとあちこちであまりたくさんもらっても後々扱いに困りそうだし、他にそれほど目ぼしいものがないこともある。お賽銭はだいたい五円とか十円の小銭だ。そういう時に300円というお手頃な初穂料で、しかもけっこうきれいで、寺社の由来などに触れられる御朱印は、参拝者にとっても寺社にとってもけっこういいものなのではないだろうか。

 

  御朱印をスタンプラリー感覚で集めることへの批判があるとも上に書いた。それは言い換えれば御朱印ありきの参拝の形だろう。たとえ遠方の寺社に参拝に行ったとしても御朱印さえもらえれば良いという考え方であれば、転売が横行するのも理屈としては理解はできる。

 私にとって御朱印は経験したこととともにあるもので、つまりは参拝ありきのものだ。御朱印は参拝の証としてもらうという大前提はいったん無視しても、どこかに行って建物や名所旧跡を見て参拝して・・・いろいろあってやっともらうものだ。その一連の流れが面白いのであって、それがあるから御朱印は私にとって価値になる。ティム・インゴルドの「ラインズ」でいう徒歩旅行の線と輸送の線の違いみたいなものだ。

 そういう楽しみ方をしている私にとって、行ったこともないような場所の御朱印を手に入れるのはたとえレアものでも魂の抜けた死体を手に入れているようなものだ。むしろ昔の「お伊勢参り」のように、御朱印集めを名目にして参拝ついでに観光も・・・というようなことがあってもいい(旅行代理店の思う壺かもしれないが)。その意味でなら私も動機が「スタンプラリー」であってもそれほど悪いとは思わない。

 

 そもそもスタンプラリーという言い方で御朱印集めを批判するのはよくわからない。どうせ「昔の人は信心で巡礼したが、今の若いものは信心もなしに御朱印目当てで参拝するのはけしからん」とでもいうのだろう。信心のあるなしが御朱印集めとスタンプラリーの違いなのであれば、それは他人が指摘できるような性質のものではないだろう。そんなことを敢えていうのは野暮だ。

 私が思うのは、信心もなにもなしにレアさや見た目のキレイさだけで御朱印を集めるのはただただ空虚で、もったいないということだ。ちょっと寺社仏閣に興味のあるようなひとであれば、是非おすすめしたい。

 

(完)

香川日記③ 瀬戸内国際芸術祭2016 大島

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 2016年ももうすぐ終わり。

 今年は本当にあちこち行きました。京都、福岡、福井、岡山にも行きました。
 夏に行った瀬戸内の島々のことも印象深いです。その中でも自分なりに特に記録として書いておきたいと思うのは大島のことです。伊豆大島ではなく瀬戸内の大島です。
 
 大島は香川県高松市庵治町に属する面積61ヘクタールの小島です。高松港の東8キロにあり、島の大部分は国立療養所大島青松園が占めています。ここは明治42年からあるハンセン病の患者を隔離し治療していた施設の一つです(もちろん療養所はここだけではなく、現在は国立の施設が全国に13か所あります)。

 治療法が確立されすべての治療が完了した現在は、入所者の方々には高齢による症状と後遺症へのケアが行われています。
 
 大島についてはこちらが簡潔で詳しいです。
 
・国立療養所大島青松園 概況 
http://www.nhds.go.jp/~osima/Seigai.html
・国立療養所大島青松園 沿革 
http://www.nhds.go.jp/~osima/Seienk.html
 
 平成8年にらい予防法が廃止されて以来、徐々に島民と島外との交流が行われ、平成22年から瀬戸内国際芸術祭の会場になったことも影響を及ぼしているようです。
 
高松市公式ホームページ 大島の振興
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/21367.html
 
 そんな大島にほとんど予備知識もなく行ってきました。

 

 

 

8.12.

 

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 6時45分頃に起床。7時半前にホテルを出発。ことでんバス高松駅まで向かう。
 8時過ぎに高松駅到着。
 すぐに高松港の瀬戸内国際芸術祭のインフォメーションセンターに行く。ここで芸術祭期間中に一日三度出る大島行き船の整理券が配られる。会期外は第二土曜日に船があるらしい。
 整理券が配られる30分以上前に着いたのだが、すでに人が並んでいた。私の前に並んでいた人たちは「どこの島に行った」とか「何回行った」とかいう話をしていた。相当芸術祭が好きなのだろう。

 

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 大島は瀬戸内国際芸術祭の鑑賞パスポートを持っていれば鑑賞料はかからない。持っていなくても300円だ。船も整理券さえちゃんと貰えばタダで乗れる。

 無事整理券を貰い、港へ。

 

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 さほど大きくない船に乗る。けっこう揺れている。救命胴衣をつけて9時20分頃出発。
 右手に屋島のきれいな三角形を眺めつつ進む。

 

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 9時41分到着。

 まず受付を済ませ、参加証をもらう。

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 十数人ずつ二班にわかれ、瀬戸芸のボランティア団体「こえび隊」の方のガイドでいくつか島内の施設を回った後に二十分くらいの自由時間がある。なのでなかなか見る時間が少ない。芸術祭の作品としては、名古屋造形大学教授の高橋伸行さんや同大学の有志による「やさしい芸術プロジェクト」によるもの、田島征三さんによるものの他、山川冬樹さんの作品もあったらしいが見つけられなかった。

 

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 まず納骨堂へ。近くに胎児の慰霊碑もある。かつてはハンセン病患者に対し人工中絶が行われていた。

 

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 横断歩道で流れるような音楽が島のあちこちでずっと流れている。キレイに舗装された道はどこに行っても柵があり、白線が引かれている。これはいずれも目の悪い入所者さんのためのものだ。放送は決まった範囲で流しているので現在地が分かるようなっている。柵も白線もそれに頼って歩くためにある。

 

 周りには誰もいない。それどころか人の気配も生き物の気配も全くない。鳴りやまない音楽と一緒に見慣れない白線がずっと続く道を歩いていると、パラレルワールドに来てしまったかのような不思議な感じを覚える。

 

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 田島征三「青空水族館」

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 田島征三「森の小径」

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 やさしい美術プロジェクト 「つながりの家」大島資料室・北海道書庫

 

 ここは元療養施設の長屋で、生活用具を展示する大島資料室や大島の歌人の間で受け継がれてきた蔵書が置かれた北海道書庫がある。

 

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 近くの海で釣りをするのにつかった小さい漁船もインスタレーションになっている。

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  入所者の部屋の再現や、入所者の写真作品なども展示。

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 北海道書庫は島の北側にあるから北海道なのだというが、他と分断されている流刑地みたいなイメージもありそう。

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 北海道書庫のすぐ近くにあるこれは、数年前に海から引き揚げられた解剖台なのだという。入所の際は解剖承諾書を書かされ。患者が死去した際は解剖された。その手伝いや処理にも患者が関わっていた。

 

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 この穴から解剖した際に出たものが流されたのだろう。

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 最後に、「風の舞」というところに来た。ここは火葬場で、以前は入所者が火葬も行っていたという。

 鎮魂の願いと、死者の魂が風に乗って自由に解き放たれるようにという願いが込められた場所だとのことだ。

 

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 ハンセン病歌人、明石海人(1901‐1939)の碑があった。

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 観音像も立っている。この像に込められた想いというのは全く私には想像もつかない状況のものだ。大島で生き抜くということはどういうことなのか。「生涯孤島但し安心立命」って何なのか。辛いとか苦しいとか、そういう次元の話ではなかろう。

 そしてふと、今も入所者の方がおられることを思い出す。その意味でもこれは過去のことではないのだ。

 

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 集合場所に駆け足でむかう。

 

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 どこに咲いていても花はうつくしい。

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人数を確認して、島を11時10分頃出発した。

 

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 11時半頃に高松港に到着。

 

 別世界にいたような気分を味わった。高松からわずか数キロを隔てた島に広がる風景はなんとも言い表しがたいものだった。
 

 

 (終)

「野又圭司 展 脱出〜困難な未来を生きるために〜」  2016年10月5日〜12月4日 本郷新記念札幌彫刻美術館(札幌市) 

 

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  ずっと野又さんの個展を見たかったのだが、いつも機会を逃していた。やっと念願叶った。

 野又圭司 氏(1963〜)は函館市生まれ岩見沢市在住の彫刻家。北海道大学文学部哲学科を卒業後、1980年代後半から本格的に創作活動を始めた。自己の内面を反映したボックスアートから、近年は建造物の模型を用いたインスタレーション作品などを展開しているとのことだ。

 「市街から離れ、過疎化の進む村落に暮らしながら、経済至上主義、格差社会、インターネットによるコミュニケーションの変容といった社会状況を見つめ、世界の似姿としての造形によってその行く末を暗示する作風は、現代社会への鋭い批評として注目を集めてきました。」(以上作品リストより)。

 今回の個展では、最新作「脱出」を含むここ10年間の作品8点が発表されていた。作品数は多くないものの、近年の作品の移り変わりや中心となるテーマは見て取ることができる展示だった。

 

 

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 「無力の兵器(自分を撃ち込め!!)」(97年) 木、銅ほか

 

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 「地球空洞説」(98年) 木、ガラスほか

 

 90年代の作品は2点。「無力の兵器(自分を撃ち込め!!)」(97年)は、創作活動の苦しみや自己との葛藤が昇華した作品のようだ。「地球空洞説」(98年)は、地球儀のような、骨組みがむき出しの球にわずかに陸地が載っている作品。一見、作家が広い視野からものを見ているようにも見えるが、その世界解釈は抽象的だ。

 いずれにしてもこの頃の作品は内省的で、自己の思考がテーマの中心にあるようだ。

 

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 「遺跡」(08年) 銅 

 巻物が立体的に展開したような展示。

 

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  「遺跡」(08年) 部分

 

 年代順でいくと次は一気に「遺跡」(08年)に飛ぶ。この間の作品の変遷がわからないのが残念だが、テーマが変わっているのがわかる。上記にもあったように、社会的なテーマへの移行が起きている。

 

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 「レミング(百億の難民)」(14年) 銅、砂

 

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 「レミング(百億の難民)」部分

 

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 「「経済」という全体主義」 (15年) 砂、木

 

 「遺跡」や「「経済」という全体主義」(15年)、「レミング(百億の難民)」(14年)について思ったことがある。これらの作品は数センチから数十センチくらいの大きさのたくさんの建物の模型や人の模型で構成されている。私はこれらを見て「炭住」(炭鉱住宅。炭鉱労働者のための長屋で多くの場合家賃等は企業もちだったという)を思い出した。
 
 野又さんのアトリエは岩見沢市のなかでもかつて炭鉱があったエリアにあるらしい。夕張方面など岩見沢周辺の山間では今でも炭住を見かける。
 川俣正さんも炭鉱のあった山々や炭住の模型制作をプロジェクトで展開している。それは私が生まれるずっと前の賑やかな炭鉱の町の模型だ。 野又さんの作品は炭住を作っているわけではない。なのに私はそこに炭住を見る。そこに見た炭住はかつての炭鉱の繁栄を表すものではなく、「過疎化の進む村落」(出品リストより)のそれだ。これは私の見知っているという意味で非常にリアルである。作品にあるたくさんの小さなテントや、砂でできた吹けば飛びそうな崩れかけの家々は、社会に警鐘を鳴らすディストピアの模型ではなく、すでに目前にある現実の風景と二重映しになった模型のように見える。

 

 

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 「「経済」という全体主義」 (15年) 部分

 

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 「助けて欲しいんじゃないのか。」(12年) セメント、石膏、銅、ほか  部分 

 

 出品作品リストの解説文には、野又さんは「作品のモティーフとしてこうした社会問題に目を向け、模型によって世界の縮図を表現」しているとある。
 では、野又作品と社会問題の関わりはどういうものなのか?

 
 私は解説文の「現代社会への鋭い批評」という表現に違和感を覚える。批評というのは第三者的な立場を確保しないとできないことだが、野又作品から感じられる社会問題への真摯な態度は、まさに今そのただなかを生きる当事者のそれだと思えるからだ。野又作品には批評的な態度は、要素として少なく見える。

 一方で、「世界の縮図」や「模型」という表現もしっくりくる。これらも俯瞰的、鳥瞰的な視点の産物である。野又さんの視点で社会を見据え形にすることは、確かに批評的行為ではある。言い換えれば野又作品は現状の見取り図的な作品だと思うが、そのめざすところは批評なのだろうか?

 批評とはごく単純にいえば「良い点と悪い点の客観的な判断」となるだろう。だから近年の野又作品は、世の中の悪い点である社会問題をテーマとして扱った時点で十分批評的だともいえる。だが、私としては、むしろある側面からは批評的ではないという点を強調したい。社会の出来事の良し悪しを論ずることよりも、そこを越えた、問題への接触や介入のようなもの(実際に行為にならなくても何とか働きかけたいという意識)が野又作品には感じられるからだ。

 それが行動に発展したのが最新作「EXODUS(脱出)」(16年)とも言えるかもしれない。

 

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 「EXODUS(脱出)」(16年) 木、稲、ガラスほか 

 
 ある種の社会問題を扱った作品を鑑賞した時のつまらなさが、スノビズムあるいは衒学趣味など、その類の高慢な自意識を感じさせることに原因があるのだとすれば、野又さんの作品にはそれが無い。

 反面、扱う問題の多くがあまりに身近で深刻な問題であり、俗っぽいとか泥臭いとも言える。そこに茶化しはなく、生真面目さがあって時に息苦しささえ感じさせる。

  

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 「存在の耐えられない軽さ」(10年) 木

 

 この展示では、「存在の耐えられない軽さ」(10年)でインターネットについても扱われている。ネット上ではいわゆる炎上などの半ば悪ふざけのような感覚で行われたことが大きな事件に発展することも珍しくない。

 この作品でもパソコンの画面が模されたオブジェに焦げ跡がついている。「炎上」を表現しているのだろう。木で丁寧に作られたと思しきこのオブジェは、深刻なメッセージを発しているようにはなかなか見えない。木目の風合いもいい感じで、椅子なんて持って帰りたいくらいだ。風刺というには直接的に過ぎる。これが「現代社会への鋭い批評」だろうか。

 

 この馬鹿馬鹿しいほど直球な作品は、私には批評に見えない。だからといって、これを看過していいとも思えないのである。

 野又作品は社会問題に対し批評的な関わりを持ちながら、批評にはとどまっていない。 「困難な未来を生きるために」できることは社会を見据えること。そして批評にとどまらず行動することなのだ。

 

 これはネットで顕著だと思うが、何かに「マジになる」ことへの軽蔑やニヒリズムが、社会に何か重大な変化、それも悪い変化を引き起こしていることを、最近私はよく感じる。私は野又作品から「もはや皮肉や冷笑、悪ふざけの時代ではない」と言われているように思えてならない。今、私たちは、真面目で堅苦しくてつまらないものをこそ見るべきではないのか?私たちが見たがっているものは、実はそういうものではないのか?と思うのだ。 

 

 ただ、そうは思っていても野又作品から感じられる「マジさ」にはやはり息苦しさがともなう。きっと私と同じように真面目で堅苦しくてつまらないものに息苦しさを感じる人は、未来の困難さをも同時に感じるだろう。私たちに未来があるのかどうか、考えるのにはいい試金石になる展示かもしれない。

 
 

 (終)

「チャリティ展 夕張市美術館コレクション〜炭都・夕張の美術遺産」2016年10月8日(土)〜10月30日(日) プラニスホール(札幌市)

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 1979年に開館した夕張市立美術館は、 道内では網走に次いで二番目の市立美術館だ。
 
 私が小学生だった頃、夕張に家族で遊びに行き、一度中をちらっと覗いたことがある。その時は確か白黒の写真や佐藤忠良の彫刻があった。古めかしい建物だった。
 
 2012年、美術館は積雪によって屋根が崩落してしまう。このニュースに私は大変驚いた。  
 2006年の財政破綻の影響によって再建は叶わず、美術館は翌年廃止された。幸い所蔵品は無事で、現在も大切に保存されている。
 本展は、財政破綻から10年経ち、文化複合施設の整備など地域再生に向けた取り組みを始めた夕張の再生の一助となるべく開かれた。
 
 
 
 作品は油彩が多い。全体は3章に分かれ、夕張で生まれ育ち活動した作家や美術館に招かれたり夕張で制作を行ったりした作家の作品が見られる。
 
 第1章 「地底から港へー石炭がたどった道」では、作品を通して石炭の採掘から運搬までの過程を追う。
 
 ここで一番最初に展示されているのが2014年に夕張で採集された石炭なのだが、これについているキャプションが他の作品のものを模していて面白い。作品名には「石炭」、作者は「地球」、素材には「隠花植物」とある。この展覧会において「石炭」以上に重要な作品はないかもしれない。
 「黒ダイヤ」「産業のパン」とも呼ばれた石炭は過去のエネルギーのように思われがちだが、実はこの30年、日本での使用量は右肩上がりであり、いまも発電や製鋼などで我々の生活を支えているという。
 
 この章では木下勘二の「入坑する人」が印象深い。坑内にエレベーターで入坑する坑夫たちをややカラフルに曲線を用いてデフォルメして描いている。ふとレジェの作品の建築現場を描いたものを思い出した。
 
 ここで紹介されている倉持吉之助(1901-1996)、木下勘二(1917-1989)、畠山哲雄(1926-1999)、大黒孝儀(1907-1994)や、次の章で紹介されている小林政雄(1917-2010)は、いずれも炭鉱で働きながら夕張を描いたり学校で後進の育成に努めたりしつつ、道展や一水会などに出品していた作家たちだ。
 
 
 
 
 第2章は、「炭鉱(ヤマ)とともにー「炭鉱作家」と、作品の中の夕張」とし、夕張の風景や人々が描かれた作品を紹介している。
 
 ここでは上記の作家たちを炭鉱作家と呼んでいる。私にはこの「炭鉱作家」という言葉はあまり聞き慣れない。これについて少し考えてみる。
 
  例えば神田日勝は農民画家と言われる(本人は農民画家という呼称を嫌い「農民である」「画家である」としていたが)し、木田金次郎はのちに画業に専念したものの、かの有名な「生まれ出づる悩み」のイメージからいけば、漁民画家とも言えそうだ(もっとも、これらはレッテル貼りの一種であり作家本来の姿を見失う恐れがある)。
 
 農民画家、漁民画家と、炭鉱作家(炭鉱画家もそこには含まれよう)は何が違うのか、といえば、それはまず第一次産業第二次産業の違いが挙げられる。
 
  これは私の偏見が多分に入った見方だと思うけれど、第一次産業の方が、より自然に寄り添った、エコな、純朴な、「試される大地」的なイメージに合致するのではないかと思う。
  一方では第二次産業の方が自然を汚すとか、無機質な、非人間的なイメージが強い。
 これらにはもちろん例外がたくさんある。現状とは必ずしも合致しない。ただ、そういうイメージはある程度には一般的ではなかろうか。
 
  
 今度は逆に農民画家、漁民画家と、炭鉱作家は何が同じかを考えてみる。
 彼らは例えば画家であれば、身の回りの動物や風景や建物を描く。彼らの作品を鑑賞した時には、(優れた作品であれば)美的な感動が呼び起こされるだろう。しかしそれだけではなく、時にはモチーフとなった彼らの生業や土地土地の風土、歴史も重層的に見えてくるはずだ。
 
 極端なことをいえば、第一次産業であれ第二次産業であれ(もちろん第三次産業であれ)、人の営みがあればそこには歴史が生まれ、文化が生まれるのが必然である。作品は作家を通して出てくるものなのだから、作家の日々の営みが作品に影響するのは不思議なことでもなんでもない。その中でも特に生業の色濃く出ているのが、農民画家や炭鉱作家とは言えまいか。
 
  彼らの生業がもし文化や歴史として見えてくるのであれば、そこには一定の蓄積が必要だろう。年月を重ねることなしには文化や歴史はそれらとして見えてこないはずだ。
 
 炭鉱作家という言い方が最近されるようになったものなのか私にはわからない。ただなんとなく感じるのは、炭鉱が歴史や文化として見られるようになってきた(それだけの年月を重ねた)からこそこの言葉が出てきたのではないかということだ。もちろん、先述の通り石炭は今日でも我々の生活を支えるものだが、炭鉱に対しては認識の上ではやはり過去のものとなりつつあると思う。過去のものとなることはいい側面ばかりではないけれど、時が経ち、距離感を持って炭鉱という文化を見ることができるようになってきたのかもしれない。
 
 また、第一次産業第二次産業の別が年月を経てフラットに見られるようになったという風にも考えられるかもしれない。
 
 私が先日訪れた郷土資料館の方も仰っていたが、歴史の風化はあっという間だ。炭鉱作家の作品は美的な感動のみではなく、文化的な視点からも興味深い。だからこそ多くの人に見てもらいたいと感じる。
 
 
 第2章では特に小林政雄による「夕張風景抄絵巻」が印象深い。水彩による絵手紙風な絵巻だ。ちょうど開かれていたのは錦沢という場所にあった遊園地の絵で、「ここは炭鉱のまちのオアシスです」と書かれていた。
 今の錦沢の遊園地跡地には到達することも難しいという。
 
 第3章では夕張ゆかりの様々な作家を紹介していた。漫画家の森熊猛は私の出身高校の先輩にあたるが、夕張出身とは知らなかった。この章では一見夕張に関係なさそうな作品もある。岡部昌生さんの作品などは特に見応えがあった。
 
 この展示に文句をつけるとすれば、壁をキレイにしてほしいということだ。特に第3章で、穴があいて壁紙の剥がれたところがあって汚かった。
 
 もう1つ、できれば今からでもいいから図録を制作してほしい。解説文が炭鉱についてわかりやすく説明していてすごく良い上、資料的価値も高いと思うからだ。チャリティー展なら物販を充実させるのはむしろ普通の流れだと思う。絵葉書ももしあれば買っていただろう。
 
 あとこれもできれば、作品目録を配布してもらえるとうれしい。
 
 
 
 (終わり)

香川日記② 瀬戸内国際芸術祭2016 直島

 瀬戸内海の豊島から犬島、直島へ行きました。これは直島に着いてからの記録です。

やっぱ直島は数時間ではとても見切れないですね。ちゃんと全部見ようと思うなら一泊くらい必要かもしれない。そういえば黄色いかぼちゃを見つけられなかった。

 

8.11 続き

 

 

 
 犬島から直島の宮浦港へは14時ころに到着した。

 

 さっそくトラブルが。
 着いてすぐにフェリーターミナルで高松へ行く船のチケットを買おうとするも、財布が見つからない。ポケットにもない。リュックをひっくり返しても出てこない。
 高速船が停泊しているところまで引き返しても、船上に人の姿はない。近くにあった船の案内所に聞いても落とし物の報告はないという。

 焦る。どうする?一文無しでこの島からどう帰る?

 フェリーターミナル内の観光案内所に行くとあるかもしれないと聞き再び向かう。途中、船の乗組員らしき方に呼び止められ、観光案内所に財布を届けたよ、という。

 息を切らしながらカウンターに駆け込み財布の落し物が届いてないか尋ね、間髪入れず財布の特徴を述べた。やはりあった。しかも中身もそのまま無事だった(たぶん)。ほっとした。

 このターミナル(海の駅「なおしま」)も妹島和世+西沢立衛/SANAAによる設計だ。

 

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 まずは宮浦港の草間彌生の赤いかぼちゃを見る。かぼちゃの中は空洞になっていて、水玉模様から中に入れる。やはり中は暑かった。

 

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 (赤かぼちゃの中)

 

 以前直島に来たことがあるという友人の助言を受け、ロッカーに荷物預けて(300円)、電動自転車を借りた(1000円)。


 さっそく美術館のたくさんあるエリアへ行く。

 まずはかの有名な地中美術館をめざす。
 それには急な山道をしばらく上らなけらばならない。そのための電動自転車だ。もしこれが徒歩であれば、倍以上の時間がかかっただろう。

 途中「応神天皇御遺跡」の看板を見かけた。直島には第15代応神天皇が腰をかけたという石もあるらしい。

 

 住宅街の中に掲示板?があった。岡崎さんという方が風景を「直島百景」として描いているようだ。

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 斜面を登っていくごとに変わって見える瀬戸内海の景色を振り返り振り返り、楽しみつつ向かった。

 

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 汗だくで坂を上っていくと地中美術館の入り口が見えた。入ろうとすると、「チケットセンター」へ行けという。美術館本体と別にチケットのための建物があるとは…。チケットを買う列は途切れず、売店にも休憩スペースにもけっこう人がいる。駐輪場もほぼ満車。

 
 聞くと入場制限をかけており、入場券を買うための整理券を貰わなけらばならなかった。なんと面倒な。ただ一定人数ずつ入場させるのではなくて、券すらスムーズに買えないなんてことは初めてだ。もちろんすぐ貰う。このとき15時少し前で、整理券は15時30分~16時の間に入場券を買えるものだった。

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 時間を無駄にできないので、すぐ近くの李禹煥美術館へ行く。入り口の案内のおじさんにまさかとはおもいつつ「入場制限してませんか」と訊いたが、「そんなのない」と不愛想に言われた。ここの建築も地中美術館と同じく安藤忠雄による。30分ほど見た。

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 自転車を停め、門から少し歩くと入り口がある。壁に沿った細い階段を下ると、急に開けた場所に出る。「柱の広場」という名のここは、大きなコンクリート柱と石と鉄板がある。その右手に室内への入り口があって、高い壁の間の道を行く。

 

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 受付を済ますと「照応の広場」というところに出る。ここは塀に囲まれた屋外だ。また石と鉄板とがある。再び室内へ戻ると「出会いの間」がある。年代順にいくつかの絵画がならんでいる。その後「沈黙の間」「影の間」「瞑想の間」と続く。石に映像が投影されていたり、あの李禹煥独特のストロークが部屋の三面にあったりする。基本的には展示替えはないが、開館してから追加された作品もあるとのこと。

 よかったとか悪かったとかいうより何よりも感想として出てくるのは「あぁ李禹煥だなぁ」ということだ。この唯一無二の世界観を確立しているのはすごいことなのかもしれない。

 

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 美術館はなだらかに下る丘に面していて、作品の向こう側には海が見えた。この辺はツクツクボーシがやかましかった。

 

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 チケットを買って(パスポートを提示しても1000円かかる)、15時半頃から地中美術館を見る。内部は撮影禁止。パンフレットには「瀬戸内の自然と地中につくられた空間を通して、自然と人間の関係を考える場所です」とある。

 
 入り口から細い通路を入って行って、ショップなどがある部屋を抜けると展示スペースにつく。ウォルター・デ・マリア、モネ、ジェームズ・タレルの作品はそれぞれ別スペースにあって、それぞれを見るために並ばなければならない。特にタレル作品を見るのには15~20分くらい待った。作品はB2、B3にあることになっているが、中は迷路のようで自分がいる位置がよくわからなかった。地下と言っても自然光が取り入れられている上に広いので全く閉鎖的ではない。

 
 ウォルター・デ・マリアの作品は抽象彫刻によるインスタレーションとでもいえばいいのか。緊張感のある空間で、教会か何かに居るようだった。でもその神聖さは日本の寺社とはちがう感じだ。例えば、この作品の金色のオブジェはイコン画の背景の金を思いださせたけれど、日本の仏像に使われる金とは違うものを感じさせる。
 モネの作品もなかなか凝った部屋に展示してある。真っ白い石で壁ができていて、床は二センチ角ぐらいの小さい石のタイルが敷き詰められている。ここは靴を脱いで入る。足の裏の感触が気持ちいい。作品五点はいずれも晩年の「睡蓮」だ。ここの「睡蓮」がモネのたくさんある睡蓮の中でも良い絵なのかどうかはわからないけれど、絵のために部屋を作ってしまうのはすごい財力を感じる。
 ジェームズ・タレルの「オープン・フィールド」は、遠くから見るとただの壁に投影された青い光なのだが、その壁は実はくり抜かれていて、靴を脱いで中に入っていける。奥行のよくわからない空間を体験できるわけだ。それを見た後に「オープン・スカイ」を見る。これは何のことはない、ただ天井に四角い穴が開いた部屋で空を眺めることができるだけなのだが、空の青さが「オープン・フィールド」の青い部屋と重なっているからか、普段と違った気持ちで空を見上げてしまう。ここでは普段の物の認識が更新されている。それは頭で理解するというよりは、視覚が否応なく体験してしまっている点で特徴的だ。

 16時半ころまで見る。


 本村港のほうへ行ってみる。広木池の上には新宮晋を思い起させる小さくて白いオブジェがいっぱいあった。

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(戸高千世子「彼方の気配」)

 

 直島ダム近くには大きなゴミ箱の作品がある。これは産業廃棄物が材料として使われているらしいから、豊島にあった産廃も含まれているのかもしれない。

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(三島喜美代「もうひとつの再生 2005-N」)

 

 その近くに木が整然と植えてある広場がある。調べるとこれも作品らしい。安藤忠雄による「桜の迷宮」で、「直島に暮らす人々や島を訪れた人たちの花見や散歩、憩いの場として、この場所が活用されることをもくろむ」(芸術祭サイトより)のだとか。桜の時期じゃないと桜はただの木なんだなと思う。

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安藤忠雄「桜の迷宮」)

 

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(直島ダムのすぐ横には「水は生きている」の碑が。)

 

 
 本村エリアは下調べもなしに行って、建物が閉まっていたりもしたのでほとんど何も見れなかったのだが、町役場の建物は面白かった。

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直島町役場)

 一部ガラス張りだけど和風の屋根が乗っかっていて、西本願寺飛雲閣道後温泉を思い出させる。建築家・石井和紘の手によるもので、直島だとこの他に小学校も手掛けている。

 福武財団が入る前からこういう変わった建物をつくっていたのならば、それを受け入れる下地はあったのかもしれないとも思ってしまうが、役所や学校は島民のための施設であり、観光向けの施設とは性格が異なるだろう。

 

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(学校)

 

 
 宮ノ浦エリアに戻り、楽しみにしていた「直島銭湯I♥湯」を見に行く。ここは実際に銭湯として運営されている。せっかくなので入湯料510円を払って汗を流した。

  僕は男なので、言うまでもなく女湯の内装はみられなかった。残念だ。

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(「直島銭湯I♥湯」)

 浴室内の男湯と女湯の仕切りの上には象の像がある。これはその名も「ハナコ」と言って、かつては札幌の定山渓温泉近くにあった北海道秘宝館の入り口に居た。1000キロ以上も離れた瀬戸内海の島で再会するのは不思議な気持ちだ。

 

 
 フェリーまで時間があまりなかったが、一瞬だけ宮浦ギャラリー六区へ行き、丹羽良徳による「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」を見た。霊能者に歴代町長を下してもらうという作品。一時間くらいの映像。とても全部は見られなかった。

 

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(フェリーから)


 18時20分のフェリーで島を離れた。船から眺める夕日は島々の後ろから射す後光のようでものすごくきれいだ。

 

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 19時過ぎに高松港に着く。

 
 芸術祭のインフォメーションセンターに行くと、大島行きは1日3便らしいことがわかる。翌日は大島に行くことに決めた。

 
 ホテルへ向かう。高松市街からは遠くて不便なところを選んでしまった。交通機関をのり間違えて、住宅街の中の暗い道を30分くらいキャリーバッグを引きながら歩いた。何回か田んぼに落ちそうになった。一日の終わりにひどい目にあった。
 21時過ぎにホテルについて、カップ麺を食う。22時から温泉へゆっくり浸かる。
 テレビをつけると「障害者のための情報バラエティー バリバラ」の、相模原の障害者殺傷事件についての緊急企画が入っていた。

 

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(ホテルの部屋にあった相田みつを

 

 「なみだで洗われたまなこはきよらかでふかい」

 


 1時前に就寝。

 

香川日記① 瀬戸内国際芸術祭2016 犬島

 

 

 瀬戸内海の豊島から犬島、直島へ行きました。その記録です。香川日記とあるけれど、犬島は岡山県です。

 これから瀬戸芸に行かれる方は読まないほうがいいかもしれません。


8.11

 
 授業で滞在していた豊島から四国汽船の高速旅客船で犬島へ向かった。9時50分発。この船は直島から豊島経由で犬島へ行く。ほとんど満員に近かった。定刻10時15分頃、犬島に到着。

  

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 「犬島」

 
 犬島の小さな港には白い海鳥がいた。そういえば豊島では海鳥を見ない。そのかわりというわけではないがトンビやタカはいっぱいいる。ついでにイノシシもいる。

 
 船を降りると多くの乗客はそのまま港の案内所へと荷物を預け、船の整理券をもらっていた。私もその流れに乗って荷物を預け、直島行きの船の整理券をもらう。船のチケットや犬島内の施設のチケットは、近くの「犬島チケットセンター」で買う。そこはチケットカウンターのほかギャラリーやショップも併設されている。精錬所美術館内の温度が表示されるモニターもあった。直島行き高速旅客船は1850円だ。結構高い。

 

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 港近くには恵比寿が祀られていた。

 

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 海岸沿いを歩き、犬島精錬所美術館へ。黄色っぽい砂の道を進む。海側には犬島で産出されたであろう石がランダムに並べられた低い塀がある。反対側には林があり、陶芸のギャラリーやコテージがある。日差しが強い。

 

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(コテージにあった看板)

 
 犬島精錬所美術館は、建築を三分一博志、アートを柳幸典が担当し、元は銅の精錬所だった敷地とその建築から作られた施設だ。パンフレットによれば、「遺産、建築、アート、環境」という要素を用いた新たなプロジェクトだそうだ。

 
 ここは文化庁が定義する「近代化遺産」ではなく、経産省が認定する「近代化産業遺産」であり、特に「地域と様々な関わりを持ちながら我が国の銅生産を支えた瀬戸内の銅山の歩みを物語る近代化産業遺産群」とされている。
 近代化産業遺産とは、破却されることの多かった日本の産業近代化に貢献した遺産を、地域活性化に有効活用する観点から、実態と保全・活用の取組み状況を調査の上価値の理解を深めるための「近代化産業遺産ストーリー」を作成し認定したもののこと。例えば北海道ならば炭鉱やビール、ニッカウイスキー、製紙関係の遺産などが近代化産業遺産だ。

 犬島精錬所の場合は、住友グループの基礎を作った別子銅山などのような、銅山経営の近代化と発展の流れの中で作られた施設の一つらしい。1909年に建設されたが銅の暴落によって約10年で操業を停止したという。

 

 入り口にはこれ以上錆びることのできないくらい錆びた柵がある。看板には「ご見学は個人の責任で・・・」などとある。遺構や自然環境をそのまま残しているためだから仕方がない注意喚起だが、少し不安になる。

 

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 柵から奥は黒くなったレンガや犬島で採れたと思しき石で組まれた迷路のような廃墟が続いている。空があまりにもカラッと晴れていて、ふと日本に居るのではないような気がした。写真で見たことのあるポンペイを思いだす。視界の端にはここのシンボルともいえる煙突がいつも立っていた。
 

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 少し行くと美術館の入口があった。朝の比較的はやい時間帯だが十数人並んでいた。この時期は瀬戸芸関連の施設はどこも混んでいるだろう。後から直島に行くのが少しいやな気持になった。
 
 入場前に説明があった。この施設は太陽熱や地熱を利用し、建物内の温度管理を自然に配慮した形で行っているのだという。また、汚水を植物の力によって浄化し、それによってミカンなどを育てているとも。

 
 入ると、まっすぐ奥までながく細い通路が続いているかのように見えるが、それは鏡を使ったトリックで、実は幾度も折れ曲がっている。滞在時間から考えて美術館内部はさほど広い空間ではなさそうなのだが、距離がつかめず、不思議な感覚を覚える。
 ふと振り返ると鏡には太陽のような燃える火の玉が映っていた。入り口近くのモニターに映っていたものだが、鏡が反射するから通路を曲がってどこまで行っても追いかけてくるように背後にある。これは精錬所の象徴か。あるいは、日本の国旗と重ね合わせて考えてもいいかもしれない。柳の日本国旗をモチーフにした作品が頭に浮かんだ。

 
 美術館内は6か所に柳の「ヒーロー乾電池」という連作がある。三島由紀夫を題材とし、三島が青年期を過ごした家の建具を使ったインスタレーションや、三島の文章を作品化したもので構成されている。
 建具が妙に気になった。そもそも古びたものは何でも趣というか風格を帯びるものだとも思うけれど、建具には古い家具や文房具や洋服とも違う、独特なパワーがある。
 三島が市ヶ谷駐屯地で演説した際の「檄」も作品化されていて、パネルで読める。でも犬島で「檄」を読まされてもなあ、というのが正直な感想である。近代がキーワードなのはわかるけれど、それでなんとなくわかった気になるのは、わからないよりなお悪いのではないか?私はこの作品の価値判断は今はしないしできない。はたして多くの観光客はこれを見て満足して帰るのだろうか?

 
 美術館を出、精錬所の遺構を見て回る。

 

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 木は松?が多い。ユリも目についた。自然に生えたにしてはきれいすぎるように見えるし、管理されているにしては奔放に伸びているようにも見える。廃墟になって数十年経ったかつての精錬所が今は、朽ち果て草木に埋もれることも、精錬所としてよみがえることもなしに、ある意味では中途半端な状態のまま改築され管理されてあるのは、奇妙なことだ。あたりの崩れかけたレンガや蔦に覆われた建造物があまりに廃墟としてでき過ぎているので、見惚れてしまった。完成度の高い廃墟。

 

 

 直島には「家プロジェクト」という名の一連の作品群もあり、アーティスティックディレクターの長谷川祐子と建築家の妹島和世が展開している。
 家プロジェクトというから、てっきり民家を作品で飾ったりして島の住民が住んだりアーティストが住んだりしているのかと思ったが違った。家といってもせいぜい作品の箱くらいの意味で、ほとんど家らしい外観をしていないものもあるし、「石職人の家跡」に関しては建物もない。もともとあった家を活かし改築しているところもあって、いろいろだ。

 

 まず名和晃平による「F邸」へ。作品の材質について訊いたら、案内人のおじさんが素っ気ないくらい歯切れよく説明してくれた。発泡ウレタン?だとか。こういう質問をする人は多かろう。爆発でできる煙を象った大きなオブジェだった。

 
 次に淺井裕介による「石職人の家跡」に行く。地元住民のおばあさんが観光客をつかまえて長々と解説していた。家跡には淺井さん独特のあの絵が描かれていて遺跡のようだ。じっくり見ても飽きない。

 

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(淺井裕介「石職人の家跡」)

 
 荒神明香による「S邸」「A邸」は家というか、何なのだろう。両方とも透明で曲面をもった壁のような建物のようなもので、きれいだ。丸っこくてかわいらしい椅子があった。

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「S邸」(荒神明香「コンタクトレンズ」)

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荒神明香「コンタクトレンズ」部分)

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(丸っこい椅子)

 
 島内では結構廃墟も見かけた。今は島民は50人ほどだという。

 
 途中、「←定紋石」と書かれた謎の看板と遭遇した。島の消防団の古びた建物の横に道が伸びていて、森の奥へ続いている。不安に思いつつも行ってみる。
 木の中を多少のアップダウンもありつつ少し進むと岩に突き当たった。石垣のように組まれている。よく見ると巴紋がついていた。これが定紋石らしい。

 

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定紋石。数箇所に巴紋がある)

 あたりには小銭が散らばっていたので宗教的なものかと思ったが、調べるとどうやら違っている。
 犬島は古くから石材を産出しており、江戸時代に大阪城を修築する際に、権勢を誇る意味合いもあったのだろう、西国の諸大名は巨岩に紋を刻み寄進したのだとか。その中のひとつがこの定紋石だということだ。今回見た中で唯一芸術祭に関係ないものがこれだった。私はこういうものももっと見たい。

 
 下平千夏による「C邸」は家の中に水糸が張り巡らされており、ハンモックのように乗れる。

 

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 ここでランチ休憩。古民家を利用した「ukicafe(ウキカフェ)」というお店に立ち寄る。昼時だったが運よくすぐ入れた。かなり暑かったので、ついついセルフサービスの冷たい水を何倍も飲んでしまった。タコの入ったトマトパスタをいただく。小さいサラダがついて900円くらいだったか。安くはない。観光地価格としては普通だろう。

 

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タコのパスタ)

 
 だんだん船の時間が近づいてきた。

 
 駆け足で小牟田悠介の「I邸」を見た。庭は色とりどりの花々が狂ったように鮮やかに咲いていて少し怖かった。

 
 港近くのお土産屋で犬島の石でできているワンコを買った。1000円。高いけどかわいらしいから買ってしまった。
 今回は見られなかったが犬島には犬のうずくまった形をした大きな石があって祀られている。それがモデルだ。犬島の名の由来となった犬には、菅原道真を助けたとか桃太郎伝説の犬と関係があるとかないとか、いろいろ伝承があるらしい。

 
 港にはすでに乗船の行列が。すぐ預けていた荷物を受け取り、急いで高速旅客船サンダーバードへ。犬島を定刻13時10分に出発。

 

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 朝出発した豊島を経由して直島へ行く。直島までは一時間。寝てしまう。

 
 直島の宮浦港へは14時ころに到着。

 

(続く)