こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

「奈良美智 for better or worse 」2017年7月15日~9月24日 豊田市美術館(愛知県豊田市)

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 「奈良美智 for better or worse 」を見た。2017年7月15日から9月24日まで。愛知県へも豊田市美術館へも初めて行った。

 

(公式サイト:http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/narayoshitomo.html

 

(参考、会場写真が載っている記事:奈良美智の“30年の歩みをたどる展覧会”に行ってみませんか? | カーサ ブルータス Casa BRUTUS豊田市美術館で個展を開催! 奈良美智が語る谷口建築の魅力。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS奈良美智が国内5年ぶりの個展『for better or worse』に込めた想いとは!? : ソーシャルアートメディアARTLOGUE

 

目次

豊田市美術館への道のり

②展覧会の内容詳細

③その他

奈良美智展の感想

 

 

 

豊田市美術館への道のり

 豊田市美術館へは名古屋から地下鉄や電車で1時間くらい。名古屋が初めての私にとって、市内の交通網は電車が何種類もあってわかりにくい(東京に比べれば随分マシだが)。毎度のごとくグーグルの地図アプリに頼って行くことに。地下鉄東山線伏見駅で乗り換えて、地下鉄鶴舞線豊田市駅へ。途中、地下鉄が地上に出る。車窓は単調な地方都市といった感じ。朝8時頃の車内は通勤通学の乗客で多少混んでいた。豊田市駅からは15分くらい歩く。美術館に行くまでの間は何ヶ所か看板があるからこの辺りに不案内でも安心だ。

 

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豊田市駅の方から向かうと美術館前の坂にこの看板がある)

 
 私は途中郵便局に寄ったりしたので、美術館の裏手?に出てしまった。復元された城があり、遠くからでも目につく。木々の間を抜けると美術館が現れる。館の建築は谷口吉生による。芝生が敷かれ彫刻作品が設置されている。

 

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 朝9時20分頃に着いた。すでにちらほら人が来て居た。当日券売り場への列は開館までに人が増えて20人くらいにはなっていただろうか。さすが人気がある。事前に券を買った人は別の列に並んでいた。開館前に4、50人は待っていただろう。この日はまあまあの混雑ぶりだったが作品を見るのに不自由するほどではなかった。平日でこれであるから会期終了間近の混雑を想うと恐ろしい。ましてや東京の美術館でやるなどということになれば・・・考えたくもない。

 

②展覧会の内容詳細

 
 全体は、おおむね年代順に作品を並べてあるがところどころで入れ替えてもあった。壁の中での作品の設置位置や作品数もいろいろで、それぞれの部屋の雰囲気や構成にこだわったことが感じられる。数はあまり多くなく、画業の全貌を知るには足りないかもしれないけれど、まさにハイライト的な展示で、粒ぞろい。重要な作品が多く含まれていることは間違いない。

 客層は他の美術展よりは若く、やや女性が多い印象を受けた。

 

  当日券を買い、展示室前で荷物を預け、中へ。展示は一階から始まる。

 
 はじめの部屋に入るとまず右の壁にズラーッと奈良さんの私物のレコードが並び、左の壁には棚や台があって、奈良さんが影響を受けたという本やいかにも奈良さん好みの置物などが並んでいた。曲もかかっている。レコードジャケットは当然ながら歌手の写真や似顔絵がシンプルにあしらわれているものが多く、少女?だけをシンプルにキャンバスに描くことが多い奈良さんの絵のスタイルとも近いと思った。部屋の最後にはごく初期の作品があり、次への橋渡しになっている。

 次の二部屋は奈良さんの代名詞といってもいいあの独特な少女?像の成り立ちを見せるようになっている。個人的には「Sleepless Night(Sitting)」が印象深い。部屋の中央に置かれた真四角の椅子には奈良さんの絵が織られた絨毯が敷いてある。この絨毯はアフガニスタンの職人が作った一点物で奈良さんの私物らしい。

 次は紙のドローイングがたくさん飾られた部屋。仮設の壁は木がむき出しになってるところもあって、手書きで各作品近くの壁にタイトルや制昨年が描かれている。ドローイングと言ってもいろいろでラフなタッチのものもあればタブローにも引けを取らないような「Daydreamer」などの大作もある。

 その次の部屋は三方の壁に絵があり、残り一方に立体の像があった。特にこの部屋の「TwinsⅠ」「TwinsⅡ」は2点が並んでやや高めの位置に展示してあり印象深かった。立体作品「ハートに火をつけて」のタイトルはDoorsの曲名からとっているのかも。Come on baby, light my fire~♪ と曲を思い浮かべながら次の部屋へ進む。

 

www.youtube.com

 

 

 

 会場は二階へ続く。二階の初めの薄暗い部屋は群青色っぽく塗られた壁に絵や立体がある。部屋の中央には奈良美智grafによる「Voyage of the Moon(Resting Moon) / Voyage of the Moon」がある。これは巨大な少女?の頭が屋根に載っている小屋で、中にも入れる。私が行ったときはまだ列に数分並べば入れたが、展示を見終えて帰るころ(12時くらい)には整理券を貰う行列ができていた。内部を見たい人は朝早くのほうがスムーズに見られるだろう。壁の高い位置に皿型の作品「Lonly Moon/ Voyage of the Moon」があって部屋の雰囲気とよく合っていた。またこの部屋にあった近作「HOME」や「FROM THE BOMB SHELTER」はシンプルな線描が目立つ作品で、ぼかしがなく他と感じが違ったので気になった。

 

 また階段を昇って三階へ。右の部屋には水が流れる立体作品「Fountain of life」がある。通路の先には明るめの部屋が二室あり、三方の壁に一点ずつゆったりと絵画が並ぶ部屋と壁に立体作品と平面とが一点ずつの一室があって、最後のコーナーへ。

 最後は三つ部屋が連なったような会場になっており、まず正面にある「夜まで待てない」の不敵な笑みにどきっとする。この部屋は絵の具を重ねて微妙なぼかしのニュアンスを多用したタイプの近作が多い。「夜まで〜」のある壁の裏は暗い部屋になっており、近作「Midnight Truth」がライトに照らされた中に浮かび上がっている。

 

 

 

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(館内の様子。壁にあるのはコスースの作品)

 

③その他

 

 常設展は一室のみ二階にあり、ボイスやクリムト中西夏之のコンパクトオブジェなどをまさにコンパクトにおまけ的に展示している。

 物販コーナーは一階。ポストカードやTシャツ、缶バッチ、クラフトテープ、マグカップの他、展覧会チラシと同じ写真が表紙に使われた冊子ドローイングパッドがあった。展覧会カタログと間違えて買う人が居そう。カタログ(2500円)はまだ完成しておらず、予約を受け付けている。10月中旬以降発送予定と聞いた。

 また、高橋節郎館は、展覧会を機に漆芸家である高橋節郎の作品が寄贈されできた施設。これも奈良展の入場料で入館できる。特に「古墳」は遺跡から発掘されたしわしわの漆の欠片を思わせる作品で、人類の文化に思いを馳せることができる。

 

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 (二階の高橋節郎館への道。あたりにはダニエル・ビュレンの作品が設置されている)

 

奈良美智展の感想

 

 今展は奈良さんが愛知県立芸大の大学院を修了した1987年から今年までの30年の歩みを振り返るものだ。奈良さん曰く「遅すぎる卒業制作」であり、作品の同窓会といった趣も感じられる。

 私は奈良さんの作品は東京国立近代美術館で一点、横浜美術館で一点、高橋コレクションで数点のほか、原美術館の奈良さんルーム以外では実物を見たことがなかった。もちろん展覧会チラシや本でいくつも作品は見かけていた。奈良さんは現代美術家としてあまりにも有名で、教科書にも載っているし海外でも相当な人気だと話には聞いていた。しかしその人気の理由となるとあまり聞こえてこなかった。印刷物や数点の絵からも人気の理由は分からなかった。

 

 今回の展示で私は初めて奈良さんの作品を知ったといってもいいくらいで、しかも今までにほとんど経験したことがないほど感動している。本当は世界的に評価されている人のことを書くのは評価に追随するみたいで嫌なんだが、感動しちまったんだから仕方ない。しかしその内実はなかなか言語化しにくい。自分なりに感想を書こうと思うのだが、かつて誰かが書いたようなことしか書けないだろうし、上っ面の言葉を並べるだけになるだろう。それはもちろん奈良さんの作品が上っ面だけの作品なのではなく、見る側の私の問題だ。だが恥を忍んで書いてみる。

 

 奈良さんの作品は多くがこちらを向いた少女?の絵である。この特徴的なモチーフを言葉で描写することはできても、これが何なのかとずばり一言でいうことは難しい。 彼らが少女とされるのは、多くの民族で子供は神に近い存在とされてきたこと、子を産むことのできる女性は特別な力を持つとされてきたことから、一応の説明はできるが、それで説明しきったようには思えない。

 下膨れの顔につり目、鼻は穴だけが描かれ、大抵結ばれている口に唇はない。少女というより生まれて間もない赤ん坊のようにも見える。時にこの少女?たちはかわいらしい羊の着ぐるみなどを着ることもあるが、顔もまた様々な動物に似ている。あるものは猫のようであり、あるものはトカゲのようであり、蛙のようであり、魚のようでもある。だとすれば、つまりこれは人間が人間に至るまでの進化を背負った多義的な顔なのではないだろうか。例えば子供の顔を正面から捉えて描くという点が共通している中澤英明と比べると、中澤さんの方が各作品で明確に子供の個性を描き分けようとしているように見え、逆に奈良さんの作品群の顔が含む幅広いニュアンスが分かるだろう。

 また「Hula Hula Dancing」などで顕著だが、少女の手足が棒のように描かれるのは、単なるデフォルメというより、未発育の状態やいわゆる奇形を表したものと捉えたほうがいいかもしれない。奈良さんの絵にはそういう生々しさもある。

 

 今回の展示を見ただけの感想だが、近年の作品では特に薄塗の絵の具の重なりのせいか一層少女の存在感が増してきているように感じる。少女たちは一見かわいらしく、ある画家を示すアイコンというかキャラのように捉えられがちだが、本当はそんな生易しいものではなく、もっと普遍的な、人間の歴史を飛び越えたようなところと繋がる何かおぞましい存在を描いたものだろう。今回は個人蔵の作品も多く出品されているが、私には奈良さんの絵を居間に掛けて毎日眺めようとはとても思えない。あまり絵に対峙しすぎると具合が悪くなりそうだからだ。そのくらい私にとって生理的に訴えかけるものがあった。奈良さんの絵を見ていると、だんだん内蔵からこみあげてくる何か、それは例えば少女から私に向けられた視線がそのまま体を通って臓腑を鷲掴みにして揺さぶられるような様を、幻視してしまうのだ。

 

 奈良さんがその人気とは裏腹になぜか人気の理由をあまり聞かない(それが語られても説得力をもたないのかもしれない)のは、描かれているものが普遍的で誰にでも何か感じさせるところのあるモチーフであるからこそ、どこかで畏怖の念すら抱かせるようなものに近づいていることが理由だろう。

 神を名指すことができないように、それは語れば語るほど実物から離れるような、遍く存在するような何かであり、かつての私であって未来の誰かのような、どこにでもいるようなどこにも絶対に存在しないような、確かにそこにいるようでありながらはかなく消えそうな、そういう何かだからだろう。

 

 

 

 この日は非常に良い天気で暑かった。帰りは来た側とは逆から美術館を出て、汗だくになって坂を下った。豊田市駅へ戻る途中は見てきたばかりの絵をまた頭の中で反芻していた。ふと、いつまでも続きそうなこの夏もそろそろ終わりか、と思った時に、何か作品が腑に落ちたように感じられた。

 

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 (終)