こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

東日本大震災についての覚書

 五年前の2011年3月11日、どこで何をしていたか。

 私は家にいて自室で本を読んでいた。谷崎潤一郎の「鍵」だ。棟方志功の挿絵が入っている作品だ。

 地震がおきた。
 いつもより強くて長い揺れだった。が、普段時々ある地震と大きな違いは感じられなかった。物が棚から落ちたりもしなかった。
 驚いて自室から居間に出てテレビを見る。震度を確認するためだ。地震は別に珍しくないから、ちょっと大きかったな、被害は出ているんだろうか、と思った程度だった。

 それからは夜までずっとテレビがついていた。テレビを消すことができず、釘付けだった。

 僕が本当に大変なことが起きていると実感したのは夜に気仙沼の大火事を見たときだ。
 このときは津波の被害にすら考えが及んでいなかった。原発の被害ならなおさらであった。

 この日から約一ヶ月後に大学に入学することになる。だから大学で美術を学び始めたときから、当然すでに震災後なのであった。私たちの世代の作品は震災後の作品であるということを免れ得ないし、そういうフィルターを通して見られる運命にある。

 震災がきっかけで日本は多かれ少なかれ変わっただろうし、変わらなかったこともまたあろう。
 そういうようなことをずっと考えてきた気がする。

 震災によるいろいろなことを、どの程度考えるかは各個人の選択である。また、どの程度作品に反映させるかは各作家の選択である。しかし私にとってはそれは重要だった。

 「鍵」は結局まだ読み終わっていない。

以前見た展覧会の感想 「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」展    ―旧北海道開拓記念館は北海道博物館になれるか?ー

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・「北海道開拓記念館」のリニューアル展

 

 「北海道開拓記念館」がリニューアルし「北海道博物館」になった記念に開催された「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」展を見に行った。この展示は巡回し、国立歴史民俗博物館でも行われる。

 旧北海道開拓記念館や隣接する開拓の村は札幌の小学生や中学生なら一度は学校の行事で訪れる場所なのではないか。それが一年以上の休館を経てこの度リニューアルした。オープン自体は四月だったらしい。
 以前とどこが変わったかというと、「アイヌ民族文化研究センター」と組織が統合され、特にアイヌに関する展示に以前より力を入れるようになったようだ。実際見た感想としては、展示室が以前より明るくなり、テーマごとに展示物の配列が変わって見やすくなったアイヌに関して詳しく紹介するコーナーも増設されている。だがそれ以外には大きく展示物や内容には変更がなかったように見える。そのアイヌのコーナーをのぞけば、さほどリニューアル感はなかった。旧開拓記念館の展示室は結構暗くていかにもミュージアムという感じだったのだが導入部分では特にそれが薄くなった。その一方で展示室以外は以前のままの重厚なレンガ壁で、ややちぐはぐ感もある。
 さて、その北海道博物館の開館記念特別展が、「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」である。タイトルの「蝦夷地イメージ」から分かる通り、この展示では、江戸時代の和人が北海道やアイヌに対して抱いていたイメージを特集するものである。和人による目線を夷酋列像などの資料によって追うのである。
 会場は携帯やカメラだけでなくメモも禁止という謎の厳戒態勢だった。何かトラブルでもあったのだろうか、と思いながら会場を見て回った。

 

夷酋列像
 
 夷酋列像とは、松前藩主一族出身であり政治的に松前藩を動かす家老の立場にありながら「松前応挙」と呼ばれた画人でもあり詩作もした蠣崎波響(宝暦一四~文政九・1764~1826)が、クナシリ・メナシの戦いの終息に功績があったとされる12人のアイヌの指導者たちを描いた作品である。クナシリ・メナシの戦いとは、寛政元(1789)年、国後島とメナシ(地名)のアイヌが和人商人の酷使に耐えかねて蜂起し、現地にいた和人70人余りを殺害した事件のことである。ここでいう戦いの終息の功績とは、当然松前藩側から見た時の功績だ。

 夷酋列像は上京した波響によって大名や天皇の間で閲覧され、いくつか模本が作られた。今回の展示では夷酋列像はもちろん、波響の作品や、夷酋列像に描き込まれたものに近いアイヌの文物の他、模本も集まっている。
 この絵の魅力は指導者たちの仙人や豪傑のような顔つきとポーズに加え、今日の私たちにも興味を惹かせるきらびやかな衣装とアイヌの文物である。それらはアイヌの交易の在り様を間接的に物語っており、またアイヌの指導者たちと和人との差異を際立たせるものである。
 またアイヌの描き方からは、当時のオランダ人やロシア人と同様に、蔑視や恐れの対象であったろう外国人に対する視線でアイヌも見られていたことがうかがえる。例をあげて言えば、桃山時代にスペインやポルトガルの人々を「南蛮」と言ったり、来日したペリーの顔を天狗か鬼のように瓦版に描いたりしたのと同種の視線だ。
 17世紀に活動した小玉貞良が草分けと言われる、いわゆるアイヌ絵(アイヌの風俗を和人が描いた絵)は、アイヌの暮らしや文化をそのまま描くのではなく和人のイメージに合わせて変更していたり何か誇張があるのがザラだ。夷酋列像も町絵師が描いたモノではないにしろ、和人のイメージという意味ではアイヌ絵に含めてもよい。アイヌ絵は本州で蝦夷土産として文人墨客などにウケたのであろう。夷酋列像もまた大名たちの間で評判だった。エキゾチシズム的な観点から見れば、今日の北海道土産の二ポポ像とも何ら変わらないようにも思える。

 

夷酋列像の特徴

 
 注意しなければならないのは、夷酋列像は指導者たちの容貌を写し取ったという意味での肖像画ではないということだ。それぞれの図に像主の名前がついているものの、素人目に見ても顔の描きわけがされているようにはみえないし、事実、波響は指導者の多くと会ったかどうかさえわからないのである。それに功績をたたえると言うなら夷酋列像アイヌに贈ればいいのだが、そのようなことが行われた形跡はない。

 夷酋列像はただ物珍しい風俗を描いた高級なアイヌ絵ではない。今展の図録でも触れられていることだが、仙人や豪傑のようにアイヌの指導者たちを演出し彼らを功臣として従えている松前藩を演出する意図があったと言われている絵なのだ。また、松前藩はクナシリ・メナシの戦いの責任を負わされないよう情報工作を行っていたともいう。その後、ロシアの南下もあって蝦夷地は天領になってしまい、松前藩は梁川に転封され波響は随分苦労するのだが…。

 いずれにしろ夷酋列像に政治的意図があったことは確かだろう。
 ちなみに、波響の作品の中では最も有名なのにも関わらず、夷酋列像は例外的な作品で、他にアイヌを描いた絵はほとんどない。波響は夷酋列像を描いた後に応挙に師事しており、美人画や花鳥風月などを主に描いていたようだ。今展でも数点展示されていた。

 会場はかなり混んでおり夷酋列像の根強い人気が感じられた。リニューアル開館記念の特別展に選ぶのも納得の人の入りだ。しかし細密描写とエキゾチックな衣装に魅せられてばかりいると、夷酋列像がもつ制作背景が見落とされがちになってしまうだろう。展示を見ただけでは江戸時代の「蝦夷地に向けられた視線」をなぞるだけで、それが何だったのかを考えるまでにはなかなか至らないのではないか、というのが正直な感想だ。図録の論考まできちんと読めば考えさせられるのだが。展覧会企画側としては、その辺はどうなのだろうか。もっと作品の背景を強調してもよかったのではないか。

 あるいは、せっかく博物館としてアイヌに関する展示が充実したのだから、アイヌ民族を真正面から取り上げるのもアリだったのではないか。敢えて「蝦夷地への視線」を追う展示をした理由は、やはり夷酋列像は人気があるから?と邪推してしまった。
 

日本ハムと「北海道」
 
 そんなことを考えていると、北海道に本拠地を置く野球チームの日本ハムが「北海道は開拓者の大地だ」という広告を出し抗議を受けたというニュースが入ってきた。ここでいう開拓者は別に和人とか開拓使をさすわけではなくて、「野球チームとして挑戦を続ける開拓者」という意味だろう。アイヌへの差別の意図はないということは容易にわかる。
 しかし私には日ハムを擁護する気は全くない。これがただの草野球チームならまだしも、北海道をその名に冠するプロの野球チームの広告なのである。呆れるほかない。なんと言っていいか分からないが、「そんな程度の低いことでは困る」と言いたい。実際にこの広告が不適切かどうかは議論があるとしても、「北海道」で「開拓」という言葉がもつ意味についての配慮がなされないような仕組みがあるのであれば、かなり問題だろう。
 

・「開拓」記念館よさらば
 
 そう言えば、今回リニューアルした北海道博物館は元の名を北海道開拓記念館といったのだった。
 「北海道は開拓者の大地だ」という時の無邪気な無神経さと、江戸時代の蝦夷地への視線。さらに、夷酋列像を今日エキゾチックな細密描写のアイヌ絵としてしか見ない受容の仕方とが、私には近しいもの、同根のもののように思えてきた。

 
 北海道博物館が果たして本当に北海道をその名に冠する博物館としてふさわしいリニューアルをしたのかどうかは、これからの活動次第であるから今はまだ分からない。
 ただ、せっかくリニューアルしたのだから、北海道「開拓」記念館には戻らないほうがいいと思うのだ。

 

 

 

(終)

 

 

 

以前見た展覧会の感想 春画展(永青文庫)―春画を見慣れる日―

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春画展へ行く

 
 ここ数年で最も話題になった美術展と言っても過言ではない「春画展」。混むと聞いていたのでわざわざ平日の朝一番で行ったにも関わらず、開館前には既に30人以上並んでいた。土日でなくとも毎日2000人の入場者があるという。

 
 今回の展示は日本初の春画だけの展示ということもあり、シンプルな「春画展」という名前になっている。やはりこの名前のインパクトで来場する人が多いのだろう。
 しかし、よく考えてみると「春画展」というタイトルはなかなか変わっている。「春画」とは絵のジャンルの一種である。風景画、役者絵、美人画。そういう語と同じである。これが春画でなければ、風景画展とか、美人画展とかになる。そんな大雑把な展示は聞いたことがない。もしそういう展示があったとして、それ春画展のようにタイトルだけで人を惹きつけるのは難しかろう。春画春画であるだけで目玉となっている今の状況からは、これまでいかに春画が公に展示されてこなかったか、ということを改めて感じる。

 

春画展の概要

 
 約20名ごとに区切って入場し、まず年齢確認を受ける。展示室は4階、3階、2階の順に3つを回る。
 4階では、はじめに導入として、いわゆる 「あぶな絵」が数点。気分が高まる。次に肉筆春画を見て版画としての春画の前史をざっと知る。春画は版画だけではないのだ。有名絵師がちらほら。円山応挙、英一蝶、狩野山楽など。個人的には鳥文斎栄之が好きなので、肉筆が見られて良かった。
 3階は菱川師宣からはじまり、版画としての春画の歴史を代表作で追う。「春画を描いていないのは写楽くらい」「浮世絵の半分は春画」というが、本当に聞いたことのある名ばかり。鈴木春信、喜多川歌麿歌川国芳葛飾北斎、鳥居清長、歌川国芳らの春画の代表作をいいとこどりで、つまみ食いするように見ることのできる、贅沢な展示。
 2階では、豆判春画という、名刺くらいの小さな版画を展示。新年に登城した大名たちが暦と一緒に配ったり、日清日露の頃には出征する兵士に贈ったりしたという。膨大な数が出版されており、研究はまだまだ手つかずなのだとか。
 エピローグとしては、永青文庫所蔵の春画を展示。さすが名門だけあって細川家はいいものを持っていると感じた。春画展を開くだけのことはある。
 全体の展示数としてはやや少なく感じられるが、選りすぐった名作が展示されているようだ。春画に特に詳しくない自分でも知っているタイトルがいくつかあった。満足できる展示だった。

 

春画展のモヤモヤ

  
 私は春画展を見てモヤモヤした。変な気持ちにさせられた(一応断っておくが、それは単なる性的興奮ではない)。春画は私にシンプルに感動することを許してくれない感じがしたのだ。この体験したことのない感じは何か?妙にひっかかる。

 元来、春画は性的興奮を引き起こすための道具として作られたのだろう。その本来の用途でなく、今回の美術館での展示のような美的鑑賞のために使用することに対して、私は違和感があった。しかし、本物を見て春画はとにかく美しいものだと知った。なにより春画には最高の技術と材料が使われている。これを美しいと言わずしてなんと言おうか!私には他に適切な言葉が見つからない。

 春画が美しいものなのだとして、美しいものを美術館や博物館で展示するのには(そういう美術館観が今日のあり方として適切かは置いておいて、また「美」とは何かという深遠な問いは置いておいて)とりあえず異論はない。
 
 そうして春画を美しい美しいと言って感嘆して見ていると、次第にエロの側面が見えてくる。私の鑑賞経験としては、エロと美が交互に現れる感じだった。それは同時には現れにくかったように思う。エロか美か、というシンプルな鑑賞ができなかった。それがモヤモヤの原因のひとつだ。

 

・エロと美の交差

 
 ファンシーキャラを表現するのに、「キモかわいい」と表現することがある。これは気持ち悪い且つ可愛い、の意であろう。気持ち悪い要素と可愛い要素が同一のものから発せられているか、限りなく近くに並置された状況をさすと思われる。気持ち悪さと可愛さが分かち難く結びついているような状態だ。
 この言い方を借りて言えば、春画は「エロうつくしい」ということになるだろう。ただ、「エロ且つ美しい」なのかというと、それは微妙だ。

 「エロうつくしい」と言われて私が思い浮かべるは空山基山本タカトの作品だ。これらの作品は、エロさ(色気と言ってもいい)と美しさが分かち難く結びついているように感じられる。それは、エロと美のどちらかを選び取ることはできないような存在の仕方だ。
 一方で春画は、エロさと美しさが同居する表現でありながら、それが分かち難く結びついているのではないように私には見える。春画からエロさを引けば美人画とか風俗画になりそうだし、春画から美しさを引けば、性的な図画(現代のエロ漫画ではなく保健の教科書に載っている図解のようなイメージ)になるだろう。

 そもそも、春画からエロさや美しさをとったらそれはもちろん春画ではない。だが、敢えてそうしたくなるのは、春画が今まで私も含めた衆目に晒されてこなかったが故に、既存の美人画や性的な図画と比較しがちだからだ、といえよう。

 

・今日の春画

 
 改めて言うことでもないが、少なくとも今日の私たちが目にする性的な図画の類は、春画のような浮世絵式のデフォルメはほぼあり得ないし、幸か不幸か、春画を純粋にエロとしては眺めにくいのだ。
 そのことがエロと美しさを分離させ、エロという本来の用途をすり抜けたり再浮上してきたりする動きを起こすのだろう。 そのことはおそらく春画と見る側の間に一定の距離感を生む原因にもなっていると思う。
 その証拠に、春画展の来場者が口々にどのような感想をつぶやいているかといえば、「これも芸術だから」「ベッドルームが広かったら飾りたい」「これは18禁だ」「子供には見せられない」「ロマンチック」「キレイ」など様々だ。これらはやはりエロと美が交互に現れているような感想である。また、何か猛烈な感動をしたというのではなくて、少し距離感のある位置から冷静に春画を愉しむ態度も表れてはいないだろうか。
 春画展に来て、少なくとも露骨に嫌悪感を示すような人は見当たらなかった(わざわざ見に来ているのだから当たり前だが)。展覧会の構成がいたって真面目に春画史をおさえ代表作を展示しているのと対照的に、美術品鑑賞とか歴史的遺物の見学というしゃっちょこばった感じでもなく、むしろニコニコ、ニヤニヤしながら見ている人が多そうだった。しかしそれはまた普通のポルノに対する反応とも違っていた。秘宝館に対するそれに近いかもしれないが、そこまであっけらかんとした雰囲気は無く、会場にあったのは礼節を保ったような含み笑いであった。
 大雑把にまとめれば、性という普遍的な題材や、今日見ることの少ない描法、最高の技術と美しさなどが微妙な距離感を生み、普通のポルノによって引き起こされるであろう嫌悪感が減って、ニヤニヤしてしまうくらいのおかしみが生まれている、ということだろう。

 春画展からくるモヤモヤは、春画と見る側との複雑な距離感のためだと私は考える。だが、それを引き起こしている大きい理由は、まず春画を見慣れていないということからきているのではないか。
 今回の展示は非常に質の高いものだと思うが、展示替えも多く展示数は少なめだった。今後はより大きい展示空間でたくさんの作品を見る機会が期待される。

 
 より大規模な春画展があちこちで開かれるようになれば、あるいは今展を機に、春画本来の価値(?)が広く見直されるようになれば…。つまり、春画を見慣れれば、私たちの見方も変わるのかもしれない。
 それはいつの日か、春画が見慣れたものになってみないと分からないし、そうならなければ、春画本来の評価も不可能なのかもしれない。

 

 

 

(終)