こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

「長万部写真道場 再考」① 長万部についてと撮影地見学ツアー

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長万部駅前。「毛ガニ」「東京理科大」の文字と新幹線の模型。)

  

 

 1、長万部について

 

 

 長万部町へ初めて行った。

 内浦湾に面した渡島北部、伊達市の対岸に位置するこの町は、名物の「かにめし」や温泉を目当てに訪れる人も多い。札幌からだと車で約3時間。シャクシャインの戦い(1669・寛文9年)では決戦場となり、幕末には南部藩の陣屋がおかれた。江戸時代から交通の要所でもあり、長万部駅函館本線室蘭本線、瀬棚線の接続地点として重要な役割を担った。

 (参考:長万部町役場 - 長万部の歩み長万部町 - Wikipedia

 

 町内の長万部町学習文化センターでは「長万部写真道場 再考 -北海道における写真記録のこれからー」と題し、長万部で活躍したアマチュア写真家のグループ「長万部写真道場」の活動を回顧する写真展が2月11日から開催されていた。主催は、「長万部写真道場研究所」。

 

(主催・長万部写真道場研究所のサイト:写真展・フォーラム開催のお知らせ | 長万部写真道場研究所

 

 また2月24日には関連イベントとして「『長万部写真道場』撮影地見学ツアー」が、最終日の25日にはシンポジウムが行われた。これらに参加してきた。

 撮影地見学ツアーの様子から書いていきたい。

 

  

 2、撮影地見学ツアーの様子

 

2018.2.24.

 

 ツアーは午後3時に写真展の会場である長万部町学習文化センターからスタート。参加者は20~30名くらいか。晴れていたがけっこう寒い。

 まず、町の様々な公共施設が並ぶ通称「センター通り」を歩く。

 

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 平和祈念館前へ。ここは町の開業医である工藤豊吉氏のコレクションが寄贈されて出来た施設だ。近くにある植木蒼悦記念館も同コレクションがもとになっている。今回はじっくり見る時間がなかったが、前庭には本郷新の代表作がいくつも並んでおり、また館内には丸木位里・俊 によってこの館のために描かれた「原爆の図」があるらしい。工藤は初期の八雲の木彫りグマなども買っていた道南地方におけるパトロンで、サナトリウムも経営しておりその中では短歌会など文化活動も盛んであったという。

 写真展との関係でいえば、長万部写真道場の主宰者のひとり澤博氏(1924~2012)の母は真狩村から工藤との縁で長万部に来たらしい。

 

(平和祈念館について:長万部町役場 - 施設の概要長万部町役場 - 展示作品等 

(植木蒼悦記念館について:長万部町役場 - 施設の概要、参考:はこだて人物誌 植木蒼悦

 

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 次に、通りの突き当りにある飯生神社(いいなりじんじゃ)へ。 大きな鳥居が目立つ。1773(安永2)年の創建。

 社殿は小山のうえにあり、周囲には「史跡 ヲシャマンベ陣屋跡」と「チャシ跡」がある。ヲシャマンベ陣屋は盛岡藩南部藩)が蝦夷地を警備するための幕末の施設。チャシ跡はもちろんアイヌ文化の遺跡である。

 陣屋について歴史的経緯を少し振り返ってみたい。1855(安政2)年に江戸幕府は、蝦夷地の再幕領化を行った。松前周辺を除いて箱館奉行の管轄に入り、東北諸藩が警備のため出兵を命じられた。その際、盛岡藩噴火湾沿岸の警備を命ぜられ、函館山の麓に本部である元陣屋を設置し、室蘭に出張陣屋、砂原と長万部に分屯所を置いた。また室蘭から八雲までを領地としても与えられた(八雲の山越内にあった関所が、蝦夷地と和人地の境である)。

 1856(安政3)年に設置されたヲシャマンベ陣屋は、沿岸が砂漠遠浅であり外国船が容易に近づけないとのことからすぐ翌年には廃止されたが、1868(慶応4)年に戊辰戦争の混乱の中で藩兵が引き上げるまで盛岡藩による蝦夷地警備、経営は続いた。

(参考:http://archives.c.fun.ac.jp/fronts/detail/id/4f0ab7a0ea8e8a08d20000e3

 

 ガイドを聴く人、坂を駆け上がって社殿に詣でる人もいた。ここで少し地理の説明があった。長万部は川が作った平地で、北西の風がナギになるそうだ。

 
 鳥居をくぐり、道路を渡って線路沿いに温泉宿が密集する通りへ向かう。「長万部温泉ホテル」前には大きな石でできた温泉記念碑があった。
 昭和29年、ガスの試掘をしたところ温泉が出た。翌年には四、五件の温泉宿ができていた。違法の混浴温泉(!)だったところを町営温泉として整備、民間に払い下げて今日の「長万部温泉ホテル」になったという。

 

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 JR室蘭本線の上にかかる跨線橋は老朽化が著しい。風が吹くと寒かった。以前この辺りにはJRの官舎など関連施設もあった。

 

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 商店街を通り、JR長万部駅の方へ向かう。駅前の角地は今は空き地になっているが、ここに「長万部食堂」があった。鰊御殿から持って来た瓦屋根の建物だったという。この食堂を経営していたのが澤博氏で、隣接する建物に今回展示された写真が保存されていた。

 

 ツアーの最後はすぐ近くの建物で、澤博氏の娘である 薫さんからお話を伺いながらコーヒーをいただいて解散となった。

 思っていたより参加者が多く、町民はじめ様々な人が写真展に関心を寄せていることが伺えた。人が多かったこともありガイドをすべてきちんと聴けなかったのが残念だが、長万部について少し知れて親しみが持てた。

 長万部に一泊。今回の展示とシンポジウムにあわせて写真家の方が東京などあちこちから来ていたようで、お話して刺激になった。

 

 

 

 次に、写真展の様子を紹介。

 へ続く。