こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

札幌国際芸術祭2017(SIAF2017)見聞⑥

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 の続きです。

 

 目次

 1.北海道大学総合博物館の展示

 2.りんご

 3.梅田哲也ライブパフォーマンス

 

 

  

 8月18日③

 

 1.北海道大学総合博物館の展示

 

 

 

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 展示タイトルは「火ノ刺繍ー『石狩シーツ』の先へ」。詩人、吉増剛造の展示である。部屋に入る手前にコンセプト文と「石狩シーツ」関連年表がある。吉増さんにとって北海道は「啓示的なヴィジョンの源」であり「詩人としての危機ともいえる状況からの再生の舞台」であり続けてきたという。また、震災後に吉増が吉本隆明の著作を模写した紙の束「怪物君」を、託された飴屋法水が燃やした映像も上映されている。この行為から「火ノ刺繍」という言葉が生まれたのだという。

 吉増さんが札幌で展示していたことは知っていたが、長年北海道と関係があったことを踏まえると、詩の中の言葉ひとつひとつにも体験に裏打ちされた必然性があるのだなとわかってくる。

 

 天井の低い展示室には、元から博物館にあったものを利用したであろう原稿を展示したケースが並び、いくつかの壁に映像が投影されていた。またドローイングのような紙片などもあった。

 

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 昨年だったか、東京国立近代美術館で個展を行っていたと聞いたときは、なぜ詩人が?と思った。なんともいえない独特な映像やこれまた独特な原稿などを見ると、やっていることからイメージされるのは詩人というよりアーティストの方なのだろうと感じた。

 

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 私は吉増さんの詩を言葉遊び以上のものとして捉えられるだけの知識と詩の鑑賞経験を持ち合わせていない。だが、意外と楽しめた。おそらく今展のメインであろう「石狩シーツ」の朗読映像は40分以上あったにも拘わらず飽きずに見られたし(これに関してはたぶん映像の編集や演出によるところが大きいのだと思う)。手持ちのカメラで撮られた映像作品は不思議に魅力があり、銅板を叩いて文字を打ち出したオブジェは銅版画をやっていた自分としては感覚的に腑に落ちる部分があった。

 

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(映像作品) 

 

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(銅板を用いたオブジェ)

 

 19時頃まで展示を見、地下鉄南北線で中の島駅へ。「りんご」を見に行く。

 

 

 2.りんご

 

 なぜか「りんご」の会場は住所が書いてあるパンフレットと書いていないパンフレットがある。地図もない。会場を秘密にしておいて「○○付近」などと書き、たどり着くまでの道のりも作品のうちだ、とかいうのなら分からないでもないが、これはただの不親切である。

 駅の最寄出口と、出口を出たところに案内板はあった。本当は左に曲がってまっすぐ行くだけだったのだが、どこに対して左なのかがわからずかなり迷った。途中コンビニで訊いたりスーパーで訊いたりしてうんざりした。知らない街で道に迷う経験も旅の楽しみかもしれないが、大して風情もない住宅街の街灯も少ないようなところで迷ったところで不安になるだけである。私は反対方向にかなり歩いていたらしい。本来は徒歩4分のところ、20分以上かかってやっと着いた。

 

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 りんごを貯蔵していたという倉で展示が行われている。ここは18時から21時までしか開場しない。この時は十数人も鑑賞している人がいた。昼間に行われるはずのパフォーマンスを見る予定だった梅田哲也ファンが大挙して?押し寄せたのかもしれない。

 

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 金市館の展示と比べるとあまり音はしておらず、静かなインスタレーションだ。ガラス球を展示するなど共通点も見受けられた。球体を媒介にして金市館とりんごをつなぐ感じだ。もともと地下室の入り口だったのか、床に四角く穴があいていて、下は水で満たされていた。

 

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 見上げると飯盒が。

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 ここで偶然アーティストSさん夫妻に会った。車に同乗させてもらい金市館まで一緒に向かう。

 

 

 

 

  3.梅田哲也ライブパフォーマンス

 

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 21時ころには会場で受付を済ませた。いつの間にかメールが来ていて、当初21時に始まるはずだったのが21時15分開始に変更になっていた。

 

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 (入場証)

 

 前に昼間見た会場とはやはり雰囲気が違う。夜に古いビルに来るようなことはめったにないから、悪いことをしているような、肝試しをしているような、そんな気持ちだった。入場料はパスポート持参で1000円だった。開場までの間の十数分で受付前の狭いスペースはひとでいっぱいになった。最終的には30人くらい集まっていただろうか。

 

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会場に置かれた様々なオブジェの位置はだいたい昼間と同じようだった。もしかしたら数がちょっと増えていたかもしれない。暗さが増しているせいか、光るものの存在感がいっそう感じられた。 入場を開始してからしばらく経って、実際に何かが起き始めたのは21時半頃だったか。いつの間にかパフォーマンスは始まっていた。来場者が集まり始めた会場の片隅へ私も急行した。

 

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 当初行われるはずだったイベント「わからないものたち その2」の会場で流されるはずだったであろう会場説明の音声が、壊れた館内放送のように響く。暗闇で何をしているのか分からず音だけ聴こえてくるような時もたびたびあった。

 

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 演者は一人ではない(芸術祭運営からの案内メールには梅田哲也、高橋幾郎、リチャード・ホーナーとあった)。同時多発的に、また散発的に行われる様々なアクションは、特になんらかのリズムがあるわけではなく、見せ場があるわけでもなさそうだ。常にどこかでなにかが起きていることを感じさせる状態であった。

 

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 ぺこんぺこんと急にへこんで転げるジュースの缶や、密集したシンバル、ぐるんぐるんと回転しながら唸るような音をだすスピーカーなどいろいろなものが使われていた。

 

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 コーラと豚汁を売っていたので、コーラを買って飲んでみた。200円か300円だったか。高い。途中、マイクで梅田さん?から「余りそうなのでぜひ買ってください」というアナウンスもあった。

 

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 しまいには監視のスタッフたちまで奇妙な手遊びを始めた。

 

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 始まりもなければ終わりもないパフォーマンスを、どのように終わらせるかは本当に難しい。本来行われるはずだったイベントでは、バスでパフォーマンスが行われている場所まで行き、またバスで帰るという方法をとるはずだった(これならバスが着く前にパフォーマンスを始めて、バスが出たあと終わればよい)。たぶん、来場者が各自で広い会場の見たい部分を見、聴きたい音を聴くように、来場者のタイミングでパフォーマンスも終わるようにしたかったのではないか。

 この時は、終了予定の22時半を過ぎた22時40分あたりから、まだパフォーマンスが行われている中でスタッフが終わりを告げ、出口へ誘導するという形だった。このやり方は雰囲気を壊されるし、良くなかったと思う。かといって他に良い方法は思いつかないが。

 

 

 このパフォーマンスも含め、梅田さんの作品は聴覚や視覚の、反射的に反応してしまうような部分を刺激されるものだった。生理的な部分で知覚する作品なので、言語化は難しい。記録が不可能に近いようなパフォーマンスだったと思う。

 

 23時すぎに帰宅。

 

 に続く。

 

 

札幌国際芸術祭2017(SIAF2017)見聞⑤


 

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 の続き。
 
 目次

 1.モエレ沼公園ガラスのピラミッドへ

 2.ガラスのピラミッド二階

 3.ガラスのピラミッドその他

 4.モエレ山へ
 

 

 

 
 8月18日②
 

 

 1.モエレ沼公園ガラスのピラミッドへ


 モエレ沼公園での展示は「RE/PLAY/SCAPE」というタイトルだ。

 
 この公園ができるまでに次のような経緯があった。札幌市が提示した作品設置の候補地の中で、ゴミの埋め立て場所だったモエレ沼に特に関心を示したイサム・ノグチは「人間が傷つけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事です」と語り、周辺の環境や景観との調和をはかりながら、ダイナミックな地形造成を行うマスタープランを完成させ急逝する。のちにイサム・ノグチ財団の監修のもと完成したここはイサム・ノグチの遺作であるといえる(モエレ沼公園完成のいきさつ→イサム・ノグチ | モエレ沼公園-イサム・ノグチ設計)。

 またSIAF2017においては「はじまりの地」として大友さんが作品を対峙させている。芸術祭全体の意図を考える上で重要だろう。

 
 展示場所であるガラスのピラミッドは、1階は入場無料。2階、3階は有料だがパスポートがあれば入れる。

 

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 1階では大友良英+青山泰知+伊藤隆之による「(with)without records」が展開されている。様々な色や形のレコードプレイヤーがあちこちで様々な音をたてている。市民がワークショップで加工した中古のレコードプレイヤーを作品として配置しプログラミングしたのだという。
 見上げると、黄色い巨大な風船が上の階から頭をもたげるような風に垂れ下がってきている。これは松井紫朗による「climbingtime/fallingtime」という作品。このような大きなオブジェはもっと圧迫感がありそうなものだが、色のせいか、それとも形のせいか、あまり感じない。2、3階ではどうなっているのかを楽しみに、スタッフの方にパスポートを見せ階段を上がる。

 

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 順路がけっこう複雑だ。上の階でも作品が展開されている。

 

 

 

 2.ガラスのピラミッド二階

 

 2階では展示室に入る前に二枚の写真があった。特に解説はなかったが、おそらく埋め立て地だった時の写真と整備されている途中か整備した後のモエレ沼公園の写真であろう。カーテンの向こうには伊藤隆介作品「層序学」と「メカニカル・モンスターズ」、ナムジュンパイク「K-567」があった。

 

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 層序学とは、「地層の層序・分布・岩質・含有化石などを研究して地層を区分し、さらに他地域との対比を行い、地球の歴史、特に時間的な前後関係を明らかにする地質学の一分野」だそうだ(引用:層序学(ソウジョガク)とは - コトバンク)。三角形の部屋の三面の壁にそれぞれ映像が投影されており、部屋の中央には三本、地層を模型にしたらしきものがある。これは会場にあった解説によれば「モエレの地下に眠る、縄文時代ら現代に至るまで蓄積された廃棄物の精巧なミニチュア」である。それを小型カメラがリアルタイムで上下に撮影し、その映像が周囲の壁に投影されているというわけだ。解説には「現実に起きた(ている)ことを虚構の世界を通して提示することで、私たちがいま見ているものとは何か、その固定概念を解体し、自覚させていきます」とあった。これは「Realistic Virtuality (現実的な仮想性)」シリーズに共通する特徴とも言えるだろう。

 

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 同じ部屋の片隅にあるナムジュン・パイク「K-567」は、世界で初めて交通事故に遭ったロボット「K-456」の娘である。この「ガラクタからできているロボット」は、人間の世話を要求する。「人間の役に立つために生まれたはずが、やがては仕事を奪っていく―通常のロボットに対して感じるそこはかとない恐怖を、パイクの人間味あふれるロボットが無効にしていく」のだと解説にはある。

 

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 (「メカニカル・モンスターズ」)

 
 また、部屋の中では「メカニカル・モンスターズ」が動き回っていた。これはルンバ(円形の自動掃除機)の上に擬人化された狸の剥製が乗ったものだ。帽子をかぶってゴルフクラブを持ったり手拭いを被って三味線を持ったりしていて、しかも動くのだから、大変かわいらしい(これほど屈辱的な姿の剥製もないが・・・)。他の来場者の目もかなり引いていたようだ。これはパイクの「K-567」へのオマージュであり、剥製がロボットとして生まれ変わったのだという。解説には「役に立つロボットである自動掃除機と合体してサイボーグ化した狸が、思惑とは別に掃除をする姿」ともある。

 

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 部屋を出たところにも実は続きがあって、モニターを見ているように置かれた狸の剥製がある、モニターに映るアニメはもちろん?フライシャースタジオによるスーパーマンシリーズの「メカニカル・モンスターズ」だ。このアニメに登場するロボットは「天空の城ラピュタ」に登場するロボット兵の元ネタとして有名である。このアニメ作品は美女をさらった強盗ロボットをスーパーマンがやっつけるというものだ。まさに機械に対して人間が持つ恐怖がそのまま表れている。狸はアニメを見て勉強しロボットに化けたのだろうか。

 

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 擬人化された狸を見て思い出すのは高畑勲監督作品「平成狸合戦ぽんぽこ」である。多摩ニュータウンの開発により森を追われた狸たちが「化学(ばけがく)」によって人間に対し様々な抵抗を試みるが、ノリの良さ、サービス精神を出し過ぎてたびたび失敗し、やがて敗れ去る物語である。狸たちは工事で木々が取り払われ土がむき出しになった丘を「のっぺら丘」と呼ぶが、それもつかの間、人間は一瞬にして閑静な住宅街へ変貌させてしまうのだ。この部屋に入る前にみた写真は「のっぺら丘」とどこかで通じていないだろうか。

 一部ではガセだとも言われているが、このようなニュースもあった。

 

終わりの始まり…? 独自言語で話しはじめた人工知能、Facebookが強制終了させる | ギズモード・ジャパン

 

 これが本当かウソかは別にしても、近年では人間がロボットやその延長線上にあるAIに対して抱く恐怖が増しているとは言えそうだ。もはやAIの発達は人間の想定の及ぶところは飛び越しているのかもしれない。 

 伊藤作品「メカニカル・モンスターズ」は、アニメにあるようなごつごつした無機質なロボットではなく、掃除によって人間の仕事を奪う上にかわいらしさまで兼ね備えている。

 そのことを考えるとこれは「サイボーグ化した狸」ではなく、「狸化したロボット」ではないのか。剥製にされ衣装をまとわされたグロテスクな、しかし愛嬌のある狸の剥製を隠れ蓑に進化したロボットの姿ではないのか。もし狸がアニメを見てロボットに化けたのであれば滑稽である。なぜならロボットはいずれスーパーマンによってやっつけられるのがお決まりだからだ。

 アニメの中の勝者であるスーパーマンに重なるのは人間ではない。もはや人間を超え進化したロボット、AIの姿である。

 
 この芸術祭では、モエレ沼はガラクタの再生の場として位置づけられているのだろう。しかし人間にとっての開発が狸にとっての破壊であったことを思い出すと、ゴミを埋めたてた上に公園を作るのが再生なのだろうか、という疑問を抱かずにはいられない。

 「層序学」では地下を掘り返しそこに埋まっている土器や日用品、レコードを私たちに見せつけている。実際にモエレ沼公園に隣接する「さっぽろさとらんど」では縄文時代などの遺跡も発掘されていると聞く(参考:https://www.city.sapporo.jp/kankobunka/maibun/okadamajomon/documents/03_okajouhou1_gaiyouban_p1.pdf)。

 貝塚は古代のゴミ捨て場であったが、現在では昔の暮らしを知る貴重な資料としての価値が見出されている。いったいガラクタとは何なのか?私たちはガラクタをどう活かしていくことができるのだろうか?

   

 

 

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 同じ階には大友良英サウンド・オブ・ミュージック」がある。いかにもガラクタという感じの古びた扇風機や電話やテレビなどなどが積まれていて、時々動き出す。ガラクタが独りでに即興演奏しているかのようだ。 更に上の階へ。

 

 

 

 3.ガラスのピラミッドその他

 

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(「火星からみるための彫刻」)

 

 三階ではイサム・ノグチの写真「火星からみるための彫刻」がまず目にはいる。「地球を彫刻する」というアイディアのプランのうちの一つで、人間が滅びた後、地球上にかつて人間がいたということを示す記念碑として構想されたのだという。モエレ沼公園はこの構想に最も近いとも。

 

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 ARTSAT×SIAFLabによる「宇宙から見える彫刻、宇宙から聞こえる即興演奏」は、世界初の芸術衛星を打ち上げたARTSATとのコラボレーションによる作品で、モエレ沼から様々な情報を記録するための成層圏気球を打ち上げ、そこで取得したデータをもとにした展示物や実機を展示。壁には「モエレ沼公園時空年表」があり、様々な出来事が宇宙空間の距離によってマッピングされている。ここへきて一気に目の覚めるようなスケールの大きな話になった。それはモエレ沼自体がすでに大きな構想をもったものだからこそできることでもある。

  

 順路では階段を上がってガラスのピラミッドの最上階まで上がることができる。ここに来たのは初めて。気持ちのいい夕方の日差しだった。

 

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 最後に一階では「全知性のための彫刻」を展示。イサム・ノグチの作品を受け、「モエレ沼公園を地球外生命体が発見したら」という仮説から電磁波を用いて実際に宇宙とメッセージをやり取りする作品。このメッセージを音や光に置き換えたインスタレーションだった。

 

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 (隠れキャラ)

 

 

  4.モエレ山へ

 

 ガラスのピラミッドを出て、モエレ山へのぼる。

 

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 天気が良く、風が少し強かった。駆け足で汗をかきつつ上る。頂上は平らになっていて座って景色を眺めたり、マットを広げて何か食べたり、みんな思い思いに過ごしていた。ここから札幌を眺めて、かつて円山から札幌を眺め街区の計画を練った島義勇よろしく、SIAFについて考えてみるのも悪くない。近くで誰かが吹いたシャボン玉が風にのってあたりに舞った。「長征」を背景にみるシャボン玉はあまりにロマンチックな夢のような景色だった。

 

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 「長征」をまた斜面を下りながら見た。自転車を斜面に設置している。山裾に等間隔で生えている木もこれらの自転車と同じように誰かによって設置されたものである点で近い存在だなと感じた。

 

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 園内を歩いて西口まで戻り、地下鉄北34条駅へまたバスで戻り、南北線の北12条駅で降り、大学構内を突っ切り、北海道大学総合博物館へ。一階の一室では吉増剛造『火ノ刺繍ー「石狩シーツの先へ」』が開催されている。

 

 ⑥へ続く。

 

「奈良美智 for better or worse 」2017年7月15日~9月24日 豊田市美術館(愛知県豊田市)

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 「奈良美智 for better or worse 」を見た。2017年7月15日から9月24日まで。愛知県へも豊田市美術館へも初めて行った。

 

(公式サイト:http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/narayoshitomo.html

 

(参考、会場写真が載っている記事:奈良美智の“30年の歩みをたどる展覧会”に行ってみませんか? | カーサ ブルータス Casa BRUTUS豊田市美術館で個展を開催! 奈良美智が語る谷口建築の魅力。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS奈良美智が国内5年ぶりの個展『for better or worse』に込めた想いとは!? : ソーシャルアートメディアARTLOGUE

 

目次

豊田市美術館への道のり

②展覧会の内容詳細

③その他

奈良美智展の感想

 

 

 

豊田市美術館への道のり

 豊田市美術館へは名古屋から地下鉄や電車で1時間くらい。名古屋が初めての私にとって、市内の交通網は電車が何種類もあってわかりにくい(東京に比べれば随分マシだが)。毎度のごとくグーグルの地図アプリに頼って行くことに。地下鉄東山線伏見駅で乗り換えて、地下鉄鶴舞線豊田市駅へ。途中、地下鉄が地上に出る。車窓は単調な地方都市といった感じ。朝8時頃の車内は通勤通学の乗客で多少混んでいた。豊田市駅からは15分くらい歩く。美術館に行くまでの間は何ヶ所か看板があるからこの辺りに不案内でも安心だ。

 

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豊田市駅の方から向かうと美術館前の坂にこの看板がある)

 
 私は途中郵便局に寄ったりしたので、美術館の裏手?に出てしまった。復元された城があり、遠くからでも目につく。木々の間を抜けると美術館が現れる。館の建築は谷口吉生による。芝生が敷かれ彫刻作品が設置されている。

 

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 朝9時20分頃に着いた。すでにちらほら人が来て居た。当日券売り場への列は開館までに人が増えて20人くらいにはなっていただろうか。さすが人気がある。事前に券を買った人は別の列に並んでいた。開館前に4、50人は待っていただろう。この日はまあまあの混雑ぶりだったが作品を見るのに不自由するほどではなかった。平日でこれであるから会期終了間近の混雑を想うと恐ろしい。ましてや東京の美術館でやるなどということになれば・・・考えたくもない。

 

②展覧会の内容詳細

 
 全体は、おおむね年代順に作品を並べてあるがところどころで入れ替えてもあった。壁の中での作品の設置位置や作品数もいろいろで、それぞれの部屋の雰囲気や構成にこだわったことが感じられる。数はあまり多くなく、画業の全貌を知るには足りないかもしれないけれど、まさにハイライト的な展示で、粒ぞろい。重要な作品が多く含まれていることは間違いない。

 客層は他の美術展よりは若く、やや女性が多い印象を受けた。

 

  当日券を買い、展示室前で荷物を預け、中へ。展示は一階から始まる。

 
 はじめの部屋に入るとまず右の壁にズラーッと奈良さんの私物のレコードが並び、左の壁には棚や台があって、奈良さんが影響を受けたという本やいかにも奈良さん好みの置物などが並んでいた。曲もかかっている。レコードジャケットは当然ながら歌手の写真や似顔絵がシンプルにあしらわれているものが多く、少女?だけをシンプルにキャンバスに描くことが多い奈良さんの絵のスタイルとも近いと思った。部屋の最後にはごく初期の作品があり、次への橋渡しになっている。

 次の二部屋は奈良さんの代名詞といってもいいあの独特な少女?像の成り立ちを見せるようになっている。個人的には「Sleepless Night(Sitting)」が印象深い。部屋の中央に置かれた真四角の椅子には奈良さんの絵が織られた絨毯が敷いてある。この絨毯はアフガニスタンの職人が作った一点物で奈良さんの私物らしい。

 次は紙のドローイングがたくさん飾られた部屋。仮設の壁は木がむき出しになってるところもあって、手書きで各作品近くの壁にタイトルや制昨年が描かれている。ドローイングと言ってもいろいろでラフなタッチのものもあればタブローにも引けを取らないような「Daydreamer」などの大作もある。

 その次の部屋は三方の壁に絵があり、残り一方に立体の像があった。特にこの部屋の「TwinsⅠ」「TwinsⅡ」は2点が並んでやや高めの位置に展示してあり印象深かった。立体作品「ハートに火をつけて」のタイトルはDoorsの曲名からとっているのかも。Come on baby, light my fire~♪ と曲を思い浮かべながら次の部屋へ進む。

 

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 会場は二階へ続く。二階の初めの薄暗い部屋は群青色っぽく塗られた壁に絵や立体がある。部屋の中央には奈良美智grafによる「Voyage of the Moon(Resting Moon) / Voyage of the Moon」がある。これは巨大な少女?の頭が屋根に載っている小屋で、中にも入れる。私が行ったときはまだ列に数分並べば入れたが、展示を見終えて帰るころ(12時くらい)には整理券を貰う行列ができていた。内部を見たい人は朝早くのほうがスムーズに見られるだろう。壁の高い位置に皿型の作品「Lonly Moon/ Voyage of the Moon」があって部屋の雰囲気とよく合っていた。またこの部屋にあった近作「HOME」や「FROM THE BOMB SHELTER」はシンプルな線描が目立つ作品で、ぼかしがなく他と感じが違ったので気になった。

 

 また階段を昇って三階へ。右の部屋には水が流れる立体作品「Fountain of life」がある。通路の先には明るめの部屋が二室あり、三方の壁に一点ずつゆったりと絵画が並ぶ部屋と壁に立体作品と平面とが一点ずつの一室があって、最後のコーナーへ。

 最後は三つ部屋が連なったような会場になっており、まず正面にある「夜まで待てない」の不敵な笑みにどきっとする。この部屋は絵の具を重ねて微妙なぼかしのニュアンスを多用したタイプの近作が多い。「夜まで〜」のある壁の裏は暗い部屋になっており、近作「Midnight Truth」がライトに照らされた中に浮かび上がっている。

 

 

 

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(館内の様子。壁にあるのはコスースの作品)

 

③その他

 

 常設展は一室のみ二階にあり、ボイスやクリムト中西夏之のコンパクトオブジェなどをまさにコンパクトにおまけ的に展示している。

 物販コーナーは一階。ポストカードやTシャツ、缶バッチ、クラフトテープ、マグカップの他、展覧会チラシと同じ写真が表紙に使われた冊子ドローイングパッドがあった。展覧会カタログと間違えて買う人が居そう。カタログ(2500円)はまだ完成しておらず、予約を受け付けている。10月中旬以降発送予定と聞いた。

 また、高橋節郎館は、展覧会を機に漆芸家である高橋節郎の作品が寄贈されできた施設。これも奈良展の入場料で入館できる。特に「古墳」は遺跡から発掘されたしわしわの漆の欠片を思わせる作品で、人類の文化に思いを馳せることができる。

 

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 (二階の高橋節郎館への道。あたりにはダニエル・ビュレンの作品が設置されている)

 

奈良美智展の感想

 

 今展は奈良さんが愛知県立芸大の大学院を修了した1987年から今年までの30年の歩みを振り返るものだ。奈良さん曰く「遅すぎる卒業制作」であり、作品の同窓会といった趣も感じられる。

 私は奈良さんの作品は東京国立近代美術館で一点、横浜美術館で一点、高橋コレクションで数点のほか、原美術館の奈良さんルーム以外では実物を見たことがなかった。もちろん展覧会チラシや本でいくつも作品は見かけていた。奈良さんは現代美術家としてあまりにも有名で、教科書にも載っているし海外でも相当な人気だと話には聞いていた。しかしその人気の理由となるとあまり聞こえてこなかった。印刷物や数点の絵からも人気の理由は分からなかった。

 

 今回の展示で私は初めて奈良さんの作品を知ったといってもいいくらいで、しかも今までにほとんど経験したことがないほど感動している。本当は世界的に評価されている人のことを書くのは評価に追随するみたいで嫌なんだが、感動しちまったんだから仕方ない。しかしその内実はなかなか言語化しにくい。自分なりに感想を書こうと思うのだが、かつて誰かが書いたようなことしか書けないだろうし、上っ面の言葉を並べるだけになるだろう。それはもちろん奈良さんの作品が上っ面だけの作品なのではなく、見る側の私の問題だ。だが恥を忍んで書いてみる。

 

 奈良さんの作品は多くがこちらを向いた少女?の絵である。この特徴的なモチーフを言葉で描写することはできても、これが何なのかとずばり一言でいうことは難しい。 彼らが少女とされるのは、多くの民族で子供は神に近い存在とされてきたこと、子を産むことのできる女性は特別な力を持つとされてきたことから、一応の説明はできるが、それで説明しきったようには思えない。

 下膨れの顔につり目、鼻は穴だけが描かれ、大抵結ばれている口に唇はない。少女というより生まれて間もない赤ん坊のようにも見える。時にこの少女?たちはかわいらしい羊の着ぐるみなどを着ることもあるが、顔もまた様々な動物に似ている。あるものは猫のようであり、あるものはトカゲのようであり、蛙のようであり、魚のようでもある。だとすれば、つまりこれは人間が人間に至るまでの進化を背負った多義的な顔なのではないだろうか。例えば子供の顔を正面から捉えて描くという点が共通している中澤英明と比べると、中澤さんの方が各作品で明確に子供の個性を描き分けようとしているように見え、逆に奈良さんの作品群の顔が含む幅広いニュアンスが分かるだろう。

 また「Hula Hula Dancing」などで顕著だが、少女の手足が棒のように描かれるのは、単なるデフォルメというより、未発育の状態やいわゆる奇形を表したものと捉えたほうがいいかもしれない。奈良さんの絵にはそういう生々しさもある。

 

 今回の展示を見ただけの感想だが、近年の作品では特に薄塗の絵の具の重なりのせいか一層少女の存在感が増してきているように感じる。少女たちは一見かわいらしく、ある画家を示すアイコンというかキャラのように捉えられがちだが、本当はそんな生易しいものではなく、もっと普遍的な、人間の歴史を飛び越えたようなところと繋がる何かおぞましい存在を描いたものだろう。今回は個人蔵の作品も多く出品されているが、私には奈良さんの絵を居間に掛けて毎日眺めようとはとても思えない。あまり絵に対峙しすぎると具合が悪くなりそうだからだ。そのくらい私にとって生理的に訴えかけるものがあった。奈良さんの絵を見ていると、だんだん内蔵からこみあげてくる何か、それは例えば少女から私に向けられた視線がそのまま体を通って臓腑を鷲掴みにして揺さぶられるような様を、幻視してしまうのだ。

 

 奈良さんがその人気とは裏腹になぜか人気の理由をあまり聞かない(それが語られても説得力をもたないのかもしれない)のは、描かれているものが普遍的で誰にでも何か感じさせるところのあるモチーフであるからこそ、どこかで畏怖の念すら抱かせるようなものに近づいていることが理由だろう。

 神を名指すことができないように、それは語れば語るほど実物から離れるような、遍く存在するような何かであり、かつての私であって未来の誰かのような、どこにでもいるようなどこにも絶対に存在しないような、確かにそこにいるようでありながらはかなく消えそうな、そういう何かだからだろう。

 

 

 

 この日は非常に良い天気で暑かった。帰りは来た側とは逆から美術館を出て、汗だくになって坂を下った。豊田市駅へ戻る途中は見てきたばかりの絵をまた頭の中で反芻していた。ふと、いつまでも続きそうなこの夏もそろそろ終わりか、と思った時に、何か作品が腑に落ちたように感じられた。

 

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 (終)

札幌国際芸術祭2017(SIAF2017)見聞④

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 の続き。個人的には今回のSIAFのハイライトの日。予定が途中で変わったりして慌ただしく盛りだくさんな一日だった。

 展示のネタバレを含むので以下閲覧注意。

 

 目次

 1.札幌市立大「そよぎ またはエコー」

 2.芸術の森美術館

 3.野外美術館

 4.工芸館

 5.モエレ沼

 

 

 

2017.8.18.

 

 

 

 1.札幌市立大「そよぎ またはエコー」

 

 朝から札幌市立大会場と芸術の森会場へ。
 9時半頃、地下鉄東西線真駒内駅でバスを待っていたら、SIAFラッピングのバスが来た。よし来た!これに乗ればいいのか、と思ったが、よく見ると全く違う行き先だ。紛らわしい。結局正しいのは普通のラッピングのバスだった。芸術の森行きのバスが来る乗り場は決まっているので、そこで待っていればまず間違いない。

 

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 札幌市立大前の停留所で下車、毛利悠子作品「そよぎ またはエコー」から見に行く。キャンパス内に来たのは初めて。校舎の設計は初代校長である建築家・清家清による。毛利さんは前回のSIAF2014にも参加していて、清華亭というところでの展示は面白かった。作品が楽しみでつい小走りになってしまう。

 

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 バスが来た道路からまっすぐ校舎のある方に行くと建物の前に看板があり、会場はまだ先とある。道は蛇行しており先が見えない。ほとんど森の中を歩いているようで本当に会場に着くのか不安になった。突き当たった丁字路を左に行くと校舎への入口がある。その先へエレベーターで上がると会場だ。

 

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 (分かりにくいが、この看板の右手奥に入り口がある。手前の扉ではない)

 

 長い廊下(「スカイウェイ」というらしい)の奥まで点々とオブジェが設置してある。会場で配布されている紙には作品タイトルや簡単な制作の経緯と砂澤ビッキの詩が書いてある。この詩の朗読が会場で流れていた。女性の声でしかも英語だ。なぜこうしたのだろう。砂澤ビッキ本人による朗読の音声があるなら聴いてみたいものだが、そうではなくても男性の日本語だとダメなのだろうか。英語の音の響きがいいのか?海外での展示を見越しているのか?会場では朗読の声と呼応するように自動演奏のピアノの音や鈴の音などがあちらこちらからする。他に白い陶器をベルのように鳴らす機械や横倒しになった街灯などもある(毛利さんのリサーチについて→毛利悠子、大きな作品への旅。札幌国際芸術祭2017参加アーティストが旅する北海道|「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する)。

 

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 配布物によれば、毛利さんは石狩川の河口から遡る形で音威子府まで行き、倒壊した炭鉱街の建物や変電所の碍子(がいし)、砂澤ビッキによる倒壊したトーテムポールなどを見た。今回の展示では、「朽ちながら生々しく存在するさまざまなものたちとの出会いに触発され、時間や環境によってモノが摩耗・風化していく様子」を「音の現象へと変奏」しているのだそうだ。配布物には、鑑賞者は様々な音や街路灯の明滅を感じながら、自動演奏のピアノの音や朗読される詩が“音速のゆらぎ”によって変化し、「エコーがかかったサウンドがやがてフォーカスを合わせてゆく様を感じることができるでしょう」とも書いてある。

  

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 「音速のゆらぎ」というのは具体的にどういう物理現象をさしているのか、造語なのかわからないが、この作品のキーワードなのだろう。作品は梅田さん堀尾さんの作品と近いタイプだ。ただこの場所に対して直接何かするわけではなくオブジェによって語らせようという感じである。場所に合ってはいるが、移動可能なインスタレーションだろう。音は生活音のようなものではなく、計算され調整されている印象が強い。

 配布物に書かれていることは正直よくわからない。やはり北海道のアーティストといえば砂澤ビッキの名が出るのだなと改めて思う。ビッキやその他さまざまな要素を音として体感させひとつの作品として見せようというのだろう。あちらこちらで独特な間で音が鳴るのは面白かった。
 

 

 

 2.芸術の森美術館

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 そのまま歩いて芸術の森エリアへ。看板があるのでわかりやすい。このあたりは周囲にクマ除けの電気柵がめぐらせてあるから注意。

 展示のタイトルは「NEWLIFE:リプレイのない展覧会」。芸術の森美術館、工芸館、有島武郎旧邸、野外美術館でそれぞれ作品が展示されている。

 

 

 

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 まず向かった芸術の森美術館で受付を済ます。中庭には、鈴木昭男の「きいてる」がある。「きいてる」は「木・居てる」の意味か。切り株のような不思議な丸いコンクリート製の台を設置し、鑑賞者はその上に乗って音を聴くというもの。ここで音を聴くエクササイズを行い、野外美術館の「点音(おとだて)」が本番ということらしい。

 
 美術館の展示室内はクリスチャン・マークレーの個展。写真撮影禁止だった。大友さんが衝撃を受けたという初期の作品「カバーのないレコード」から始まり、映像作品がほとんど。パソコンや携帯電話がリサイクルされる過程を撮った映像を編集しひとつの曲のようにした「LaptopPlayers(Duet)」などは映画ダンサーインザダークの挿入歌Cvaldaのようで面白い。他にも捨てられたチューインガムやタバコの吸い殻をアニメにした作品などがあり、ガラクタがまさに作品として再生されていた。暗い中に余裕をもって映像が展示されている様は、間延び感もなくはないが海外の現代美術の展示のようでゆとりがあり悪くなかった。

 
 美術館内の展示室はもうひとつあり、入り口のすぐ右手の部屋では刀根康尚の「Il Pluet(雨が降る)」を展示。スピーカーが着いた棒を林のように展示室内に立て、音の雨を降らせようという試み。アポリネールの詩を題材にしている。
 

 

 

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 野外美術館へ向かう途中に見た有島武郎旧邸は、鈴木昭男の「点音」に関するアーカイブ。建物そのものや内部の史料も大変興味深い。

 

 

 

 3.野外美術館

 

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 野外美術館は国内外の彫刻70作品以上が点在しており、SIAFがなくてもおすすめのアートスポットである。特にダニ・カラヴァンによる「隠された庭への道」は300メールに渡って展開されており必見だ。また北欧以外ではまとめてみることのできないグスタフ・ヴィゲーランの作品5点は貴重である。森の中にも彫刻がたくさんあるので、虫よけスプレーがあってもいいかもしれない。

 

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 ここでは「点音」が10か所に展開されている。やはり砂澤ビッキの「四つの風」の前にも音を聴くポイントがあった。木のざわめく音や虫の声が聞こえる。

 彫刻が設置されているなど周囲の環境によって聴こえてくる音が違うことは、このように敢えて音を聴く機会がなければ気がつけないことだ。だが、なかなか普段聴いていない音を聴くのは難しい。

 

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 藤田陽介による「cell」は下川昭宜の彫刻「夏引」の奥にある。アメリカミズアブという生物の出す音を「爆音で鳴らそうとする試み」である。羽音のような音が聞こえた。作品近くにステイトメントが入った箱がある。そこには「アブの幼虫の生死の循環の営みを可聴化させた」とある。可聴化ってあまり聞きなれない言葉だ。美術はあまりに「可視化」する作品が多すぎるのだとふと思った。

 

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 このような作品は時間を贅沢に使って鑑賞するにかぎる。私は音を聴くには時間に追われ過ぎていた。反省。

 

 

 4.工芸館

 

 

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 工芸館ではEYヨの「ドッカイドー ・海・」というインスタレーションを体感できる。10時から1時間おきに公開しているので、他の展示を見てうまく時間を調節するといい。
 入り口では白いスリッパを履かされる。会場は完全に真っ暗で、最初は何も見えない。スポンジのような素材でできた床はところどころに起伏があるので、つまずいて驚いたりしながら歩き回った。次第に目が慣れてきて、暗闇に小さい光の点が無数に穿たれていることが分かってくる。落書きのような抽象的な模様がたくさん描かれている。会場はかなり奥行きがあり、寝転んだりもできる。気が付くとスリッパも光っていた。他の来場者が入ってくるとスリッパが光って動くのでわかるのだ。シンプルで子供だましみたいなものだが、けっこう楽しんでしまってくやしい。
 

 

 5.モエレ沼

 

  13時ころバスで真駒内駅へ向かう。この日は梅田哲也によるパフォーマンス「わからないものたち その2」が行われる予定だったのだ。ふとメールをみると・・・。

 

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 なんと天候不良で中止だった。その代りに金市館で21時からパフォーマンスをやるとのこと。それまで時間に余裕ができた。予定を変更してモエレ沼公園の会場へに行くことにした。

 

 

 

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 札幌市営地下鉄真駒内駅から南北線でまっすぐ北34条駅へ。30分かからないくらいで着く。寂れた駅だった。ベンチにはお年寄りが多かった。ここからバスに乗る。また30分くらいかかる。最初は北〇条東〇丁目という停留所が狂ったように続くので本当に着くのか不安になる。次第に住宅街を抜け、丘珠方面へ。玉ねぎ畑?が目につくようになる。15時前くらいにモエレ沼公園西口へ無事到着。だが、展示物のあるガラスのピラミッドまではここから公園内を15分以上歩かなければならない。実はガラスのピラミッドへは東口からの方が近い。だが散歩も悪くない。

 

 

 

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  橋を越え、突き当りを左へ。プレイマウンテンの麓の大きなオブジェが見えてきたら右へ。

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 道なりに林を抜けると、右手にモエレ山が見えてくる。ここには廃自転車を使った伊藤隆介作品「長征―すべての山に登れ」がある。斜面で作品が展開されているが、後で見ることにしてまっすぐすすむ。

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 ぼーっと風景を眺めて歩いていると、山の向こうから飛行機が飛び出して頭上をまっすぐ進んでいった。丘珠空港からだろうか。

 

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 この日は家族連れや中学生くらいの来園者が多いように感じた。日向ぼっこしたりジョギングしたり過ごし方は様々だ。園内でも貸し出されている自転車で移動する人が多かったのには驚いた。ここは一大自転車エリアなのだ。それだけ園内が広いということでもある。などと思っていると左手にガラスのピラミッドが見えてくる。
 

 

 に続く。

 
 

札幌国際芸術祭2017(SIAF2017)見聞③  

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 の続き。次は日を改め札幌彫刻美術館の展示から。ちょっと長い文章になってしまった。

 以下ネタバレ注意。
 

 目次

 1.本郷新記念札幌彫刻美術館「家族の肖像」

 2.宮の森美術館

 3.円山動物園

 4.札幌市資料館へ

 5.CAI02

 6.すすきの会場

 

 

 


 8月17日

 

 

 1.本郷新記念札幌彫刻美術館「家族の肖像」

 

 この日は札幌市営地下鉄の一日乗車券を買った。大人830円と超中途半端な値段。こういうのにSIAF割引があったり、札幌市内のバスにも乗れたりするなどの+αがあればかなり便利で好評になると思うのだが。
 

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(『家族の肖像』会場内)

 
 10時過ぎから本郷新記念札幌彫刻美術館で開かれているグループ展『 New Eyes2017 家族の肖像』を見た。この展示はSIAFとはたぶん関係ない。New Eyesは以前開かれていた「北の彫刻展」を継承し、「我々をとりまく世界を見つめる作家たちの新鮮な目を、今日的なテーマのもとに紹介」するシリーズ展示。今回は題の通り「家族」をテーマにした展覧会で、本郷新のほか北海道を拠点に活動する(した)6作家を紹介していた。

 
 まず、会場の階段を昇ると広島平和記念公園にもある本郷新の代表作のひとつ「嵐の中の母子像」がデーンと目に入ってくる。左に進むと鈴木涼子の写真作品が左右の壁にあり、手前には唐牛幸史のオブジェやドローイングが、奥の壁には門馬よ宇子の平面作品があり、その裏の暗室では今村育子のインスタレーションを展示。そのまま左回りに進むと深澤孝史によるコンセプチュアルな作品があり、最後に佐竹真紀のいくつかのモニターを使った作品がある。

 これらの作品のすべてから作家の新鮮な目とやらは別に感じなかったし、「家族」が特に今日的なテーマだとも思わなかった。だが門馬作品はかつてあった家制度をうまく象徴的に示しているなと感じさせたし、佐竹作品もシンプルながら見飽きなかった。
 

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 (深澤孝史「家族の客体」)

 
 また、特に深澤作品はテーマの掘り下げ方と作品化の方法が他のアプローチと違って目立っていた。コンセプト文を要約するとだいたい次のようになるだろう。

 
 この作品は民俗学的な視点で自分の家族の客体化を試みることが「家族の芸術」を制作する基礎的な態度となるという仮説の実践である。過去を踏まえた上での新たな家族の風習を考えることが「家族の芸術」に近いのではないか。その方法として、深澤自身と妻の民俗学的背景を結び付け「過去に育つこども」を生み出すこととした。具体的には、深澤の出身地の山梨県に多く見られ、幼いころから親しんだ丸石道祖神を砂糖など身近な素材で制作した。道祖神柳田國男に始まる一国民俗学によって再発見されたものだが、もともと民俗学植民地主義の一手段として生まれた(その後、文化相対主義的な反省から一国民俗学が生まれる)。砂糖は日本と台湾の近代化の象徴であり、製糖事業を台湾で主導したのは札幌農学校出身の新渡戸稲造であった(深澤は、柳田は新渡戸の直系ともいえると書いている)。現在妻の出身在住地である札幌に住む深澤は、私たちの生活を多層化させ、未来へ向かうこどもに全く逆に向かう何かを出会わせようとする。それを創造する態度が家族の芸術なのだ、と。
 

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(深澤作品のモニター)

 
 コンセプト文は持って回った表現が多く読みにくかったが、民俗学的な知見を取り入れて扱う以上注釈が多くなるのは仕方がないし、家族というテーマに対しての真摯な態度の結果なのだと思う。植民地主義や近代化などシリアスで大きな話題に触れつつ、結果できたのが大きな謎の球体という落差も面白い。新渡戸と柳田の関係、北海道や札幌と台湾の関係がいまいちよくわからなかった部分もあった。コンセプト文を見る限りまだテーマが未消化なまま今のところ分かったことを提示しているように感じたので、そうだとしたら引き続いて同テーマで作品化、プロジェクト化してほしいと思う。

 

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 その後、隣接する記念館へ。ここは元は本郷新のアトリエであった。銅像の石膏原型などがたくさんありいつ見ても圧巻だ。記念館は美術ファンなら誰でも見て損はない。
 
 

 

 2.宮の森美術館

  

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 住宅街の中を抜け坂を下り宮の森美術館へ向かう。大きな結婚式場に隣接していて初めて行く人には入り口が分かりにくいと思う。建物の向かって左側にある白くて細長い建物がそれである。

 
 ここでは石川直樹展が開かれている。芸術祭パスポートを提示しても300円かかる。石川は、北極やヒマラヤなどの極地から都市の路上に至るまで、世界各地を旅しながらその土地における出会いや驚きを写真によって記録し行動し続けてきたアーティストであり、2001年から断続的に北海道を訪れてきた。今展では知床、網走のほかサハリンまで足を延ばし撮影した写真の他、白老のアヨロと呼ばれる地区のフィールドワークを石川とともに行ってきたアヨロラボラトリーというグループの展示も併せて行う。
 

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 私は石川直樹の本格的な展示をみたのはこれが初めてだ。点数は多くないが写真自体は雰囲気があると思った。内容としては旅先で目にした珍しいものや、その地域の暮らしを切り取ったらしきものが撮影されている。これらは確かにうまい写真や珍しい写真に違いないが、展覧会で配布していたハンドアウトにもある通り「旅しながらその土地における出会いや驚きを写真によって記録し」てきたという意味では、ただの旅行好きと何ら変わりはない。ただそこにある行動が加わっていることを私は初めて知った。

 

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 その行動というのは石川が知床などで行っている写真のワークショップや、写真を通し地元を知っていこうとする活動のことだ。会場でもいくつかの記録冊子が閲覧できる。

  これらワークショップは、ある種の画一化された観光地のイメージを地元から覆していこうという意図もあるのだろう(それが写真によって可能なのか?という疑問もあるがおいておく)。ハンドアウトには「北へ向かう旅、北から見つめ返す旅」と大きく書かれているのだが、すると「見つめ返す」のは地元の人々となり石川はどこまで行っても見る側の旅行者となるのではないだろうか。逆に言えば石川のような他所者ができることがワークショップなのだろう。

 改めていうまでもなく、現代の写真を芸術の範疇で評価しようとするならば、構図だとか色だとかだけでその良し悪しが決められるものではないはずで、新しい視点や写真の再定義などが求められてくる。先にも書いた通り石川の写真はただの観光客の写真と意味は同じである。もしそこに価値を見出すのであれば、今回の展示に関して言えば石川がその写真技術を活かして行っているであろうワークショップなどの行動との兼ね合いで見るほかない。そうなるとむしろ私としては活動家としての側面が強く見えてくるのである。その意味で芸術ってなんだ?とかアーティストってなんだ?、石川って写真家なのか?それは芸術なのか?などと、もう一度考えてみるのもいいかもしれない。
 

 

 

 3.円山動物園

 

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 10分ほど歩くと円山動物園の西門に出た。芸術祭パスポート提示で入園料が200円になり、会期中は何度でも入れる。SIAFの会場はちょうど西門近くの、元はクルーズアトラクションの施設だった建物だ。クワクボリョウタの作品が設置されている。

 

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 SIAFのパンフレットには「旅をテーマにした新作」とあるが、いい意味でどのようにも受け取ることができる作品になっていると思う。模型の中を光源となるおもちゃの列車が移動し、影が変化していく様はシンプルだが大人から子供まで楽しめ、夏休み中の動物園にはぴったりの作品だと思った。部屋が暗いので怖がっている子供もいたが。

 

 

 

 
 ついでに十年ぶりくらいに円山動物園を見た。家族連れで混んでいた。ヒグマやエゾシカ、オオカミが人気のようだった。動物たちが暑さでぐったりしているように見えたのは、私自身が暑さにぐったりしていたからかもしれない。

 

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(カワウソ。すばしこいので見てて飽きないが、写真を撮ると必ずブレる)

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(人気のヒグマ)

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サーバルキャット)

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 アフリカゾーンのキリン館の中には献花台があった。ここにいたユウマというオスのマサイキリンはつい先日亡くなった。中学生くらいのころだったか、あまり動かないのをいいことにユウマをスケッチした思い出がある。黙って手を合わせてきた。

 

 

 

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 園内の科学館ホールでは「北海道の外来生物展」が開かれており、興味深かった。外来種に関する様々なパネル展示のみならず、実際の外来種の展示や鳴き声を聴けるヘッドホンまで用意しており、熱意がうかがえる。様々な形での動植物の移入について知ると、外来生物がいかに身近な存在であるかを感じる。このような企画がまた開催され、将来参照できる形で記録を残してもらえるといいなと思う。
 

 

 

 
 そのまま円山を下山。一度西18丁目駅で降りて三岸幸太郎美術館へ行くが、SIAFの特別展示はまだだということでパスし、知事公館を少し見た後で札幌市資料館へ。
 

 

 

 4.札幌市資料館へ

 

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 札幌市資料館はもともと札幌控訴院という裁判所であった。いまは貸しギャラリーや札幌出身の漫画家・イラストレーターのおおば比呂司記念室として使われている。前回のSIAF2014以降、SIAFラウンジというカフェスペースもできた。ここは部屋が多いので展示も多い。

 

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 一階には「NMAライブ・ビデオアーカイブ」があり、SIAF2017のアドバイザーでもある沼山良明さんが主宰している世界の先鋭的な音楽を紹介する団体NMAの活動を知ることができる。私は現代音楽は門外漢でありこのような活動があることも知らずその意義も正確にはわからないのだが、少なくとも札幌出身者として活動記録が冊子や映像としてまとめられ残されたことをうれしく思う。私に身近な例でいえば、ここ数年で北海道の美術史上重要であろうと思われる作家がバタバタ死んでいるので、アーカイブの重要性をひしひしと感じていた。

 二階にもこれに近いプロジェクトとして「アート&リサーチセンター」がある。こちらはまだ何らかのまとまった展示物が見られるわけではなく、シンポジウムの開催のほか、北海道のアートにまつわる情報をいくつかの視点からまとめ直しているそうだ。館長の小田井さんと少しお話しした。今後の継続した活動と成果の発表が期待される。実はSIAFではリサーチとアーカイブを中心としたワークショップを2015年度に行っており、それには私も参加している。立派なサイトも作られているので、もう少し広報して欲しいものだが。

 

ws2016.tenjinyamastudio.jp

 

 
 二階には他にボランティアセンターや、会期中に情報を発信していくフリーペーパーである「サカナ通信」の編集局・放送局がある。

 

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(坑内図の全体と細部)


 二階の三部屋では「北海道の三至宝」を展示。この日まで旧住友赤平炭鉱の坑内図を展示していた。とにかくでかく、緻密だ。これがトップシークレットの「黒いダイヤ」を掘り出す宝の山の地図だったわけだ。

 

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 「北海道の木彫り熊~山里稔コレクションを中心に」では、あらゆる作家による様々な木彫り熊を展示。山里稔さんの著書「北海道 木彫り熊の考察」はただの土産品として顧みられることの少なかった木彫り熊の多彩な姿が多くの図版から分かるだけでなく素材や作家の推定などいくつかの要素で簡単な分類を行っていて、この展示を見て感銘を受けた人にはおすすめの本。近年は八雲町に木彫り熊の資料館(八雲町 - 八雲町木彫り熊資料館)ができるなど何かと話題にのぼることが多かったが、ある作品群がひとつのジャンルとして認められるには当然ながら代表的な作家と時代に沿った様式の変遷などの整理分類が必要なのだなと感じる。

 

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「地球の声を聞いた男・三松正夫の昭和新山火山画」では、ミマツダイアグラムで有名な三松正夫の絵画を展示。日本画の心得があったというだけあって、達者な筆遣いが見て取れる。
 
 札幌市資料館では「北海道の三至宝」企画の札幌市立大の上遠野先生と久しぶりにお会いしたりして、つい長居してしまった。

 

 5.CAI02

 
 急いで地下鉄で大通駅へ向かい、CAI02へ行くも、この日は閉館がはやく20分くらいしか見られなかった。さっぽろ雪まつりでも展示したという「札幌ループライン」と、さわひらきの映像作品やインタビューの展示だった。

  

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  札幌ループラインは円山動物園のクワクボさんの作品と仕組みとしては同じだが、しっかりとした模型による影の見ごたえがある分、実物が影になった時の意外性がなく、面白みが減るなと感じた。

 

 6.すすきの会場

 
 そのまま地下をあるいてすすきの方面へ。北専プラザ佐野ビルを探す。地下の出口にあった地図がほとんど「ウォーリーを探せ」状態のような分かりにくさで、これ意味あるの?と思ってしまった。大きな案内看板があったので最寄りの出口はすぐにわかったのだが。

 

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 (「SIAF2017会場」と二か所にシールが貼ってある)

 

 

 

 

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(佐野ビル入り口)


 佐野ビルは地下1階と5階で展示。5階から見る。受付のおばさんの対応が丁寧で親切だった。内装はホストクラブのよう。

 

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 (「コタンベツの丘」)

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 (「液体は熱エネルギーにより気体となり、冷えて液体に戻る。そうあるべきだ」)

 

 端聡の「Intention and substance」は、ドローイングの展示から始まり、開拓使判官の島義勇が円山から札幌の街を眺め都市計画をしたことをイメージした平面作品「コタンベツの丘」、「液体は熱エネルギーにより気体となり、冷えて液体に戻る。そうあるべきだ」は、ハロゲンランプを用いて水を変化させながら循環させ、水を象徴的に扱いつつ過度の電力消費を表す。「意図した物質とエネルギーの変化」では空気中の水を液体にし、装置から出る熱で油脂を溶かす。様々な社会問題、環境問題を象徴的に表現しようとしていて装置としてはかっこいいのだが、例えば循環を作品だけから見て取るのは難しく、あまりに象徴的すぎて伝わりにくいなと思った。

 

 

 
 地下はもとキャバクラか何かだったところをそのまま使って「DOMMUNE SAPPORO」として作品や映像を展示。

 

 

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 山川冬樹さんが山口小夜子に扮した映像作品「その人の見た未来は僕らの現在」は大変いい作品なのだが、撮影の際つかったお面と衣装がここに置かれるといかがわしいお店のキッチュな飾りのように見えるような気がして少し残念。

 

 

 

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(坂会館別館の様子)

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(てっちゃんサテライトの様子)

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(細部)


 他の三部屋は「札幌の三至宝」の展示。「レトロスペース坂会館別館」は坂館長に会えるので興味のある人は会いに行ったらいいが、本館の迫力にはとうていかなわない。「大漁居酒屋てっちゃんサテライト」も写真自体は悪くないのだが、パネルにして展示してしまうと本物にはまず及ばない。店主てっちゃんの描いた絵も写真パネルの上に飾ってしまって霞んでいるように思う。

 「北海道秘宝館『春子』」では北海道秘宝館の記録映像などが見られておもしろいが、特になにか現物があるわけでもないので、展示としてけっこう辛いものがある。

 また地下は通路が狭いのだが、SIAFスタッフが入り口でなにやら話し込んでいて入りにくく、案内も不親切だった。

 

 

 
 佐野ビルではAGS6・3ビル会場への地図を配布しているから、ここからは迷わず行ける。それはいいとして、わざわざ地図を配るくらいならなぜ事前にパンフレットに印刷しておかないのだろうか。

 

 

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 ここでは堀尾寛太の作品「補間」が展開されている。取り壊される予定のビルに様々な仕掛けを施している。立体的にいくつもの壁や部屋をまたいでワイヤーが張られ、それらが数分置きに連動して動くので、全体の関係を把握するには作品内を何度も行き来して観察しなければならず、私は割と長い時間楽しんだ。空間全体の様子は文字でも写真でも説明できるようなものではなく複雑だ。

 

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 タイプとしては梅田哲也さんの作品に似ているが、堀尾さんの方はもっと技術的な力技で建物に不可逆的な介入をしていくといった感が強い。音に関してもベルが急に鳴ったり、シャッターが大きな音を立てたりと、パワー系だ。視覚的にも短い間隔でいくつかの色のライトが点滅する部屋や、フラッシュが焚かれ続けている部屋などがあり暴力的である。梅田作品がごく自然に感覚させようと仕向けるのに対し、堀尾作品ではもっと強制的に感覚させようとしている印象を受ける。

 

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 閉館の20時近くまで展示を見た。すぐ帰宅。翌日に備え寝る。

 

 に続く。いよいよ芸術の森会場、そしてモエレ沼へ。

 

札幌国際芸術祭2017(SIAF2017)見聞②

 

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 (金市館の受付)


 の続き。札幌国際芸術祭を見ました。その記録です。まだまだ一日は終わらない。
 
 以下ネタバレ注意。
 
 目次

 1.金市館の展示

 2.500m美術館「シュプールを追いかけて」

 3.HUG さわひらき「うろ・うろ・うろ」

 4.DJ盆踊り

 

 

 
 8月14日 ②

 

 

 1.金市館の展示
 
 金一館ビル7階のエレベータの扉があくと、丸い衝立のような受付があった。薄暗いフロアがまるごと梅田哲也の作品だ。

 

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 蛍光色で「わからないものたち」と殴り書きされている。これが作品タイトルだ。他にも無造作に何枚か張り紙がしてあり、ガラクタがたくさん置いてある。

 
 順路は向かって左。木瓜紋の入ったすりガラスの戸を押して進むと目の前がぱっと明るくなり、思わずわぁっと言いながら駆け出してしまった。苔のような色のカーペット?と謎のガラス球。背後は窓越しに札幌の街が眺められ、そして眼下には狸小路の屋根が。「この建物にこんな景色を眺められる空間があったのか!」と、驚きながら行く手を見るとまた丸い衝立と、壁に埋まった半球。柵の奥にはガラス球やチューブや木製パレットなんかが組み合わさったものがあり、時たまブシュッ、ブシュッと音を立てている。なんだかよくわからないが好奇心を掻き立てられる光景だ。

 

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 何があるのか不安に思いながらフロアの奥へすすむ。この先はさらに暗くなっている。回転するサーチライトのようなもので部屋が端から順に照らされていく中に、またガラス球やらスピーカーやら、点々と置いてある。ずっと、どこからか途切れ途切れ、物をこすったような音がしている。無意識に光を目で追ったり、音がした方を反射的に見たりしながら会場をしばらくうろうろした。飽きない。

 

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  あるものは刻一刻と変化し動き続け、またあるものは発光し、あるものは意味ありげにそこにただ置かれ・・・とても言い尽くせるような状況ではないが、私はそれらを注意深く眺め、耳をそばだて、何かの気配を感じようとし、会場ではいったいなにがどうなっているのかを理解しようと努めた。より正確に言うなら、私は作品によってそうするように仕向けられた。鑑賞者は操られている風でありながら、自ら操られに行っているような共犯者でもある。そういう危うさやスリルも覚えた。

 

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 この作品で気になったのは、会場にあったものを利用していながら場所の固有性を感じさせるモチーフがあまり見当たらないことだ。金市館という場所をよく知っている人ならば作品にこの場所らしいモチーフを見つけられるかもしれないが、2、3か月に一度、古本市を覗くくらいの利用だった私にとっては、ここは紛れもなく金市館(私に馴染みのある名前で言うならラルズ)でありながら、どこか別の次元や時間軸にある空間のようにも感じられる。梅田さんと作品設置場所との間に微妙な間合いというか距離感の取り方があるのだろう。

 
 また、一見無秩序で中心がないインスタレーションなのだが、様々な球体をあちこちに配していて、全体の不思議なつながりが見て取れたのが気持ちよかった。おそらく昔からあったであろう壁の半球や丸い窓の他、水の入ったガラス球、円形の衝立、ガラスの浮き球などがそれだ。

 

 「わからないものたち」は、巧妙な仕掛けが施されているであろう空間を、反射的に感じとっていくことで鑑賞する作品だった。金市館はかつてどのような姿だったのか、また梅田さんの手によって金市館がどのように変容し作品になったのか。この会場に置かれているものたちはどういう来歴をもち、どういう意味が込められているのか。それらは私にはまったくわからない。だが、そういうわかり方とは別のわかり方を示すのが「わからないものたち」なのではないか、とも思った。

 
(参考、梅田哲也インタビューアーティスト・インタビュー:梅田哲也(アーティスト、パフォーマー) | Performing Arts Network Japan パフォーマンスの様子もいくつか動画サイトで見られる Tetsuya Umeda - YouTube など)。
 

 

 
 その後ジュンク堂をちらっとみた。SIAF関連コーナーもあった。

 

 

 

 2.500m美術館「シュプールを追いかけて」
 

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 500m美術館へ。ここでは、中崎透×札幌×スキーによる「シュプールを追いかけて」を展示している。シュプールとはスキーで滑った跡のこと。500m美術館は、札幌市営地下鉄の大通駅とバスセンター前駅をつなぐ地下通路の壁を整備した展示スペースで、部分的にはガラスケースなどもある。とにかく横に長いのが特徴で、奥行きはほぼない。よく言えばユニークな場所であるが、そもそもが通路なので展示における制約も多そうだ。
 
 この展覧会は、アーティスト中崎透さんを中心にボランティアチーム「SIAF500メーターズ」など様々な人が関わりながら札幌におけるスキーの歴史をリサーチ等し、まとめたもの。もともとスキー好きだった中崎さんは以前青森でも同タイトルのスキーをテーマとした展覧会を企画したことがあったそうだ。

 

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 内容は大通を起点として東へ進むに従って時系列順になっている。出来事や用語解説、インタビューの抜粋のパネル、書籍やポスター、スキー板などの史料、中崎さんによるペインティングなどがずらっと並んでいた。大倉山の「札幌オリンピックミュージアム」からたくさん所蔵品を借りているそうだ。一つの流れで何かをみせるというよりは、それぞれの時点でのトピックについて掘り下げていったものが提示されているようだ。私には史料が多すぎて一度で最初から最後まで集中して見ることはできなかった。ただそれがこの展覧会(作品?)の質を大きく損ねているかというとそうでもなくて、部分的に読むだけでも興味深いところがたくさんある。スキーの普及、発展をめぐる様々な人やモノにまつわる逸話の数々を読んでいくと、スキーはただの趣味のスポーツではなく、ひとつの文化を形作っていることが分かってくる。せっかく通路にあるのだから、札幌市民は通勤や通学の途中で少しづつ読むのもいいのかもしれない。

 

 

 

 3.HUG さわひらき「うろ・うろ・うろ」

  

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 その後は、「シュプールを追いかけて」を見るのを中断し、北海道教育大学アーツ&スポーツ文化複合施設HUGへ。この建物は普段は学生の作品展などで使われている札幌軟石でできた立派な倉だ。ここでは、さわひらき「うろ・うろ・うろ」を展示。暗室でオブジェと大きな二つの映像が展開される。

 

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 モエレ沼夕張市のシューパロ湖で、氷点下のなか積雪を掻き氷に穴をあけ、照明を水中に沈めるなどした梅田哲也との「フィールドアクション」の記録を構成した映像作品だった。不気味で神秘的で意味不明だが時々ハッとするような美しいシーンがあって、40分以上のループ映像だがあまり見飽きない。特に明確なストーリーがあるわけでもないので途中から見ても大丈夫だと思う。会場内にはソーマトロープを用いたオブジェもあり、映像の雰囲気と合っていた。
 
 
 

 4.DJ盆踊り

 

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 また地下通路に戻り、「シュプールを追いかけて」の残りを見、大通あたりで夕食。安い冷やし中華を食べて大通公園へ。この日はSIAFのプログラムである岸野雄一と珍盤亭娯楽師匠による「DJ盆踊りinさっぽろ夏まつり」が開かれるのだ。(参考:インタビュー:珍盤亭娯楽師匠
 
 通常の夏祭りの盆踊りに続いて、20時半から岸野さんと師匠が櫓に登場。少しの準備時間のあと、SIAFのイベントである旨などが説明された。

 
 まずは定番の北海盆唄から。続いて北海盆唄高速バージョン、函館いか踊りなどなど。知らない曲も多かったが全く問題にならない。僕は地元の盆踊りには行かないし行っても踊らないのだが今回はかなりノれた。祭の妖精、祭太郎さんもいた。札幌人はシャイだと聞くが、最後はもうほとんどディスコ状態でみんな好き勝手に踊っていた。

 素朴な感想だが音楽のもつ力を感じた。人を動かす力だ。『火縄銃でボーン!!』の歌詞に「え~じゃないか え~じゃないか」と入っているのは偶然ではない。時間通りに終わったが、アンコールの声があがり特別にもう一曲。やはり北海盆唄でしかもサンババージョン。踊りつかれて帰宅。

 
 盛りだくさんな一日だった。この調子でSIAFめぐりをして体力がもつのだろうか。
 
に続く)

札幌国際芸術祭2017(SIAF2017)見聞①

 

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 目次

 1.札幌国際芸術祭2017の概要

 2.JRタワープラニスホールまで

 3.大丸

 4.「大漁居酒屋てっちゃん」の店内ツアー

 5.金市館ビルへ

 

 

 

 1.札幌国際芸術祭2017の概要

 
 札幌国際芸術祭2017(略称:SIAF2017)が開幕した。三年に一度のトリエンナーレ形式のイベントであり、前回の2014年に引き続き二度目の開催だ。8月6日から10月1日の57日間、北海道札幌市の30か所以上で作品が展示され、同時にあちこちで多様なイベントが開催される。ゲストディレクターは音楽家の大友良英
 札幌市は2006年に「創造都市さっぽろ」宣言を行い、2013年にはアジア初のメディアアーツ都市としてユネスコの創造都市ネットワークへ加盟した。さらに芸術祭開催に向けた市民レベルの運動やプレイベントもあり、芸術祭の開催に至っている。だから既定路線としてメディアアートを扱う傾向があり(前回のゲストディレクターは坂本龍一だった)、また市民との関りは深いといえよう。

 
 テーマは「芸術祭ってなんだ?-ガラクタの星座たち―」。
 これについての想いは大友さんがパンフレットに詳しく書いている。この文章は芸術祭サイトや無料のパンフレットにも載っているはずだ。しかも読み易いので芸術祭鑑賞前に一読をお勧めする。

 自分なりに間違いを恐れず要約すると、「市民参加の芸術祭なので市民の数だけ答えがあるはずだ。正解のないことを豊かさとして受け入れ、祭りをつくっていくなかで見えてきたものを芸術とよぶことが、芸術の本来のあり方に近いのではないか。モエレ沼公園を計画する際にイサム・ノグチが『人間が傷つけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事です』と語ったように、見向きもされなかったガラクタを再生するような、あらゆる領域の作家、作品を登場させたい。それらに接したときに、参加者ひとりひとりが見出したつながりは喩えるなら星座であり、それは「再生」の物語である」というところではないか。

 
 今回のSIAFは作品の展示だけでなく音楽や舞台の分野のイベントが多く、ワークショップやプロジェクト形式の活動もある。また、全体的に鑑賞中に刻々と変化していくような作品が目につく。いつどの作品を見て、どのイベントに参加したかで、芸術祭への印象は変わるだろう。多数の賛同を得られるような芸術祭を総括した評価は難しいかもしれない。評論家泣かせ、短期滞在のアートファン泣かせだ。
 SIAFをできる限り楽しもうと思えば、もはや札幌に住むほかない(大友さんは現在札幌在住らしい)。そもそもが市民運動から始まり、地域おこしとは縁遠いであろう札幌での芸術祭だが、その意味でも市民寄りの芸術祭と言える。何かと言えばやれ動員数だの経済効果だのといった外向きな尺度に過度にさらされがちな芸術祭においては、多少内向きすぎるくらいがちょうどいいのかもしれない。

 
 長い前置きはこのくらいにして、個別の作品を見て回った記録を書いていきたい。SIAF2017とは直接かかわらない市内のギャラリーでの展示などもいくつか見たので、それも見た順に書いていく。
 

以下ネタバレ注意。

  

 

 

 8月14日

 

 

 2.JRタワープラニスホールまで

 

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 まずは札幌駅に隣接するJRタワーから見始めた。
 札幌駅西口改札前には木彫家・藤戸竹喜氏によるアイヌの長老像やアイヌの代表的な木彫家6名による祭祀の道具であるイクパスイをモチーフにしたオブジェが設置されている。道外から来る人にはぜひ見せたい作品だ。これは常設でありSIAFと関係ない。

 

 

 
 JRタワープラニスホールへは、慣れていないとかなり行きにくい。ビックカメラが入っている建物の11階だが、エレベーターはよく混んでいるので、エスカレータで「札幌ら~めん共和国」が入っている10階まで行き階段を使うと早い。だがこの階段の位置もわかりにくい。ここに限っては特にパンフレットに詳細な地図などあるとよいのだが。
 エスカレータを使って11階までやっとたどり着き、パスポートをゲット。

 

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 ここで開かれている「札幌デザイン開拓使 サッポロ発のグラフィックデザイン~栗谷川健一から初音ミクまで」は、「デザインってなんだ?」という問いを、札幌にまつわるデザインで考えようとするものだ。

 
 まず最初に吉田初三郎の鳥観図が置かれている。吉田初三郎は札幌出身者や在住者ではないが、北海道や樺太を描いた作品は多いらしい(鳥瞰図/札幌市の図書館)。次に開拓使のシンボルである赤の五稜星と、この展示のマークにもなっている赤の七稜星の紹介。これは開拓使長官であった黒田清隆が考案したが没になったもので、のちに北海道のマークに取り入れられた。その後は、北海道的なイメージを作り上げたともいわれるグラフィックデザイナー栗谷川健一札幌オリンピックのデザインについての展示。次の部屋は現代までの北海道の企業製品のパッケージデザインや北海道で発表されたグラフィックデザインを紹介。特にすすきののニッカの看板をわざわざ再現したのには驚かされる。それらと向かい合う壁では一面に北海道の企業ロゴが展示されている。動く初音ミクが先述の五稜星と七稜星について紹介するコーナーも。最後の部屋では「札幌デザイン史年表」が壁にあり、資料の閲覧もできる。

 

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 まずここまで書いてわかる通り、札幌に関わる比重は大きいものの、結果的に北海道全体を対象にしている点で焦点がずれている(札幌に限定した意味もよくわからない)。また内容としては、北海道のデザインの独自性や特徴を示すヒントは特に示されておらず、見ごたえはあるものの、単になにやらデザインらしきものを集めただけ、という印象を受けた。まとまった資料を前にして北海道のデザインを見直す機会にはなるだろうが、結論を見る側に投げ過ぎだと思う。「デザインってなんだ?」が、いわゆるキュレーションの、不在の言い訳に使われているようにも見えた。もっとも、札幌のデザインの変革を記した資料は少なく通史もまだないとのことだから、この展示をスタート地点として更に研究が深まっていくものと思われるし、それも企画の意図のうちだろう。

 それに加えこの展覧会に限らないことだが、何かと言えば開拓使から北海道の歴史を記述し始める癖はいい加減なんとかした方がいいと思う。昨今の研究成果を取り入れれば、明治以前の北海道に対するイメージを形作ったグラフィック的な祖先を辿る試みくらいできそうだと感じるのだが、どうだろう。

 

 

 3.大丸

 

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 その後は、デパートの大丸札幌店で展示があるようなので行ってみた。休憩スペースに「大風呂敷プロジェクト」の風呂敷が飾ってあるだけなので、買い物ついでにでも見ればよいと思う。
 

 

 4.「大漁居酒屋てっちゃん」の店内ツアー

 

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 地下歩行空間を使ってすすきのへ。「大漁居酒屋てっちゃん」の店内ツアーが行われるからだ。集合時間の15時の10分くらい前に着いたが、すでに7、8人は待機していた。スタッフの方に案内されてエレベーターや階段で店内に向かう。

 

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 やや暗めの店内は、そこに足を踏み入れた瞬間からついきょろきょろしてしまう。あたりがとにかく「もの」だらけ。座席と床とテーブル以外はなんでも詰め込めるだけ詰め込んだといった具合で、よくある「三丁目の夕日」をイメージしたような、懐古趣味の居酒屋などは軽く消し飛んでしまう物量だ。昔懐かしいめんこやブロマイド、お面はたくさんあるのだが、よく見るとところどころに最近の「もの」もあり、常にアップデートされているようである。やや褪せた色合いのせいか、不思議と落ち着く空間だった。

 出迎えた店主の「てっちゃん」は気さくに来場者の質問に答えていた。このお店は都築響一さんの雑誌の連載に掲載されたことがきっかけで知られるようになったという。とにかく暇さえあれば掃除をしているそうだ。芸術祭をきっかけにもっと市井のすごい人、面白い人にスポットライトが当たるといい、という話をした。

 

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 ここは企画「札幌の三至宝 アートはこれを超えられるか!」の一会場である(参考:「札幌の三至宝」についての記事→〈大漁居酒屋てっちゃん〉と〈レトロスペース坂会館〉は札幌の知られざる至宝!?|「colocal コロカル」)。

 私はこの居酒屋はあくまで居酒屋で、アートだとは思わない。下手にアートとして見ると価値を損なう場合もあるかもしれない。そもそもアートと比較しようというのがアートの側のとんだ思い上がりだとも思う。これを芸術祭というフレームの中で鑑賞してしまうことに戸惑いもあるし、少しの暴力性も感じる。ただ、たとえどんなことを考えていても、ここにいると誰もが「すごい」「よく集めたなぁ」「なんでこんなにいっぱいあるの!?」「あーこれ懐かしい~」と思ってしまう。それは店主の狙い通りだろう。難しいことを考えずとも、それでいいのかもしれない。そういう気にさせられる。

 ここよりもう少し南よりの、北専プラザ佐野ビル会場でも大漁居酒屋てっちゃんのサテライト展とでも言うべき一室があるが、それは後述する。

 

 

 5.金市館ビルへ
 

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(完全に同化しているSIAFの旗)

 
 一時間ほどで店を出て金市館ビルの会場へ。時刻は16時頃。以前はラルズという古き良きデパートだったが、今はパチスロ店が入居していて、入りにくいことこの上ない。パチスロ店内を通らずともエレベータで7階まで上がることができる。私にとっては懐かしいエレベーターに何年かぶりで乗った。

 

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 (へ続く)