③の続き。
・黒鳥観音
まず線香をあげてからお堂の中へ。扉は半分開いて蝋燭にも火がついていた。正面には祭壇といくつかの提灯があり、中央の厨子には観音像。左右にも小さめの仏像がずらっと並ぶ。手前には木魚がいくつか並んでいた。さすがに窓は埋まっていなかったが、天井と壁はタイルをはめ込んでいくかのようにたくさんのムカサリ絵馬が並んでいた。小松沢観音堂に比べると整理された印象だが、それにしても多い。年代的には明治のものが目立つような気がする。なんと今年に入ってからのムカサリ絵馬もあった。
ぽつんと狸がいた。
別当さんと少しお話した。
山形には最上、庄内、置賜のそれぞれ三十三観音と番外一か所を合わせた「出羽百観音霊場」がある。今年は庄内が御開帳で、来年が置賜、再来年は最上で御開帳を行うそうだ。今年は御開帳の年ではないので、堂内の写真は撮ってもいいと仰っていた。
明治以前のムカサリ絵馬も前はあったかもしれないが、建て替えや絵馬が壊れたときに燃やして供養してしまっているので、残っていないそうだ。壊れたムカサリ絵馬は、木枠に土を詰めた上に紙を貼っているのか、バラバラ崩れてくる。以前、東北芸工にムカサリ絵馬の修理をお願いしようと思ったが、うちだけというわけにはいかず三十三観音札所全体の問題になるのでなかなか話が進まないとのことだった。建物自体の老朽化の問題もある。
こういう信仰の風景も、いつまでみられるかわからない。
黒鳥観音の白い鶏。付近には白鳥山もあるそうな。
10時ころ黒鳥観音を後にした。ここからは、さくらんぼ東根駅まで徒歩。道は事前にタクシーの運転手さんに訊いておいた。だいたい40分~50分の道のりだ。雨はやみそうにない。駅まではほとんどまっすぐ進めばよいらしい。
・さくらんぼ東根駅へ
グーグルマップが指し示す道順に従って行くのだが、あまりに私有地の中の農道のようなところに入っていくので、ここ本当は通っちゃいけないんじゃないかな、と思いながら歩いていくと、農作物盗難警戒中の看板が。
やはりここは通るべきではなかった。とはいえほとんど横道のない一本道なので、引き返すのも少し面倒ではあった。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず、桜桃の横を通らず…などと考えているうちに、住宅街へ抜け出た。
さくらんぼ東根駅には10時半ころに着いた。だいぶ歩いてお腹がすいてきたのでさくらんぼソフトを買って食べた。300円。汗だくの体も甘さと冷たさで少しは癒されたか。
ここから山形駅に戻って、乗り換えて米沢市に向かう。10時50分頃にさくらんぼ東根駅を出発した電車は30分ほどで山形駅に着いた。米沢行の電車の時間を調べると一時間ほど余裕があるのがわかったので、当初は行く予定のなかった山形張子のお店を訪ねてみることに。
・山形市小観光
山形市には公立(県立?)の美術館がないと聞いた。47都道府県唯一かもしれない。
市内にはお城や博物館など見どころは多数ありそうだけれど、これから向かうのは「岩城人形店」だ。
駅から歩いて15分ほど、街の中通りにあって少しわかりにくい。張り子人形の他、社交ダンス用品の店や不動産業も兼業しているらしい。
中に入ると社交ダンスコーナーやらなにやらいろいろある中に、張り子が置かれた棚があって、おとなしそうなおかみさんが出てきていろいろ説明してくれた。
一度にまとまった個数つくるので常にたくさんの種類の在庫があるわけではないのだとか。この日はたまたま何種類もあったのでよかった。やはりウサギ年の年賀切手になった玉乗りウサギや、まり猫が人気だそうだ。小さくて値段としても求めやすいからか。最近は招き猫も人気がある。龍や蛇はあまり人気がない。干支の置物の他、だるまやお面を作っている。最近は本でもよく紹介される。来る人はたいていみんな写真を撮りたがる(恥ずかしながら僕も写真を撮りたがったひとりだ)。
結局「まり猫」を購入。「小さくても大きくても張り子は全部工程が一緒ですから」と言いながら箱に詰めてくれた。
(まり猫)
山形駅を12時16分に出発し、1時間ほどで米沢駅に到着。天気は変わらず曇っていて、よくない。
・米沢観光
(米沢駅)
13時ころ米沢駅に到着。まず駅から歩いて相良人形の工房を訪ねる。雲行きは怪しいが、雨は降っていない。
途中、笹野一刀彫のレリーフがあった。この後まさにこの笹野まで行くことになる。
(相良人形の看板)
相良人形は、藩主親衛隊の武士が財政立て直しのため陶器製造を習得し、それを活かして土人形作りを始めたという。
現在は八代目が制作している。工房は一見普通の民家のようだが、訪ねれば小売もしてくれる。事前に訪問時間を決めて電話しておくのが良かろう。
八代目はいらっしゃらず、先代の奥さまのおばさまが対応してくださった。「駅から歩いてきてエライねぇ、ハイヤーで来る人はすぐわかる」と言っていた。客層は女の子の方が多い、あと男のひとり者とかで、若い人はやはりインターネットで調べて来るそうだ。
相良人形は都内でも雑貨屋や喫茶店で売っているところが何ヶ所かあるようで、催事にもしばしば出品されている。特に「猫に蛸」というのが人気で、ニセモノまで出回るほどだとか。「儲かると思ってやっているのだろうが、そんなに甘くない」とも。
私もせっかくなので「猫に蛸を」ひとつ購入した。
そのほか騎馬武者が水中に入る様をかたどった人形があったので「宇治川の先陣争い」かな?と思い購入したが、調べると「敦盛」だったようだ。裏面を見ると七代目のサインがあった。おばさまは、いとおしそうに人形を眺めて、ひとこと「顔がいい」と仰った。私にはもったいない人形のようにも思えたが買ってきた。
世間話をしながら随分いろいろもてなしてもらった。長居してしまった。
(今回買った猫に蛸)
米沢といえば上杉神社だろう。名君といわれる上杉鷹山はあまりに有名だ。相良人形の工房から行けるか尋ねると、少し距離があるが若いのだから歩けるよ、と言われた。一度駅まで戻り、駅前から放射線状にのびる道をまっすぐ歩いていく。平日でもあり人通りは多くなかった。この辺りが街のメインストリートになるらしい。米沢牛のお店が目についた。
結局道に迷って30分くらいでやっとたどり着いた。ここまでくると修学旅行生らしき学生たちも見かけたし、けっこう賑わっていた。
上杉神社は上杉謙信を祀る。参道の手前には上杉鷹山ら6柱を祀る松岬神社がある。神社の入り口付近には「龍」と「毘」の旗が立ち、やたらと銅像や石碑が建っている。上杉謙信、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続など・・・。そういえば何年か前に「天地人」という大河ドラマもあった。ここは戦国ファンにはたまらない場所だろう。ちなみに伊達政宗が生まれたのも米沢で、その石碑も建っていた。
(有名な上杉鷹山のことば)
上杉神社本殿は、米沢出身の伊藤忠太の建築。広くとられた敷地や建物の配置からは、明治以降の日本の神社や建築がしばしば持っている、いかにも作り上げられて演出されているタイプの神聖さを感じさせる。
宝物殿は「稽照殿」という。重要文化財がたくさんある。本でみたことがあるような有名な甲冑がずらり。「毘」の旗も。めずらしいものでは「謙信自筆の片仮名イロハ」という、上杉謙信が幼少時の上杉景勝にイロハを教えるために書いたいわば見本があった。
(デカい・・・)
この辺は観光スポットで、上杉神社はそもそも米沢城址にあるし周囲には上杉博物館もある。だが今回はそこへは寄らず、上杉博物館の道路を挟んで向かい側にあるバス停から白布温泉行のバスで米沢市笹野本町へ向かう。目的は、笹野一刀彫だ。
15時48分発のバスに乗り込む。ちょっと慌ただしかったが、上杉神社は30分ほどしか見られなかった。バス車内は私の他、ほとんど誰もいない。白布温泉ってどんなとこかな、今度来るときはゆっくり温泉に浸かりたいな、などと考えていると、すぐ10分ほどで到着した。
バス停「笹野大門前」で下車すると、角になにやらデカいオブジェが。
⑤に続く。