
(卒業制作展の会場の様子(東京造形大学、2017年度))
世の中には卒業制作展というものがある
世の中には卒業制作展というものがある。
美術や工芸、デザイン、建築、工学などの分野で学んだ学生の卒業要件として制作が課されている場合にその成果物を公開する、いわば学業の集大成となる展覧会のことである。しばしば「卒展(そつてん)」と略される。北海道から沖縄まで全国津々浦々で大小のそれが行われており、東京藝術大学をはじめとした関東関西の比較的知名度の高い美術系大学や五美大展に出品された作品が、SNSに投稿されアートファンの間で注目を集めている光景もよくこの時期に目にする。かくいう私も北海道の大学で美術系の専攻を卒業し関東の大学院に進学したのち、修了時には五美大展でも作品を展示した。北海道と関東で卒展を2度経験しているわけだ。
この記事は自分の卒業制作の経験を振り返りながら、地方で制作活動をしようとする同輩や後輩の活動に共感しながら叱咤激励するために書いている。
あるクラウドファンディングを目にした
この記事を書こうとしたきっかけはこのようなクラウドファンディングの実施を目にしたからである。
学生主体の取り組みでこのような展示が企画されること、そして広く支援を募っていること、素晴らしいとしか言いようがない。私が大学を卒業した約10年前にこのようなことができたかといえば、100%無理だった。クラウドファンディングは今ほど一般的ではなかったし、知識も実行力も協力者も助言者も何もかもなかった。つい尊敬の眼差しで見てしまう。
意欲的な取り組みなので、読んで趣旨に賛同される方は展示に行ってみるといいと思う(展示概要は文末に掲載したのでぜひ確認して欲しい)。
美大のない北海道で、学生として最後の展覧会を開きたい。
mutou018 アート・写真 北海道
美大や現代美術館のない北海道における文化インフラとしての美術教育やアーティスト養成について再考し、若手アーティスト・クリエイターの発掘の場となる、大学を横断した有志学生グループ展を来年2月に行います/アートの分野で活動を行う現役学生が出展/実施のための会場使用料や製作費に充てさせていただきます
ごあいさつ
はじめまして。北の美大展実行委員会と申します。私たちは、北海道でデザインやアートの分野で活動を行う現役の学生です。
各校の様々な文脈で学ぶ学生が横断して集まった有志グループによって結成されました。そんな北の美大展実行委員会としての活動の第一弾として、展覧会「北の美大展(仮)」を開催するべく現在準備を進めています。
「北の美大展(仮)」とは
美大のない北の地で、仮どめの私たちが志し、作るもの。
おもにアートの分野で活動を行う現役学生を対象に広く呼びかけ、美大や現代美術館のない北海道における文化インフラとしての美術教育やアーティスト養成について再考するとともに、若手アーティスト・クリエイターの発掘の場となるグループ展を、大学を横断した有志学生グループが企画します。
展覧会名の「美大展」という言葉には、実際には北海道に存在しないアーティスト養成の場、教育・研究機関の権威、構造をイメージしています。また末尾の「(仮)」には、存在しない「北の美大」に対する自己批判と、私たちの普通の学生とも言えず美大生でもない存在感に対する自覚、存在が宙に浮いているような感覚を示しています。
そういった、北海道の美術教育やアーティスト養成について見つめる場、かつ、若手アーティスト・クリエイターの作品発表の場となる展覧会を開催したいと考えております。
しかし・・・
展覧会を開催するにあたって、一つだけ、問題点が。
何を隠そうお金についてです。主催チームも出展者もみんな現役の学生。作品の制作費を確保することに精一杯で、展覧会開催に向けて必要不可欠な会場費や広告費などに充てる資金をつくることが大変厳しい状況です。
そこで、企画を実現するにあたって必要な費用(会場費、製作費など)を皆様にご支援を頂きたいと思っています。
支援して頂いた方にはお気持ち程度ではございますが、
・展覧会への招待券
・ポストカード
・図録
・小作品
などの各種支援プランに応じたリターン品を多数ご用意しております。
(以上 https://camp-fire.jp/projects/810706 より引用)
※太字は原文に基づいた。斜体は引用にあたって筆者が行った
※ 2025年2月10日 追記
北の美大展実行委員会様からご連絡をいただき、「『美大展』 という言葉には、 実際には北海道に存在しないアーティスト養成の場、教育・ 研究機関の権威、構造をイメージしています。」 という一文については本意とは全く違うメッセージと捉えかねないと判断し、CAMPFIREに対して1月30日に削除申請を行ったとのこと です。
このクラウドファンディングについてまず思ったこと
この「美大のない北海道で、学生として最後の展覧会を開きたい。」というクラウドファンディングを目にして、私がまず思ったことは「え、北海道って美大ないの?」である。先述の通り私は北海道の大学で美術系の専攻を卒業しているからだ。私が卒業した大学は「美大」ではなかったのだろうか。
ここで美術大学(美大)の定義を確認したいところだが、私が調べた限り誰もが賛同するような明確な定義はないようだ。例えばいくつかのサイトで検索すると、こちらのウェブサイトは54件、こちらでは88件、こちらは62件とばらつきがある。ここでは短期大学は省いている。どうでもいいことだが、ある記事によれば「○○美術大学」という校名の大学は全国で6校らしい。
北海道で美術が学べる代表的な四年制大学としては札幌大谷大学がある。芸術学部美術学科が設置されている。そのほか私の出身校である北海道教育大学は教育学部であるが美術系のコースを設置しており、星槎道都大学美術学部や、北翔大学教育文化学部芸術学科などもある。
ただ、私が調べた範囲では北海道に美術系の学部のみを設置する単科大学はない。彼らのいう「美大」はおそらく単科大学のことだと思われる。では北海道に美術系の単科大学がないことに問題があるのだろうか。例えば、五美大展の参加校である日本大学は総合大学である。そこで行われる教育が、総合大学であるが故に単科大学より劣っているということはあり得るのだろうか。私は「美大のない北海道」という表現をし、それを掲げて何らかの不足を訴え支援を集めることに対しては、はじめ少しひっかかりを覚えた。
「現代美術館のない北海道」という言葉も概要文中にある。これについてもクラウドファンディングを行う趣旨に含める文言としては上記と近い理由で違和感を覚えた。日本には東京都現代美術館、十和田市現代美術館、広島市現代美術館、熊本市現代美術館など、「現代」と名のつく美術館がいくつかあるが、それが北海道にないことがどのように問題なのか(もちろん、あるに越したことはないのだが、ここで特に強調されるような欠陥だろうか)。現代という名がついていなくとも現代のアーティスト(=現役の、今日作家活動を行っている作家)を扱っている美術館は枚挙にいとまが無く、もちろん北海道でもそのような美術館はある。館名が館の活動方針を全て規定するわけではないのだから当然だ。ちょうどこの記事の執筆中にも北海道立近代美術館や三岸好太郎美術館で現役のアーティストが作品を展示している。
と、ここまで勢いに任せて重箱の隅をつつくようなことを長々と書いてしまった。この作文をわざわざ書いた本意は彼らのステートメントの甘さを指摘し屁理屈を展開することではもちろんない。

(卒業制作展 搬入時のスナップ写真、2014年度)
卒業制作展の時期になると毎年思い出すこと
ここで、私が卒業制作展の時期になると毎年思い出す、ある体験談を書いておきたい。
約10年前、卒業制作の審査を終え、卒展にたくさんの人に来てほしいという思いを持ちどうすればいいか思案していた私はインターネットで、某美術系の情報を集めているポータルサイトが全国の卒展一覧という特集記事を公開しているのを目にした。
しかしそこには私の母校の名はなかった。私はすぐそのウェブサイトの問い合わせ先に「私たちの卒業制作展の情報を載せてほしい」という旨のメールを送った。私は待った。
そしてそれはついに掲載されることはなかった。
担当者が地方の無名大学を掲載の価値なしと判断したのだろうか。それともいくつあるかもしれない卒展をいちいち全部載せていてはキリがないから無念に思いながら切り捨てたのだろうか。もしくは掲載依頼が殺到して対応しきれなかったのだろうか。理由は今となってはわからない。
掲載されなかったことは、私をひどく落ち込ませた。
なぜ「美大」がないのか
この文章の前半でクラウドファンディングをしている彼らの言葉遣いに対し私は違和感を表明した。北海道の美術系大学を無視し美術館の取り組みを軽視するような文言は正確さに欠けたものとも捉えられるし、彼らに最も近いであろう諸先輩や同輩、後輩や関係者たちには受け入れられず賛同も得られないのではないかという老婆心からだ。
そこでお節介ついでにもう一歩踏み込んで解釈してみたいのだが、彼らのそのような言葉遣いは、私が卒展の情報掲載依頼を無視?された時と同じような、絶望感や無力感の表れであるように、私には思えるのである。先にも述べているように北海道にも美術を学べる大学はあり、現代のアーティストを扱う美術館も事実として存在する。その時に本来問題とすべきは、形式的な事実ではなく実質的な内容だ。彼らは「現状の北海道の美術教育は質的に不十分であり、美術館の現代アーティストへの扱いは内容が伴っていない」という思いを持っているということではなかろうか。
私もこれには思い当たる節がある。

(五美大展搬入時のスナップ)
青い芝に足を踏み入れてみた
おそらく私の世代以降から、SNSが良くも悪くもアーティストにとって活動発表の前提として存在してしまっている。北海道から画面越しに眼にするヨソの美大(特に内地=本州=ほぼ関東圏)が輝いて見える気持ちが私にはあった。私の進学の動機はほとんどそれに由来する。コンプレックスと言い換えてもいい。
では、私の場合進学してどのように制作環境が変わったか。まず、まわりの学生の数が違う。当然、眼にする作品の数も違うし刺激を受ける機会も多い。教員も多い。もし所属研究室の教員や同輩と折り合いが悪くても、逃げ場になるような教員や同輩がいてくれる可能性も高まる。大学の近くには共同アトリエがあり、卒業後の活動も想像しやすい。冒頭で言及したように、運が良ければ卒展をきっかけにSNSで作品が広まったり展示の機会につながるかもしれない。私ですら五美大展の会場でギャラリスト?らしき人の名刺を数枚もらった経験がある。
ただ、当然の前提として、どこのどんなに設備に恵まれた大学に居ようとも、自らが満足できるように学べるとは限らない。恩師と呼べる人物の謦咳に接することができ、親友と呼べる同輩に会えるかどうかは運も関わる。私だって「美大」に進学して良いことばかりではなかった。むしろいまでは進学を後悔していることのほうが多いくらいだ。
彼らがもし北海道に無い「美大」「現代美術館」の芝が青く見えているのだとしたら、その気持ちは私にも思い当たる節がある。ただし何事もやってみないとわからないし、行ってみないとわからない。当然のことだ。

(五美大展 搬入時のスナップ)
地方で美術をやること
とはいえ、彼らは幸いである。なぜなら志を同じくする者を学校の枠を超えて見つけることができたのだから。私はそれが羨ましいし、どうしてかつての私がそれをできなかったのだろうかと思うと情けない気持ちにもなる。
多分、彼らがクラウドファンディングをやり、グループ展を立ち上げた必死さは「美大生」(本州の主に関東の美術系の単科大学の学生)には共感されないのではないだろうか。誰にも見てもらえない。そもそも世間の評価の俎上に上がらない。そんな状況への危機感がない者が周囲に多い中で、切磋琢磨しようとしてもやり方が分からない。目指すべき目標がわからない。そのようなもどかしさが彼らにあるのかもしれない(私にはあった)。
私が北海道で在籍していた美術系大学は数多のアーティストを輩出してきた。だが、数年前に大学院課程が無くなってしまった。学びを深めるには他校への進学を余儀なくされる状況になったということだ。彼らが「美大」がないと訴える状況の背景には明らかに年々縮小している北海道の文化・教育行政がある。そしてその責をまず負うべきは、やはり北海道で美術系大学を出た、もちろん私も含む、彼らの先達、先輩であろう。北海道の美術系大学出身者が活発に活動し、時に若手を引き上げ新陳代謝を行い、必要ならば行政やメディアに働きかけその活動の意義を説き、表層的な見栄えに誤魔化されないコアなファンを獲得できるような動きを見せて来られなかったことに、縮小の一因があるのだろう。
今回のクラウドファンディングの動きを見て、北海道で美術系大学を出た諸先輩方はこう言うかもしれない。「団結しグループの存在感をアピールすることに汲々とし、実際の作品の存在感が負けるようなことなってはいけない」と。しかしそれにはまともに取り合わなくていい。存在感のアピールより表現に注力せよというのは生存バイアスが反映されたマッチョさの無理強いでしかなく、現状から目を逸らす方便であろう。もしくは多少先達の意識があれば持つべき後ろめたさの裏返しか(であればまだ救いもあるが)、あるいはもっと浅はかな嫉妬でしかない。
アーティストの制作活動はどこまでも孤独だが、例外なく社会や歴史、特に周囲の作品や作り手から影響を受けてもいるはずである。アートシーンは決して一人では作れない。アートに関するメディア環境も決して豊かではない中、まずは小さくとも、やってみることでしか事態は変わらない。
今回の試みは、五美大展や金沢アートグミの卒展セレクション、東北芸術工科大学の卒業制作選抜展のような例と共に若手の動向を示すいい機会になるだろう。そして停滞した北海道のアートシーンに刺激を与え(私を含む)堕落した諸先輩の尻を叩くものにもなるはずだ。そう願ってやまない。全国各地で活動するアーティストたちにもっと光が当たりアートシーンが盛り上がるといいなと思う。
※展示の情報も掲載しておく。
【会期】
2025年2月8日(土)~24日(月)
10:00~17:00
休館:10日(月)、17日(月)
【会場】
本郷新記念札幌彫刻美術館本館(札幌市中央区宮の森4条12丁目)
Instagram:https://www.instagram.com/nau.info/
(終)