こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

厚岸日記①

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(厚岸大橋) 

 

 

 厚岸に行ってきました。牡蠣が有名な町ですが、文化財も多くあります。以下の記述の一部は「北海道開拓と本願寺道路」(弥永芳子著、弥永北海道博物館、1994年)を参考にしています。

 

 

 

 目次

 

 1. 厚岸までの道のり

 2. 厚岸町郷土資料館

 3. 国泰寺

 4. 厚岸神社

 5. 昼食

 

 

 

 2017.11.11.

  

 1. 厚岸までの道のり

 

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 まず夜行バスで札幌から釧路へ。朝の5時過ぎに到着。大雨。先行きが心配になる。ひとまずバスセンターへ駆け込む。雨が落ち着いてから釧路駅の中へ行ってみる。まりもがいた。まりものいる阿寒湖で有名な阿寒町市町村合併釧路市の一部になっている(2005年~)。釧路駅内のセブンイレブンで朝食を買って食べ、風邪薬を飲んだ。外はだんだん晴れてきた。

 

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 厚岸までは8時18分発の根室行きワンマン列車で1時間ほど。大学生らしき男女のグループ4、5人の他、何人か乗って出発。途中の駅でも何人か乗降があった。

 小麦色の草原が風に揺れて広がっている様を眺めながら電車はすすむ。

 

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 急に海が目の前に現れた。太陽がまぶしい。向こうに島のようなものが見える。と、すぐ厚岸駅に到着。時刻は9時を少し過ぎたくらい。 ピンクの陸橋には「ようこそ花と味覚と 歴史のまち あっけし」の文字。盛りだくさんだ。駅構内にはこれから目指す国泰寺の葵の紋が刻まれた石もあった。代表的な観光地なのだろう。

 

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 この日はまず国泰寺と隣接する厚岸町郷土資料館に向かい、そのあと正行寺、時間があればチャシ跡を見て、最後に海事記念館を見学する計画だ。

  

 駅で国泰寺方面へ向かうバスの時間を尋ねたが、どうやら出発してしまったばかりのようだった。仕方なく歩いて向かうことにする。空は晴れているが、風がやたらと強く、雲行きは少し怪しい。

 厚岸はS字に入り組んだ湾を真っ赤な厚岸大橋がまたいでおり、海側が厚岸湾、その奥が厚岸湖となっている。街は橋を挟んで内陸側の湖北地区と対岸の湖南地区に分かれており、国泰寺などがあるのは湖南地区だ。JRの車内から見えた島影のようなものはおそらく対岸の湖南地区だったのだろう。

 駅前通りを左にまっすぐすすみ、商店や役場、後で見学する海事記念館を通り過ぎて厚岸大橋まで15分くらい。

 

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 (厚岸大橋の上から)

 

 橋の横にある港では海鳥がトラックの周りを飛び回っていた。肩にかけたカメラバッグが吹っ飛ばされそうになるくらいの強風が横から吹いてくる。まっすぐ進めない。小雨が降っているのか波の飛沫がかかっているのか分からない。橋を渡り終えると風が少し落ち着いてきた。

 

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 またまっすぐ歩いていく。普通の住宅に交じって古い商店が目につく。国泰寺通りというらしい。

 20分くらい歩いた突き当りを右に曲がると鳥居が見えた。国泰寺と並んで建っている厚岸神社であった。ここが第1の目的地。

 

 

 

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 2. 厚岸町郷土資料館

 

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 10時頃から、先に国泰寺に隣接する厚岸町郷土資料館を見る。入館料大人100円。寒くて古めかしい小さな建物だが、展示物は興味深い。続縄文時代の土器や、町内の遺跡から発掘された牡蠣殻、東蝦夷地の中でも最も古くからアイヌと交易が行われてきた「アッケシ場所」についての資料、幕末の北方探検の拠点となっていた厚岸を訪れた最上徳内近藤重蔵の紹介、国泰寺や神明宮(現・厚岸神社)の資料、近代の牡蠣の養殖に関する資料などが展示されていた。

 

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 (資料館内の様子)

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 (牡蠣殻)

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(1844年、フランス船が漂着した際の記録。場所支配人池田儀右衛門の子孫所蔵。)

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1855年から厚岸は仙台藩の警備区域になった。仙台藩士が奉納した絵馬)

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仙台藩士が残したらしき矢筒)

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 最上徳内は晩年のシーボルトとの交流も有名な探検家であり幕臣。「夷酋列像」に描かれた厚岸の首長イコトイの協力で1786年に国後島択捉島を検分し、初めてロシア人南下の詳細を調査している。1791年には厚岸に神明宮を建立(今の厚岸神社)。1805年には遠山景晋(遠山景元の父)に従い西蝦夷地を案内している。他にも数回蝦夷地、樺太に渡っている。

 近藤重蔵は幕府に蝦夷地の処置および異国境取り締まりについて建議を行い、1798年蝦夷地調査の任を受け、最上徳内らの上司として国後島から択捉島に渡り、大日本恵登呂府の木柱を択捉島丹根萌の丘に立てている他、数度蝦夷地を探検、各地に赴任している。国後島択捉島の探検によりアイヌキリスト教を信仰していることを知った重蔵が平取に建てた祠が現在の義経神社である。

 

 

 

 3. 国泰寺

 

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 国泰寺(臨済宗鎌倉五山派景雲山国泰寺)は江戸幕府が1804年に蝦夷地に3か所設置した寺院(蝦夷三官寺と呼ばれる)のひとつ。ロシアの南下に対し北方の警備にあたる諸藩兵や幕吏の葬礼や供養のため、また千島のアイヌキリスト教を信仰していたことへの対抗として仏教の布教や撫育を行うための施設だった。特に歴代住職による60年間に及ぶ記録「日鑑記」は当時を知る資料として貴重だ。

 

 国泰寺の山門は資料館のすぐ隣にある。境内は松の葉が散っていかにも寒々しい。建物自体は創建当時からのモノではないが、どこか風格が感じられた。山門のわきには「アイヌ民族弔魂碑」が。

 

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(仏牙舎利塔。1842年設置。場所請負人などの名前がびっしり彫られていた。)

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(本堂。中には地獄を描いた掛け軸や、米内光政、東久世通禧の筆らしき書が。)

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(境内のあちこちに葵の紋があった。)

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 本堂裏手の丘を上ると馬頭観音堂があり、その坂のさらに上に竜王殿があった。横には魚魂碑。すぐ近くに神明宮跡を示す看板があった。この丘の上に、かつてアイヌ撫育と教化のため最上徳内が神明宮を建て、後に近藤重蔵が改修した。

 

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(シカのフン?いっぱい落ちていた。)

 

 

 

  4. 厚岸神社

 

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 国泰寺のすぐ横に急な長い石段があり、それを登り切ると厚岸神社がある。もともと神明宮といい、さきほど訪れた竜王殿のあたりに、はじめ最上徳内が建立した。

 ここの狛犬は少し風化していてなかなかいい顔でいい体つきだ。「行幸記念」と台座にあり、昭和11年昭和天皇が北海道各地を巡幸した際奉納されたらしい。

 

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 近藤重蔵による碑文の碑とその現代語訳の看板があった。もとの碑はどこに行ったのだろうか?現在の碑は平成3年に厚岸神社鎮座200年を記念し復元されたらしい。神社の本殿の中には何枚かの絵馬や、「舩魂神」と書かれた扁額、最上徳内肖像画などがあった。

 

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 (神社から対岸を眺める)

 

 

 5.昼食

 

 12時前には厚岸神社を後にし、昼食タイム。といってもそんなにお店があるわけではない。来た道を戻りつつ目についた食堂に入る。クッキング食王様(?)とはなんだかこころ強いネーミングだ。 店内は半分は普通の民家のような、よく言えばアットホームな感じ。食事をしていると後から地元の人がぞくぞく入ってきた。

 

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 (皮かしわラーメン、750円)

 

 

 

 「クッキング食王様 かさ嶋 幸栄丸」の皮かしわラーメンは雑誌などで紹介されたこともあるそうで(店内にそれらしき記事も貼ってあった)、元は厚岸町内の玉川本店というお店からレシピを伝授された一品らしい。なんとウニがついてきた。普段はここまでたくさんのトッピングは付かないそうで、ラッキーだった。ラーメンは魚介系のスープかと思うが、鶏の油の甘味が強くでていた。鶏皮のコリコリとした食感が私の好み。人によっては少し脂っこく感じるかもしれない。エビやウニをラーメンにトッピングして食べるのは漁師町ならでは。大変贅沢だった。

 

 

 おなかもいっぱいになったところで、重要文化財の本堂がある正行寺に向かう。

 

 

 (へ続く)