珠洲日記 あるいは奥能登国際芸術祭での見聞 ① 

 

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 目次 

 1.芸術祭概要

 2.珠洲までの道のり

 3.宿にて

 

 1.芸術祭概要

 

 「奥能登国際芸術祭2017 Oku-Noto Triennale2017 」に行ってきた。能登半島の先端に位置する石川県珠洲市で、今年初めて開催される。 Triennaleだから次回以降三年に一度の開催を見越しているのだろう。総合ディレクターは北川フラムである。他の芸術祭とはもちろん、すでに北川フラムが手掛けた越後妻有や瀬戸内の芸術祭との違いも気になるところだ。会期は2017年9月3日~10月22日。11の国と地域から39組が参加する。

 

 (芸術祭公式ページ:奥能登国際芸術祭2017

 

 

 芸術祭チラシなどには副題?として「最涯(さいはて)の芸術祭、美術の最先端」とあり、「古くから海と陸の交流が盛んに行われ、特異な文化が育まれた珠洲は、地理的に孤立していることから、日本文化の源流ともいうべき昔ながらの暮らしや風習が今でも残る町」で、「”忘れられた日本”がそこにあります」ともある。また芸術祭は「国内外から参加するアーティストと奥能登地域に眠るポテンシャルを掘り起こし、日本の”最涯”から”最先端”の文化を創造する試み」だそうだ。ホームページには北川フラムによるもう少し詳しい概要説明がある。(芸術祭概要 | 奥能登国際芸術祭2017

 

 この文章の「最涯」「忘れられた」という言葉は明らかに中央ありきのものだし、珠洲の住民のため何かするというよりは、観光客のためにこの芸術祭は開かれ、「最先端」に敏感な観光客にアピールしていることは明白である。いわゆるアートツーリズムと言って差し支えないだろう。このことは悪いと言われがちだが、一方で事の是非は何より住民が決めるべきことだ、とも私は思う。

 すでにこの概要説明で引っかかるところはいくつかある。もしその中からひとつだけ指摘するなら、この「日本文化の源流」という言い方だ。これには注意が必要だと思う。

 確かに珠洲はかつて北前船などの海運で栄え、現在は交通が陸運中心になったがため孤立させられてしまった地域で、その閉鎖性が古い風習を廃れさせなかった面もあるのだろう。

 私は芸術祭に行く前に、網野善彦著「海から見た日本史像ー奥能登地域と時国家を中心として」(河合ブックレット)を読んでいた。この本は、農耕民族としての日本人像の中で例外的な存在であった奥能登の人々の生業と文化の存在について書いてあって大変興味深い。

  私は、その奥能登の文化を「日本」という大雑把なくくりに入れてしまうことで見失うものはないだろうかと考えてしまうのだ。もちろん、厳密さを欠いたとしても日本中から観光客を呼ぶのに日本というくくりを持ち出して訴えかけるのは手法として理解できなくはない。また、日本やアジア、あるいは世界全体の文化の中での奥能登の文化の位置を考えることは重要だろう。

 私が危惧しているのは、事実とかけ離れたレベルで、地域固有の文化に対し日本という大きなくくりによって勝手に感情移入するような振る舞いがアートツーリズムの名のもとに行われることである。それは文化の搾取であり間接的な破壊につながるのではないか。

 「源流」という言葉も「大河のような文化の発展の流れの元になるひとつ」という意味とも読めるが、はたしてその喩えが適切なのかどうか、大いに疑問である。

 

 

 

  2.珠洲までの道のり

 

 小言はこのくらいにして、まずは珠洲に辿り着くまでのことを書きたい。一人旅が常の私としては例外的に、今回は知り合いのグループの旅行に付いて行かせてもらった。

 

 

 2017.9.10.

 

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 朝11時くらいに自宅をでたが、さっそくトラブルが。キャリーバッグのタイヤがやたら重いと思ったらなんと動いていないのだ!!よく見ると四つのうち二つが車軸にくっついてダメになっていた。二つは動くのでなんとか持ち運びはできた。不幸中の幸い?

 

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 羽田空港から能登空港(愛称・のと里山空港)までの空の旅。天気は晴れ。飛行機は定刻どおりほぼ15時頃、出発。眼下は雲だらけで富士山は拝めなかった。

 

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 (荷物の返却場所にも「スズ」のロゴが)

 

 一時間ほどで到着。 小さい空港の周囲には建物が見当たらず、道路の他には森しか見えない。やはり芸術祭の幟が立っている。 バスはふるさとタクシーといって予約制のもの。宿まで直行で1300円。16時15分に出発。一時間くらいの道のりは森の中をあがったりさがったりしながら走っていく。

 

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(途中通った能登町には真脇遺跡という縄文の遺跡があり、「真脇式」という土器は関東から東北までで見つかっているという。http://www.mawakiiseki.jp/survival%20-%20p.html

 

 里山また里山という風景だった。なんという木か分からないが尖った木が切り揃えたように山に密集している。

 

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  時折、山間に午後の強い日差しに照らされた黄金色の田んぼが見えた。ある田んぼでは何かを燃やしていて、その煙の匂いが一瞬バスの中にも匂ったのが印象的だった。

 

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 バスはいつの間にか珠洲市へ入っていた。町を抜け、田んぼを横に見ながら進むとだんだん山深くなっていく。山の上に風車がいくつか立っているのを見た。急な坂を下るとパッと視界が開け海に出た。塩田の並ぶ浜辺を走って行く。

 

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 3.宿にて

 

 17時過ぎに大谷という地区にあるゲストハウスに到着。ここでは猫を飼っている。窓辺に座って我々を迎えてくれた。

 

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 荷物を置きしばし海で遊ぶ。貝殻を拾ったり、テトラポットと戯れたり。ハングルで何か書かれたペットボトルやポリタンクも見つけた。海の向こうは朝鮮半島なのだと実感する。

 静かに波はそよぎ、夕日は私たちの到着に合わせたように眩しく沈みつつあった。

 

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 18時半頃から夕食。トビウオのフライに大浜大豆の豆腐に塩田の塩など。地元産の食材尽くしがうれしい。 宿のすぐ近くの港ではサザエがざっくざく採れるらしい。 バター醤油でいただく。

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 23時前に就寝。

 

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 ②に続く。