こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

山形日記 ① 若松観音と逆回しの立石寺

 

 

  

 山形県に一泊二日の強行軍で行ってみた。

 

 私は東北六県の中では福島県いわき市より北に行ったことがなかった。いよいよ本格的に東北に足を踏み入れたという変な実感があった。そのなかで今回は、みちのく山形の主に内陸の文化の一端を垣間見た、ということになる。

  

 

 

・東京から山形へ

 

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 日付が変わるころに小雨の降る東京を出発した。夜空に光る時計塔がぼやけて見える。

 私はいつも体力を温存するため目的地へ向かう時は広めの三列シートの高速バスを選ぶ。いつものアイマスクもばっちり用意し寝る準備は整っている。なのについ旅先でどこに行こうかなどと考えてしまう。最近は旅することに慣れてきて、ドキドキすることもあまりない。今回は少しはそういう気持ちがあるのだと思うと嬉しかった。そのかわりぐっすりと寝られなかったのは痛手だが。

 翌朝、寝たか寝ないかのうちにぱっとバス車内の電気がついた。アイマスクを外してカーテンを細くあけるとすっかり明るくなっていて、窓の下にはビルやマンションが立ち並んでいる。なんの変哲もない、いかにも地方という感じの見知らぬ街が山形市だった。

 

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 山形駅前に到着したのは6時半ごろ。駅に入る。山形駅は線路の上に改札があってホームへ降りていくタイプの駅舎だ。駅そのものの規模の割に改札や切符売り場が小さいように思った。次の電車まで時間があるので腹ごしらえしようと売店へ。お土産用のお菓子ばかりで、駅弁もまだほとんど入荷していない。結局コンビニのパスタをイートインでさっと食べた。

 

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 まず、歌川広重の美術館や将棋の駒の生産で有名な天童市へ。東京から持ってきたお菓子を食べながら電車で向かう。あまり旅行客のような人は見当たらず、通学する中学生や高校生が多かった。7時半ごろ天童駅に着く頃にはほとんど学生ばかりの満員電車になっていた。下車したのもほぼ学生だった。

 駅前の郵便ポストの上には「王将」の駒が載っている。

 

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 タクシー乗り場へ向かう。何台か並んだ先頭のタクシーの運転手のおじさんは、すっかり新聞に夢中で乗客(私)があらわれたことに気が付かない。数十秒経っても気が付く様子がまったくない。声をかけようとすると後続するタクシーから「ビーッ」とクラクションがなった。すると、運転手は飛び起きるようにこっちを振り返って驚きながら「どちらまで?」と。

 

 

 

 ・若松寺

 

 朝一番に向かったのは開山千三百年を数える若松寺(じゃくしょうじ)だ。通称を若松観音(わかまつかんのん)といい、花笠音頭で「めでため~で~た~の 若〜松様よ♪」と歌われるあの若松様である。

(ホームページ:http://www.wakamatu-kannon.jp/

 

 運転手のおじさんが、「行ったら五重塔?か何かがあるから、そこに扉があるから行って開けてみて、勝手に開けていいよ」と説明してくれるが、なんのことかよくわからず。街中をぬけ、畑を横切り、車はどんどん山の中の一本道へと入っていく。まわりの杉の木立は私にとってあまり見慣れないもので、それだけでも十分わくわくする。一瞬、緑の中に埋もれるように鳥居や碑があるのが見えた。15分ほどで到着した。

 私は滅多にタクシーには乗らない。しかしここは最寄りのバス停まででも徒歩で一時間以上かかるうえ本数が少なく、しかも平坦な道のりではない。タクシー代は2000円くらいかかったが止むをえまい。

 たぶん私がこの日一番目の参拝者だったろう。

 

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 (地蔵堂

 

 境内には誰もいないかった。入ってすぐ左に地蔵堂があった。ここには乳房を布で立体的につくった絵馬が何枚も奉納されていた。

 

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 (観音堂

 

 靴を脱ぎ中にあがって重文の観音堂を参拝。室町時代後期の建築で慶長年間(1596~1615)に最上義光が大修理を行ったという。江戸時代の絵馬が何枚もあったので見上げていると、寺僧らしきおじいさんが来たので挨拶した。「早いねぇ、タクシーで来たの?」などと言って親切に境内ガイド用の道具を貸してくれた。日本語、英語、中国語を選択してから写真をペンでタッチすると音声が流れるという優れモノだ。

 この寺は他に重文の鎌倉時代聖観音懸仏や、これまた重文の室町時代に奉納された絵馬があるが、いずれも保存のためふだん近くで見られるようにはなっていない。

 

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 (境内ガイド)

 

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 景色がよい。眼下にタクシーで登って来たらしき道が見える。

 

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 (鐘楼)

 

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 (縁福大風鈴)

 

 縁福大風鈴。パンフレットには「二人で鳴らせば結ばれる」とある。そもそもこの場に来て二人で鳴らすような人たちはもう結ばれていると思う。お守りがたくさんぶら下がっていた。

 

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 私がここに来たの理由は今回の旅の目的のひとつでもある「ムカサリ絵馬」を見たかったから、だった。

 ここは縁結びの寺として有名で平日朝早くなのにもかかわらず、それほど多くはないけれど私の後にも何人も参拝者が来ていた。中には「住職さんいませんか」と訊く人がいて、それはこの寺の住職と会って握手すると良縁に恵まれると言われているかららしい。

 そういう対応に追われているのを目にしていたのもあって、寺の人になかなか声をかけにくかった。幸いにも私は朝一番に来ていて、すでに観音堂で絵馬に興味があるという話をしたときに寺僧さんには本坊にも来るようにと言われていた。

 

 そして本坊にある最近のムカサリ絵馬を見せてもらった。

 

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 (本坊)

 

 ムカサリ絵馬とは江戸時代からの山形県最上地方の風習で、結婚せず亡くなった死者のため架空の結婚相手を死者と共に描き奉納するもの。ムカサリとは婚姻とかお嫁さんをさす方言だ。

 絵師に依頼することも多いけれども、今は寺の方針として、下手くそでも出来るだけ故人の縁者に描いてもらうようにしているという。奉納されたものは千数百点にもなる。すべて保存し、いつでも供養できるようにしてある。「東日本大震災のあとは増えましたか」と訊くと寺僧さんは「何枚かあったが、まだ生活が落ち着いていなくてそれどころではないのだろう」と。

 男女が一対で描いてあるほかは画材も大きさも描き方もいろいろだ。共通するのは、それぞれの絵馬に描かれた人はすでに故人であり、しかも架空の人物と共に表されているということ。彼岸と此岸の境目にあるようなひとつひとつの絵馬に込められた供養の思いに息が詰まりそうだった。私はムカサリ絵馬を見ていて、やましいことをしているような気持ちにもなった。絵馬の中の人々は多くがこちらを見ているが、この絵は全くもって私たちのためのものではなく、故人の冥福のため、また観音様に祈願するため、そして縁者の故人への思いを形にするためにある。私たちがいくらこれを見たところで、また絵の中の人物にいくら見返されたように感じたところで、その視線は存在する意味のないような、宙に浮いたものになってしまうのかもしれない。

 

 タクシーのおじさんが是非開けてみてと言っていたのは、古いムカサリ絵馬があるお堂のことだった。元三大師堂の下がコンクリート製のお堂のようになっているのだ。

 こちらの絵馬は割と古いものが多く、本坊の最近のものと比べるとあまり生々しさが感じられなかった。新しいムカサリ絵馬は結婚式の晴れ着をまとって記念写真を撮ったような、肖像画のような形式が多く、一方で古いものは寺社に参拝する様子を描いているものが多いように感じた。

  

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 (元三大師堂の下のムカサリ絵馬堂)

 

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 算額も。

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  ムカサリ絵馬を見ていると先ほどの寺僧さんがやってきて「ここから山寺まで行く無料の観光バスがあるよ」と教えてくれた。本当は翌日に山寺を参拝しようと考えていたのだが「これもなにかの縁かなぁ、観音様の導きかなぁ」などと思って、そのバスに乗ってみることにした。

 まだすこし時間があったので、古参道の方にも行ってみた。いかにも、な古い道だ。ここに来る途中で見た鳥居はこの参道の入り口だったようだ。

 

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 ・立石寺

 

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 (バス停代わりの幟)

 

  小さな10人乗りくらいのバスは寺僧さんに教えられた通り定刻の10時04分に坂を登ってきた。乗ってすぐおじいさんの運転手には「どうやってここまできたの?タクシー?」と訊かれた。他に老婦人が2人乗っていた。山寺までの道すがら運転手はずっと乗客に向かって喋っていた。私には「ムカサリ絵馬見ました?若い人はどう思うのかなぁ、気持ち悪くなかった?」と言われたので、わざわざ東京から見にきて感動したとも言えず、「そうですね、変わってますね…」と曖昧な返事を返すより仕方がなかった。

 運転手は「ここからだと鳥海山は見えないんだけど、今日は月山は見えるかなぁ」などと話しながら、老婦人相手には「今の日本は年寄りが頑張ったおかげでできた、そうでなければ日本はもっと貧しい国だったはずだ、若者はもっと年寄りを労らなければならない」などと本心なのか、接待トークなのか、そういう話をしていた。私は年寄りは尊重するタチだが、ここで返答を求められても困るので空気のように気配を消していた。

 山裾の道を走って行くとだんだんとさくらんぼ農家が道の両側に増えてきた。運転手はさくらんぼ狩りの話をし始めた「やはりビニールのかかっていないさくらんぼの方がおいしいし、木の上の方になっている方がおいしい」「うまくさくらんぼをもぐには蟹の足のように反対側(?)に引っ張ると簡単に採れる」などなど。

 

 

 

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 (山寺駅

 

 山寺駅前にバスが着いたのは10時半前。下車して案内板を見ていたら先ほどの運転手がすぐ追いかけてきて「時間があって登るなら、最初に一番上の奥の院まで登ってしまって、降りてくるときにゆっくり見たほうがいいよ。登りながら見ると億劫になるから。旦那さん若いから15分くらいで登れると思う」「この先を行った右側に観光案内所があるから、地図貰うといいよ」と親切に教えてくれた。こういう気づかいは本当にうれしい。

 せっかく教えてもらったので、郷に入っては郷に従えで、地図を貰って休みなく一番上まで登ることにした。

  

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 通称を山寺という宝珠山立石寺は、貞観二(862)年に清和天皇の勅願により慈覚大師が開いた天台宗の寺院。松尾芭蕉が元禄二(1689)年、旧暦五月二十七日(新暦七月十三日)にここを訪れ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだのはあまりにも有名だ。

 この涼しげな句から想像するに、芭蕉がここに来た日はそれほど暑くなかったのではないか。私が訪れた日は天気が良く暑かった。セミの鳴き声は聞こえなかった。

 

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 (芭蕉曾良の像)

 

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 (こけし塚)

 
 一息に登ろうと思いつつも、降りてきてまた見るのは面倒そうだと思ったので、境内に入ってすぐにあった宝物館だけ先に見ることにした。

 館内は山の岩穴に納められた石塔婆や、神仏分離令で山寺に移された日枝神社の本尊の三尊(釈迦如来阿弥陀如来薬師如来)、慈覚大師が中国での巡礼の際求めた財宝で作った如意宝珠、お経を一字一字書いた卒塔婆をまとめた笹塔婆(杮経)、天狗や烏天狗のぞうなど、狭い館内ながら天台密教修験道神仏習合のありようが垣間見える宝物がいろいろあった。

 あとは汗をだらだらかきながら、ひたすら登る。写真も撮らず、無心で登る。 

 

 

立石寺境内のいろいろ 

 

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 (奥の院の様子)

 

  その後は休みなく一気に奥の院まで登った。11時を過ぎていた。海外の様々な国から来たらしい観光客がいっぱいいて騒がしかった。これでは岩に蝉の声はしみ入りそうもない。私も観光客に違いないので修行者などに比べればここに来るべきではないのかもしれない。だがそれなりに神聖な場所を尊重し、またそれを楽しみたいとも思うので、この喧騒は最悪だった。やはり朝早く来るべきだったか。

 

 加えて、今流行りの御朱印について思うことがあった。

 奥の院御朱印を貰う人の様子を見ていると、寺僧との間でこういうやりとりをしている。まず僧が「お経は?ないの?」と訊く。御朱印帳の持ち主は当然「え、ないです」という。本来、御朱印はお経を寺院に納めた証としてもらうものだと言われている。現在は一種のブームでもあり、それを忠実にやる人はおそらくほとんどいない。私もしたことはない。すると僧は「そんなお経を納めることもしないで御朱印だけもらうのは本当はできないんだ」「御朱印をもらうなら仏の教えを広めなければ」と言い「仕方ないから御朱印書くけど、家に帰ったら一字ずつでいいからお経を書きなさい、どうせ言ったって全部は書かないでしょ」と言って書いて御朱印帳を返していた。そのようなやり取り何人かを相手にずっとやっていた。

 私は御朱印帳は一応持っていたけれど、これに違和感を感じたので貰うのをやめた。

 まず、御朱印の本来の意味から言えば、確かにお経を納めない人は貰うべきではない。私もお経をもっていない。それが貰わなかった第一の理由だ。しかし、多くの寺社ではお経なしでも参拝の証として御朱印を貰える。そのことの是非は各寺社が判断すればよいと私は思う。それが立石寺の場合では寺僧は小言を言いながらも御朱印を書いていた。そこでは確かに参拝者が経を書くことが約束されていた。だけれども、本来のあり方を説教しながらも結局書いてしまう御朱印とはいったいなんなのだろう。もったいぶってありがたく見せているだけの偽物ではないのか。書くなら書く、書かないなら書かない。そういう態度でいるべきではないのか。こういう違和感を覚えたのが貰わなかった第二の理由である。

 

 山寺の奥の院にもムカサリ絵馬があると聞いたていたがとても見られる雰囲気ではなかった。

 

 モヤモヤした気持ちを切り替え、山を下りながら堂宇を見て時にはお賽銭をあげて拝みながら歩いた。ここからバシバシ写真を撮っていったので、登った順とは逆回しで記録することになった。

 

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 (こちらを見ているお地蔵さん)

 

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 まるで斜面に寺院がひとつの町を形作っているようだ。

 

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 (五大堂とそこからの眺め。絶景)

 

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 (開山堂と納経堂)

 

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 (仁王門)

 

 獅子が口に牡丹?の花を咥えている。

 

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 あちこちに小石が積んであった。

 

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 ここを弥陀洞といい、一丈六尺(約4.8メートル)の阿弥陀如来の姿を見ることができるものには幸福が訪れるとか訪れないとか。

 

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 いっぱい並べてあるこれは「後生車」といい、若くして亡くなった人の供養のためのもの。山寺の至る所にある。南無阿弥陀仏と唱えながら回すと仏がはやく人間に生まれて来られるのだとか。

 

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 せみ塚。芭蕉の句をしたためた短冊を埋めて上に塚をたてたもの。

 

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 左にある石は慈覚大師が雨宿りしたといわれる。

 

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 (姥堂

 

 姥堂、奪衣婆を祀る。ここから下は地獄で上は極楽。地獄への坂を下っていくわけか・・・。

 

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 山門までやっと下ってきた。あとは麓でまだ見ていないところを。

 

 

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 羅漢さん。立石寺本坊の脇に立っていた。手から水が垂れ流されていた。背後にはレリーフもあった。

 

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 (根本中堂前にあった)

 

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 (根本中堂)

  

 根本中堂は重文。ひっきりなしに御朱印を求める人が来ていた。参拝だけして内陣までは見なかった。

  

 

 
 見終えたころには13時前になっていた。あまりおなかがすいていなかったので目についたお店で「山寺」の焼き印が捺された手のひらくらいの大きさの素朴な饅頭を買って食べながら電車を待った。

  

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 駅に小さな展望台があった。山寺を振り返ってみた。

 

 

 

 電車で一時間ほど移動。次は村山駅へ向かう。

 

 

 

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 (はたしてこの大わらじは?に続く)