こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

私と郷土玩具

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(左:京都、伏見人形の窯元「丹嘉」「三竦み」 右:東京「今戸焼 白井」の三竦み)

 

 

 

・郷土玩具?

 
 全国各地に郷土玩具と呼ばれるものがある。例えば年賀はがきや切手にあしらわれている干支の置物がそれである。各地のこけしやだるまの類を含めてもいいだろう。

 

 はっきりした定義があるのかは知らないが、郷土に根ざした独自性を持つことと、何らかの伝統を守ってきていることが条件とされる場合が多いようである。とはいえ、伝統的な玩具に現代的な工夫を加えたり、新作を作る例もままあるので一概には言えないようだ。

 近年は御朱印ブームも相まって招き猫など縁起物や寺社の変わった授与品も人気を集めている。そのテのものを集めた本を見かける機会も増えた。

 

 私は御朱印に関してはブームになる以前から集めていた(ちなみに今はやめた)のだが、郷土玩具についてはブームになった頃から集めるようになったことを告白しておこう。ただ、私はブームに乗ったというよりは北海道でのリサーチを進める上でまず木彫り熊やニポポに注目して、日本各地の文化的所産に興味を広げていく上で郷土玩具を集めるようになった。コレクションというより作品のモチーフのために集めている側面が強いのだが…いや、言い訳はもうこの辺にしておこう。理由はどうであれ、私も郷土玩具が魅力的だから集めているという点ではブームに乗った人と変わりはないのだ。認めたくないけれども、どういう郷土玩具があるか知る上ではブームの恩恵を少なからず受けている。

  

 

 

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(東西の狐対決)

 
 私は単に郷土玩具を片っ端から集めるようなことは絶対したくない。一応、こだわりがあるのだ。ここからは、郷土玩具を集める上で自然にできた自分なりのルールを書いていくことにする。

  

 

 

・マイルール


 私が勝手に決めているルールは、3つ。

 

①「現地で買う」

②「現代の作家から買う」

③「授与品とそれ以外を分ける」

 

である。

  

 

 
 まず①「現地で買う」について。

 郷土玩具は当然ながらそれぞれの地方によって違った特徴を持つ。であれば、その産地の風土を反映することも多いはずだ。その土地へ赴き何かを感じた上で買うことで、郷土玩具への自分なりの理解を深めることができるはずだ。また、旅の思い出と共に郷土玩具を自宅に持って帰ることも楽しみのひとつであるといえよう。 他に現地へ行って買う利点として、安いことがある。東京のお洒落な喫茶店や雑貨店でも郷土玩具を扱う例がここ数年で随分と増えたようだが、やはりそこは商売なので現地で買うより何割か高い場合が多い。これは仕方がない。

 また、現地だと在庫も多い。そこで作っているのだから当然だ。郷土玩具の良い点は、手作りでひとつひとつ表情が違うこと。自分の好みの顔を選ぶのに、在庫が多いに越したことはない。

 

 また、②「現代の作家から買う」については、言い換えれば骨董品屋や古道具屋では集めない、ということ。わざわざ古道具屋で探して集め出すとキリがないということと、現代の作家を微力ながら応援したいという気持ちからである。

  

 ①、②を合わせると、現地に行って直接買う、ということになるのだが、小売していると聞いて訪ねていったら所が住宅や工房を兼ねている場合も多い。そこで作業の様子を見せてもらえたりするのは、嬉しいひとときだ。仕上げられていく様子を目にすると職人への尊敬とともに郷土玩具に愛着も湧く。それどころか、お家に上げてもらって茶菓子や飲み物をご馳走になりながら世間話をする、なんてこともあった。これはもちろん稀である。

  

 

 
 中川清七商店の店頭にミニチュアの郷土玩具のガチャポンがしばしば置いてある。これは郷土玩具ブームのひとつの要因かもしれない。私にはこれを集める人の気が知れない。あれを買うくらいなら本物を買えば良いと思ってしまう。言ってしまえば単なる安っぽい偽物ではないか。ガチャポンの玩具はしばしばミニチュアとしての面白さが魅力であると私は思っている。郷土玩具は大抵は高さ10センチに満たないので、大きさもガチャポンの玩具とさほど違わない。そこにミニチュアの魅力があるのかどうか、と思うのだが…愚痴はこの辺にしておこう。

 閑話休題

  

 

 

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(木鷽。左:亀戸天神 右:町田天満宮

  

 ③の「授与品とそれ以外を分ける」について。

 郷土玩具とされるものの中には、工房で作られ小売店で売られるものもあるし、寺社で授与されるものもしばしばある。例えば全国の天神社で授与される木鷽がそうだ。

 授与品は神主さんや巫女さんが作っていたり、そうでなくても何らかの祈願がされているだろう。いわばお守りと同様の品であり神様仏様の分身として扱わなければならない筈だ。それを市井の玩具と一緒くたにするのは神仏への礼儀に反する、ということは言っておきたい。私はこの違いをはっきり区別した郷土玩具の本やウェブサイトをあまり見たことがない。

 授与品を集めること自体もそんなに褒められたことではないと思うのだが、集めることが行き過ぎてお参りをせず授与所に一目散に行くようなことは避けたいし、まして処分するような時になればお焚き上げなどそれなりの扱いをするのが最低限のマナーだろう。

   

  

  

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(東西の狐対決その2)

 

 

 

・まとめ

 

 近年は郷土玩具についての博物館での展示もあるとたまに聞く。それは博物学的価値が認められたというよりは、以前のブームに乗って集めたコレクターが亡くなって、寄贈される事例が全国である、ということらしい。

 北海道大学博物館に展示されているアイヌをモチーフにした北海道土産のコレクションのように、ある時期の文化を考察する上で有用な事例もある。

  

 個人的には、どうせ集めるのだったらかわいいとか面白いとかいうだけではなくて(もちろんそれはそれでコレクションの理由としては十分わかるのだが)、なにか系統に沿ったものにしたいと思う。それがコレクション形成の醍醐味でもあるだろう。

 面白くてかわいい郷土玩具は、その種々の背景なしには存在しない。郷土玩具を生んだ各地の文化への敬意を払いながら、行き過ぎた振る舞いをせずに集めたい。そして縁あって手に入れることができたものは末永く大切にしたいものだ。

 

 

 

(終)