読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

以前見た展覧会の感想 「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」展    ―旧北海道開拓記念館は北海道博物館になれるか?ー

f:id:kotatusima:20160121000226j:plain

 「北海道開拓記念館」がリニューアルし「北海道博物館」になった記念に開催された「夷酋列像」展を見に行った。この展示は巡回し、国立歴史民俗博物館でも行われる。
 

 旧北海道開拓記念館や隣接する開拓の村は、札幌の小学生や中学生なら一度は学校の行事で訪れる場所なのではないか。それが一年以上の休館を経てこの度リニューアルした(オープン自体は四月だったらしい)。

 
 以前とどこが変わったかというと、「アイヌ民族文化研究センター」と組織が統合され、特にアイヌに関する展示に以前より力を入れるようになったようだ。実際見た感想としては、展示室自体が以前より明るくなり、テーマごとに展示物の配列が変わって見やすくはなったアイヌに関して詳しく紹介するコーナーも増設されているが、それ以外には大きく展示物や内容には変更がなかったように見えた。内容的には、アイヌのコーナーをのぞけば、さほどリニューアル感はなかった。旧開拓記念館の展示室は結構暗くて、いかにもミュージアムって感じだったのだが、それが薄くなって無菌室みたいになってしまった印象をもった。その一方で展示室以外は以前のままの重厚なレンガ壁で、ややちぐはぐ感もある。
 

 さて、その北海道博物館の開館記念特別展が、「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」である。タイトルの「蝦夷地イメージ」から分かる通り、この展示では、江戸時代の和人が北海道やアイヌに対して抱いていたイメージを特集するものである。和人による目線を夷酋列像などの資料によって追うのである。

 会場では携帯やカメラの禁止は当然にしても、メモも禁止という謎の厳戒態勢だった。なぜ?何かあったのか?
 
 夷酋列像とは、松前藩主一族出身で、政治的に松前藩を動かす家老の立場にありながら松前応挙と呼ばれた画人であり詩作もした蠣崎波響が、クナシリ・メナシの戦いの終息に功績があったとされる12人のアイヌの指導者たちを描いた作品である。クナシリ・メナシの戦いとは、寛政元年(1789年)国後島とメナシのアイヌが和人商人の酷使に耐えかねて蜂起し、現地にいた和人70人余りを殺害した事件のことである。その後、松前まで連れてこられ、藩主に謁見したアイヌの指導者数名を含む十二人が、戦いの終息に功績があったとされ、波響によって描かれたのである。ここでいう功績とは当然松前藩側から見た時の功績だ。夷酋列像は上京した波響によって大名や天皇の間で閲覧され、いくつも模本が作られた。それらが集まっている。
 
 この絵の魅力は指導者たちの仙人や豪傑のような顔つきとポーズに加え、今日の私たちにも興味を惹かせるきらびやかな衣装とアイヌの文物である。それらはアイヌの交易の在り様を間接的に物語っており、またアイヌの指導者たちと和人との差異を際立たせるものである。
 アイヌの描き方からは、当時のオランダ人やロシア人と同様に、蔑視や恐れの対象であったろう外国人に対する視線でアイヌも見られていたことがうかがえる。例をあげて言えば、桃山時代にスペインやポルトガルの人々を南蛮と言ったり、来日したペリーの顔を天狗か鬼のように瓦版に描いたりしたのと同種の視線だ。
 17世紀に活動した小玉貞良が草分けと言われる、いわゆるアイヌ絵(アイヌの風俗を和人が描いた絵)は、アイヌの暮らしや文化をそのまま描くのではなく、和人のイメージに合わせて変更していたり、何か誇張があるのがザラだ。夷酋列像も、町絵師が描いたモノではないにしろ、和人のイメージという意味ではアイヌ絵である。アイヌ絵は、本州で蝦夷土産として文人墨客などにウケたのであろう(夷酋列像も大名たちの間で評判だった)。今日ではなかなか見ないが、北海道土産の二ポポ像の遠い先祖のようにも思える。
 注意しなければならないのは、夷酋列像は指導者たちの正確な肖像画ではないということだ。それぞれの図に名前がついているものの、顔の描きわけがされているようにはみえないし、波響は指導者の多くと会ったかどうかさえわからないのである。

 それに、功績をたたえると言うなら夷酋列像アイヌに贈ればいいのだ。夷酋列像は指導者たちのために描かれたものでもない。

 夷酋列像はただ物珍しい風俗を描いた高級なアイヌ絵ではない。今展の図録でも触れられていることだが、仙人や豪傑のようにアイヌの指導者たちを演出し、彼らを功臣として従えている松前藩を演出する意図があったと言われている。また、松前藩はクナシリ・メナシの戦いの責任を負わされないよう情報工作を行っていたともいう(その後、ロシアの南下なんかもあって、蝦夷地は天領になってしまい松前藩は梁川に転封され、波響は随分苦労するらしい)。いずれにしろ夷酋列像に政治的意図があったことは確かだろう。
 ちなみに、波響の作品の中では最も有名なのにも関わらず、夷酋列像は例外的な作品で、他にアイヌを描いた絵はほとんどない。波響は夷酋列像を描いた後に応挙に師事しており、美人画とか花鳥風月とかいろいろ描いていたようだ(今展でも数点見たが、普通にうまいと思った)。

 
 夷酋列像展はけっこう混んでおり、根強い人気が感じられた。リニューアル開館記念の特別展に選ぶのも納得の人の入りだ。しかし、細密描写とエキゾチックな衣装に魅せられてばかりいると、夷酋列像がもつ制作背景が見落とされがちになってしまうだろう。展示を見ただけでは江戸時代の「蝦夷地に向けられた視線」をなぞるだけで、それが何だったのかを考えるまでにはなかなか至らないのではないか、というのが正直な感想だ。図録を読めば考えさせられるのだが。展覧会企画側としては、その辺はどうなのだろうか。もっと政治的な背景を強調してもよかったのではないか。
 あるいは、せっかくアイヌに関する展示が充実したのだから、アイヌを真正面から取り上げるのもアリだったのではないか。敢えて「蝦夷地への視線」を追う展示をした理由は、やはり夷酋列像は人気があるから?
 
 
 そんなことを考えていると、北海道に本拠地を置く野球チームの日本ハムが、「北海道は開拓者の大地だ」という広告を出し、抗議を受けたというニュースが入ってきた。ここでいう開拓者は別に和人とか開拓使をさすわけではなくて、野球チームとして挑戦を続ける開拓者という意味だろう。アイヌへの差別の意図はないということは容易にわかる。
 しかし私には日ハムを擁護する気は全くない。これがただの草野球チームならまだしも、北海道をその名に冠するプロの野球チームの広告なのである。なんと言っていいか分からないが、「そんな意識の低いことでは困る」と言いたい。実際にこの広告が不適切かどうかはおいておくとしても、その点の配慮がなされないような仕組みがあるのであれば、かなり問題だろう。
 
 
 そう言えば、今回リニューアルした北海道博物館は元の名を北海道開拓記念館と言った
 「北海道は開拓者の大地だ」という時の無邪気な無神経さと、江戸時代の蝦夷地への視線と、夷酋列像を今日エキゾチックな細密描写のアイヌ絵としてしか見ない受容の仕方とが、私には近しいもののように思える。

 
 北海道博物館が果たして本当に北海道をその名に冠する博物館としてふさわしいリニューアルをしたのかどうかは、これからの活動次第であるから、今はまだ分からない。ふさわしいリニューアルをしたと思いたいし、たぶんそうなのだろう。そう願いたいものだ。
 ただ、せっかくリニューアルしたのだから、北海道「開拓」記念館には戻らないほうがいいと思う。