瀬戸内海の豊島から犬島、直島へ行きました。これは直島に着いてからの記録です。
やっぱ直島は数時間ではとても見切れないですね。ちゃんと全部見ようと思うなら一泊くらい必要かもしれない。そういえば黄色いかぼちゃを見つけられなかった。
8.11 続き
犬島から直島の宮浦港へは14時ころに到着した。
さっそくトラブルが。
着いてすぐにフェリーターミナルで高松へ行く船のチケットを買おうとするも、財布が見つからない。ポケットにもない。リュックをひっくり返しても出てこない。
高速船が停泊しているところまで引き返しても、船上に人の姿はない。近くにあった船の案内所に聞いても落とし物の報告はないという。
焦る。どうする?一文無しでこの島からどう帰る?
フェリーターミナル内の観光案内所に行くとあるかもしれないと聞き再び向かう。途中、船の乗組員らしき方に呼び止められ、観光案内所に財布を届けたよ、という。
息を切らしながらカウンターに駆け込み財布の落し物が届いてないか尋ね、間髪入れず財布の特徴を述べた。やはりあった。しかも中身もそのまま無事だった(たぶん)。ほっとした。
このターミナル(海の駅「なおしま」)も妹島和世+西沢立衛/SANAAによる設計だ。
まずは宮浦港の草間彌生の赤いかぼちゃを見る。かぼちゃの中は空洞になっていて、水玉模様から中に入れる。やはり中は暑かった。
(赤かぼちゃの中)
以前直島に来たことがあるという友人の助言を受け、ロッカーに荷物預けて(300円)、電動自転車を借りた(1000円)。
さっそく美術館のたくさんあるエリアへ行く。
まずはかの有名な地中美術館をめざす。
それには急な山道をしばらく上らなけらばならない。そのための電動自転車だ。もしこれが徒歩であれば、倍以上の時間がかかっただろう。
途中「応神天皇御遺跡」の看板を見かけた。直島には第15代応神天皇が腰をかけたという石もあるらしい。
住宅街の中に掲示板?があった。岡崎さんという方が風景を「直島百景」として描いているようだ。
斜面を登っていくごとに変わって見える瀬戸内海の景色を振り返り振り返り、楽しみつつ向かった。
汗だくで坂を上っていくと地中美術館の入り口が見えた。入ろうとすると、「チケットセンター」へ行けという。美術館本体と別にチケットのための建物があるとは…。チケットを買う列は途切れず、売店にも休憩スペースにもけっこう人がいる。駐輪場もほぼ満車。
聞くと入場制限をかけており、入場券を買うための整理券を貰わなけらばならなかった。なんと面倒な。ただ一定人数ずつ入場させるのではなくて、券すらスムーズに買えないなんてことは初めてだ。もちろんすぐ貰う。このとき15時少し前で、整理券は15時30分~16時の間に入場券を買えるものだった。
時間を無駄にできないので、すぐ近くの李禹煥美術館へ行く。入り口の案内のおじさんにまさかとはおもいつつ「入場制限してませんか」と訊いたが、「そんなのない」と不愛想に言われた。ここの建築も地中美術館と同じく安藤忠雄による。30分ほど見た。
自転車を停め、門から少し歩くと入り口がある。壁に沿った細い階段を下ると、急に開けた場所に出る。「柱の広場」という名のここは、大きなコンクリート柱と石と鉄板がある。その右手に室内への入り口があって、高い壁の間の道を行く。
受付を済ますと「照応の広場」というところに出る。ここは塀に囲まれた屋外だ。また石と鉄板とがある。再び室内へ戻ると「出会いの間」がある。年代順にいくつかの絵画がならんでいる。その後「沈黙の間」「影の間」「瞑想の間」と続く。石に映像が投影されていたり、あの李禹煥独特のストロークが部屋の三面にあったりする。基本的には展示替えはないが、開館してから追加された作品もあるとのこと。
よかったとか悪かったとかいうより何よりも感想として出てくるのは「あぁ李禹煥だなぁ」ということだ。この唯一無二の世界観を確立しているのはすごいことなのかもしれない。
美術館はなだらかに下る丘に面していて、作品の向こう側には海が見えた。この辺はツクツクボーシがやかましかった。
チケットを買って(パスポートを提示しても1000円かかる)、15時半頃から地中美術館を見る。内部は撮影禁止。パンフレットには「瀬戸内の自然と地中につくられた空間を通して、自然と人間の関係を考える場所です」とある。
入り口から細い通路を入って行って、ショップなどがある部屋を抜けると展示スペースにつく。ウォルター・デ・マリア、モネ、ジェームズ・タレルの作品はそれぞれ別スペースにあって、それぞれを見るために並ばなければならない。特にタレル作品を見るのには15~20分くらい待った。作品はB2、B3にあることになっているが、中は迷路のようで自分がいる位置がよくわからなかった。地下と言っても自然光が取り入れられている上に広いので全く閉鎖的ではない。
ウォルター・デ・マリアの作品は抽象彫刻によるインスタレーションとでもいえばいいのか。緊張感のある空間で、教会か何かに居るようだった。でもその神聖さは日本の寺社とはちがう感じだ。例えば、この作品の金色のオブジェはイコン画の背景の金を思いださせたけれど、日本の仏像に使われる金とは違うものを感じさせる。
モネの作品もなかなか凝った部屋に展示してある。真っ白い石で壁ができていて、床は二センチ角ぐらいの小さい石のタイルが敷き詰められている。ここは靴を脱いで入る。足の裏の感触が気持ちいい。作品五点はいずれも晩年の「睡蓮」だ。ここの「睡蓮」がモネのたくさんある睡蓮の中でも良い絵なのかどうかはわからないけれど、絵のために部屋を作ってしまうのはすごい財力を感じる。
ジェームズ・タレルの「オープン・フィールド」は、遠くから見るとただの壁に投影された青い光なのだが、その壁は実はくり抜かれていて、靴を脱いで中に入っていける。奥行のよくわからない空間を体験できるわけだ。それを見た後に「オープン・スカイ」を見る。これは何のことはない、ただ天井に四角い穴が開いた部屋で空を眺めることができるだけなのだが、空の青さが「オープン・フィールド」の青い部屋と重なっているからか、普段と違った気持ちで空を見上げてしまう。ここでは普段の物の認識が更新されている。それは頭で理解するというよりは、視覚が否応なく体験してしまっている点で特徴的だ。
16時半ころまで見る。
本村港のほうへ行ってみる。広木池の上には新宮晋を思い起させる小さくて白いオブジェがいっぱいあった。
(戸高千世子「彼方の気配」)
直島ダム近くには大きなゴミ箱の作品がある。これは産業廃棄物が材料として使われているらしいから、豊島にあった産廃も含まれているのかもしれない。
(三島喜美代「もうひとつの再生 2005-N」)
その近くに木が整然と植えてある広場がある。調べるとこれも作品らしい。安藤忠雄による「桜の迷宮」で、「直島に暮らす人々や島を訪れた人たちの花見や散歩、憩いの場として、この場所が活用されることをもくろむ」(芸術祭サイトより)のだとか。桜の時期じゃないと桜はただの木なんだなと思う。
(安藤忠雄「桜の迷宮」)
(直島ダムのすぐ横には「水は生きている」の碑が。)
本村エリアは下調べもなしに行って、建物が閉まっていたりもしたのでほとんど何も見れなかったのだが、町役場の建物は面白かった。
(直島町役場)
一部ガラス張りだけど和風の屋根が乗っかっていて、西本願寺の飛雲閣や道後温泉を思い出させる。建築家・石井和紘の手によるもので、直島だとこの他に小学校も手掛けている。
福武財団が入る前からこういう変わった建物をつくっていたのならば、それを受け入れる下地はあったのかもしれないとも思ってしまうが、役所や学校は島民のための施設であり、観光向けの施設とは性格が異なるだろう。
(学校)
宮ノ浦エリアに戻り、楽しみにしていた「直島銭湯I♥湯」を見に行く。ここは実際に銭湯として運営されている。せっかくなので入湯料510円を払って汗を流した。
僕は男なので、言うまでもなく女湯の内装はみられなかった。残念だ。
(「直島銭湯I♥湯」)
浴室内の男湯と女湯の仕切りの上には象の像がある。これはその名も「ハナコ」と言って、かつては札幌の定山渓温泉近くにあった北海道秘宝館の入り口に居た。1000キロ以上も離れた瀬戸内海の島で再会するのは不思議な気持ちだ。
フェリーまで時間があまりなかったが、一瞬だけ宮浦ギャラリー六区へ行き、丹羽良徳による「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」を見た。霊能者に歴代町長を下してもらうという作品。一時間くらいの映像。とても全部は見られなかった。
(フェリーから)
18時20分のフェリーで島を離れた。船から眺める夕日は島々の後ろから射す後光のようでものすごくきれいだ。
19時過ぎに高松港に着く。
芸術祭のインフォメーションセンターに行くと、大島行きは1日3便らしいことがわかる。翌日は大島に行くことに決めた。
ホテルへ向かう。高松市街からは遠くて不便なところを選んでしまった。交通機関をのり間違えて、住宅街の中の暗い道を30分くらいキャリーバッグを引きながら歩いた。何回か田んぼに落ちそうになった。一日の終わりにひどい目にあった。
21時過ぎにホテルについて、カップ麺を食う。22時から温泉へゆっくり浸かる。
テレビをつけると「障害者のための情報バラエティー バリバラ」の、相模原の障害者殺傷事件についての緊急企画が入っていた。
(ホテルの部屋にあった相田みつを)
「なみだで洗われたまなこはきよらかでふかい」
1時前に就寝。