こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

天塩川日記③

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 (「北海道命名の地」の近くにて)

 

 の続き。北海道の美深町にある「アートヴィレッジ恩根内」というところで10日間の滞在制作を行った記録です。天塩川という全国第4位の大河をたどっています。

 

 

 

2019.5.3.

 

 

 

天塩川河口への道

 

 滞在3日目。

 6時前に起床。前日の夕方はかなり寒かったことを思い出してタイツを履いた。手に持ちながら絵を描くのがしんどいことも分かったのでアートヴィレッジの備品からイーゼルを借りた。今日も曇り空だが幸いまだ雨は降っていない。

 今日は天塩川河口へ向かう。8時に恩根内を出発。行きがけに音威子府セイコーマートに寄りカメラのメモリーカードを買う。

 

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音威子府天塩川

 

 少し進むと天塩川に出た。橋の手前に車を停める。上流の恩根内からの流れが橋を越え、その先で左に曲がって山の中へ向かっている。ここで絵を描こうとしたとき、なんと買ったばかりの携帯水彩絵の具と筆を忘れてきたことに気がついた。すぐ引き返せるような距離でもなく、幸いにもペンは持っていたので、今日は諦めてペンのみで勝負しようと決めた。

 

 9時頃、橋を渡り筬島地区を過ぎ物満内地区へ。砂澤ビッキのアトリエだった「アトリエ3モア」の看板が出ていたので、近くまで行ってみるがまだ開館前だった。日を改めて来ることにする。

 

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音威子府付近)

 

 そのまま道なりに進み、中川町に入ってしばらくいくと道路の右側に「安政四年六月十日 松浦武四郎踏査地」と書かれた大きな木柱が立っていた。砂利が敷かれて坂がついており、天塩川のすぐ近くまで行けそうなので車を停めた。岸まで歩いて降りる。ここで一枚絵を描いた。

 後から調べると、安政四年六月十日の松浦武四郎は川でたくさんのチョウザメを見たらしい。

 

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 (中川の天塩川

 

 天塩川左岸を通り、啓徳小学校を過ぎ、雄信内を経て幌延を通る。天塩市街へ向かう。

 

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天塩川河口近くにて)

 

 11時頃、天塩川の河口近くの漁港に着いた。晴れていても風は冷たい。近くには運上屋跡の看板があった。

  

 お昼ご飯を食べようかという話になったが、食べてから展示を見ると眠くなりそうなので、先に天塩川歴史資料館へ行く。

  

 

 

天塩川歴史資料館

 

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天塩川歴史資料館)

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(「牛」馬頭観音の碑)

 

 展示物は天塩川沿いの産業についてが主。林業、漁業、酪農の資料が中心。特に興味深かったのは馬頭観音の碑だ。畑作から酪農に生業が転換する中で馬頭観音信仰は牛の安全祈願と供養のためのものに変わっていった。そこで大胆にも石碑に「牛」の字が書き加えられ「「牛」馬頭観音」とされた。生きた宗教はいつでも人々のニーズに応えるものなのかもしれないと思った。

  

 

 

・天塩の昼食

 

 昼食。「以前来た時に食べたラーメンがしょっぱくていまいちだった」と大友さんが言っていたので、ラーメンの幟は避けて歩く。とはいえ飲食店がたくさんあるわけではない。町は静かでほとんど人通りもない。大きな通りに面した角にいかにも昔ながらという感じの喫茶店があったので入ってみる。

 中では地元の方らしいおじいさんがこちらに背中を向けてテレビで野球を見ていた。常連らしいおじさんはご飯を食べながらカウンターのおばあさんと言葉を交わしていた。

 

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(大きいカツカレーと小さい普通のカレー)

 

 席の上に置かれた雑誌にカツカレーがおすすめと書いてあったので、注文する。大友さんは普通のカレーを食べていた。出てきたカレーはボリュームがあって900円以上の値段がするだけはある。お腹いっぱいになった。おばあさんが出がけに缶の緑茶を二本テーブルに置いて「ポケットに入れて持って帰んなさい!」と言った。小さなサービスが嬉しい。

 

 

 

厳島神社

 

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(参道)

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(金毘羅さんの社)

 
 昼食を済まし厳島神社へ。建立は文化年間に遡るようだが、場所も移動しているようで当時の様子を示すものは見当たらない。社殿は北海道特有の神明造だそうだ。大きな鳥居の向こうに背の低い林が続き、まっすぐ社殿まで参道が伸びている。

 本殿の手前にはいくつかの灯篭や石碑、手水舎のほかには小さく簡素な稲荷社と金比羅社がある。カラス除けらしいCDが無造作に取り付けられていたのがおもしろかった。

 

 

 

・海のような川

 

 この厳島神社は道路を挟んですぐ海沿いにある。とはいってもこのあたりは海に沿って天塩川が流れているところなので川沿いともいえる。

 海のように流れる天塩川を見に行くことにする。

 

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(謎の黒い種子)

 

 海沿い(のような川沿い)は公園になっており「遺跡」と看板にあったのでその方向に歩いて行ってみた。しかし舗装された道は途中で途切れ、漂着物が打ち上げられた空き地に出た。いい感じの石や貝があれば拾おうとして下を向いてうろうろしていると、黒くてぼこぼこした昆虫の顔のような何かを見つけた。最初はプラモデルの部品かと思ったが、ブラシのような房があり、種子のようでもある。少し不気味だが持ち帰ることにした。

 遺跡が見つからないので車に戻って海沿いをしばらく北上すると「川口遺跡風景林」の大きな看板があった。

 防風保安林の中に竪穴住居跡がたくさんあるらしい。復元された竪穴住居も1棟あった。中にも入れるようになっている。天井が高く意外と住み心地が良さそうだと感じた。

  

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(左が天塩川、右が日本海

 

 またさらに北上すると道が左に折れて天塩川を越え、海沿いに出る。このあたりの陸地はちょうど天塩川日本海の境になる。防波堤が作られており、片側は砂浜になっていて海がある。反対側は天塩川である。海と川が近くにあるのが面白くて、川と海とを一つの画面に収めるような絵を描いた。そして少し石を拾った。

 

 

 

・「北海道命名の地」

 

 国道40号から恩根内に戻る。

 

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(「北海道命名の地」の木柱)

 

 帰りがけ、まだ明るかったので音威子府で「北海道命名の地」に寄る。なにもこんなところに作らなくとも・・・と思ってしまうようなところにある。あたりには人家も何もない。林を抜けると立派な木柱と看板が天塩川に面して立っている。ここは山の陰になっていて薄暗い。大きな水たまりに周囲の風景が写り込んでいた。

  後から調べると音威子府商工会の方のコメントが見つかった。それによれば、わざわざこのような場所に木柱を建てたのは、武四郎が丸木舟で川を上って来たであろうことや、カヌーや釣りを楽しむ人に見てもらいたいから、とのことだった。

 またここを「北海道命名の地」とするのはアカデミックな見地からは疑問符がつくが、そのうえで宣伝の方法の一つとしてやっている、とのことだ。

 昨年の「北海道150年」の武四郎顕彰の流れを見るに、あくまで「宣伝の一つ」だった「北海道命名」が随分とまことしやかに語られるようになってしまったなと感じる。

  (参考:テッシペディア 138ページhttp://www.kamikawa.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/tesshi_sanpo/shiryou/file/tessi05.pdf

  

 

 

 帰ってきて、今回の展示ポスターについて大友さんと少し相談してから23時半に就寝。

 

 

 

 ④へ続く。