(鞍馬寺参道)
目次
1.京都駅から鞍馬へ
2.鞍馬寺本殿までの道のり
3.奥の院へ
1.京都駅から鞍馬へ
2018.1.31.
到着を知らせる放送でハッと目が覚めた。深夜バスにしてはよく眠れた方だろう。軽い頭痛もとれていた。途中の休憩箇所では駐車場が混んでいて停まれず、予定より30分以上はやく着いている。まだ6時前である。
ちょうど二年前の1月以来、久しぶりの京都である。
鞍馬寺へ行こうと思ったのは、「鞍馬天狗」のイメージが強い場所だけれど修験道などの信仰の実際はどうなっているのか、また、牛若丸が天狗に武道を習った伝説もあるがその痕跡があるのかどうか、そのあたりが気になっていたからである。
(京都駅の掲示板。これを見ると京都に来た実感が湧く)
朝食を確保しようと京都駅のなかに入ってみる。といってもまだほとんどの店は開いていない。唯一開いていたマクドナルドの店内をちらと見ると大小のキャリーバックがたくさん目についた。私のように朝早く高速バスから放り出されたような人ばかりで満員だった。
だらだらしていて通勤ラッシュに巻き込まれるのも嫌なのでさっそくバスで移動。駅前から「叡電元田中」まで。車内でバスの一日乗車券を買う。500円で一日中、市バスと京都バスが乗り放題になる。まだあたりは暗い。
叡山電車に乗り換え。夜が明けて徐々に明るくなってくるとともに、これから一日が始まると思うとわくわくしてきた。
車内は暖房が効いていないのか寒い。ぽつぽつ人が乗っては降りていた。あまり考えないで乗っていたが、これが叡山電車だということはあの有名な比叡山までいくということだ。いつか行ってみたいものだ。
窓の外がだんだん郊外らしい街並みになってきた。あまり京都らしくない、ごく普通のアパートや住宅街、霜の降りた畑。
市原駅には後藤顕乗という戦国時代の金工師の墓石があった。京都精華大の横も通った。随分と郊外にあるように感じられたがまだ京都市内である。
段々と木が増えて来た。いつの間にか電車は山の中へ。7時30分には鞍馬駅に到着。京都の中心部から一時間半ほど、直線距離にして十数キロだろうか。
レトロな駅舎には月岡芳年が描いた義経の浮世絵が展示してあった。
電車から何人か降りたが、みな観光客ではなさそう。
あたりには誰もいない。車も走っていない。土産物屋も空いていない。コンビニもない。残念ながら朝食にはありつけそうもない。
( 駅前には巨大天狗面があった)
2.鞍馬寺本殿までの道のり
鞍馬寺は、そもそも鑑真の高弟・鑑禎(がんちょう)が宝亀元(770)年正月四日虎の夜にみた夢のお告げによって草庵を結び毘沙門天をお祀りしたことに始まる。古神道や修験道の要素も受け入れながら、戦後は天台宗から離れ、独自の「鞍馬弘教」の総本山となっている。本尊は、この世に存在するすべてを生み出す宇宙エネルギーである尊天で、月輪の精霊ー愛=千手観音菩薩、太陽の精霊ー光=毘沙門天王、大地の霊王ー力=護法魔王尊(いわゆる天狗)、の三身を総称した呼び名でもある。
紋は天狗の団扇っぽいが、鞍馬寺は横から見た菊だとしている。天台宗の紋も菊だし、横見菊という種類の紋をみるとやはり似ている。
坂の上の仁王門の両脇には「阿吽の虎」がいる。鞍馬山は狛犬ではなく虎なのである。毘沙門天のお使いが虎だからだ。珍しい。
(阿吽のうち吽の虎)
門は開いていた。この山自体が「尊天のご身体」であり聖地だ。入山料を300円を納めると聞いていたのに窓口に誰もおらず、仕方がないので近くのお賽銭箱に入れた。静かな境内はどこかからか水が流れる音や鳥の鳴き声が聞こえて、すがすがしい気持ちになる。
目の前の坂を登ると右手にケーブルカーの駅があったが、まだ運行していない。歩いていくしかなさそうだ。枕草子に「近うて遠きもの、くらまのつづらおりといふ道」とある「九十九折参道」は約1キロ。今は舗装されているので昔ほどは登りづらくないだろう。だが堂宇を見ながら曲がりくねった山道を行くので、距離の割にはなかなか着かなかったのは本当だった。
いくつかの社を見て急な坂を登って行く。ところどころに氷が張っていて、何度か滑りそうになった。山道の険しさより、寒さや雪、氷の方がだいぶ強敵である。小川も滝も凍ってしまいそうだった。
(由岐神社拝殿)
左手に風雨にさらされた骨のように白い建物が現れた。由岐神社の拝殿だ。豊臣秀頼の寄進による桃山時代の建築で重要文化財である。斜面に建っているので、清水寺のように木を組んで高さを出して床を載せている。しかも変わっているのはその木組みの中心に階段があり、そこを登っていけるところだ。割拝殿という。優美でありながら力強い。鞍馬山は何度か大火に見舞われているので、それを潜り抜けていまここにこれがあるというのは奇跡的なことだ。御神木の杉の横を通り、石段を上ると本殿があった。
(義経供養塔)
途中、一見鞍馬寺には似つかわしくない抽象彫刻のモニュメントがある。澤村洋二というデザイナーによる御影石とステンレスでできたその名も「いのち 愛と光と力」という。鞍馬山の本尊を具象化し平和を祈念するものとのことだ。毘沙門天などのヒト型の姿ではなく、抽象的な形で表現しているのが面白い。既存の宗教と一線を画そうとする狙いもあるのだろうか。
(モニュメント)
足元に気をつけながらずんずん登って行く。本殿につくまで数人の参拝者しか見かけなかった。お寺の職員らしき方もほとんど見かけなかった。早朝の静かに緊張した空気のなかを歩けたのは贅沢だ。
8時半過ぎには本殿に着いた。一息つこうと休憩所に入ると、滑り止めのため足に巻く縄が置いてあった。たしかに巻くと滑りにくい。ロールプレイングゲームでアイテムをゲットするみたいだ。
(なわ)
(こんな張り紙も)
本殿前庭からはあたりの山々峰々が望め、比叡山も見えた。図形が描かれた石畳は金剛床といい、巷ではここがパワースポットだとか言われているらしい。まず、ご本尊を拝む。本殿金堂では9時からお守りなどの授与が始まった。正月(一月)限定の阿吽の虎置物と、毘沙門天のお札、鞍馬山案内の冊子のほか、般若心経を一文字だけ写経するというのもやってみた。合わせて3000円くらい。
(本殿金堂)
(本殿脇の虎)
(本殿前庭)
(本殿近くの建物にあった絵馬)
3.奥の院へ
鞍馬山の森の奥へ進む。義経堂のある僧正ガ谷を経て、奥の院魔王殿に至る。さらに坂は急に道は険しくなっていく。ここからは木の杖を借りて登った。石段の上に雪が半分溶けて氷になった状態で積もっているので大変滑りやすい。手摺が頼りである。
こんな山奥に与謝野晶子の書斎(冬柏亭)があった。弟子が移築したらしい。近くには句碑もあった。霊宝殿(鞍馬山博物館)は冬期休館だった。
標高570メートルの鞍馬山は歴史的風土保存地区、鳥獣保護区に指定されているが、鞍馬寺も山全体を「鞍馬山自然科学博物苑」として保全に努めているようだ。霊宝殿でも様々な宝物の他に動植物の標本や写真の展示にスペースを割くほど自然が豊かなのだ。
ここまでくる間、ところどころに道しるべのように誰かがつくった小さな雪だるまが置かれていた。一人黙々と足元に集中して、心細くなりながら森の中を歩いていく時に目にしてこれほど心が和むものはない。昨日もその前も、何らかの思いをもってここを訪れた人がいることの証だからだ。
(冬柏亭)
(霊宝殿は休館)
とうとう「義経の背比べ石」を過ぎたところの坂で転んで思いっきり尻餅をついてしまった。カメラが心配だったが無事だった。あちこちで直径数十センチの大木が何本も切り倒されていた。倒木が道を塞がないように予め倒したりしているのだろうか。あるいは天狗の仕業か。
僧正ガ谷には最澄が刻んだとされる不動像を祀る不動堂と、義経堂がある。義経の御魂は平泉から鞍馬山に戻ってきたと言われ、遮那王尊として祀られている。
お堂の近くでは直径1メートルは楽にあろうかという巨木が根こそぎ倒れているのを見た。この先は杉の木の間を縫うような特に細い道だった。しかし道なき道といった感じではなく、雪が靴底で削られ踏み固められているのが見て取れる。毎日参拝者が後を絶たないのだ。ただ、そうした雪は氷のようにつるつるして、歩きにくいことこの上ないので大変困った。
魔王殿までなんとかたどり着いた。ここは護法魔王尊が650万年前に金星から舞い降りたとされ、古来より崇拝されてきた場所だ。本殿から1キロも離れていないのだが40分以上かかった。このあたりで義経は天狗に武道を習ったのかもしれない。
貴船方面へ抜けることもできるが引き返し、大杉権現社を拝んだ。杉の木がすらっと立つ中にあるお堂は特に装飾も何もなくとも神々しさを感じさせるに十分だった。
(魔王殿)
(大杉権現社)
帰りは勢いに任せて山を下った。これから本殿や奥の院へ向かおうとする人と随分すれ違った。
さすがに足腰が疲れたのでケーブルカーに乗って下山。200円を料金として支払うのではなく、あくまで寄進して、そのお礼としてケーブルカーが利用できるようになっている。ちゃんと券売機(御寄進票機?)もある。
(御寄進票)
(ケーブルカーはその名も「牛若號Ⅳ」という)
鞍馬駅でちょっとお土産屋を冷やかしてから、11時過ぎには叡山電車で元来た路線を引き返した。
(②に続く)