1948年から続く「札幌美術展」シリーズ。
モーションとは物理的な動き(動作)、エモーションとは心の動き(感動)である。活性とは機能や効率が向上したり、反応が活発だったりすることである。この展覧会では生命体のように活動を続ける都市をテーマとし、9名の作家を紹介している。
最初の武田志麻は、山並みや木などを木版画で繰り返し彫り、画面を構成することが特徴的な作家である。一見牧歌的な風景のみに興味がある作家に見えるが、「組曲パリ」(2012)のように大都市も描いている。作品には増殖するものとしての生命体観が共通してあり、この展示にはうってつけの作家と言える。
山川真一は派手な色づかいで立ち並ぶビルを描く。こういうと作品を矮小化するかもしれないが、都市への興味というよりは構成のための題材として都市があるように見える。
楢原武正は「大地/開墾」で抽象的に人間の営みを描く。例えば三角形の構築物ひとつとっても、雄大な山にも見え、バベルの塔にも見え、創造力を刺激させる。この展覧会の都市像の幅を広げていると思えた。
羽山雅愉は港町を題材にしながら、蜃気楼の中の幻のような風景画を描く。それは幻想的な色づかいに加え、独特のフワフワした遠近法やコントラストの使い分けによってもたらされることに気付いた。
千葉有造は無機的なアクリル板を組み合わせることによって有機的な造形物を作る。この流れでみれば、都市の比喩のように見えなくもない。
安藤文雄は、夕張を、産炭地として栄えていたころから衰退するまで撮り続けた写真家。初見だった。
野澤桐子は細密な肖像画の作家。札幌に生きる人々の肖像として紹介されていた。
クスミエリカの作品は、なかなかうまく言い表しにくい独特なデジタルコラージュである。主な題材は動植物と人間である。それらにビルや工場なども組み合わされている。大きな構図としてはまとまりをもって見えるが、細部のモチーフの組み合わせは接合が生々しい。その違和感はシュルレアリスム的な関心によるものだろうが、それだけではないようにも思う。「都市と自然」という言葉を思い出さずにいられない作品だった。
森迫暁夫はシルクスクリーンや陶板でインスタレ―ションを制作。水の循環や植物の成長をモチーフとし、かわいらしい八百万の神「かみちま」をそこかしこに配置して、親しみやすい自然観を示して展覧会を締めくくった。
全体として、様々な都市観が示されているということはいえそうだ。強いて安直にいえば、自然と人間との関係を重要視するようなところが札幌や北海道独自なのかもしれない。
東日本大震災についての覚書
五年前の2011年3月11日、どこで何をしていたか。
以前見た展覧会の感想 「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」展 ―旧北海道開拓記念館は北海道博物館になれるか?ー
・「北海道開拓記念館」のリニューアル展
「北海道開拓
旧北海道開拓記念館や隣接する開拓の村は札幌の小学生や中学生なら一度は学校の行
以前とどこが変わったかというと、「アイヌ民族文化研究センター」と組織が統合され
さて、その北海道博物館の開館記念特別展が、「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人
会場は携帯やカメラだけでなくメモも禁止という謎の厳戒態勢だった。何かトラブルでもあったのだろうか、と思いながら会場を見て回った。
・夷酋列像
夷酋列像とは、松前藩主一族出身であり政治的に松前藩を動かす家老の立場にありながら「松前応挙」と呼ばれた画人でもあり詩作もした蠣崎波響(宝暦一四~文政九・1764~1826)が、クナシリ・メナシの戦いの終息
夷酋列像は上京した波響によって大名や天皇の間で閲覧され、いくつか模本が作られた。今回の展示では夷酋列像はもちろん、波響の作品や、夷酋列像に描き込まれたものに近いアイヌの文物の他、模本も集まっている。
この絵の魅力は指導者たちの仙人や豪傑のような顔つきとポーズに加え、今日の私たち
またアイヌの描き方からは、当時のオランダ人やロシア人と同様に、蔑視や恐れの対象であ
17世紀に活動した小玉貞良が草分けと言われる、いわゆるアイヌ絵(アイヌの風俗を和人が描いた絵)は、アイヌの暮らしや文化をそのまま描くのではなく和人のイメージに合わ
・夷酋列像の特徴
注意しなければならないのは、夷酋列像は指導者たちの容貌を写し取ったという意味での肖像画ではないということだ。
夷酋列像はただ物珍しい風俗を描いた高級なアイヌ絵ではない。今展の図録でも触れら
いずれにしろ夷酋列像に政治的意図があったこ
ちなみに、波響の作品の中では最も有名なのにも関わらず、夷酋列像は例外的な作品で
会場はかなり混んでおり夷酋列像の根強い人気が感じられた。リニューアル開館記念の
あるいは、せっかく博物館としてアイヌに関する展示が充実したのだから、アイヌ民族を真正面から取り
・日本ハムと「北海道」
そんなことを考えていると、北海道に本拠地を置く野球チームの日本ハムが「北海道
しかし私には日ハムを擁護する気は全くない。これがただの草野球チームならまだしも
・「開拓」記念館よさらば
そう言えば、今回リニューアルした北海道博物館は元の名を北海道開拓記念館といったのだった。
「北海道は開拓者の大地だ」という時の無邪気な無神経さと、江戸時代の蝦夷地への視
北海道博物館が果たして本当に北海道をその名に冠する博物館としてふさわしいリニュ
ただ、せっかくリニューアルしたのだから、北海道「開拓」記念館には戻らないほうが
(終)
以前見た展覧会の感想 春画展(永青文庫)―春画を見慣れる日―
・春画展へ行く
ここ数年で最も話題になった美術展と言っても過言ではない「春画展」。混むと聞いていたのでわざわざ平日の朝一番で行ったにも関わらず、開館前には既に30人以上並んでいた。土日でなくとも毎日2000人の入場者があるという。
今回の展示は日本初の春画だけの展示ということもあり、シンプルな「春画展」という
しかし、よく考えてみると「春画展」というタイトルはなかなか変わっている。「春画」とは絵のジャンル
・春画展の概要
約20名ごとに区切って入場し、まず年齢確認を受ける。展示室は4階、3階、2階の順に3つを回る。
4階では、はじめに導入として、いわゆる 「あぶな絵」が数点。気分が高まる。次に肉筆春画を見て版画としての春画の前史をざっと知る。春画は版画だけではな
3階は菱川師宣からはじまり、版画としての春画の歴史を代表作で追う。「春画を描い
2階では、豆判春画という、名刺くらいの小さな版画を展示。新年に登城した大名たち
エピローグとしては、永青文庫所蔵の春画を展示。さすが名門だけあって細川家はいいものを
全体の展示数としてはやや少なく感じられるが、選りすぐった名作が展示されているよ
・春画展のモヤモヤ
私は春画展を見てモヤモヤした。変な気持ちにさせられた(一応断っておくが、それは単なる性
元来、春画は性的興奮を引き起こすための道具として作られたのだろう。その本来の用途でなく
春画が美しいものなのだとして、美しいものを美術館や博物館で
そうして春画を美しい美しいと言って感嘆して見ていると、次第にエロの側面が見えて
・エロと美の交差
ファンシーキャラを表現するのに、「キモかわいい」と表現することがある。これは気
この言い方を借りて言えば、春画は「エロうつくしい」ということになるだろう。ただ
「エロうつくしい」と言われて私が思い
一方で春画は、エロさと美しさが同居する表現でありながら、それが分かち難く結びつ
そもそも、春画からエロさ
・今日の春画
改めて言うことでもないが、少なくとも今日の私たちが目にする性的な図画の類は、春画のような浮世
そのことがエロと美しさを分離させ、エロという本来の用途をすり抜けたり再浮上して
その証拠に、春画展の来場者が口々にどのような感想をつぶやいているかといえば、「これも芸術だ
春画展に来て、少なくとも露骨に嫌悪感を示すような人は見当たらなかった(わざわざ
大雑把にまとめれば、性という普遍的な題材や、今日見ることの少ない描法、最高の技術と美しさなどが微妙な距離
春画展からくるモヤモヤは、春画と見る側との複雑な距離感のためだと私は考える。だ
今回の展示は非常に質の高いものだと思うが、展示替えも多く展示数は少なめだった。今後はより大きい展示空間でたくさんの作品を見る機会が期待される。
より大規模な春画展があちこちで開かれるようになれば、あるいは今展を機に、春画が
それはいつの日か、春画が見慣れたものになってみないと分からないし、そ
(終)
ブログをはじめました
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