こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

札幌国際芸術祭2017(SIAF2017)見聞②

 

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 (金市館の受付)


 の続き。札幌国際芸術祭を見ました。その記録です。まだまだ一日は終わらない。
 
 以下ネタバレ注意。
 
 目次

 1.金市館の展示

 2.500m美術館「シュプールを追いかけて」

 3.HUG さわひらき「うろ・うろ・うろ」

 4.DJ盆踊り

 

 

 
 8月14日 ②

 

 

 1.金市館の展示
 
 金一館ビル7階のエレベータの扉があくと、丸い衝立のような受付があった。薄暗いフロアがまるごと梅田哲也の作品だ。

 

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 蛍光色で「わからないものたち」と殴り書きされている。これが作品タイトルだ。他にも無造作に何枚か張り紙がしてあり、ガラクタがたくさん置いてある。

 
 順路は向かって左。木瓜紋の入ったすりガラスの戸を押して進むと目の前がぱっと明るくなり、思わずわぁっと言いながら駆け出してしまった。苔のような色のカーペット?と謎のガラス球。背後は窓越しに札幌の街が眺められ、そして眼下には狸小路の屋根が。「この建物にこんな景色を眺められる空間があったのか!」と、驚きながら行く手を見るとまた丸い衝立と、壁に埋まった半球。柵の奥にはガラス球やチューブや木製パレットなんかが組み合わさったものがあり、時たまブシュッ、ブシュッと音を立てている。なんだかよくわからないが好奇心を掻き立てられる光景だ。

 

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 何があるのか不安に思いながらフロアの奥へすすむ。この先はさらに暗くなっている。回転するサーチライトのようなもので部屋が端から順に照らされていく中に、またガラス球やらスピーカーやら、点々と置いてある。ずっと、どこからか途切れ途切れ、物をこすったような音がしている。無意識に光を目で追ったり、音がした方を反射的に見たりしながら会場をしばらくうろうろした。飽きない。

 

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  あるものは刻一刻と変化し動き続け、またあるものは発光し、あるものは意味ありげにそこにただ置かれ・・・とても言い尽くせるような状況ではないが、私はそれらを注意深く眺め、耳をそばだて、何かの気配を感じようとし、会場ではいったいなにがどうなっているのかを理解しようと努めた。より正確に言うなら、私は作品によってそうするように仕向けられた。鑑賞者は操られている風でありながら、自ら操られに行っているような共犯者でもある。そういう危うさやスリルも覚えた。

 

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 この作品で気になったのは、会場にあったものを利用していながら場所の固有性を感じさせるモチーフがあまり見当たらないことだ。金市館という場所をよく知っている人ならば作品にこの場所らしいモチーフを見つけられるかもしれないが、2、3か月に一度、古本市を覗くくらいの利用だった私にとっては、ここは紛れもなく金市館(私に馴染みのある名前で言うならラルズ)でありながら、どこか別の次元や時間軸にある空間のようにも感じられる。梅田さんと作品設置場所との間に微妙な間合いというか距離感の取り方があるのだろう。

 
 また、一見無秩序で中心がないインスタレーションなのだが、様々な球体をあちこちに配していて、全体の不思議なつながりが見て取れたのが気持ちよかった。おそらく昔からあったであろう壁の半球や丸い窓の他、水の入ったガラス球、円形の衝立、ガラスの浮き球などがそれだ。

 

 「わからないものたち」は、巧妙な仕掛けが施されているであろう空間を、反射的に感じとっていくことで鑑賞する作品だった。金市館はかつてどのような姿だったのか、また梅田さんの手によって金市館がどのように変容し作品になったのか。この会場に置かれているものたちはどういう来歴をもち、どういう意味が込められているのか。それらは私にはまったくわからない。だが、そういうわかり方とは別のわかり方を示すのが「わからないものたち」なのではないか、とも思った。

 
(参考、梅田哲也インタビューアーティスト・インタビュー:梅田哲也(アーティスト、パフォーマー) | Performing Arts Network Japan パフォーマンスの様子もいくつか動画サイトで見られる Tetsuya Umeda - YouTube など)。
 

 

 
 その後ジュンク堂をちらっとみた。SIAF関連コーナーもあった。

 

 

 

 2.500m美術館「シュプールを追いかけて」
 

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 500m美術館へ。ここでは、中崎透×札幌×スキーによる「シュプールを追いかけて」を展示している。シュプールとはスキーで滑った跡のこと。500m美術館は、札幌市営地下鉄の大通駅とバスセンター前駅をつなぐ地下通路の壁を整備した展示スペースで、部分的にはガラスケースなどもある。とにかく横に長いのが特徴で、奥行きはほぼない。よく言えばユニークな場所であるが、そもそもが通路なので展示における制約も多そうだ。
 
 この展覧会は、アーティスト中崎透さんを中心にボランティアチーム「SIAF500メーターズ」など様々な人が関わりながら札幌におけるスキーの歴史をリサーチ等し、まとめたもの。もともとスキー好きだった中崎さんは以前青森でも同タイトルのスキーをテーマとした展覧会を企画したことがあったそうだ。

 

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 内容は大通を起点として東へ進むに従って時系列順になっている。出来事や用語解説、インタビューの抜粋のパネル、書籍やポスター、スキー板などの史料、中崎さんによるペインティングなどがずらっと並んでいた。大倉山の「札幌オリンピックミュージアム」からたくさん所蔵品を借りているそうだ。一つの流れで何かをみせるというよりは、それぞれの時点でのトピックについて掘り下げていったものが提示されているようだ。私には史料が多すぎて一度で最初から最後まで集中して見ることはできなかった。ただそれがこの展覧会(作品?)の質を大きく損ねているかというとそうでもなくて、部分的に読むだけでも興味深いところがたくさんある。スキーの普及、発展をめぐる様々な人やモノにまつわる逸話の数々を読んでいくと、スキーはただの趣味のスポーツではなく、ひとつの文化を形作っていることが分かってくる。せっかく通路にあるのだから、札幌市民は通勤や通学の途中で少しづつ読むのもいいのかもしれない。

 

 

 

 3.HUG さわひらき「うろ・うろ・うろ」

  

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 その後は、「シュプールを追いかけて」を見るのを中断し、北海道教育大学アーツ&スポーツ文化複合施設HUGへ。この建物は普段は学生の作品展などで使われている札幌軟石でできた立派な倉だ。ここでは、さわひらき「うろ・うろ・うろ」を展示。暗室でオブジェと大きな二つの映像が展開される。

 

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 モエレ沼夕張市のシューパロ湖で、氷点下のなか積雪を掻き氷に穴をあけ、照明を水中に沈めるなどした梅田哲也との「フィールドアクション」の記録を構成した映像作品だった。不気味で神秘的で意味不明だが時々ハッとするような美しいシーンがあって、40分以上のループ映像だがあまり見飽きない。特に明確なストーリーがあるわけでもないので途中から見ても大丈夫だと思う。会場内にはソーマトロープを用いたオブジェもあり、映像の雰囲気と合っていた。
 
 
 

 4.DJ盆踊り

 

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 また地下通路に戻り、「シュプールを追いかけて」の残りを見、大通あたりで夕食。安い冷やし中華を食べて大通公園へ。この日はSIAFのプログラムである岸野雄一と珍盤亭娯楽師匠による「DJ盆踊りinさっぽろ夏まつり」が開かれるのだ。(参考:インタビュー:珍盤亭娯楽師匠
 
 通常の夏祭りの盆踊りに続いて、20時半から岸野さんと師匠が櫓に登場。少しの準備時間のあと、SIAFのイベントである旨などが説明された。

 
 まずは定番の北海盆唄から。続いて北海盆唄高速バージョン、函館いか踊りなどなど。知らない曲も多かったが全く問題にならない。僕は地元の盆踊りには行かないし行っても踊らないのだが今回はかなりノれた。祭の妖精、祭太郎さんもいた。札幌人はシャイだと聞くが、最後はもうほとんどディスコ状態でみんな好き勝手に踊っていた。

 素朴な感想だが音楽のもつ力を感じた。人を動かす力だ。『火縄銃でボーン!!』の歌詞に「え~じゃないか え~じゃないか」と入っているのは偶然ではない。時間通りに終わったが、アンコールの声があがり特別にもう一曲。やはり北海盆唄でしかもサンババージョン。踊りつかれて帰宅。

 
 盛りだくさんな一日だった。この調子でSIAFめぐりをして体力がもつのだろうか。
 
に続く)

札幌国際芸術祭2017(SIAF2017)見聞①

 

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 目次

 1.札幌国際芸術祭2017の概要

 2.JRタワープラニスホールまで

 3.大丸

 4.「大漁居酒屋てっちゃん」の店内ツアー

 5.金市館ビルへ

 

 

 

 1.札幌国際芸術祭2017の概要

 
 札幌国際芸術祭2017(略称:SIAF2017)が開幕した。三年に一度のトリエンナーレ形式のイベントであり、前回の2014年に引き続き二度目の開催だ。8月6日から10月1日の57日間、北海道札幌市の30か所以上で作品が展示され、同時にあちこちで多様なイベントが開催される。ゲストディレクターは音楽家の大友良英
 札幌市は2006年に「創造都市さっぽろ」宣言を行い、2013年にはアジア初のメディアアーツ都市としてユネスコの創造都市ネットワークへ加盟した。さらに芸術祭開催に向けた市民レベルの運動やプレイベントもあり、芸術祭の開催に至っている。だから既定路線としてメディアアートを扱う傾向があり(前回のゲストディレクターは坂本龍一だった)、また市民との関りは深いといえよう。

 
 テーマは「芸術祭ってなんだ?-ガラクタの星座たち―」。
 これについての想いは大友さんがパンフレットに詳しく書いている。この文章は芸術祭サイトや無料のパンフレットにも載っているはずだ。しかも読み易いので芸術祭鑑賞前に一読をお勧めする。

 自分なりに間違いを恐れず要約すると、「市民参加の芸術祭なので市民の数だけ答えがあるはずだ。正解のないことを豊かさとして受け入れ、祭りをつくっていくなかで見えてきたものを芸術とよぶことが、芸術の本来のあり方に近いのではないか。モエレ沼公園を計画する際にイサム・ノグチが『人間が傷つけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事です』と語ったように、見向きもされなかったガラクタを再生するような、あらゆる領域の作家、作品を登場させたい。それらに接したときに、参加者ひとりひとりが見出したつながりは喩えるなら星座であり、それは「再生」の物語である」というところではないか。

 
 今回のSIAFは作品の展示だけでなく音楽や舞台の分野のイベントが多く、ワークショップやプロジェクト形式の活動もある。また、全体的に鑑賞中に刻々と変化していくような作品が目につく。いつどの作品を見て、どのイベントに参加したかで、芸術祭への印象は変わるだろう。多数の賛同を得られるような芸術祭を総括した評価は難しいかもしれない。評論家泣かせ、短期滞在のアートファン泣かせだ。
 SIAFをできる限り楽しもうと思えば、もはや札幌に住むほかない(大友さんは現在札幌在住らしい)。そもそもが市民運動から始まり、地域おこしとは縁遠いであろう札幌での芸術祭だが、その意味でも市民寄りの芸術祭と言える。何かと言えばやれ動員数だの経済効果だのといった外向きな尺度に過度にさらされがちな芸術祭においては、多少内向きすぎるくらいがちょうどいいのかもしれない。

 
 長い前置きはこのくらいにして、個別の作品を見て回った記録を書いていきたい。SIAF2017とは直接かかわらない市内のギャラリーでの展示などもいくつか見たので、それも見た順に書いていく。
 

以下ネタバレ注意。

  

 

 

 8月14日

 

 

 2.JRタワープラニスホールまで

 

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 まずは札幌駅に隣接するJRタワーから見始めた。
 札幌駅西口改札前には木彫家・藤戸竹喜氏によるアイヌの長老像やアイヌの代表的な木彫家6名による祭祀の道具であるイクパスイをモチーフにしたオブジェが設置されている。道外から来る人にはぜひ見せたい作品だ。これは常設でありSIAFと関係ない。

 

 

 
 JRタワープラニスホールへは、慣れていないとかなり行きにくい。ビックカメラが入っている建物の11階だが、エレベーターはよく混んでいるので、エスカレータで「札幌ら~めん共和国」が入っている10階まで行き階段を使うと早い。だがこの階段の位置もわかりにくい。ここに限っては特にパンフレットに詳細な地図などあるとよいのだが。
 エスカレータを使って11階までやっとたどり着き、パスポートをゲット。

 

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 ここで開かれている「札幌デザイン開拓使 サッポロ発のグラフィックデザイン~栗谷川健一から初音ミクまで」は、「デザインってなんだ?」という問いを、札幌にまつわるデザインで考えようとするものだ。

 
 まず最初に吉田初三郎の鳥観図が置かれている。吉田初三郎は札幌出身者や在住者ではないが、北海道や樺太を描いた作品は多いらしい(鳥瞰図/札幌市の図書館)。次に開拓使のシンボルである赤の五稜星と、この展示のマークにもなっている赤の七稜星の紹介。これは開拓使長官であった黒田清隆が考案したが没になったもので、のちに北海道のマークに取り入れられた。その後は、北海道的なイメージを作り上げたともいわれるグラフィックデザイナー栗谷川健一札幌オリンピックのデザインについての展示。次の部屋は現代までの北海道の企業製品のパッケージデザインや北海道で発表されたグラフィックデザインを紹介。特にすすきののニッカの看板をわざわざ再現したのには驚かされる。それらと向かい合う壁では一面に北海道の企業ロゴが展示されている。動く初音ミクが先述の五稜星と七稜星について紹介するコーナーも。最後の部屋では「札幌デザイン史年表」が壁にあり、資料の閲覧もできる。

 

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 まずここまで書いてわかる通り、札幌に関わる比重は大きいものの、結果的に北海道全体を対象にしている点で焦点がずれている(札幌に限定した意味もよくわからない)。また内容としては、北海道のデザインの独自性や特徴を示すヒントは特に示されておらず、見ごたえはあるものの、単になにやらデザインらしきものを集めただけ、という印象を受けた。まとまった資料を前にして北海道のデザインを見直す機会にはなるだろうが、結論を見る側に投げ過ぎだと思う。「デザインってなんだ?」が、いわゆるキュレーションの、不在の言い訳に使われているようにも見えた。もっとも、札幌のデザインの変革を記した資料は少なく通史もまだないとのことだから、この展示をスタート地点として更に研究が深まっていくものと思われるし、それも企画の意図のうちだろう。

 それに加えこの展覧会に限らないことだが、何かと言えば開拓使から北海道の歴史を記述し始める癖はいい加減なんとかした方がいいと思う。昨今の研究成果を取り入れれば、明治以前の北海道に対するイメージを形作ったグラフィック的な祖先を辿る試みくらいできそうだと感じるのだが、どうだろう。

 

 

 3.大丸

 

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 その後は、デパートの大丸札幌店で展示があるようなので行ってみた。休憩スペースに「大風呂敷プロジェクト」の風呂敷が飾ってあるだけなので、買い物ついでにでも見ればよいと思う。
 

 

 4.「大漁居酒屋てっちゃん」の店内ツアー

 

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 地下歩行空間を使ってすすきのへ。「大漁居酒屋てっちゃん」の店内ツアーが行われるからだ。集合時間の15時の10分くらい前に着いたが、すでに7、8人は待機していた。スタッフの方に案内されてエレベーターや階段で店内に向かう。

 

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 やや暗めの店内は、そこに足を踏み入れた瞬間からついきょろきょろしてしまう。あたりがとにかく「もの」だらけ。座席と床とテーブル以外はなんでも詰め込めるだけ詰め込んだといった具合で、よくある「三丁目の夕日」をイメージしたような、懐古趣味の居酒屋などは軽く消し飛んでしまう物量だ。昔懐かしいめんこやブロマイド、お面はたくさんあるのだが、よく見るとところどころに最近の「もの」もあり、常にアップデートされているようである。やや褪せた色合いのせいか、不思議と落ち着く空間だった。

 出迎えた店主の「てっちゃん」は気さくに来場者の質問に答えていた。このお店は都築響一さんの雑誌の連載に掲載されたことがきっかけで知られるようになったという。とにかく暇さえあれば掃除をしているそうだ。芸術祭をきっかけにもっと市井のすごい人、面白い人にスポットライトが当たるといい、という話をした。

 

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 ここは企画「札幌の三至宝 アートはこれを超えられるか!」の一会場である(参考:「札幌の三至宝」についての記事→〈大漁居酒屋てっちゃん〉と〈レトロスペース坂会館〉は札幌の知られざる至宝!?|「colocal コロカル」)。

 私はこの居酒屋はあくまで居酒屋で、アートだとは思わない。下手にアートとして見ると価値を損なう場合もあるかもしれない。そもそもアートと比較しようというのがアートの側のとんだ思い上がりだとも思う。これを芸術祭というフレームの中で鑑賞してしまうことに戸惑いもあるし、少しの暴力性も感じる。ただ、たとえどんなことを考えていても、ここにいると誰もが「すごい」「よく集めたなぁ」「なんでこんなにいっぱいあるの!?」「あーこれ懐かしい~」と思ってしまう。それは店主の狙い通りだろう。難しいことを考えずとも、それでいいのかもしれない。そういう気にさせられる。

 ここよりもう少し南よりの、北専プラザ佐野ビル会場でも大漁居酒屋てっちゃんのサテライト展とでも言うべき一室があるが、それは後述する。

 

 

 5.金市館ビルへ
 

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(完全に同化しているSIAFの旗)

 
 一時間ほどで店を出て金市館ビルの会場へ。時刻は16時頃。以前はラルズという古き良きデパートだったが、今はパチスロ店が入居していて、入りにくいことこの上ない。パチスロ店内を通らずともエレベータで7階まで上がることができる。私にとっては懐かしいエレベーターに何年かぶりで乗った。

 

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 (へ続く)

十勝日記③ 生花苗(おいかまない)から帯広へ

 

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 引き続き十勝、帯広を観光した記録を書く。十勝日記② 十弗(とおふつ)より - こたつ島ブログ の続き。

 

 8月12日②

 

  


 大樹町の生花苗川(おいかまないかわ)近くにある晩成社跡地は草に覆われ、紫色の案内看板(なんでこの色なんだろう?)と建造物の痕跡、いくつかの墓碑、再現した住宅一棟しかない。だが、大正10年ころの様子を示す地図によれば、かつてここには二棟のサイロ、厩舎、倉庫、住宅、倉庫などが立ち並んでいた。

 

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 晩成社は十勝開拓をめざし依田勉三らにより明治15(1882)年、西伊豆で結成された。13戸27人がオベリベリ(当時は下帯広村、のちの帯広町と現・帯広市の前身)に入植するも野火、気象災害、トノサマバッタの被害などが発生、逃げ出すものが続出し、30ha.の原野開墾に10年の歳月を要した。牧場経営のため生花苗に入ったのは明治19年。牛、豚、馬の飼育、養蚕、ハム、練乳やバター、缶詰の製造、馬鈴薯、ビート、しいたけ、お米の栽培、木材の生産などを行うもいずれも成功せず、明治42年生花苗沼(おいかまないとー)を港湾にする計画を立てるも実現しなかった。諸事業は様々な災害に加え、交通網の不備や販売不振で損失が大きかったという。大正九年には幕別町途別で稲作に成功するも、それ以外は成果をあげることはかなわなかった。
 依田勉三自身は大正4年までこの地に住み、大正14年帯広市の自宅で73歳で没している。死後、北海道開拓神社(札幌市円山の北海道神宮境内にある)の37番目の祭神として祀られた。他にも晩成社幹部の一人である鈴木銃太郎は芽室町開拓、渡辺勝は音更町開拓で活躍した(参考:第三章 開拓使・札幌県時代(明治2年〜19年) | 帯広市ホームページ 十勝)。

 
 晩成社の最後は、多額の借金整理のため苦労の末築き上げた開墾地や諸施設を売り払い、すべてが無になるという厳しい結末を迎えた。昭和7(1932)年に依田家子孫の手で解散手続きが取られた。ちなみに当時を偲ぶものとして、六花亭で売られているマルセイバターサンドがある。赤いパッケージは晩成社が十勝で最初に作ったバターのレッテルを模したものだ(マルセイバターサンド4個入 | 六花亭)。
 

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 再現された依田勉三の住居は見るからに壁が薄そうで、見て一言「寒そう」と口から出てしまった。近くでたくさんの牛が草を食んでいた。農業王国とも言われる十勝の現在を見て、かつての晩成社の社員たちは草葉の陰でどう思っているだろうか。
 

 

 

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 その後は帯広百年記念館へ。建物は緑が丘公園内にあるが、ここは十勝監獄の施設跡地でもある。明治28(1895)年に北海道集治監十勝分監(のちの十勝監獄)ができ、大農場を築き生活物資の製造、土木建築を行ったことは十勝の発展に大きな役割を果たしたという。網走監獄が特に有名だが、北海道の開拓において囚人の果たした役割は大きいと改めて知った。

 

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 館内はちょうど夏休みで子供むけのワークショップをやっていた。展示は大きなマンモスの像があるイントロダクションから始まり、晩成社を中心とした開拓についての展示、動植物など自然について、先史時代の史料、アイヌ文化についての展示、農耕牧畜に関する展示が主だった。

 
 館内には「アイヌ民族文化情報センター・リウカ」(帯広百年記念館 アイヌ民族文化情報センター)があり、資料の閲覧や小中高生の授業サポートなどの活動を行っている。帯広は白老や二風谷と比べるとアイヌ文化の活動に関してはあまり知られていないが、昭和32年という最も早い時期から「十勝アイヌウポポ愛好会」が設立され、現在まで「帯広カムイトウウポポ保存会」(参考:平成11年度 アイヌ文化奨励賞(団体) 帯広カムイトウウポポ保存会 | アイヌ文化振興・研究推進機構)として地域特有のアイヌ文化、古式舞踊等を継承してきた経緯がある。このことはもっと知られてもよい。

 

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 その後は近くの中華料理店によって「中華ちらし」を食べてみた。なかなかおいしかった。各店舗でも味や具が違うのだろう。

 

 慌ただしい滞在だった。十勝はまだまだ見るべきところがありそうだという実感を得た。断片的に触れた歴史にも奥深さを感じた。いずれまた来ようと思う。

 

 

 (終)

 

十勝日記② 十弗(とおふつ)より

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 十勝へ展示のため出かけたので、その備忘録を引き続き書いておく。十勝日記① 帯広まで - こたつ島ブログ の続き。
 

 

 

 
 8月10日 
 

 

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 朝は7時過ぎに出発。本当に人が少ない。JRで帯広駅から池田駅へ。7時47分発の電車。ワンマン運転で、古いタイプの車両がふたつ。岩見沢の大学に通っていた時も朝早くや夜遅くだと時々このタイプの電車だった(車両はもっと多かったが)。向かい合う青いシートに天井の扇風機、木製の窓枠。どれもを懐かしく思いながら乗車。

 

 

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 天気は曇り。車内は全然混んでいない。運動部らしい学生がちらほら乗っている。窓の外はやや単調な農村風景。とうきび畑やひまわりが並んで咲く景色などを見た。十勝川を越え、8時18分頃池田に到着。運動部員たちと一緒に下車。駅前は誰もおらず静かだった。

 

 

 
 迎えに来てもらっていたので車でギャラリーへ。30分ほどして到着。

 

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 あたりは一面が緑だった。とうきび畑や芋畑ばかりで時たまサイロが立っているような景色の中に、今回展示するギャラリースペースであるArtLabo北舟はあった。ギャラリーといっても見た目はかわいらしい赤い屋根が目立つ、北海道によくあるタイプの農家の母屋だ。私の親戚の農家もかつてはこのような間取りの家だったのを思い出した。お茶をいただき一息ついてから展示に取り掛かる。

 
 壁を塗ったり床の畳を取り除いたりしているが、とくにリフォームされているわけではなくほぼそのまま。築五十数年、使われなくなってからは十数年経っているという。思ったより埃が溜まっていて正直驚いた。一見ただのボロ家かと思われたが、建物自体はさほど傷んでいないようだ。家の内外の凝った装飾を見るにこだわって建てられたのだとわかってきた。今は汚れているが磨けば光るのだと思うと、掃除にもやる気が出た。

 

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 私は床の間周辺の廊下や壁を使って展示した。思ったよりも場所が作品に合っていて、「元からここにあったみたい」と言う人もいた。

 
 この日で作品の設置はほぼ完了し、掃除を残すのみとなった。翌日の13時からトークイベントが予定されていたので、それまでに会場をできるだけきれいにするのが私の役目だ。

 

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 その日の晩は中華料理屋に連れて行ってもらった。中華ちらしという帯広のご当地料理があるらしい。少し味見させてもらった。ちらしと言っても酢飯ではなく、普通の白米にきくらげなどの入ったあんかけの中華風の具が載っているものだ。
 帰りに浦幌町の留真(るしん)温泉に行くと人馴れしているらしい狐がいた(※もちろん触ってはいけません)。温泉からあがってもまだウロウロしている。観光客か誰か餌付けでもしているのかもしれない。ここでは以前アーティストインレジデンス事業が行われたことがあったらしく、温泉の裏手にはマティアス・メナーというドイツの作家によるカラマツ製オブジェ「Elevation」があった。浦幌にも炭鉱があったことを知った。
 
 8月11日

 

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 朝から蜘蛛の巣を払ったり、埃を拭いたりとひたすら掃除。午前中いっぱいは作業できるかと思いきや、11時ころからお客さんが来始めた。あわてて応対。その後は夕方までずっとお客さんの途切れることはなかった。喜ばしいことだ。
 13時からのトークは来場者よりも喋る側の方が多いんじゃないかと思っていたが、そんなことはなく、今展企画の白濱さん、作家の篠原さんと私の3人が喋るのを、他に5、6人は聴いていてくださった。トークは私と篠原さんとの絵画作品としての共通点、相違点をめぐっての内容だったと思う。友人と作品の話をすることはよくあるが、このように人前で作品について話すことは少ないからよい経験だった。この日の来場者は20人以上だったと後から聞いた。ものすごい田舎にあるギャラリーにしては大健闘だったと思う。

 

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 一日目の展示が終わったあと、前祝として帯広へ。ちょうど夏祭りの時期で、提灯の並んで光る飲み屋街は賑わっていた。数日前の帯広駅前とはまったく別の街みたいだった。混んでいるかと思われたが、運よくおいしい地元野菜を食べられるお店にはいることができて満足。
 

 

 


 8月12日

 

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 早起きして周囲を歩いてみた。気温14度。これでも8月である。涼しいどころか肌寒い。朝露で靴を濡らしながら歩く。畑に薬を撒く車がたてる静かな音だけが聞こえてくる。

 

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 朝ごはんのあと、白濱さんに帯広周辺の史跡を案内していただく。まずは豊頃町の大津稲荷神社。大津には十勝発祥の地の碑があり、この辺りでは最も古い和人の集落だ。この神社も由緒正しく、河鍋暁斎作の絵馬がある(絵馬カムイノミの図 文化遺産オンライン)のだが、非公開だ(電話で見せてもらえるよう交渉したがけんもほろろだった)。以前この絵馬はテレビ番組「開運なんでも鑑定団」に登場した(河鍋暁斎の絵馬|開運!なんでも鑑定団|テレビ東京)。神社の運営のため売却するかもしれないから鑑定に出したとのことで、苦しい心中も想像できるが、罰当たりな気もする。北海道指定有形文化財でもあるが、そんな作品を鑑定に出していいのだろうか?。鑑定結果は意外と安くてそれにも驚く。

 

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 次に大樹町の晩成社跡地へ。

 

 (に続く)

十勝日記① 帯広まで

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 十勝方面へ出かけた。豊頃町十弗にあるArtLabo北舟での展示のためである。その途中で見たいろいろを以下に書く。
 
 8月8日

 
 羽田空港はさすが夏休み、かなり混んでいる。はやめに出てきてよかった。初めて自動で荷物を預ける機械を使った。
 お土産はあまり変わり映えのしないチョコ系のお菓子が目立つので選ぶのにうんざり。

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 新千歳空港へ。

 

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 札幌の実家で一泊。
 

 

 

 
 8月9日

 
 札幌からはバスで帯広へ向かう。本当は夜行バスがあれば便利なのだが、今はない。出発まで時間があったので古本屋を見たりギャラリーを見たり。北大前の弘南堂書店で『箱館通宝鋳造の顛末』など買う。

 

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 地下歩行空間(愛称:チカホ)など札幌駅周辺では、札幌国際芸術祭2017(略称:SIAF2017)の「大風呂敷プロジェクト」でつくられた色とりどりの大風呂敷が飾られていた。祭りをささやかに盛り上げている感じだ。

 
 私は事前にSIAF2017のパスポート引換券を買っていた。ちょうど札幌駅のJRタワー東コンコースにインフォメーションセンターがあった。パンフレットを貰うついでに引き換えだけできるか訊いたところ不可で、ここはあくまで案内のみ行うらしい。このインフォメーションから一番近い会場の「JRタワーラニスホール」ではパスポート引き換えや販売も行っている。

 
 前回のSIAF2014の時はチカホに展示会場がありインフォメーションもあったのだが、今回はなかった。チカホには先述の「大風呂敷」が飾られているのみで、赤レンガ道庁も会場だった前回と比べると、札幌駅周辺エリアと大通エリアとの間に大きな空白のある感は否めない。
 

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 この日はまずギャラリー門馬の「河口龍夫 垂直の音と階段時間」を見た。SIAFとは直接関係ない展示だが、前回の芸術祭の時もここでは河口龍夫の個展が行われていた。8月12日まで。ギャラリー門馬は気になる展示がよく行われるが、アクセスはさほど良くないのでつい足が遠のいてしまう。中心部からはいくつかのバスで近くまで行けるが、バス停によってはかなり急な坂を歩かなくてはいけない。

 

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 展示は、階段を彫刻として比喩的に捉えた上での、階段上の移動に伴う視点の変化や大地との関係における変化、さらに階段上で大地に対して垂直に移動する間に流れる時間への考察をめぐるドローイングやオブジェ群であった。展示を「階段を芸術として捉えることは可能か?」という問いと捉えれば、SIAF2017のテーマとも無関係ではないような気もする。

 本を使ったオブジェもあった。本は一瞬で読むことはできないから、時間を孕む物体といえる。既存の作文用紙を使ったドローイングも同じ意味で扱っているのだろう。やはり素材の活かし方がうまいと感じた。

 

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 閉鎖が決まっているキャノンギャラリー札幌では「宇井真紀子写真展 アイヌ、100人のいま」を見た。全国各地のアイヌ民族を、被写体の撮られたい場所と姿で撮り、次の被写体を指名してもらうという方法で100組の肖像を撮影したという。被写体の「今一番いいたいこと」も一緒に展示されている。

 このシリーズの目的の一つは、特定のイメージに縛られない多様なアイヌ像を示すことだろう。成功しているかどうかは別としても、そのことに啓蒙的な意義はあろう。ただ私が気になるのは、それを撮る側の和人としての撮影者の、身の置き所や動機である。それは和人のひとりとしての贖罪のためなのか、それとも出自は関係ない何物でもない自分を想定しているのか。そしてこれらのことは可能なのか。考えさせられる。
 

 

 

 
 14時半頃に遅めの昼食。札幌駅の地下でビーフタコス440円。小腹を満たすにはちょうど良い。
 15時半頃定刻出発。この札幌帯広間のバスはポテトライナーという。

 

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 19時過ぎ、やや早めに帯広駅へ着く。駅の中の店はほとんど閉まっていた。小雨が降っていた。
 この日は友人宅に宿泊。まだ豊頃には着かない。
 

へ続く) 


 

映画「生きとし生けるもの」(監督:今津秀邦)

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 角川シネマ新宿で映画「生きとし生けるもの」を見た。以下ネタバレ注意。
 

 

 

 作品についての概要は映画公式サイトからの抜粋で十分だろう。
 


『長年旭山動物園のポスター写真などを手がけてきた北海道在住の写真家今津秀邦が初監督を務めた渾身のドキュメント。北海道で生きる様々な命の証を、感性豊かに心に刻み込む。解説が無くても伝えられる映像を記録するために5年の歳月を費やした。物語へと誘う津川雅彦のナレーションは2か所のみだが圧倒的な存在感。監修は旭山動物園元園長の小菅正夫。その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たちは見応え十分』
『いちど限りの永遠。本物のドキュメントは、語るまでもないドラマだった』
『一斉にねぐら立ちをする8万羽のマガン、氷河期から生き残るエゾナキウサギの冬支度、故郷の川へ遡上するシロザケと待ち構えるエゾヒグマ、情感豊かなキタキツネの子育て・・・。今を精一杯生きる姿から、新たな感動と衝撃を体験する』

 (以上抜粋、引用にあたり行を詰めた。)

 

 『いちど~』と『本物の~』は、チラシや劇場予告でも使われていて、この作品象徴するフレーズだ。サイトには次のような監督からのメッセージも載っている。
 
『私は私。あなたは、あなたでしかありません。この世界に必要だから生まれました。野生動物と表現される生き物たち、根をはって命を全うする植物、空気、光・・・。存在する全てものが必要であり、お互いに必要としています。時には邪魔になったり、敵や味方と感じる時がありますが、今生きているのは全ての営みがあってのことです。特に野生動物は全ての状況を受け入れ、持って生まれた能力を最大限に生かして命を全うします。誰がどうこうではなく、ただ今を生き抜いています。この映画は動物たちを紹介するのが目的ではありません。北海道の自然やそこに生きる様々な姿、能力を借りて、あなたは、あなたでしかないことを表現しました。映画を観終わった後、新たな価値観を感じていただければ幸いです。誰もが、一度限りの永遠だということを』

 (以上抜粋、引用にあたり行を詰めた。)

 
 監督メッセージや公式サイトの概要をまとめてみる。
 「『5年の歳月を費やし』て完成したこの『本物のドキュメント』は、『語るまでもないドラマ』、『解説が無くても伝えられる』や『動物たちを紹介するのが目的ではありません』などの言葉に表れているように、出来るだけ説明を避け、『その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たち』によって『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』、乱暴にまとめてしまえば、命の尊厳や普遍的な生き物の営みを感じてもらうことを意図している」と、大まかにはいえるだろう。
 
 
 
 映画は明け方に水辺で何かを待つようにたたずむ男のシルエットから始まる。男の手にはスケッチブック。朝焼けの空はまさに私の知っている北海道のそれであり、はやくも懐かしさで泣きそうになってしまった。するとマガン?の群れがわーっと飛び立ち、見上げる男の頭上を覆うように飛んでいく。この最初のシーンから鳥肌ものだ。マガンについて「?」としたのは作品中では動物の名前について字幕やナレーションがないので確認できなかったからだ。特に触れられていないが、この男はおそらく絵本作家のあべ弘士さんだろう(エンドロールには名前があった)。この冒頭のシーン以外で直接ヒトが出てくるシーンはない。続いて「誘い人」津川雅彦の語りが入り、動物たちの生きざまを見に行く旅へいざなわれる。津川の語りは最初と最後のみ。
 あとは比較的短いカットの映像が続く。どうやって撮ったの?としばしば思ってしまうほど生き生きとした姿を捉えていて、人によってはカメラの存在はあまり感じないかもしれない。だが構図として完成度の高すぎるシーンばかりだからだろうか、ときどき人工的な感じを覚えた。動物のたてる音も不自然なくらいちゃんと入っている。BGMは管弦楽で、うるさくない程度に盛り上げていて効果的だったと感じた。
  

 

 
 特に四季が意識されるような編集ではないが、真夏の次に真冬が来るようなことはなく、いつの間にかゆるやかにシーンが移り変わっていく。その中で、美しいとしか言いようがない北海道の自然の景色も織り込みながら、遠くからも近くからも、また地面からも空からも、動物の様々な生きざまをひたすら見ていく。

 動物、と一言でいってもヒグマやエゾシカ、フクロウ、モモンガ、ナキウサギ、シャチ、シャケ、ウサギ、キタキツネの他、タンチョウ、ワシ?などの鳥に加え、虫も撮られていて幅広い。例えば、草花で彩られた岸壁の間を走り回るナキウサギの独特な動きの間、雪原でのタンチョウの群れとエゾシカの群れの邂逅、水平線の向こうまで続く流氷の海のあちこちに佇む海鳥や、黒光りした筋肉の塊みたいな泳ぐシャチの背、雪を掘り出して植物を食べるのに夢中なエゾシカのお尻などなど、印象的な光景がいくつもある。いうなればオムニバスやアンソロジーのような作品だ。といっても全く各動物を並列に扱っていたわけではなく、ハイライトとなるシーンはあった。
 
 
 
 北海道の野生動物といえば、真っ先に挙がるのはヒグマだろうか。ヒグマの登場シーンはいくつかあったが、シャケを捕るシーンが凝っていた。まず川を泳ぐシャケを撮っている。水中にまでカメラが入り、鑑賞者はシャケの視点になる。次にシャケを撮るヒグマが映され、また交互に川を遡るシャケの映像が差し込まれる。おそらくシャケの映像とヒグマの映像は別に撮っているのだろう。状況を客観的に見る視点とシャケの視点を入り乱れさせる編集は作為的だが、劇的な画面を生んでいた。
 また、チラシにもなっているキタキツネは明らかにこの映画の主役級の扱いだった。田舎によくありそうな、砂利の轍を残して真ん中に雑草の生えている道がある。その傍のやぶに住むキタキツネの親子が魚を食べたり、子ぎつねがじゃれ合う様子などに多く時間が割かれていた。映画の後半に次のようなシーンがある。道の向こうへ親ギツネが行ってしまう。その姿が見えなくなった途端、車のブレーキのような不穏な音が入る。交通事故に遭ってしまったのだろうか?しかし、狐の亡骸が映されるわけでもなく、車の影さえみえない。次に子ぎつねが映る。何かを待つようにじっとしている。その表情が私には不安げに見えた。その後は子ぎつねが親ぎつねの向かっていった道の向こうへ歩いていくシーンが続く。私はこのシーンに、親ギツネの不意の死とそれを乗り越えた子ぎつねの新たな旅立ち、というストーリーを読み取った。
 撮影クルーは私の想像したようなことが実際に起きた現場に立ち会ったのだろうか。私が子ぎつねの表情を不安げなものとして見てしまったのは、間違いなく前のシーンの影響だろう。私にはキツネの個体の見分けがつかないから、親ギツネと子キツネという関係性すら合っていたのかわからない。どこかで別のキツネの映像が混ざっていてもわからないかもしれない。そもそもこの映画の特徴は、先にも書いてある通り、動物の名前についてはもちろんのこと、説明的な字幕やナレーションがない点だ。
 
 
 
 このキタキツネのシーンに関しては、特に動物を『役者のように』撮影、編集し物語的な演出をしようという意図が感じられた。しかしその演出がどの程度事実で、どの程度演出なのかわからないからモヤモヤしてしまう。『本物のドキュメントは、語るまでもないドラマだった』はこの映画の宣伝文句だが、「ドキュメントの対象に対して語らないこと」を「対象をありのまま提示し解釈しないこと」なのだとすれば、『役者のように』動物を撮り演出することは「語っている」ことに他ならないのではないか。
 もちろん、編集や演出がドキュメンタリーにとって禁じ手だ、などと言うつもりはない。そうではなく、そもそもカメラは何らかの対象を切り取るものだから、そこから意志とか作為を排除することは不可能であるはずだ。ドキュメンタリーも、もちろん何かを表現した作品なのだから、意図はあっていいし、あるべきだ。
 だとすれば問題になるのは編集の有無ではなく(そんなものは有るに決まっている)、その編集がどのようなもので、作品の意図に沿っているか?ということだろう。『語るまでもないドラマ』などといって字幕やナレーションによる説明を避けたことはこの映画にとって副次的な要素であり、こだわり抜いたと思しき『その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たち』によって『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』を伝えることに成功しているかどうか、という観点からこそ作品を考えるべきだ(作品の意図そのものに対する批評をするとすれば、さらにその先だろう)。

 

 推測の域をでないが、美しく生き生きと動物を撮影するには、撮る側の「この動物はこう見せたい」というビジョンがあり、それを実現する様々な準備と工夫がなくては不可能だったのではないだろうか。この映画は、北海道に住む野生動物に対して多くの人が抱くイメージに近く、制作者も含む私たちが見たいと思っている生態をかなり望み通りに、しかも予想を上回るクオリティで実現している。そのかわり、一般に知られていないような生態や、グロテスクなものや退屈なものなどノイズは周到に排除されている(より正確に言えば、排除されているかどうか本当のところは分からないが、そのように思えるほど退屈しない映像だった)。
 そのような動物たちの生きざまが制作者側の意図によって、それぞれの種の個性や時の流れを超えた形で純化、一般化、抽象化され増幅された形で提示されているのがこの映画だろう。これを普遍的な生き物の営みの表現とみなせば、『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』は伝わるかもしれない。
 

 
 
 そもそもこの映画は『生きとし生けるもの』というタイトルだった。「生きとし生けるもの」という慣用句の最も古い使用例のひとつは「古今和歌集仮名序」だそうである。
  
 やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける
 世の中にある人ことわざしげきものなれば 心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり
 花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける
 力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
 男女のなかをもやはらげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり
 (引用に当たり改行、傍線筆者)
 
 「ウグイスやカエルの鳴き声を聴けばあらゆる生き物で歌を詠まないはいない」というような意味だろう。しかし素人なりに曲解して「生きとし生けるもの」をこの文の主語ではなくて目的語として読んでみたらどうなるだろう。主語は人である。前の文とのつながりから考えて「ウグイスやカエルの鳴き声などあらゆる生き物に思いを託し歌を詠まない人はいない」とも読める。
 だとするとこの映画はなんだろうか。この映画はあらゆる生き物が歌を詠む様を撮った映画なのか、あらゆる生き物に思いを託し歌を詠んだ人間の映画なのか。

 私には、後者のように思えてならない。

「草間彌生 わが永遠の魂」2017年2月22日~5月22日 国立新美術館(東京都六本木)

 国立新美術館で「草間弥生 わが永遠の魂」を見た。草間作品をまとめて見たのは初めて。

 
 

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(チケット)
 
 展示構成は次のようになっている。
 最初にまず近作の富士山の絵がある。私はこの絵はあまりいいと思えなかったので期待せず次に行くと、奥行きのある大きな部屋に出る。最新作の連作「我が永遠の魂」がズラッと並び、部屋の中央には巨大な花のオブジェがあって圧倒される。この部屋は携帯でのみ写真撮影可。順路はこの部屋を囲むように続いていて、渡米前の日本画から、「無限の網」シリーズ、ペニスを模したソフトスカルプチュアのシリーズはもちろん、カボチャの絵やあまり見ない映像作品やコラージュ作品、ドローイングも時系列順に揃っていて草間の全貌がつかめる。
 おそらくそれぞれの時期の代表作が集まっているのだろう。点数以上に充実している感じがした。
 また今回は美術展で初めて音声ガイドを借りて聴いてみた。草間本人のインタビューや詩の朗読、歌声(!)も入っていて面白かった。草間ファンにはおすすめしたい。
 
 

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(展示室内の様子)

 
 作品の変化を追っていくと、ミニマルアートや、ウォーホールも用いたような集積と反復、ソフトスカルプチュア、ハプニング、ジェンダー的なテーマなど、その時々の時代のテーマを時に先んじて扱い、しかも大喜利的に反応するだけではなく自分のものにして取り込んでしまっているように見えた。草間最大のテーマである強迫観念にしても、前世紀から今世紀の大きなテーマのひとつのようにも思える。
 これが努力によるものなのか運なのか勘の鋭さなのかはわからないが(たぶん全部だと思う)、ともかくそういった意味での草間弥生の凄さは感じられた。
 
 
 一番最初の富士山の作品(「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がって行く時」)や、連作「我が永遠の魂」などは、よくイメージされるアウトサイダーアート的なものに似て見え、あまり私の好みではない。もちろん草間は京都市立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)で日本画を学んでおり、美術教育を受けていないという意味でのアウトサイダーアーティストではない。
 しかし他の「無限の網」にしても、数々のドローイングにしてもコラージュにしても、非常にモノとして魅力的だと感じ驚いた。私は草間弥生がこんなに絵のうまい人だと知らなかった。渡米前から瀧口修造らに評価されていたというのもわかるし、草間の底力をみる思いがした。
 
 

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(「木に登った水玉2017」2017年 サイズ可変 ミクストメディア)
 
 草間弥生といえば「水玉」であり、反復と埋没である。それは草間自身の幻覚や強迫観念からきたものであることは有名だ。
 水玉や反復それ自体は草間の発明したものではないが、もはや代名詞となりつつあると言えると思う。作家が自身の世界観や宇宙観を表現し発表していくにあたって、代表的なモチーフが知られ親しまれることは大きな喜びだろう。そして草間の場合は本人のキャラというか雰囲気に加え、水玉がポップでキャッチーに見えるから、なおさら印象に残るし人気が出る。
 展覧会入り口の横には長い行列があってビビる。これは入場制限ではなくてショップのレジ待ちの行列だ。たくさんグッズを買い込む人を見ると、作品や草間弥生自身が消費、消耗されてしまうようにも見える。
 しかし私が思うに来場者と草間の関係はそうではない。草間が水玉の中へと埋没し「自己消滅」するように、買い物をした来場者もたぶんそのグッズで水玉の中へ埋没してしまうのではないだろうか。そんな狙いもあるのではないか。
 なぜ写真撮影は携帯のみ可なのだろう?たぶんそれは草間作品を待ち受け画像にすることで携帯を埋没させるためである。美術館の周りの木に巻かれた水玉だって、来場者ごと、美術館ごと、水玉に埋没させるためのものだろう。
 
 

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(「オブリタレーションルーム」2002年~現在 サイズ可変 家具、白色ペイント、水玉ステッカー)


 レジ待ちの列に30分並んだあと、ヘトヘトになりながらも、「オブリタレーションルーム」(部屋や家具に水玉シールを貼ることのできる参加型コーナー)に行ってみた。開幕から10日あまりなのに、もはや貼られすぎて水玉じゃなくなりつつある部屋を見ていると、来場者と作家の何とも言えない絶妙な力関係を見ているように感じた。

 

(完)