こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

松前から函館へ日記④

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(北方民族資料館所蔵の山丹服) 

 

 

  

の続き。松前での一日が終わり、朝から函館へ向かいます。

  

 

 

2019.4.28.

 

・朝の松前

 

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 5時ころ起床してすぐ、前日行った福山波止場へ。使い慣れたペンを2、3本と、買ったばかりの携帯水彩絵の具を持っていく。

 空はすっかり気持ちよく晴れていた。寒い。マスクをしてこなかったことを軽く後悔する。

   

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 朝早いのに釣り人が二人いた。北前船がいなくなってもこの波止場はこうして今も使われているのだ。

 

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 通りすがりの人が僕の描きかけの絵をチラと見て「うまいね」と言った。一瞬で絵の巧拙などわかるまいと思いながらも、軽く「いや、どうも」と会釈した。

 ペンで形を取った後で、ガシガシと色を置いていく。筆の扱いが慣れず水の加減がわからない。それでもなんとか1時間くらいでひと通り描いた。

 

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 朝食6時半頃から朝食。それぞれ少量だが、品数が多かったのでお腹いっぱいになる。ちゃんと松前漬けもついていた。ご飯をおかわりして30分で完食。

 ゆっくりと部屋を片付けて、8時には宿を出る。

 

 入り口の受付で出がけに宿代を払いながら愛想のいいおかみさんと、

「晴れてよかったですね」「はい、本当に」

「今日はどちらまで?」「函館まで」

五稜郭を見に行くんですか?」「いや、目当ての博物館があってそこへ…」

「いいですね、目的があって」

 などと言葉を交わした。

 予想外の言葉に「そうか、目的のある旅というのはいいものなのか…」と妙に考えてしまった。

 

 バスが来るまで30分くらいあったので少し散歩。

 永倉新八住居跡には石碑すらなく立派とはいえない看板が立っていただけだった。それがまたよい。

 寺町では幕末にペリーに応対した家老の松前勘解由の墓を探したのだが見つけられず時間切れ。桜を最後に少し見られたのはよかった。

 

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 バス停「松城」から木古内行きに乗る。さようなら松前。次に来るときに町はどう変わっているだろうか。

 

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 8時34分の定刻を4~5分過ぎてバスは来た。頭がバカになりそうなくらいの強い日差し。昨日とは打って変わって暖かい。窓から海を眺めながらウトウトする。

 道の駅知内の次のバス停はその名も「おいで橋」という。「おいてけ堀」のようで少し気になる。

 

 10時ころ木古内駅到着。バスターミナルを挟んでJRの駅の目の前にある道の駅に行列が。どうやら30人以上の老若男女が並んでいるのはパン屋のようだ。塩パンが美味しいお店があるというのは噂で聞いていた。函館に行く電車まで1時間近くあったので本を読みつつ並んでみた。思ったより買うのに時間がかかって50分くらい待った。個数制限がありそれぞれ5個以内とのこと。塩パン5個、めんたい塩パン5個、塩メロンパンを1個買った。メロンパンは僕の昼食になり、それ以外はおみやげにした。時間を潰すのにはちょうどよかった。

 11時16分発のいさりび鉄道で函館へ向かう。

 車内でメロンパンを食べる。外側のカリカリとした食感がいい。中はふわふわで、塩味は思ったほどしない。

 

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 函館駅には時間通り12時16分到着。

 さすがゴールデンウイーク、すぐ市電乗り場へ向かうも、すごい混雑で危うく乗れないかと思った。

 

 

 

函館公園

 

 ぎゅうぎゅうの車内に耐え、やっと辿り着いた函館公園。ちょうど桜が満開でしかも晴れているから、今まで何度か訪れたどの時よりも混雑していた。焼き鳥やら綿飴やら、屋台もたくさん出ていた。

 

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 この日はなぜか市立函館博物館は入場無料だった。さっそく展示室を見て回る。

 一階は、ここの名物の「志苔館古銭」と昭和を振り返る昔の道具の展示。蚊帳が吊ってあったりした。
 
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(志苔館古銭)

 

 

 二階は目当てのアイヌ絵の展示「描かれたアイヌ」と、函館戦争の展示。

写真をたくさん撮った。「描かれたアイヌ」は所蔵品展だがさすが充実している。

 

 

 

・「描かれたアイヌ」展

 

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(小玉貞良の絵巻。蝦夷錦が描かれた巻物が蝦夷錦で装丁されている)

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源義経アイヌがひれ伏している様を描いたといわれる絵馬の部分。)

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(平澤屏山の「ウイマム図絵馬」)

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(村上貞助「狩猟図」部分。村上貞助は村上島之允の養子でゴローニンにロシア語を学び通訳として活躍。「蝦夷生計図説」を著す。参考:https://yuagariart.com/uag/hokkaido11/

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(左:平澤屏山「アイヌ風俗十二ヶ月屏風」部分 右:「挨拶図」)

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(さすが、平澤屏山は風景の描写などうまいと感じた。いずれも「アイヌ風俗十二ヶ月屏風」部分)

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(村瀬義徳「熊送図屏風」。1922(大正十一)年の作)

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(左から 村瀬義徳「熊送図屏風」、小玉貞良「蝦夷絵」、平澤屏山「アイヌ風俗十二ヶ月屏風」、倉田松濤「狩猟帰路図」。倉田松濤は平福穂庵の門下)

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(左:平福穂庵「母子図扇面」 右:上田(沢田)雪渓「熊送狩猟図屏風」)

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(左:蝦夷島奇観写本 右:蝦夷島奇観オンカミ図粉本)

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(「アイヌ絵下絵」小樽市総合博物館に同じ作者のものとみられる作例がある粉本。)

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箱館通宝の碑

 

 博物館を出て、同じ函館公園内にあるらしい箱館通宝の碑を満開の桜の下探す。箱館通宝は幕末に幕府直営の銭座がここ谷地頭に設置され、そこでごく短い期間だけ作られた貨幣だ。

 

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  公園内の一角の少し高くなっているところに碑はあった。人目が多かったが気にせず写真を撮った。

 私は箱館通宝を何枚か持っているけれど、いずれも都内の古銭ショップで手に入れたものだ。

 これで私の箱館通宝は里帰りを果たしたことになった。箱館通宝と碑とを一緒に写真に収めた。

 

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・碧血碑へ

 

 まだ夕暮れまで時間がある。函館公園から歩いて碧血碑へ行ってみることにした。碧血碑は戊辰戦争、特に箱館戦争における旧幕府軍の戦死者を弔うための碑だ。

 
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 途中、函館八幡宮があった。急な石段を上がると香川の金刀比羅宮を思わせるなかなか立派な本殿がある。

 

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 函館八幡宮から山沿いに五分ほど歩くと碧血碑へ向かう坂に出る。ここから住宅地が途切れ、林の中に入っていく。

 

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 碧血碑を作った柳川熊吉の碑もここにある。

 

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 碧血碑は思っていたよりちょっと大きかった。静かに函館の町を見下ろしていた。今でもお供えをする方がたくさんいるらしい。
 

 
 
 ・北方民族資料館

 
 見終えて坂を下り、谷地頭電停から北方民族資料館へ。電車の運転手に乗り換えの方法を確認したのだが、混雑のせいか非常に愛想が悪かった。最低だ。

 

 北方民族資料館は展示替えしたときいたので来てみた。実際はたしかに一部展示替えしてあったのだが展示の構成や内容には全く変化はなかった。拍子抜けした。それでもそれぞれの展示物は興味深いものがあった。閉館の19時までじっくり見る。

 

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f:id:kotatusima:20190517213532j:plain(山丹服(いわゆる蝦夷錦)の龍。五本爪。)

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(首飾り。アイヌ語で「タマサイ」)

 

 ここ北方民族資料館の収蔵品は北大名誉教授で解剖学者の児玉作左衛門による「児玉コレクション」も多く含まれている。

 児玉はあちこちで墓荒らしをしてアイヌの遺骨をたくさん収集した悪名高い人物でもあるので、ここの収蔵品には副葬品だったものも含まれているのではないかと思って僕は見ている。

 

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(千島アイヌロシア正教の十字架だという)

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(木偶)

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(宇梶さん)
 
 

 

 

・函館の夜
 
 電車に乗らず歩きたい気分だったので函館駅まで歩く。ラッキーピエロに行きたかったのだが外にまで人が並んでいた。ゴールデンウィークだからだろう。

 

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 すぐ諦めて塩ラーメンを食べに行く。味はそこまで悪くなかったのだが、店員が忙しなく動いて、よくわからない要件で声をかけてきたり落ち着きがなく、非常に不愉快だった。はやく出て行けと急かされているような感じ。ゆっくり飯を食わせてほしい。この店はダメだ。

 

 札幌に戻る高速バスの時間まではマクドナルドでこの旅を振り返りながら適当に時間をつぶした。

 23時30分頃。バスの時間が来た。

 

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 さよなら函館。さよなら駅前の変なオブジェ。函館にはそのうち来るだろう。また会う日まで。

 狭い車中だったが、旅の疲れでぐっすり寝られた。翌朝、気が付いたら札幌にいた。

 

 

 

 (終)