こたつ島ブログ

書き手 佐藤拓実(美術家)

十勝日記② 十弗(とおふつ)より

f:id:kotatusima:20170823232754j:plain

 
 
 

 

 


 十勝へ展示のため出かけたので、その備忘録を引き続き書いておく。十勝日記① 帯広まで - こたつ島ブログ の続き。
 

 

 

 
 8月10日 
 

 

f:id:kotatusima:20170823232851j:plain

 
 朝は7時過ぎに出発。本当に人が少ない。JRで帯広駅から池田駅へ。7時47分発の電車。ワンマン運転で、古いタイプの車両がふたつ。岩見沢の大学に通っていた時も朝早くや夜遅くだと時々このタイプの電車だった(車両はもっと多かったが)。向かい合う青いシートに天井の扇風機、木製の窓枠。どれもを懐かしく思いながら乗車。

 

 

f:id:kotatusima:20170823232924j:plain

 

 

f:id:kotatusima:20170823233506j:plain

 

 
 天気は曇り。車内は全然混んでいない。運動部らしい学生がちらほら乗っている。窓の外はやや単調な農村風景。とうきび畑やひまわりが並んで咲く景色などを見た。十勝川を越え、8時18分頃池田に到着。運動部員たちと一緒に下車。駅前は誰もおらず静かだった。

 

 

 
 迎えに来てもらっていたので車でギャラリーへ。30分ほどして到着。

 

f:id:kotatusima:20170823233740j:plain


 あたりは一面が緑だった。とうきび畑や芋畑ばかりで時たまサイロが立っているような景色の中に、今回展示するギャラリースペースであるArtLabo北舟はあった。ギャラリーといっても見た目はかわいらしい赤い屋根が目立つ、北海道によくあるタイプの農家の母屋だ。私の親戚の農家もかつてはこのような間取りの家だったのを思い出した。お茶をいただき一息ついてから展示に取り掛かる。

 
 壁を塗ったり床の畳を取り除いたりしているが、とくにリフォームされているわけではなくほぼそのまま。築五十数年、使われなくなってからは十数年経っているという。思ったより埃が溜まっていて正直驚いた。一見ただのボロ家かと思われたが、建物自体はさほど傷んでいないようだ。家の内外の凝った装飾を見るにこだわって建てられたのだとわかってきた。今は汚れているが磨けば光るのだと思うと、掃除にもやる気が出た。

 

f:id:kotatusima:20170824002255j:plain


 私は床の間周辺の廊下や壁を使って展示した。思ったよりも場所が作品に合っていて、「元からここにあったみたい」と言う人もいた。

 
 この日で作品の設置はほぼ完了し、掃除を残すのみとなった。翌日の13時からトークイベントが予定されていたので、それまでに会場をできるだけきれいにするのが私の役目だ。

 

f:id:kotatusima:20170823234003j:plain


 その日の晩は中華料理屋に連れて行ってもらった。中華ちらしという帯広のご当地料理があるらしい。少し味見させてもらった。ちらしと言っても酢飯ではなく、普通の白米にきくらげなどの入ったあんかけの中華風の具が載っているものだ。
 帰りに浦幌町の留真(るしん)温泉に行くと人馴れしているらしい狐がいた(※もちろん触ってはいけません)。温泉からあがってもまだウロウロしている。観光客か誰か餌付けでもしているのかもしれない。ここでは以前アーティストインレジデンス事業が行われたことがあったらしく、温泉の裏手にはマティアス・メナーというドイツの作家によるカラマツ製オブジェ「Elevation」があった。浦幌にも炭鉱があったことを知った。
 
 8月11日

 

f:id:kotatusima:20170823235024j:plain


 朝から蜘蛛の巣を払ったり、埃を拭いたりとひたすら掃除。午前中いっぱいは作業できるかと思いきや、11時ころからお客さんが来始めた。あわてて応対。その後は夕方までずっとお客さんの途切れることはなかった。喜ばしいことだ。
 13時からのトークは来場者よりも喋る側の方が多いんじゃないかと思っていたが、そんなことはなく、今展企画の白濱さん、作家の篠原さんと私の3人が喋るのを、他に5、6人は聴いていてくださった。トークは私と篠原さんとの絵画作品としての共通点、相違点をめぐっての内容だったと思う。友人と作品の話をすることはよくあるが、このように人前で作品について話すことは少ないからよい経験だった。この日の来場者は20人以上だったと後から聞いた。ものすごい田舎にあるギャラリーにしては大健闘だったと思う。

 

f:id:kotatusima:20170823234945j:plain


 一日目の展示が終わったあと、前祝として帯広へ。ちょうど夏祭りの時期で、提灯の並んで光る飲み屋街は賑わっていた。数日前の帯広駅前とはまったく別の街みたいだった。混んでいるかと思われたが、運よくおいしい地元野菜を食べられるお店にはいることができて満足。
 

 

 


 8月12日

 

f:id:kotatusima:20170823235133j:plain

 

 早起きして周囲を歩いてみた。気温14度。これでも8月である。涼しいどころか肌寒い。朝露で靴を濡らしながら歩く。畑に薬を撒く車がたてる静かな音だけが聞こえてくる。

 

f:id:kotatusima:20170823235614j:plain

 

f:id:kotatusima:20170823235636j:plain

 

f:id:kotatusima:20170823235219j:plain

 

 

 

 
 朝ごはんのあと、白濱さんに帯広周辺の史跡を案内していただく。まずは豊頃町の大津稲荷神社。大津には十勝発祥の地の碑があり、この辺りでは最も古い和人の集落だ。この神社も由緒正しく、河鍋暁斎作の絵馬がある(絵馬カムイノミの図 文化遺産オンライン)のだが、非公開だ(電話で見せてもらえるよう交渉したがけんもほろろだった)。以前この絵馬はテレビ番組「開運なんでも鑑定団」に登場した(河鍋暁斎の絵馬|開運!なんでも鑑定団|テレビ東京)。神社の運営のため売却するかもしれないから鑑定に出したとのことで、苦しい心中も想像できるが、罰当たりな気もする。北海道指定有形文化財でもあるが、そんな作品を鑑定に出していいのだろうか?。鑑定結果は意外と安くてそれにも驚く。

 

f:id:kotatusima:20170824001354j:plain

 

 次に大樹町の晩成社跡地へ。

 

 (に続く)

十勝日記① 帯広まで

f:id:kotatusima:20170823110720j:plain

 

 


 十勝方面へ出かけた。豊頃町十弗にあるArtLabo北舟での展示のためである。その途中で見たいろいろを以下に書く。
 
 8月8日

 
 羽田空港はさすが夏休み、かなり混んでいる。はやめに出てきてよかった。初めて自動で荷物を預ける機械を使った。
 お土産はあまり変わり映えのしないチョコ系のお菓子が目立つので選ぶのにうんざり。

f:id:kotatusima:20170823110803j:plain


 新千歳空港へ。

 

f:id:kotatusima:20170823110832j:plain


 札幌の実家で一泊。
 

 

 

 
 8月9日

 
 札幌からはバスで帯広へ向かう。本当は夜行バスがあれば便利なのだが、今はない。出発まで時間があったので古本屋を見たりギャラリーを見たり。北大前の弘南堂書店で『箱館通宝鋳造の顛末』など買う。

 

f:id:kotatusima:20170823110855j:plain


 地下歩行空間(愛称:チカホ)など札幌駅周辺では、札幌国際芸術祭2017(略称:SIAF2017)の「大風呂敷プロジェクト」でつくられた色とりどりの大風呂敷が飾られていた。祭りをささやかに盛り上げている感じだ。

 
 私は事前にSIAF2017のパスポート引換券を買っていた。ちょうど札幌駅のJRタワー東コンコースにインフォメーションセンターがあった。パンフレットを貰うついでに引き換えだけできるか訊いたところ不可で、ここはあくまで案内のみ行うらしい。このインフォメーションから一番近い会場の「JRタワーラニスホール」ではパスポート引き換えや販売も行っている。

 
 前回のSIAF2014の時はチカホに展示会場がありインフォメーションもあったのだが、今回はなかった。チカホには先述の「大風呂敷」が飾られているのみで、赤レンガ道庁も会場だった前回と比べると、札幌駅周辺エリアと大通エリアとの間に大きな空白のある感は否めない。
 

f:id:kotatusima:20170823110937j:plain


 この日はまずギャラリー門馬の「河口龍夫 垂直の音と階段時間」を見た。SIAFとは直接関係ない展示だが、前回の芸術祭の時もここでは河口龍夫の個展が行われていた。8月12日まで。ギャラリー門馬は気になる展示がよく行われるが、アクセスはさほど良くないのでつい足が遠のいてしまう。中心部からはいくつかのバスで近くまで行けるが、バス停によってはかなり急な坂を歩かなくてはいけない。

 

f:id:kotatusima:20170823110957j:plain

 

f:id:kotatusima:20170823111019j:plain

 

f:id:kotatusima:20170823111042j:plain

 

f:id:kotatusima:20170823111055j:plain


 展示は、階段を彫刻として比喩的に捉えた上での、階段上の移動に伴う視点の変化や大地との関係における変化、さらに階段上で大地に対して垂直に移動する間に流れる時間への考察をめぐるドローイングやオブジェ群であった。展示を「階段を芸術として捉えることは可能か?」という問いと捉えれば、SIAF2017のテーマとも無関係ではないような気もする。

 本を使ったオブジェもあった。本は一瞬で読むことはできないから、時間を孕む物体といえる。既存の作文用紙を使ったドローイングも同じ意味で扱っているのだろう。やはり素材の活かし方がうまいと感じた。

 

f:id:kotatusima:20170823111113j:plain


 閉鎖が決まっているキャノンギャラリー札幌では「宇井真紀子写真展 アイヌ、100人のいま」を見た。全国各地のアイヌ民族を、被写体の撮られたい場所と姿で撮り、次の被写体を指名してもらうという方法で100組の肖像を撮影したという。被写体の「今一番いいたいこと」も一緒に展示されている。

 このシリーズの目的の一つは、特定のイメージに縛られない多様なアイヌ像を示すことだろう。成功しているかどうかは別としても、そのことに啓蒙的な意義はあろう。ただ私が気になるのは、それを撮る側の和人としての撮影者の、身の置き所や動機である。それは和人のひとりとしての贖罪のためなのか、それとも出自は関係ない何物でもない自分を想定しているのか。そしてこれらのことは可能なのか。考えさせられる。
 

 

 

 
 14時半頃に遅めの昼食。札幌駅の地下でビーフタコス440円。小腹を満たすにはちょうど良い。
 15時半頃定刻出発。この札幌帯広間のバスはポテトライナーという。

 

f:id:kotatusima:20170823111212j:plain


 19時過ぎ、やや早めに帯広駅へ着く。駅の中の店はほとんど閉まっていた。小雨が降っていた。
 この日は友人宅に宿泊。まだ豊頃には着かない。
 

へ続く) 


 

映画「生きとし生けるもの」(監督:今津秀邦)

f:id:kotatusima:20170623143152j:plain


 角川シネマ新宿で映画「生きとし生けるもの」を見た。以下ネタバレ注意。
 

 

 

 作品についての概要は映画公式サイトからの抜粋で十分だろう。
 


『長年旭山動物園のポスター写真などを手がけてきた北海道在住の写真家今津秀邦が初監督を務めた渾身のドキュメント。北海道で生きる様々な命の証を、感性豊かに心に刻み込む。解説が無くても伝えられる映像を記録するために5年の歳月を費やした。物語へと誘う津川雅彦のナレーションは2か所のみだが圧倒的な存在感。監修は旭山動物園元園長の小菅正夫。その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たちは見応え十分』
『いちど限りの永遠。本物のドキュメントは、語るまでもないドラマだった』
『一斉にねぐら立ちをする8万羽のマガン、氷河期から生き残るエゾナキウサギの冬支度、故郷の川へ遡上するシロザケと待ち構えるエゾヒグマ、情感豊かなキタキツネの子育て・・・。今を精一杯生きる姿から、新たな感動と衝撃を体験する』

 (以上抜粋、引用にあたり行を詰めた。)

 

 『いちど~』と『本物の~』は、チラシや劇場予告でも使われていて、この作品象徴するフレーズだ。サイトには次のような監督からのメッセージも載っている。
 
『私は私。あなたは、あなたでしかありません。この世界に必要だから生まれました。野生動物と表現される生き物たち、根をはって命を全うする植物、空気、光・・・。存在する全てものが必要であり、お互いに必要としています。時には邪魔になったり、敵や味方と感じる時がありますが、今生きているのは全ての営みがあってのことです。特に野生動物は全ての状況を受け入れ、持って生まれた能力を最大限に生かして命を全うします。誰がどうこうではなく、ただ今を生き抜いています。この映画は動物たちを紹介するのが目的ではありません。北海道の自然やそこに生きる様々な姿、能力を借りて、あなたは、あなたでしかないことを表現しました。映画を観終わった後、新たな価値観を感じていただければ幸いです。誰もが、一度限りの永遠だということを』

 (以上抜粋、引用にあたり行を詰めた。)

 
 監督メッセージや公式サイトの概要をまとめてみる。
 「『5年の歳月を費やし』て完成したこの『本物のドキュメント』は、『語るまでもないドラマ』、『解説が無くても伝えられる』や『動物たちを紹介するのが目的ではありません』などの言葉に表れているように、出来るだけ説明を避け、『その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たち』によって『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』、乱暴にまとめてしまえば、命の尊厳や普遍的な生き物の営みを感じてもらうことを意図している」と、大まかにはいえるだろう。
 
 
 
 映画は明け方に水辺で何かを待つようにたたずむ男のシルエットから始まる。男の手にはスケッチブック。朝焼けの空はまさに私の知っている北海道のそれであり、はやくも懐かしさで泣きそうになってしまった。するとマガン?の群れがわーっと飛び立ち、見上げる男の頭上を覆うように飛んでいく。この最初のシーンから鳥肌ものだ。マガンについて「?」としたのは作品中では動物の名前について字幕やナレーションがないので確認できなかったからだ。特に触れられていないが、この男はおそらく絵本作家のあべ弘士さんだろう(エンドロールには名前があった)。この冒頭のシーン以外で直接ヒトが出てくるシーンはない。続いて「誘い人」津川雅彦の語りが入り、動物たちの生きざまを見に行く旅へいざなわれる。津川の語りは最初と最後のみ。
 あとは比較的短いカットの映像が続く。どうやって撮ったの?としばしば思ってしまうほど生き生きとした姿を捉えていて、人によってはカメラの存在はあまり感じないかもしれない。だが構図として完成度の高すぎるシーンばかりだからだろうか、ときどき人工的な感じを覚えた。動物のたてる音も不自然なくらいちゃんと入っている。BGMは管弦楽で、うるさくない程度に盛り上げていて効果的だったと感じた。
  

 

 
 特に四季が意識されるような編集ではないが、真夏の次に真冬が来るようなことはなく、いつの間にかゆるやかにシーンが移り変わっていく。その中で、美しいとしか言いようがない北海道の自然の景色も織り込みながら、遠くからも近くからも、また地面からも空からも、動物の様々な生きざまをひたすら見ていく。

 動物、と一言でいってもヒグマやエゾシカ、フクロウ、モモンガ、ナキウサギ、シャチ、シャケ、ウサギ、キタキツネの他、タンチョウ、ワシ?などの鳥に加え、虫も撮られていて幅広い。例えば、草花で彩られた岸壁の間を走り回るナキウサギの独特な動きの間、雪原でのタンチョウの群れとエゾシカの群れの邂逅、水平線の向こうまで続く流氷の海のあちこちに佇む海鳥や、黒光りした筋肉の塊みたいな泳ぐシャチの背、雪を掘り出して植物を食べるのに夢中なエゾシカのお尻などなど、印象的な光景がいくつもある。いうなればオムニバスやアンソロジーのような作品だ。といっても全く各動物を並列に扱っていたわけではなく、ハイライトとなるシーンはあった。
 
 
 
 北海道の野生動物といえば、真っ先に挙がるのはヒグマだろうか。ヒグマの登場シーンはいくつかあったが、シャケを捕るシーンが凝っていた。まず川を泳ぐシャケを撮っている。水中にまでカメラが入り、鑑賞者はシャケの視点になる。次にシャケを撮るヒグマが映され、また交互に川を遡るシャケの映像が差し込まれる。おそらくシャケの映像とヒグマの映像は別に撮っているのだろう。状況を客観的に見る視点とシャケの視点を入り乱れさせる編集は作為的だが、劇的な画面を生んでいた。
 また、チラシにもなっているキタキツネは明らかにこの映画の主役級の扱いだった。田舎によくありそうな、砂利の轍を残して真ん中に雑草の生えている道がある。その傍のやぶに住むキタキツネの親子が魚を食べたり、子ぎつねがじゃれ合う様子などに多く時間が割かれていた。映画の後半に次のようなシーンがある。道の向こうへ親ギツネが行ってしまう。その姿が見えなくなった途端、車のブレーキのような不穏な音が入る。交通事故に遭ってしまったのだろうか?しかし、狐の亡骸が映されるわけでもなく、車の影さえみえない。次に子ぎつねが映る。何かを待つようにじっとしている。その表情が私には不安げに見えた。その後は子ぎつねが親ぎつねの向かっていった道の向こうへ歩いていくシーンが続く。私はこのシーンに、親ギツネの不意の死とそれを乗り越えた子ぎつねの新たな旅立ち、というストーリーを読み取った。
 撮影クルーは私の想像したようなことが実際に起きた現場に立ち会ったのだろうか。私が子ぎつねの表情を不安げなものとして見てしまったのは、間違いなく前のシーンの影響だろう。私にはキツネの個体の見分けがつかないから、親ギツネと子キツネという関係性すら合っていたのかわからない。どこかで別のキツネの映像が混ざっていてもわからないかもしれない。そもそもこの映画の特徴は、先にも書いてある通り、動物の名前についてはもちろんのこと、説明的な字幕やナレーションがない点だ。
 
 
 
 このキタキツネのシーンに関しては、特に動物を『役者のように』撮影、編集し物語的な演出をしようという意図が感じられた。しかしその演出がどの程度事実で、どの程度演出なのかわからないからモヤモヤしてしまう。『本物のドキュメントは、語るまでもないドラマだった』はこの映画の宣伝文句だが、「ドキュメントの対象に対して語らないこと」を「対象をありのまま提示し解釈しないこと」なのだとすれば、『役者のように』動物を撮り演出することは「語っている」ことに他ならないのではないか。
 もちろん、編集や演出がドキュメンタリーにとって禁じ手だ、などと言うつもりはない。そうではなく、そもそもカメラは何らかの対象を切り取るものだから、そこから意志とか作為を排除することは不可能であるはずだ。ドキュメンタリーも、もちろん何かを表現した作品なのだから、意図はあっていいし、あるべきだ。
 だとすれば問題になるのは編集の有無ではなく(そんなものは有るに決まっている)、その編集がどのようなもので、作品の意図に沿っているか?ということだろう。『語るまでもないドラマ』などといって字幕やナレーションによる説明を避けたことはこの映画にとって副次的な要素であり、こだわり抜いたと思しき『その場にいるかのような臨場感溢れる映像と音、役者のように撮影された生き物たち』によって『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』を伝えることに成功しているかどうか、という観点からこそ作品を考えるべきだ(作品の意図そのものに対する批評をするとすれば、さらにその先だろう)。

 

 推測の域をでないが、美しく生き生きと動物を撮影するには、撮る側の「この動物はこう見せたい」というビジョンがあり、それを実現する様々な準備と工夫がなくては不可能だったのではないだろうか。この映画は、北海道に住む野生動物に対して多くの人が抱くイメージに近く、制作者も含む私たちが見たいと思っている生態をかなり望み通りに、しかも予想を上回るクオリティで実現している。そのかわり、一般に知られていないような生態や、グロテスクなものや退屈なものなどノイズは周到に排除されている(より正確に言えば、排除されているかどうか本当のところは分からないが、そのように思えるほど退屈しない映像だった)。
 そのような動物たちの生きざまが制作者側の意図によって、それぞれの種の個性や時の流れを超えた形で純化、一般化、抽象化され増幅された形で提示されているのがこの映画だろう。これを普遍的な生き物の営みの表現とみなせば、『あなたは、あなたでしかないこと』や『誰もが、一度限りの永遠だということ』は伝わるかもしれない。
 

 
 
 そもそもこの映画は『生きとし生けるもの』というタイトルだった。「生きとし生けるもの」という慣用句の最も古い使用例のひとつは「古今和歌集仮名序」だそうである。
  
 やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける
 世の中にある人ことわざしげきものなれば 心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり
 花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける
 力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
 男女のなかをもやはらげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり
 (引用に当たり改行、傍線筆者)
 
 「ウグイスやカエルの鳴き声を聴けばあらゆる生き物で歌を詠まないはいない」というような意味だろう。しかし素人なりに曲解して「生きとし生けるもの」をこの文の主語ではなくて目的語として読んでみたらどうなるだろう。主語は人である。前の文とのつながりから考えて「ウグイスやカエルの鳴き声などあらゆる生き物に思いを託し歌を詠まない人はいない」とも読める。
 だとするとこの映画はなんだろうか。この映画はあらゆる生き物が歌を詠む様を撮った映画なのか、あらゆる生き物に思いを託し歌を詠んだ人間の映画なのか。

 私には、後者のように思えてならない。

「草間彌生 わが永遠の魂」2017年2月22日~5月22日 国立新美術館(東京都六本木)

 国立新美術館で「草間弥生 わが永遠の魂」を見た。草間作品をまとめて見たのは初めて。

 
 

f:id:kotatusima:20170307171134j:plain

(チケット)
 
 展示構成は次のようになっている。
 最初にまず近作の富士山の絵がある。私はこの絵はあまりいいと思えなかったので期待せず次に行くと、奥行きのある大きな部屋に出る。最新作の連作「我が永遠の魂」がズラッと並び、部屋の中央には巨大な花のオブジェがあって圧倒される。この部屋は携帯でのみ写真撮影可。順路はこの部屋を囲むように続いていて、渡米前の日本画から、「無限の網」シリーズ、ペニスを模したソフトスカルプチュアのシリーズはもちろん、カボチャの絵やあまり見ない映像作品やコラージュ作品、ドローイングも時系列順に揃っていて草間の全貌がつかめる。
 おそらくそれぞれの時期の代表作が集まっているのだろう。点数以上に充実している感じがした。
 また今回は美術展で初めて音声ガイドを借りて聴いてみた。草間本人のインタビューや詩の朗読、歌声(!)も入っていて面白かった。草間ファンにはおすすめしたい。
 
 

f:id:kotatusima:20170307171205j:plain

(展示室内の様子)

 
 作品の変化を追っていくと、ミニマルアートや、ウォーホールも用いたような集積と反復、ソフトスカルプチュア、ハプニング、ジェンダー的なテーマなど、その時々の時代のテーマを時に先んじて扱い、しかも大喜利的に反応するだけではなく自分のものにして取り込んでしまっているように見えた。草間最大のテーマである強迫観念にしても、前世紀から今世紀の大きなテーマのひとつのようにも思える。
 これが努力によるものなのか運なのか勘の鋭さなのかはわからないが(たぶん全部だと思う)、ともかくそういった意味での草間弥生の凄さは感じられた。
 
 
 一番最初の富士山の作品(「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がって行く時」)や、連作「我が永遠の魂」などは、よくイメージされるアウトサイダーアート的なものに似て見え、あまり私の好みではない。もちろん草間は京都市立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)で日本画を学んでおり、美術教育を受けていないという意味でのアウトサイダーアーティストではない。
 しかし他の「無限の網」にしても、数々のドローイングにしてもコラージュにしても、非常にモノとして魅力的だと感じ驚いた。私は草間弥生がこんなに絵のうまい人だと知らなかった。渡米前から瀧口修造らに評価されていたというのもわかるし、草間の底力をみる思いがした。
 
 

f:id:kotatusima:20170307171255j:plain

(「木に登った水玉2017」2017年 サイズ可変 ミクストメディア)
 
 草間弥生といえば「水玉」であり、反復と埋没である。それは草間自身の幻覚や強迫観念からきたものであることは有名だ。
 水玉や反復それ自体は草間の発明したものではないが、もはや代名詞となりつつあると言えると思う。作家が自身の世界観や宇宙観を表現し発表していくにあたって、代表的なモチーフが知られ親しまれることは大きな喜びだろう。そして草間の場合は本人のキャラというか雰囲気に加え、水玉がポップでキャッチーに見えるから、なおさら印象に残るし人気が出る。
 展覧会入り口の横には長い行列があってビビる。これは入場制限ではなくてショップのレジ待ちの行列だ。たくさんグッズを買い込む人を見ると、作品や草間弥生自身が消費、消耗されてしまうようにも見える。
 しかし私が思うに来場者と草間の関係はそうではない。草間が水玉の中へと埋没し「自己消滅」するように、買い物をした来場者もたぶんそのグッズで水玉の中へ埋没してしまうのではないだろうか。そんな狙いもあるのではないか。
 なぜ写真撮影は携帯のみ可なのだろう?たぶんそれは草間作品を待ち受け画像にすることで携帯を埋没させるためである。美術館の周りの木に巻かれた水玉だって、来場者ごと、美術館ごと、水玉に埋没させるためのものだろう。
 
 

f:id:kotatusima:20170307171244j:plain

(「オブリタレーションルーム」2002年~現在 サイズ可変 家具、白色ペイント、水玉ステッカー)


 レジ待ちの列に30分並んだあと、ヘトヘトになりながらも、「オブリタレーションルーム」(部屋や家具に水玉シールを貼ることのできる参加型コーナー)に行ってみた。開幕から10日あまりなのに、もはや貼られすぎて水玉じゃなくなりつつある部屋を見ていると、来場者と作家の何とも言えない絶妙な力関係を見ているように感じた。

 

(完)

私と御朱印

 

f:id:kotatusima:20170214233452j:plain

(私の御朱印帖①)

 

 

 ここ数年「御朱印集め」が流行っているようだ。たぶん旅行代理店か何かが紹介し始めて、それが旅番組で取り上げられるようになって広まったのだろう。ホントかウソかわからないが「御朱印ガール」なるものまで出現しているらしい。その一方で「スタンプラリー感覚で集めるのは敬意に欠ける」という批判もあるようだ。実際に私も「スタンプとは違うので大切に保管してください」という旨の注意書きを見たことがある。数日前には期間限定などのレアな御朱印がオークションで取引されたり、転売目的で何点も御朱印をもらうことが問題視されニュースになっていたのを目にした。これもブームの過熱の証左だろう。

 

 御朱印とは寺社仏閣を参拝した証としてもらう印章や墨の字で、もとは寺院に納経した証だったという。ふつう四国のお遍路や七福神めぐり、観音霊場めぐりのような巡礼者がもらうものなのだろう。「御朱印帳」と呼ばれる帳面に書いてもらうことが多いが、ペラ一枚の半紙に書置きしているところもある。この御朱印帳もだいたい各寺社で売られていて、凝った刺繡を施したようなかわいいものは人気だそうだ。

 大伽藍ならお堂ごとに御朱印を用意しているところもある。片や多くの浄土真宗の寺院は御朱印を書き与えていない。

 大抵は初穂料などとして300円を納める。特に金額を設定していないところもある。参拝の証なのだから参拝後に貰うものかと思いきや、参拝前に御朱印帳を預けて帰りに受け取るところも多い。

 

 

 私が御朱印をもらうようになったのは2012年9月の京都旅行がきっかけだ。残暑が厳しい日だった。

 東寺を参拝したあと、お守りなどを扱う一画でたまたま御朱印の文字が目に入ったのでこれは何かと尋ねた。作務衣を着たおばさんは丁寧に御朱印について説明してくれた。「これをもらったらきちんと参拝しなきゃいけないなあ」と考えたのを覚えている。私はそこで初めて御朱印帳を買い、表紙の余白に「御朱印帖」と書いてもらった。

 御朱印は細く伸びる梵字のしたに滑るような動きの筆で「弘法大師」と書かれていた。今見てもうっとりする。そして同時にその描かれた様を見たときの感動と、静かで涼しいお堂の日陰の色も思い出されるのだ。

 

 

 私が御朱印をもらう理由は、きちんと参拝するためだ。御朱印は神仏の名前が書かれていることも多いし、書かれていなかったとしても寺社からいただくありがたいものだ。だから、御朱印をもらうとなればそれだけで気持ちが引き締まる。以前より寺社での作法、振る舞いにも気をつけるようになった。一枚一枚違う御朱印のように、一回一回を丁寧に参拝するようになるということだ。それは結局自分の満足にもなる。

 

 また、御朱印には多くの情報がある。 御朱印は千差万別だ。私はまだ見たことがないが、何色ものはんこを使ったカラフルなものや手書きの絵入りのものもあると聞く。もちろんそれはただ観光客を集めるための物ではなく、それぞれの寺社の特徴にちなんだものだろう。

 御朱印を見るときはその達筆にうっとりするのも楽しみ方のひとつだが、文字や紋をきちんと見て読んでいくと発見が多い。例えばご本尊が何であるか、とか、その寺社の紋や由来などである。御朱印帳には向かい合った御朱印の墨や朱肉が移らないようによく紙を挟んでもらうのだが、それには御朱印自体や寺社についての説明が書かれていることが多く、それをみるのもまた楽しい。

 例えば私にとって思い出深いのは京都の千本釈迦堂大報恩寺)の御朱印だ。ここは本尊は釈迦如来なのに御朱印は普通「六観音」と書かれる(希望すれば観音菩薩や釈迦如来と書いてもらえる)。そのことだけでも私は結構面白いと感じるのだが、この六観音というのは鎌倉時代の仏師・定慶による六観音像のことで、重要文化財だ。これがすごい。まず観音像を六体一度に見ること自体あまりないのに加え、一体180センチほどあってデカく、しかも超端整なのだ。ちなみにここは本堂が応仁の乱の戦火を逃れた国宝だったりして他にも見どころがかなり多い。寺宝を展示している建物はめちゃくちゃ寒く、震えながら何度も六観音の前を往復して拝観した記憶がある。

 

 このように、御朱印は参拝した時のことを実にありありと思い出させてくれるものでもある。京都のような観光地ではあまりできないけれど、御朱印をお願いするのと同時に寺社の由来とか世間話をすることもある。もちろん迷惑にならない範囲で、だ。御朱印集めがあんまり流行るとそういうこともできなくなるかもしれない。

 

 

 わざわざ寺社を参拝したとなれば、何か記念になるものが欲しくなったり、いくらか気持ちを納めたいというのが人情だろう。しかしお守りだとあちこちであまりたくさんもらっても後々扱いに困りそうだし、他にそれほど目ぼしいものがないこともある。お賽銭はだいたい五円とか十円の小銭だ。そういう時に300円というお手頃な初穂料で、しかもけっこうきれいで、寺社の由来などに触れられる御朱印は、参拝者にとっても寺社にとってもけっこういいものなのではないだろうか。

 

  御朱印をスタンプラリー感覚で集めることへの批判があるとも上に書いた。それは言い換えれば御朱印ありきの参拝の形だろう。たとえ遠方の寺社に参拝に行ったとしても御朱印さえもらえれば良いという考え方であれば、転売が横行するのも理屈としては理解はできる。

 私にとって御朱印は経験したこととともにあるもので、つまりは参拝ありきのものだ。御朱印は参拝の証としてもらうという大前提はいったん無視しても、どこかに行って建物や名所旧跡を見て参拝して・・・いろいろあってやっともらうものだ。その一連の流れが面白いのであって、それがあるから御朱印は私にとって価値になる。ティム・インゴルドの「ラインズ」でいう徒歩旅行の線と輸送の線の違いみたいなものだ。

 そういう楽しみ方をしている私にとって、行ったこともないような場所の御朱印を手に入れるのはたとえレアものでも魂の抜けた死体を手に入れているようなものだ。むしろ昔の「お伊勢参り」のように、御朱印集めを名目にして参拝ついでに観光も・・・というようなことがあってもいい(旅行代理店の思う壺かもしれないが)。その意味でなら私も動機が「スタンプラリー」であってもそれほど悪いとは思わない。

 

 そもそもスタンプラリーという言い方で御朱印集めを批判するのはよくわからない。どうせ「昔の人は信心で巡礼したが、今の若いものは信心もなしに御朱印目当てで参拝するのはけしからん」とでもいうのだろう。信心のあるなしが御朱印集めとスタンプラリーの違いなのであれば、それは他人が指摘できるような性質のものではないだろう。そんなことを敢えていうのは野暮だ。

 私が思うのは、信心もなにもなしにレアさや見た目のキレイさだけで御朱印を集めるのはただただ空虚で、もったいないということだ。ちょっと寺社仏閣に興味のあるようなひとであれば、是非おすすめしたい。

 

(完)

香川日記③ 瀬戸内国際芸術祭2016 大島

f:id:kotatusima:20161217160938j:plain

 

 2016年ももうすぐ終わり。

 今年は本当にあちこち行きました。京都、福岡、福井、岡山にも行きました。
 夏に行った瀬戸内の島々のことも印象深いです。その中でも自分なりに特に記録として書いておきたいと思うのは大島のことです。伊豆大島ではなく瀬戸内の大島です。
 
 大島は香川県高松市庵治町に属する面積61ヘクタールの小島です。高松港の東8キロにあり、島の大部分は国立療養所大島青松園が占めています。ここは明治42年からあるハンセン病の患者を隔離し治療していた施設の一つです(もちろん療養所はここだけではなく、現在は国立の施設が全国に13か所あります)。

 治療法が確立されすべての治療が完了した現在は、入所者の方々には高齢による症状と後遺症へのケアが行われています。
 
 大島についてはこちらが簡潔で詳しいです。
 
・国立療養所大島青松園 概況 
http://www.nhds.go.jp/~osima/Seigai.html
・国立療養所大島青松園 沿革 
http://www.nhds.go.jp/~osima/Seienk.html
 
 平成8年にらい予防法が廃止されて以来、徐々に島民と島外との交流が行われ、平成22年から瀬戸内国際芸術祭の会場になったことも影響を及ぼしているようです。
 
高松市公式ホームページ 大島の振興
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/21367.html
 
 そんな大島にほとんど予備知識もなく行ってきました。

 

 

 

8.12.

 

f:id:kotatusima:20161217161057j:plain


 6時45分頃に起床。7時半前にホテルを出発。ことでんバス高松駅まで向かう。
 8時過ぎに高松駅到着。
 すぐに高松港の瀬戸内国際芸術祭のインフォメーションセンターに行く。ここで芸術祭期間中に一日三度出る大島行き船の整理券が配られる。会期外は第二土曜日に船があるらしい。
 整理券が配られる30分以上前に着いたのだが、すでに人が並んでいた。私の前に並んでいた人たちは「どこの島に行った」とか「何回行った」とかいう話をしていた。相当芸術祭が好きなのだろう。

 

f:id:kotatusima:20161217162633j:plain

 
 大島は瀬戸内国際芸術祭の鑑賞パスポートを持っていれば鑑賞料はかからない。持っていなくても300円だ。船も整理券さえちゃんと貰えばタダで乗れる。

 無事整理券を貰い、港へ。

 

f:id:kotatusima:20161217162543j:plain


 さほど大きくない船に乗る。けっこう揺れている。救命胴衣をつけて9時20分頃出発。
 右手に屋島のきれいな三角形を眺めつつ進む。

 

f:id:kotatusima:20161217162739j:plain

 9時41分到着。

 まず受付を済ませ、参加証をもらう。

f:id:kotatusima:20161217163009j:plain

 

 十数人ずつ二班にわかれ、瀬戸芸のボランティア団体「こえび隊」の方のガイドでいくつか島内の施設を回った後に二十分くらいの自由時間がある。なのでなかなか見る時間が少ない。芸術祭の作品としては、名古屋造形大学教授の高橋伸行さんや同大学の有志による「やさしい芸術プロジェクト」によるもの、田島征三さんによるものの他、山川冬樹さんの作品もあったらしいが見つけられなかった。

 

f:id:kotatusima:20161217165159j:plain

f:id:kotatusima:20161217170421j:plain

f:id:kotatusima:20161217170033j:plain

f:id:kotatusima:20161217170814j:plain

 

 まず納骨堂へ。近くに胎児の慰霊碑もある。かつてはハンセン病患者に対し人工中絶が行われていた。

 

f:id:kotatusima:20161217171910j:plain

 

 横断歩道で流れるような音楽が島のあちこちでずっと流れている。キレイに舗装された道はどこに行っても柵があり、白線が引かれている。これはいずれも目の悪い入所者さんのためのものだ。放送は決まった範囲で流しているので現在地が分かるようなっている。柵も白線もそれに頼って歩くためにある。

 

 周りには誰もいない。それどころか人の気配も生き物の気配も全くない。鳴りやまない音楽と一緒に見慣れない白線がずっと続く道を歩いていると、パラレルワールドに来てしまったかのような不思議な感じを覚える。

 

f:id:kotatusima:20161217170954j:plain

 田島征三「青空水族館」

f:id:kotatusima:20161217171056j:plain

 田島征三「森の小径」

f:id:kotatusima:20161217171545j:plain

 やさしい美術プロジェクト 「つながりの家」大島資料室・北海道書庫

 

 ここは元療養施設の長屋で、生活用具を展示する大島資料室や大島の歌人の間で受け継がれてきた蔵書が置かれた北海道書庫がある。

 

f:id:kotatusima:20161217171648j:plain

 近くの海で釣りをするのにつかった小さい漁船もインスタレーションになっている。

f:id:kotatusima:20161217173548j:plain

  入所者の部屋の再現や、入所者の写真作品なども展示。

f:id:kotatusima:20161217173638j:plain

f:id:kotatusima:20161217212128j:plain

f:id:kotatusima:20161217173758j:plain

 北海道書庫は島の北側にあるから北海道なのだというが、他と分断されている流刑地みたいなイメージもありそう。

f:id:kotatusima:20161217174435j:plain

f:id:kotatusima:20161217174514j:plain

 

f:id:kotatusima:20161217174551j:plain

 

 北海道書庫のすぐ近くにあるこれは、数年前に海から引き揚げられた解剖台なのだという。入所の際は解剖承諾書を書かされ。患者が死去した際は解剖された。その手伝いや処理にも患者が関わっていた。

 

f:id:kotatusima:20161217175205j:plain

 この穴から解剖した際に出たものが流されたのだろう。

f:id:kotatusima:20161217175501j:plain

 

 最後に、「風の舞」というところに来た。ここは火葬場で、以前は入所者が火葬も行っていたという。

 鎮魂の願いと、死者の魂が風に乗って自由に解き放たれるようにという願いが込められた場所だとのことだ。

 

f:id:kotatusima:20161217213033j:plain

 ハンセン病歌人、明石海人(1901‐1939)の碑があった。

f:id:kotatusima:20161217213940j:plain

f:id:kotatusima:20161217214341j:plain

 

 観音像も立っている。この像に込められた想いというのは全く私には想像もつかない状況のものだ。大島で生き抜くということはどういうことなのか。「生涯孤島但し安心立命」って何なのか。辛いとか苦しいとか、そういう次元の話ではなかろう。

 そしてふと、今も入所者の方がおられることを思い出す。その意味でもこれは過去のことではないのだ。

 

f:id:kotatusima:20161217214528j:plain

f:id:kotatusima:20161217214855j:plain

f:id:kotatusima:20161217214924j:plain

 

 集合場所に駆け足でむかう。

 

f:id:kotatusima:20161217213154j:plain

 どこに咲いていても花はうつくしい。

f:id:kotatusima:20161217213249j:plain

f:id:kotatusima:20161217213524j:plain

 

人数を確認して、島を11時10分頃出発した。

 

f:id:kotatusima:20161217215609j:plain

f:id:kotatusima:20161217215655j:plain

 

 11時半頃に高松港に到着。

 

 別世界にいたような気分を味わった。高松からわずか数キロを隔てた島に広がる風景はなんとも言い表しがたいものだった。
 

 

 (終)

「野又圭司 展 脱出〜困難な未来を生きるために〜」  2016年10月5日〜12月4日 本郷新記念札幌彫刻美術館(札幌市) 

 

f:id:kotatusima:20161021233251j:plain

 

  ずっと野又さんの個展を見たかったのだが、いつも機会を逃していた。やっと念願叶った。

 野又圭司 氏(1963〜)は函館市生まれ岩見沢市在住の彫刻家。北海道大学文学部哲学科を卒業後、1980年代後半から本格的に創作活動を始めた。自己の内面を反映したボックスアートから、近年は建造物の模型を用いたインスタレーション作品などを展開しているとのことだ。

 「市街から離れ、過疎化の進む村落に暮らしながら、経済至上主義、格差社会、インターネットによるコミュニケーションの変容といった社会状況を見つめ、世界の似姿としての造形によってその行く末を暗示する作風は、現代社会への鋭い批評として注目を集めてきました。」(以上作品リストより)。

 今回の個展では、最新作「脱出」を含むここ10年間の作品8点が発表されていた。作品数は多くないものの、近年の作品の移り変わりや中心となるテーマは見て取ることができる展示だった。

 

 

f:id:kotatusima:20161021233536j:plain

 「無力の兵器(自分を撃ち込め!!)」(97年) 木、銅ほか

 

f:id:kotatusima:20161021233605j:plain

 「地球空洞説」(98年) 木、ガラスほか

 

 90年代の作品は2点。「無力の兵器(自分を撃ち込め!!)」(97年)は、創作活動の苦しみや自己との葛藤が昇華した作品のようだ。「地球空洞説」(98年)は、地球儀のような、骨組みがむき出しの球にわずかに陸地が載っている作品。一見、作家が広い視野からものを見ているようにも見えるが、その世界解釈はごくシンプルで、抽象的だ。

 いずれにしてもこの頃の作品は内省的で、自己の思考がテーマの中心にあるようだ。

 

f:id:kotatusima:20161021233640j:plain

 「遺跡」(08年) 銅 

 巻物が立体的に展開したような展示。

 

f:id:kotatusima:20161021233748j:plain

  「遺跡」(08年) 部分

 

 年代順でいくと次は一気に「遺跡」(08年)に飛ぶ。この間の作品の変遷がわからないのが残念だが、テーマが変わっているのがわかる。上記にもあったように、社会的なテーマへの移行が起きている。

 

f:id:kotatusima:20161021234024j:plain

 「レミング(百億の難民)」(14年) 銅、砂

 

f:id:kotatusima:20161021234101j:plain

 「レミング(百億の難民)」部分

 

f:id:kotatusima:20161021235731j:plain

 「「経済」という全体主義」 (15年) 砂、木

 

 「遺跡」や「「経済」という全体主義」(15年)、「レミング(百億の難民)」(14年)について思ったことがある。これらの作品は数センチから数十センチくらいの大きさのたくさんの建物の模型や人の模型で構成されている。私はこれらを見て「炭住」(炭鉱住宅。炭鉱労働者のための長屋)を思い出した。野又さんのアトリエは岩見沢市のなかでもかつて炭鉱があったエリアにあるらしい。夕張方面など岩見沢周辺の山間では今でも炭住を見かける。

 
 川俣正さんも炭鉱のあった山々や炭住の模型制作をプロジェクトで展開している。それは私が生まれるずっと前の、川俣さんが育った賑やかな炭鉱の町の模型だ。

 野又さんの作品に私が幻視した炭住は、かつての炭鉱の繁栄を表すものではなく、「過疎化の進む村落」(出品リストより)のそれだ。これは私が見知っていることもあり非常にリアルに感じられる。作品の中のたくさんの小さなテントや、砂でできた吹けば飛びそうな崩れかけの家々は、社会に警鐘を鳴らすディストピアの模型ではなくすでに目前にある現実の風景と二重映しになった模型のように見える。

 

 

f:id:kotatusima:20161021235808j:plain

 「「経済」という全体主義」 (15年) 部分

 

f:id:kotatusima:20161021235837j:plain

 「助けて欲しいんじゃないのか。」(12年) セメント、石膏、銅、ほか  部分 

 

 出品作品リストの解説文には、野又さんは「作品のモティーフとしてこうした社会問題に目を向け、模型によって世界の縮図を表現」しているとある。
 では、野又作品と社会問題の関わりはどういうものなのか?

 
 私は解説文の「現代社会への鋭い批評」という表現に違和感を覚える。批評というのは第三者的な立場から行うものであろうが、野又作品から感じられる社会問題への真摯な態度は、まさに今そのただなかを生きる当事者のそれだと思えるからだ。野又作品には批評的な態度は、要素として少なく見える。

 一方で、「世界の縮図」や「模型」という表現もしっくりくる。これらも俯瞰的、鳥瞰的な視点の産物である。矛盾するようだが野又さんの視点で社会を見据え形にすることは、確かに批評的行為であるとも言えよう。言い換えれば野又作品は現状の見取り図的な作品だと思うが、そのめざすところは批評なのだろうか?

 批評とはごくごく単純にいえば「良い点と悪い点の客観的な判断」となるだろう。だから近年の野又作品は、社会問題をテーマとして扱った時点で十分批評的だともいえる。だが、私としては、むしろある側面からは批評的ではないという点を強調したい。社会の出来事の良し悪しを論ずることよりも、そこを越えた、問題への接触や介入のようなもの(実際に行為にならなくても何とか働きかけたいという意識)が野又作品には感じられるからだ。

 それが行動に発展したのが原寸大の船の形の最新作「EXODUS(脱出)」(16年)とも言えるかもしれない。

 

f:id:kotatusima:20161022000627j:plain

 「EXODUS(脱出)」(16年) 木、稲、ガラスほか 

 
 ある種の社会問題を扱った作品を鑑賞した時のつまらなさが、スノビズムあるいは衒学趣味など、その類の高慢な自意識を感じさせることに原因があるのだとすれば、野又さんの作品にはそれが無い。

 反面、扱う問題の多くがあまりに身近で深刻な問題であり、俗っぽいとか泥臭いとも言える。そこに茶化しはなく、生真面目さがあって時に息苦しささえ感じさせる。

  

f:id:kotatusima:20161022000549j:plain

 「存在の耐えられない軽さ」(10年) 木

 

 この展示では、「存在の耐えられない軽さ」(10年)でインターネットについても扱われている。ネット上ではいわゆる半ば悪ふざけのような感覚で行われたことが「炎上」に至り、大きな事件に発展することも珍しくない。

 この作品でもパソコンの画面が模されたオブジェに焦げ跡がついている。「炎上」を表現しているのだろう。木で丁寧に作られたと思しきこのオブジェは、深刻なメッセージを発しているようにはなかなか見えない。木目の風合いもいい感じで、椅子なんて持って帰りたいくらいだ。風刺というには直接的に過ぎる。これが「現代社会への鋭い批評」だろうか。

 

 この馬鹿馬鹿しいほど直球な作品は、私には批評に見えない。だからといって、これを看過していいとも思えないのである。

 野又作品は社会問題に対し批評的な関わりを持ちながら、批評にはとどまっていない。 「困難な未来を生きるために」できることは社会を見据えること。そして批評にとどまらず行動することなのだ。

 

 これはネットで顕著だと思うが、何かに「マジになる」ことへの軽蔑やニヒリズムが、社会に何か重大な変化、それも悪い変化を引き起こしていることを、最近私はよく感じる。私は野又作品から「もはや皮肉や冷笑、悪ふざけの時代ではない」と言われているように思えてならない。今、私たちは、真面目で堅苦しくてつまらないものをこそ見るべきではないのか?私たちが見たがっているものは、実はそういうものではないのか?と思うのだ。 

 

 ただ、そうは思っていても野又作品から感じられる「マジさ」にはやはり息苦しさがともなう。きっと私と同じように真面目で堅苦しくてつまらないものに息苦しさを感じる人は、未来の困難さをも同時に感じるだろう。私たちに未来があるのかどうか、考えるのにはいい試金石になる展示かもしれない。

 
 

 (終)